ヒト

宇野片み緒

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イルカ

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「いつまで泣くんだろうか」青年のイルカが、呆れた様子で呟いた。幼い容姿に並ぶと、まるで兄のように見えた。一つめは彼を見上げ「だって長生きが居ないのよ」と涙をぬぐう。霧雨で湿ったゆるいウェーブの髪が、心情を表すようにへたっていた。「とりあえず、調子が狂うから大人の姿に戻ってくれよ」



一つめは二十代後半の容姿に戻り、腫れた目を向けて苦笑する。「泣いている大人のほうが厄介ではないかしら」「見慣れないガキよりはマシ」つっけんどんに青年は返す。「ねえ。イルカは何回目なの」一つめはふと尋ねて、心配そうに眉を下げた。「数えてないよ。だいたい二十から四十のどこかだろうね」



不思議そうに彼を見た娘に言う。「何だよ。僕が普通だ。あんな律儀に数えてたのは長生きだけと思うね。消えるときいつも、僕は何回目だ、次生まれたとき忘れていたら教えてくれって残りの連中に頼んでた。周りのやつらの回数までも覚えてたな。イルカは何回目って、たぶん長生きに聞いたほうがわかる」



一つめはうつむき、水中の原始生物たちを憂いを帯びた目で追った。「そう、なのね。私、ずっと長生きと一緒にいたから、数えることが当たり前だと思っていたわ」「だとしても周りの様子で気づけよ。数えてるのが他にも居たか」「言われてみれば居なかった」娘は口元に指を当て、鈴が転がるように笑う。



「でも長生きに、自分はいま何回目って尋ねに来る個体はたまにいたわ。深刻な感じではなくて、軽口みたいに」そう続けて一つめは遠くを見た。イルカが呟く。「僕があいつの立場だったら、五十一回目って言って驚かせるね」「心が聞こえるから嘘は通用しないの」聞こえてないやつがよく言う、と思った。



青年イルカは水平線を眺める。「本当に五十一回目はないんだろうか。あの律儀なやつを疑ってるわけじゃあない。五十回で消えるのは事実なんだろうよ。僕が疑問なのは、本当に消えてんのかって部分だ。五十一回目からは、誰にも見えない姿の可能性は? もしくは、こことは別の場所に生まれ直している」



一つめが、目を真ん丸にしてイルカを見た。満天を閉じ込めたような、明るい青の凝視。「いま、私たちの近くに、透明の長生きがいる?」「知らないよ。例え話」「それか、別の時空で生まれ直している?」「聞くな。だから例え話」彼女は長い息をつく。「どちらにしても素敵ね」「どっちでもないかもよ」



そうして一日が更けていった。ネコジャラシの群生が、秋風で眠気を誘う揺れかたをする。少し肌寒い。じきに冬を飛ばして春が来る。一つめは上着だけ器用に化け、半纏を作り出した。「何その服」イルカの苦笑。彼女は水面を指して微笑む。「さっき映っていたわ。真似をしてみたの。暖かい」「だろうね」



イルカは思案してから、服の形の毛布をまとって見せた。自慢気に告げる。「半纏なんかより何倍もひねりが効いてるだろ」「暑そう」事実その日イルカは寝苦しかった。なので翌日は一つめに八つ当たりした。暗黙の了解で、二個は思ったことをばか正直にズケズケ言い合う。それで案外に上手く続いていく。



しかし。「あなた、長生きと違ってちっとも優しい言葉をかけてくれないのね。気まぐれで強情で悪うございました。でも長生きは、そこがいいと思ってくれていたわ」「また始まったよ。お前は長生き長生きって言うばかりだな。いちいち比べられるこっちの身にもなってみろ。何かい? 僕は代わりかい?」



いつも途中からは、こんな具合になってしまう。腹が立つのは本当。発した言葉も確かに思っている。でも心は多層なので以上ではない。聞こえない代わりに嘘のない関係でいたいと思う。冗談みたいな笑える口論ならしたい。そして終いに一つめが泣き出してしまうのだ。「どうして私たち言い争っているの」



そう言われると分が悪くて、毎度イルカのほうから折れた。「悪かった。何事だよ最近の一つめは。前から泣き虫だったかい」娘はうつむく。「いいえ、彼が消えてから。私、不安なの。長生きの本音は聞こえなくても大体わかった。ずっと一緒にいたせいかしら。イルカの本音は通訳で知れた。でも今は……」



あまりにも嘘偽りなく告げるので、イルカは一つめを愛おしく思った。今のが心の声だとしても同じ内容なのだろう。─なんて相手に聞こえたら、こっ恥ずかしいな。初めから聞こえる同士なら、どうってことないんだろうけど。長生きの気持ちが今になってわかる感じだ。心が聞こえないってのは不便で便利だ─



「気にしすぎだろ。僕はあいつがいようといまいと同じだよ。器用に嘘つくように見えるかい」娘は品定めをするみたいに青年を眺め、片眉を下げて笑う。「案外見える」「心外だ」両頬を膨らますのはイルカの拗ねたときの癖。大きなヘラジカに化けた個体が、アワダチソウの草原を踏みしめて歩いていった。
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