檻と王女と元奴隷

croon

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ティナの過去

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「……」
 自分以外は誰もいない部屋で、図書室から借りてきた本を読む。
 本のページをめくる音と、自分の呼吸の音が部屋に響く。
 時間がゆったりと進んでいるような感覚。
 読書に没頭し、それ以外は忘れる。そんな時間。その時間は、とても好きだった。
 こんこん…
 控えめなノックがその空間を静かに壊した。
 溜め息をひとつ、小さく吐く。
 独りの空間を壊された。せっかくの時間がもったいない。とりあえず用件を聞いてさっさと追い返そう。
「どうぞ。」
 別に八つ当たりなどはしていない。
 普段からこの口調なのだ。愛想がないのは自覚している。けれど、今の状況では愛想も悪くしたくなる。
 産まれたときから存在を否定され続け、それでも死ぬことは許されない。
 抵抗するにも周りは皆が敵で、抵抗する力も気力もない。
 無駄なのだ。無駄だと知ったのだ。
「失礼します。」
 ノック同様、おずおずと室内に入ってきた侍女が、少し震えた声で言った。
「国王様の御生誕祭が、来週末に行われます。ティナ様はいかがなされますか?」
 終始怯えた様子の侍女。
 目は泳ぎ、膝が笑い、血の気を失なっている。
 それらで察した。
「参加する、とダイナにお伝え下さい。」
「かしこまりました。…失礼しました。」
 部屋を出ていこうとしている侍女に、本に目を落としながら言った。
「白ワイン。砂漠の向こうの国で採れる、貴重な葡萄で作られたもの。是非とも飲んでみたいと思っている。…こちらの言伝、頼んでも良いかしら?」
 侍女は顔を本のページのように真っ白にしたことだろう。
 理由は簡単。侍女が私に聞き忘れたことだからだ。お飲み物は何がよろしいでしょうか?…と。
「わ、わかりました!失礼します!」
 慌てて部屋を出ていった侍女。
 可哀想に。
 やりたくないことをやらされて、その上プレッシャーもかけられていたはずだ。まあ、それはダイナもだろうが。
 もう何もかもがどうでもいい。
 とっくの昔にわかっていたことだ。私には敵しかいない。
 別に悲観的になっているわけではない。客観的に眺めているだけだ。昔からの癖でもある。
 あらゆることを天秤にかける。この癖は中々直らない。まあ、直ったところで困るのは私なのだが。
「私は、そうでもしないと生きられない。」
 周りは全員敵。
 だが国民や、後宮にいる女官からは王女として扱われている。いや、表向きはちゃんと王女として扱われている。けれど、王族は裏では私のことを王女だと思っていない。私は、目の上に出来たこぶのような存在なのだ。
 私の父はこの国の王。
 私の母はこの国の平民。
 二人の間に生まれた私は王族か平民か。
 私の父は、私以外の子供は作らず、私の母以外の女性を愛さなかった。
 私の母は、私を産んで、私の父も私も置いて、姿を消した。
 私は父のお陰で、今を生きている。
 なにもかも全てが、というわけではないが、基本的に平穏な毎日を送っていけている。多少は穏やかではないことは起こるが。そして、それらの不穏な物事から身を守るため、自分を少し、殺すようになった。
「こんな私でも、いつか誰かの役に立つのかな。」
 役に立つように、利用されるのがおちだろう。
 私個人ではなく、王女として。
 私は王女で、王女は私だ。ならば私は王女として生きよう。王女として利用されよう。王女として、死のう。





