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格子越しに
しおりを挟むがしゃんっ…
金属と金属がぶつかる無機質な音により意識が浮上する。
鉄の格子と金属の天井という見慣れた光景が視界全面に入ってきた。
同じく金属でできた床の冷たさに、寝起きの倦怠感が薄れていく。
いつもと違う人の気配がするので、感覚を研ぐ。
「王女、もう二度とこのような真似はしないでいただきたいです」
「はい…」
二人の女の声が聞こえた。
今の時間帯に女二人がこんなところに来るなんて、初めてだ。一体何の用があるというのだろう。
だいぶ上の方にある窓がわりの孔と、床すれすれの所の壁にある格子から入ってくる月明かりを頼りに、訪問者二人を凝視した。
「ここで頭を冷やせ、と王が仰りました。ですのでしばらくここで生活していただきます」
「父上が…」
「それでは私はここで御暇させていただきます。あの御方のお気が済み次第、お迎えに参りますので」
丁度今ここから去っていった女は、小柄だが中々身体が引き締まっていそうだった。服装や言葉使いからすると、もう一人の女と主従関係にあるのかもしれない。
そして今隣の檻の中で体を縮めて踞っている女は、さらに小柄だ。無駄な肉がない、と言えば聞こえは良いが、必要な脂肪も無く、骨が浮き上がっており、痛々しい。
「…ねえ」
自分の存在に気がついてないだろうな、と思いつつもその王女と呼ばれていた女に声をかけた。
女は無反応で、聞こえているのかどうかわからない。
仕方なく、片足約五十キロの重りがつけられている両足で歩き、女がいる隣の檻に近づいた。歩く度、重りは引きずられ、床と擦れて重々しい音を出す。
「おーうっじょさんっ♪」
女はこちらがわの隅に背を向けていたので、背後から声をかけてみた。
「っ!?」
背後を勢いよく振り向いた女。
期待通り驚いてくれた女に笑顔を見せ、話しかける。
「で、王女の君は何をしたの?貴族ですら不祥事を揉み消すお金があるんだよ?王族はきっとそれ以上のお金があると思うんだ。なのに何で王女の君がここに来ているの?」
女は目を伏せた。
流石にずけずけ聞きすぎただろうか。まあ、こんな口の利き方されたのは初めてだろうし、色々ショックを受けているのかもしれない。
女は口を開く素振りさえない。
無礼な態度をとりすぎて失敗したのかもな、と思った。
「自殺、しようとした…」
「…自殺、ね」
女はそう言うと格子にもたれかかり、背を丸めた。その小さな背中に何を背負っているというのだろう。
女をよく見ると、長い黒髪は絡まり、着ている簡素な服は煤けて破れており、手や頬には生傷がある。
とにかくひどくボロボロだった。それは心もかもしれない。
「…君が何に悩んで、何に裏切られて、何に失望して、何に追い詰められて、何に諦めたのかは、俺にはわからない」
どこにも焦点があっていない、なにも映していないその瞳に語りかける。
「けど、自殺をするくらい、辛かったんでしょ?一人でずっと悩んでたんでしょ?自殺するしか解決できないと思ったんでしょ?そのくらいは俺でもわかるんだ。勝手にわかられてたまるか、って思うかもしれないけど、俺がここにいる理由とかも考えてみてほしい。今はまだ一人で悩んだり考えたりしていたいのかもしれない。でも、俺は君の力になりたいって思ってることは覚えておいてほしいな」
こんな言葉で、目の前にいる女を救けることができるとは思っていない。けれど、いつか彼女を支えることはできると思う。
誰かに手を伸ばすことを知らない、傷だらけの手を見て胸が痛んだ。ただのエゴにすぎないとわかっていても、締め付けられるように痛んだ。
◆
「貴方、名前は?」
昨夜以降、二人とも無言だった。
声を出すまで待っているつもりだったのだが、意外にも早くその時が来た。一日置いたら頭が冷えたのだろうか。
「うーん…ミナ、とかは?」
「とか…?」
