ヒト

宇野片み緒

文字の大きさ
5 / 17
長生き

log-5

しおりを挟む
湖から得意気な心の声が届く。長生きは苦い顔をした。一つめがクスと笑う。「イルカが何か思った?」「ほら見ろ、だってさ」何がとは問わずに娘は、そうと小さく俯いたきり。しばらく黙ってから、再び口を開いた。「想像も楽しいけれど、次に生まれ変わった時は、もう一度あなたの心が聞こえてほしい」



長生きはその発言を不思議に感じる。一緒に過ごせる時間は最後なのに。「その頃、僕は消えているのに?」尋ねると一つめは微かな悲鳴を上げ、「あなた五十回目なの」初耳のように声を荒げた。前も言ったと返しそうになって、男は自分の理不尽さに気づく。「君の、先代には言ったよ」「覚えていないわ」



やれやれ、またこじれた、とイルカ。その声はいつもと違い、空気を通った感があった。一つめにも聞こえた。まるで着衣泳をしていたかのように、湖から新しいヒトモドキが這い出してくる。淡白で整った顔立ちの青年。冷て、と聞き慣れた心の声。「ばかだな、湖から出て化けなきゃあ」長生きが苦笑する。



イルカなの、と一つめが目を輝かせる。青年は雫を落としながら頷く。「ご名答。全く手間かけさせるよ。そこのクソ通訳が、僕の思ったことちっとも正しく伝えないからさ。ヒト様にならざるを得なくなった。しかしこの泳ぐに適さない体は不便だね、既に後悔だ」勢いよく話すイルカを見て、彼女は楽しげ。



優しく口角を上げた。「長生きの言った通りだわ。あなた本当に言葉づかいが悪い」「そこは認める。こいつめ、僕の欠点ばかり正しく伝えやがるから」横目で男を見て、イルカはごちた。「ない長所をどう伝えろと?」冷めた声色の長生き。よく言うよとイルカが返し、一つめは愉快そうに笑う。「仲良しね」



不意にイルカが意地悪な顔をした。「長生きが今、そいつはいいから僕にだけ微笑んでくれと思った」おい、と咄嗟に声に出し長生きは顔を赤らめる。一つめは目を丸くして、本心の聞こえない彼らを見る。青年イルカは、水を吸った重たげな髪を絞りながらのんびりと。「正しい通訳ってのはこうだよ、こう」



「勘弁しろよイルカ、クソ通訳だったこと謝るよ」男は深く俯く。娘は、見透かしたように呟いた。「ねえ、長生き。私今さら驚かないわ。色々うろ覚えだけれど、前もその前も、長生きがけっこう嫉妬深かったことは覚えてる」「君の記憶は、どうしてそう都合が良いんだい。五十回目のことは忘れてたのに」



その話、と一つめは早口に呟いた。「途中だった」真剣な顔つき。「イルカがタイミング悪く化けたせいだ」長生きが言うと、わざとだよばかだな、と心の声が戻ってきた。黙れと投げ返す。─何も考えるなってかい──そうじゃあない。他のことでも考えてくれ。ノイズに混ざって消えるようなどうでもいいこと─



「イルカと話しているの」急な肉声の問いかけに、男は慌てて振り向く。一つめは、せめて会話は聞こえたらいいのに思い、言わなかった。伝えても変わるわけじゃない。「長生きはもう少しで永遠に消えてしまうのね」彼女は確認するように遅く、小さな口元から紡いだ。「そうだよ」男は憂い低く呟いた。



青年イルカは案外素直に、どうでもいいことを考えようと試みた。まず、濡れた全身を何とかしたい。動物のイルカに戻ろうとして不可能だと思い出す。服だけでも化けられないかと挑戦する。それはなんと可能だった。調子にのり、いろんな服装になってみる。地球上の歴史を行き交う、本物のヒトを参考に。



地球のかけらであるせいか、この星の水面には時たま不思議なものが映る。普段はそこにある通りの色。でもそこにない風景が入るときがある。遠い地球のどこか。時代はばらばら。星の原始生物たちは、それでヒトを知ったのだ。薄い水彩画調の短い動画を、音量をひどく小さくして繰り返し見ているような。



「イルカ、楽しいのかしら。寂しいのかしら」一つめがポツリと言った。次々と服が変わる後ろ姿は、どちらにも見える。こちらに向いていない心はノイズに紛れて聞こえない。長生きは耳を澄ませた。暇だ暇だと思いながら、青年は孤独に化け続けていた。さあね、と短く答える。また、彼女への嘘が増えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様を書いたストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...