檻と王女と元奴隷

croon

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ミナの過去

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「さっさと働け!」
 蹴られた。
 運んでいた荷物を落とす。
 あぁ、また蹴られる。
「落としてんじゃねえよ!!」
 予想通り、脇腹に痛みが来た。
 いや、あんたが俺を蹴ったからバランス崩して落としたんですけど?
 喉元まででかかった言葉だが、なんとか飲み込む。すみません、と呟き、落として周りに散らばった荷物を集める。
「奴隷なんだから奴隷らしくしてろ!」
 自分で言うのもあれだが、かなり奴隷らしいと思う。というか、どこからどう見ても奴隷にしか見えないと思う。
 着ている布はボロボロで、髪もボサボサ、体も煤けて垢だらけ。両足は枷を嵌められて、至るところに傷跡痕がある。
 まあ、何を言ったところで奴隷は奴隷だ。
 奴隷の言うことに聞く耳は持たない。持つ方がおかしい。





 夜。
「おい、お前!ちょっとこっちに来い!!」
 主人は酒癖が悪い。
 足癖も、頭も見た目も、女癖も、ついでに俺の扱いも悪い。
「…何の御用でしょうか。」
 わかっているが、こう言わないとこの後の展開がもっと酷いことになる。
「っ…」
 何の前触れもなく殴られた。
 いつものことだ。
「お前を買うために一体いくらかけたと思ってんだ!!それなりの働きをしろ!!」
 そんなの知らない。
 まあ、奴隷にしては高いことは予想できるが。なんせ剣術、体術ともに奴隷商に最高ランクをつけられたんだ。高くて当たり前だ。
 高すぎて買い手がつかないんじゃないかと思われたが、そんな俺を買う物好きもいた。それがこいつだ。ブドウ酒を扱っているらしい。儲けているんだろう。酒は盗賊に狙われ易いから護衛兼奴隷なのつもりで買ったのだろう。実際盗賊を追い払ったりもしたし。
「死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!」
「…」
 いやいやいやいや、俺が死んだら困るのあんただろ。金払った分損するぞ。酒だって盗られるぞ。まあ、俺は死んでるからいいけど、あんたはストレス発散するサンドバッグの俺もいないし、荒れるだけ荒れて、どうしようもなくなるぞ。
 口に出すわけではなく、内心で毒づいた。
 その間にも暴力はふるわれている。
 あぁ、痛いな。くそっ…。せめてもう少し足枷の鎖が長ければ…。
 丁度、走るには短い長さの鎖なのだ。あと少し長ければ、こんな主人、殺しはしないが気絶くらいさせて逃げられるのに。
 あ、気絶する…。
 そう思った時にはもう、気絶していた。
 目を覚ました時には、部屋を追い出されていた。
 主人の眠っている部屋の入り口の横に、全身打撲の体で立ち、一応主人の安全を確保しておく。
 何でこいつを、と思うが仕方がない。それが奴隷なのだ。
「…ねむ」
 今日で徹夜5日目だ。
 奴隷だって生きている。寝ないと倒れるんだ。と、いうわけで仮眠をとる。少しぐらいいいだろう。
「ねぇ」
 人の気配に気がつけなかったことで、冷や汗をかいた。声で気がついたのだ。これがもし、声や物音がせず、主人に危険がせまり、取り返しのつかないことになっていたら…?
 背筋に震えがはしった。
「誰?」
 声の低さ的に男。
 吐き捨てるように言いながら、スラムにいる人間の典型的な服装をしている男の喉元に、主人から渡されていた小型ナイフを突きつけた。
 男は驚いた顔をした後、苦笑いをした。
「毒が塗ってある。趣味が悪いね。まあ、死にたくないから答えるけどさ。俺が言うんだから、君も言ってよ?ほら、自己紹介みたいな。」
「言え。」
 驚いてはいるが、怯えてもいない男。笑ってさえいる。
 この余裕は一体どこから…?