「うん。ミナ。俺はミナ」
「ほんとうは、違うのでしょう?」
「まあ、名前なんて個人を識別出来れば何でもいいし。だから君にとって俺はミナでいいの」
「そう、ですか…」
「君は自分の名前を俺に言う?王女って呼ばれたくないなら言ってね」
「…ティナ。王女とは、呼ばれたくないです」
「そうなんだ。今まで呼んでてごめんね」
「いえ、お気になさらず」
「じゃあ俺が気になること言うね。その口調やめたら?君は王女じゃなくてティナなんでしょ?昨日出会ったばかりの俺に敬語は使わなくてもいいんじゃないかな。俺だって使ってないし、マナーとか気にしなくてもいいんじゃない?」
「はあ…」
「わかった?」
「はい。…あ、うん」
言ったそばから敬語のティナに、ミナはくすりと笑みをこぼした。
頬を赤くしながらティナも、ほんの少しだけ微笑んだ。
笑みとは言えないくらいに歪んだ笑顔からは、無理して笑っていることが察せられた。けれど、笑おうとしたことが重要だと思う。笑おうと思える心があるとわかったのだから。
◆
「私は…紅茶かしら」
「それ、食べ物じゃなくて飲み物じゃない?」
「あ、そうね。けれど、飲み物も口にできるから食べ物の中に入るんじゃないかしら?」
「じゃあ、飲み物を口にする時、食べるって言えると思う?」
「言わないけれど、それだけで決められないと思うわ。…ミナが好きな食べ物は何か聞いてきたから私は答えたのよ。次はミナの番」
「しょうがないなー。うーん…干し魚、かな?」
「干し魚?何で?」
「塩辛い干し魚を食べていた時の生活が…何でもない。んー、まあ、懐かしい味だからかな」
「そうなのね。たしかに、昔のことを思い出す懐かしい味もあるわよね」
「ここにいるとパンと水くらいしか食べれないけどね。あ、でもたまに牛乳とかチーズが出されるかな」
「そう、いえばそうだったわ…。ごめんね。私、ここに来る度に、ミナを嫌な気持ちにさせてたわよね。ごめんなさい」
「え、何で?俺別に嫌な気持ちになんてなってないよ?謝らなくていいよ?」
「そう…。…ありがとう。謝ってごめんね」
「うん、いいよ。もうそろそろだね。だいぶ夜も明けてきた。日が昇る前に帰りな?」
「わかった。じゃあまた明日!」
「ばいばい」
ティナが檻の中から出されたのは丁度一週間前。だがティナは翌日からミナに会うために、牢屋がある郊外まで毎夜足を運んでいた。
王女なのに何故こうも自由に動けるのかが謎なのだが、この国の王はそこらへんの規制が緩いのかもしれない。ティナも王女だが王位継承権があるにはあるが、低いのかもしれない。女だから持ってすらいない、ということもあり得る。
なので、実際はどうなのか聞いてみたい。が、なんとなく聞いてはいけないような気がしているので聞いていない。
つい先程までティナが立っていて見えずにいた丘の上の風景を、床に寝そべりながら眺めた。少しの寂しさを感じながら、あくびをした。
ここに通う理由はわからないが、想像は出来た。後宮で宮女が会話ではなく空気を読むゲームをしているように、王宮でも言いたいことが言えないのだろう。ましてや王女など、言ってい良いことの範囲はすごく限られているはずだ。
大変そうだなと思いながらも、所詮他人事だ。自分には何も出来ない。
◆
「ティナ、ここに来るまでに荷物を運んでいる奴を見かけたら、ここに来ないですぐに帰って。それと、ここに来るときは、誰にも見つからないようにすること。いい?守れないならここには来ないで」
ミナに言われたことを守り、ティナは今夜も牢屋に向かう。
牢屋は大きくはないが小さくもない山の中頃に建てられている。斜面は急ではなく、むしろ緩い。なので体力が乏しいティナでも毎日通える。けれど、牢屋の片側は斜面がとても急で、ほぼ崖だ。おとといの夜に気づいたのだが、知らないでそちらの方に行き、もし落ちていたらと想像するとゾッとする。まあミナと会話する、格子がある方ではないので崖だと知っていれば反対側にわざわざまわったりもしないし、別にいいのだが。