「「 国王様の御生誕を祝って、」」
「「 乾杯!! 」」
 会場に集まった王族、貴族は各々アルコールが入ったグラスを持ち上げ、口をつけた。
 それはもちろん私も例外ではない。
 国王の誕生を祝うグラスの音は、私の死を告げる音でもあった。
 少し苦味を感じる白ワイン。その苦味の正体は毒だ。今はまだなんともないが、30分もすれば毒の効果が現れてくるだろう。
 この会場にいる人は、私のワインに毒が含まれていることを知っているはずだ。
 皆がさりげなく私に視線を投げている。
「ティナ様。」
 遠巻きにされているなかで、話しかけられるとは思っていなかったので驚いた。
 声のした方を見てみると、そこには無表情のダイナがいた。
 何の感情も読み取れないダイナの顔を眺めながら、どうしたのだろうと思った。
「何か用かしら」
「ティナ様…」
 歯切れが悪い。
 もしかしたらここでは話しにくいことなのかもしれない。
「そうだ、丁度新しく本を借りようと思っていたの。新しく借りる前に、いままで借りていた本を返してしまいましょう。けっこう冊数があるの。…手を貸してくれるかしら?」
「…かしこまりました。」
 ダイナは無表情のまま、そう言った。
 私はダイナと同じく無表情でいる自覚がある。ダイナは一体何を話したいのだろう。自分にはもう時間が少ない。ダイナの話を最後まで聞いていられるだろうか。
 図書室に私の冷たい声が響く。
「…で、何の用かしら?知っての通り、私にはもう時間がないの。手短にお願いね。」
 はっとしたように、大きく息を飲んだダイナ。
「気がついていないとでも思ったのかしら?私達は長い付き合いよ。隠し事はできないわ。何一つね。」
「…」
「毒の他に、貴方は私に何かを隠している、そうよね?」
「……」
 ダイナの長い沈黙を肯定と受け取った。
「何を隠しているの?」
 けれど、ダイナは口を開く気配さえない。
 仕方がない。ダイナが言うまで待とう。待てるまで。ぎりぎりまで。
 思えば、ダイナとの付き合いは本当に長かった。私がずっと幼い時から、気がつけばそこにいた。
 ダイナは女官で、この国の第一王女である私の身の回りの世話をしてくれていた。部屋の掃除や食事の準備、後片付け、衣類などの洗濯、公務の日程管理、その他諸々の雑務を任されていたダイナと親しくなるのに、それほど時間はかからなかった。それ以外の、内密に任されていた仕事に気がつくのにも、それほど時間はかからなかった。
 ダイナは女官としての仕事の他に、私を監視する仕事をしていた。丸一日二十四時間というわけではないが、部屋の掃除などで私の部屋に入るときに、それとなく部屋を観察され、一日の予定を聞かれることがよくあったのだ。公務のときには、必ず私が見える範囲の場所にダイナは控えており、パーティーのときにもダイナは一人、お酒も飲まずに会場の隅で気配を殺していた。
 決定的な証拠も、確証もない。けれど、私だってもう幼くない。自分の存在が疎ましく思われていることにも気がついている。気がつくぐらいのことをされた。例えば、毒殺されるかえたことだったり。
 私は気がついた。
 あらゆることを天秤にかけ、優先順位が低いものは捨てるということを。そうしてこの国は成り立っていることを。私の優先順位が恐ろしく低いことを。私もそうしなければ生きていけないことを。
 私は気がつけばいつもいじめられていた。学舎で私の使う机に刃物が入れられていることや、椅子に鋲の先が上を向けられて置かれていたこと、持ち物がなくなることは日常茶飯事だった。私が少し仲良くした人にも、それは行われた。猫や鳥などの場合、例外なく殺されていた。
 私が関わった人や動物たちは全て、不幸になっていた。何故そのようになっているのかは、ダイナが裏でいじめを煽っていたからだった。動物たちを殺していたのもダイナだった。
 私は泣くことをやめた。泣いたところでなにも変わらない。むしろ、いじめは悪化する。
 ダイナに命令している人間は、私のことを疎ましく思っていることは間違いないので、私が泣いたら喜ばせるだけだ。
 そうして私は、周りとは距離をとるようになった。
 動物を、私が悲しむからという理由だけで殺す人達なのだから、もしかしたら私を監視しているなかで親しくしている人を見つけ出し、殺すまではしなくてもいじめの延長で大きな怪我をさせてしまうかもしれないから。
 けれど私は、ダイナを恨んだり、嫌ったりはしなかった。
 憐れだと思ったのだ。自分の思いを殺して誰かに従いつづけるダイナが。
 私はそれなりに不自由ない生活をしていて、感情を殺したりして苦痛を感じることはない。
 けれどダイナは違う。私の世話や雑務で自分の時間がろくに作れず、自分がしたくないことをしなくてはいけないので感情を殺し、罪悪感と背徳感で押し潰されそうになっている。肉体的苦痛か精神的苦痛かの違いの他、奴隷と同じだと、私は思った。
 そう考えている私はまさに、籠の中の鳥だろう。
 大きな籠の中にたった一羽だけいる鳥。
 …寂しい。が、慣れた。