「じゃあ俺からで。俺は詐欺師。名前はない。偽名ばっか使ってて、よくわからなくなっちゃった。だから、詐欺師って呼んで。あ、でも周りに他の人がいるときは止めて。俺が詐欺師だってことがばれちゃう。」
「何故ここに来た?」
「うーん…何でだと思う?」
「聞いているのは俺だ。」
「あはは、そうだね。まあ、俺は詐欺師だし、言ってることが本当だとは保証しないよ?」
「それでも言え。」
「俺は君を奪おうと、計画を建てた。実行は明日。今日は下見。詐欺師だからできれば口だけで君を手に入れたいんだけど、君のご主人はお金持ってるし、用心棒も何人かいる。しかも、馬鹿じゃない。ブドウ酒だけでここまで利益をだしているんだ、勘もいいだろうし、ある程度機転もきくはず。乱闘になる可能性もあるから、建物の見取り図を頭にいれておこうかな、って思ったわけ。そうしたら行動しやすいしね。」
「…」
 嘘か本当かわからない。
 確かに、奪われるような要素がある。
 今主人は、ブドウ酒業界で利益を独占している状態なので、嫌がらせや損害を与えようとしているのだろう。ブドウ酒を守っている奴隷を奪い、殺すことで。本当のことかはわからない。が、本当かもしれない。
 別に、本当でなくてもいい。とにかく今の生活から脱け出せるのなら、どちらでも構わなかった。
「どうする?素直に奪われてくれるかな?」
 表情の読めない奴だ。笑顔が貼り付いている。だが雰囲気は穏やかなのだ。
 よくわからない。
 けれど、お陰で目が覚めた。
「…」
「…そう簡単にはいかないみたいだね。」
 ナイフで薙いだ。
 返事の替わりのつもりなので、そんなに速いナイフでもなく、男は難なく避けた。
 それは男もわかったらしく、苦笑いをしている。
 そうだった。
 どうせ手を伸ばしても、伸ばしても、伸ばしても、伸ばしても、誰も助けてはくれない。
 助けてはくれない。…助けてはくれなかった。
 伸ばした手は虚しくも空を掴み、他人の温もりを忘れた。
 冷めきった心だからこそ、ここまで生きてこれた。温もりがなくてもここまで生きてこれた。
 ならば、これからも必要ない。どうせ助けてはくれないのだ。
 所詮人間は、自分が一番かわいい。
 助けを求めること自体、間違っていた。
 他人の不幸は蜜の味、とはよくいったものだ。人間は他人の不幸を観ることで、自分と比べて、相手を哀れみ、優越感を感じたりしているのだ。まるで、何かの出し物のように。
 それがとてつもなく嫌だった。
 そんな奴等に助けを求めたところで結果は目に見えている。
 口にした言葉はねじ曲げられ、伸ばした手は振り払われ、時には存在すら消され、大衆の間で出し物にされる。
 奴隷が一番よい例だろう。
 だから拒絶した。
 まず、裏はあるだろう。
 無償で手を伸ばして他人を助ける奴はいない。だが、今目の前にいる奴は手を差し出している。問題はどんな裏があるか、だ。
 自分がいなくなることで、主人はブドウ酒を盗られ、大損するはずだ。それだけでも自分を奪う理由には十分なる。
 けれど、その後は?奪われた自分はどうなる?
 主人が大損した時点で、自分はもう役を果たしている。もう用はないだろう。と、いうことは、殺されるのだろうか。
 まあ、死んでも別に良いのだけれど。特にやり残したこともないし。そもそも生きたいと思ってもいない。
 ただ、今の状態は嫌だ。
 同じ人間として扱われず、家畜のように…いや、家畜としてすら扱われていない。
 ただの道具だ。一日に一度、残飯と水を適当に与えておけば、自分の思い通りに動く。そんな便利な道具。
 そう思われ、そう扱われ、それでも良いと思える人はいないはず。他人のことなので断言は出来ないが、少なくとも自分は嫌だ。
 差し出された手を、どうしようか。
 手をとるか、とらないか。
 とったらどうなるのか。とらなかったらどうなるのか。
 何が変わるのだろうか。何か変わるのだろうか。
 わからない。
 推測したところ、状況が良くなる可能性はあまりない。けれど、今の状態からは脱け出せる。
 ならばいい。たとえ、死ぬことになっても。