今夜は何を話そう。そんなことを考えていると、何やら大きな荷物を運んでいる男二人を見かけた。
「これが……」
ミナが言っていた、荷物を運んでいる人を見かけてしまった。今夜は帰らなければいけない。
理由を教えてくれなかったミナだが、話しているときのミナの目は、険を孕んでおり、正直恐かった。なので、聞くことが出来ず、守らなければいけないという思いが強く植え付けられた。
仕方がない。今日はミナに会うことを諦めて帰ろう。
◆
「ミナ、久しぶりね」
「久しぶり?あぁ、昨日はちゃんと俺が言ったこと守ってくれたんだね。また昨日と同じことがおきることがあるから、その時はまた、昨日みたいにここには来ないでね?」
笑って言ったミナに、ティナは違和感を感じた。どこが、とは指摘できないが、何かが引っかかる。
「ミナ、昨日の夜に、何かあったの?」
ミナは一瞬、目を見開いた。
「何があったの?」
驚いているのかな、とミナの反応をみて思ったティナは、気になったので聞いてみた。
「ご、めん…。言いたくない……」
凍りついた笑顔を顔に貼り付け、そう言ったミナ。
笑顔は固まり、語尾は震え、青ざめた顔のミナを目にしたティナは、好奇心だけで動いたことを後悔した。触れてはいけないところに触れてしまったのだ。
「あ、ごめ、」
「謝らないで」
「っ…」
謝りかけた直後、今まで聞いたこともないような鋭い声で、ミナは言った。
驚きで息を吸い込んでしまったティナは、どうしたら良いのかわからないので、どうしようかと考えた。
「…私、ミナの力になりたいって思ってる。忘れないで」
傷つけるようなことを言った口で紡いだ言葉は、以前ミナからもらった言葉だった。傷つけた張本人がどの面提げて言っているのだ、という話だが、ミナにもらったこの言葉に、息をすることがずいぶん楽にさせてもらったのだ。そのお礼を返したかっただけなのだ。
「…ありがとう」
ミナは自分の言葉が返ってくるとは思っていなかったので、思わず笑って言った。
ミナの笑顔を見たティナは、ほっとした様子で言った。
「どういたしまして」
◆
「チェス…?何それ?」
「ボードゲームの一種で…実際にやってみた方が早いかな。じゃあまずこの駒は……」
―十五分後
「あれ、負けちゃった?」
「大丈夫大丈夫。まだ始めたばかりだし、やっていく内に強くなるわ」
―さらに三十分後
「あら、今度は粘るのね」
「なんか楽しくなってきた」
「残念、でもね、これでチェックメイトよ」
「あ、また負けたー」
「もう一回やる?」
「うん!」
駒を並べ直し、三度目のチェス。
ティナは白い駒を手にした。
―三十分後
「そこのルークを俺からみて左に4個、動かして」
「こう?」
「そう。で、チェックメイト」
「…ほんとだ。凄いわね」
ティナがあまりにも驚いているので、何でだろうと思ったミナ。
それが顔に出ていたらしく、ティナは言った。
「私、王族主催のチェス大会で、毎年優勝してるの。今年はまだ大会やってないけれど」
そんなものがあったのか、と思いつつ少し記憶を掘り返したら、あぁあれか、と思い当たるものはあった。
「ねぇ、その大会でさ、十年前に優勝したの、ティナじゃないでしょ。確か次の年からティナが連勝し始めたんじゃなかったっけ?」
「え、そうだけど。何で知っているの?」
「その年の大会ではティナは準優勝で、始めて表彰台にあがったんでしょ?」
「え、えぇ」
不思議そうにしているティナに、ミナは言った。
「俺も十年前は檻の外にいたからね。そのくらいのことは知ってるよ」
「あ、そうね」
納得しているティナに聞こえないように、ミナは囁くようにして呟いた。
「ほんとに王女だったのか…」
「うん?何か言った?」
「いや、言ってないけど?」
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