「…ティナ様」
「何かしら?」
 ダイナは躊躇いながら、口を開いた。
 ようやく話してくれるようになった。二十分くらいかかっただろうか。それとも、ただ長く感じただけだろうか。
「私にひとつ、命令してください。」
「…どんな?」
 あぁ、耳に水が入ったかのようにダイナの声がぼやけている。
 身体も熱を持ち、思うように動かせない。
 頭も鈍く痛んでいる。
 そんな状態で聞いたダイナの話は、どこか現実味が欠けていて、夢でも見ているようだった。
「アリーヤ様の婚約を妨害しろ、と…」
 なるほど、そういうことか。
 私の父の弟の子供がアリーヤなのだ。要するに、従妹。王位継承権が、表向き一位の私が邪魔だったのだろう。アリーヤ以外、私の父の血を継ぐ人は、父の弟と私とアリーヤしかいない。アリーヤのことを女王にしたい人達にとって、私の存在は邪魔なのだ。特に、アリーヤと結婚するつもりでいる婿養子にとっては。
 だから私を殺そうとした。
 私はアリーヤが婚約するだなんて聞いてもいなかったし、知らされてもいなかった。毒殺されかかるのは初めてではないが、その理由が全く検討がつかなかったのは初めてだった。が、悪意をぶつけられることはもはや日常で、当たり前だった。
 だからどうせ誰かの嫌がらせだろうと思ったのだが。
 何度も毒殺されかかることにより免疫がついたらしいが、今回は毒の量が多いようだ。三十分もたたずに視界が狭まってきた。
 どうも、判断力も鈍っていたらしい。
「…好きになさい」
 駄目だとわかっていたがつい、そう言ってしまった。





 あぁ、私は生きてしまったのか。
「ティナ様!?」
 ダイナの声だ。
「ご気分はいかかですか!?」
 ダイナの声が頭に響く。
「薬が効いたようでよかったです。毒の量が多いようで、解毒できるとは完全に言いきれなかったのですが、解毒できたようです。安心しました。ティナ様が免役をお持ちになられていたからでしょうか。」
 ふと、気になったことを聞いてみた。
「子供の頃、食べるもの全てが苦かったのは、ダイナのせいなの?」
「…申し訳ございません」
 やはりそうだった。
 私に毒の免役を作ったのは、ダイナだった。衣食住の管理は全てダイナに任せている。私が口にする食べ物を苦くすることが出来るのはダイナしかいない。
 ダイナはいつかこうなることを予想していたのだろう。だからあらかじめ私に免役をつけさせた。第一私の免役がダイナによって作られていなかったら、私はとっくに死んでいる。今だってまだ、目を覚ましていないかもしれない。と、いうか、死んでいてもおかしくない。
「…これがダイナのしたかったことなのかしら?」
「……はい」
「ごめんなさいね、私には理解ができないわ。」
 ダイナは一瞬、悲しみに顔を歪めたが、すぐに取り繕って言った。
「お気になさらないでください。私が勝手にしたことですし。」
 ほら、またそうやって感情を殺してる。
 ごめん、ダイナ。わかってるよ、本当は。私のためにしたんだよね?ありがとう。私のためにダイナが手を汚してしまったことは悲しいけれど、それだけ私のことを想ってくれているのだと思ってもいいのかな?自惚れても、いいのかな?
 なんだか心がぽかぽかする。
 なんなんだろうね、この感じ。
 今、すごく心が満たされている気がする。
「何をどのようにしたのかは、聞かないでおくわ。」
 思ったことは口にせず、淡々とそう言った。

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