「まさか協力までしてくれるとはね。お陰でずいぶん助かったよ。ありがとう。」
「…別に。あんた、詐欺師なんだろ?何でこんなことしてる?」
 血溜まりに顔をうずめ、血塗れになって死んでいる主人を眺めながら言ったら、詐欺師は苦笑した。
「俺だってこんな血生臭いことしたくなかったよ?するつもりじゃなかったし。でも、状況が変わったんだ。…そうでしょ?」
 今度は自分が苦笑する番だった。表情には出ないが、苦笑したつもりだった。
「悪い。どうせ死ぬなら、こいつを殺しておきたくてな。」
 すると、詐欺師はきょとんとした顔をした。
 どうしたのだろうか。
「君、死ぬの?」
「…は?殺さないのか?」
「殺す?誰が?……俺が!?」
「あんたに決まっているだろ。あんたはこいつを経済的に殺すことが俺を奪った目的だろ?目的が達成された今、俺はただのお荷物だ。殺すに限るだろ。」
「いやいやいやいやちょっと待って落ち着こう!?」
「あんたがな。」
 詐欺師はしばらく沈黙して頭を抱えた後、言った。
「…大丈夫、落ち着いた。」
 とてもそうは見えないが、数秒前よりは落ち着いた詐欺師は、ゆっくりと口を開いた。
「俺は君を殺さない。」
「何故?」
「それは…殺す理由がないから。」?
「あんたが詐欺師だっていうことを知っているけど?詐欺は一応犯罪だ。ここは治安が良い方だ。犯罪の取り締まりが厳しいからな。そしてここは噂話が広まりやすい。警官は耳も良いし鼻も利く。だが暴力に訴える。…何が言いたいかわかるよな?」
「まあ、わかるけど。つまり、君が俺のことを詐欺師だと言えば、噂話が作られてそれが広まり、警官の耳に入って俺は捕まる。詐欺師だって調べられて、捜査もされるだろうね。尋問も受けて、暴力だってされるかもね。」
「なら何故俺を殺さない?殺す理由はあるぞ?殺さないのか?」
 詐欺師は一瞬、無表情になった。
 何故かそれが泣きそうな顔にも見えた。
「…………君には生きてほしいから。」
 つい昨日あったばかりの人間にそんなことを言われた。
 あんたは俺の何を知っているんだ、と言い返したかったが、なにも言えなかった。馬鹿にしたかったし見下したかったし突き放したかった。同情されて、憐れみの目で見られ、庇護されるのは、嫌だった。けれど、詐欺師の目は透き通っていて綺麗だった。力強く輝いていた。言葉も力強かった。だが、切迫感と焦燥感があった。気のせいかもしれないが、なにか鬼気迫るような迫力があった。理由は知らない。知るつもりもない。
「あっそ。別にどうでもいいけど。」
 何かよくわからないざわめきが胸のなかで起こったが、無視した。
 認めると自分の中の何かが壊れる予感がしたのだ。
 ざわめきの正体は見当がついている。
「…そう。よかった…。」
 一度に多くの感情と向き合ったような、複雑な表情をしている詐欺師を見て思った。
 自分が弱くなる原因は感情にある、と。





「君には、今日からここで生活してもらう。治安は悪いし衛生面も良くないけど、生きていけないことはないよ。皆団結力が強いから、すぐに馴染むと思う。まあ、馴染みたくないな無理に馴染まなくても良いけどね。」
 だいぶ歩かされて着いたところは、スラム街の一角だった。悪臭が漂ってはいるが、スラムにしては衛生的な方だと思った。
「そういえば君、名前は?」
 忘れかけていた自分の名前を思い出す。
 人さらいにさらわれ奴隷にされるまで、自分はちゃんと名前で呼ばれてた。奴隷という括りでもなく、番号でも呼ばれてはいなかった。
「……アラン」
「そっか。これからよろしくね、アラン。」
 アラン。
 懐かしい響きだ。
 五、六年間呼ばれなかった自分の名前。
 あぁ、自分はもう、奴隷ではないのだな。名前を呼ばれたことで、そう感じた。
「詐欺師、こっちこそよろしく。」
 名前を忘れた詐欺師は、何故かわからないが満面の笑みで頷いた。
 大の大人が子供のような無邪気な笑顔をしている。
 …詐欺師なのに。
 何か良いことがあったのだろうか。まあ、自分には関係ない。
「うん!」
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