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脱獄
しおりを挟むここ最近、ティナが来ない。
やっぱり、バレたのか。そりゃあ、隠し通せるとは思っていなかったが。せめて自分の口から伝えたかった。
ティナはどう思っただろう。俺のことを敵、だと思ったのだろうか。だとしても、実際は敵なわけだし、そう思われても当然なのだけれど…。当然なのだけれど、そうだとしたら、少し、悲しい。いや、かなり悲しい。
仕方がないと諦められない。そんなにあっさり諦められるくらいなら、最後まであんなに未練がましい言葉を声に出したりしない。
「来れるときに、ねぇ…」
もし来なくても、来れないだけだと言い訳がしたいだけの、女々しい言葉。本当は来たくないだけかもしれないのに。
自分の弱さが滲み出ている。俺は強くあらなければいけない。
「国民も、詐欺師も、何も守れなかったから。」
俺が俺であるためには、強くなければいけないのだ。
剣の腕を磨いて、馬の扱いにも慣れ、学も培ったつもりだった。
それなのに、この溢れてくる感情は、弱さを象徴するものだった。
寂しくて悲しくて空しくて、恋しい。
「ティナ……」
あの日鍵をかけた時の感情に、よく似ていた。どこか違う気もしたが、何が違うのかわからない。
中々諦めがつかない自分に嫌気が差す。
苛立ちを、目をきつく瞑ることで押し隠し、格子に背を向けた。
どれぐらい過ぎただろうか。
いつのまにか眠ってしまっていた。
目を開き、格子を見た。
「…?」
誰かが来る。徐々に気配が近づいてきているのだ。
反射的に身構えた。だがミナは次の瞬間、構えを解き、目を見開いた。
「…………ティナ…?」
格子の向こうにはティナがいた。
ティナは、余程急いで走ってきたのか、肩で息をしている。着ている服は乱れ、黒くて長い髪は絡まっている。
そんなティナを見たミナは、驚いたし不思議に思った。
「何でここに…?」
「ちょっと、待って。」
息を整えているティナ。
ティナを見つめるミナ。
膝に手を置き、前屈みになってしばらく経った頃、ティナは顔をあげた。
「ここから出て。」
「え?」
「そして劇を観に来て。」
「へ!?」
冗談してはティナの表情は真剣で、ミナは少し混乱した。
「いやいやいやいや!無理だって!!」
「無理じゃないわ。鍵なら私が持ってくる。番人だって私の言葉で遠ざけるくらいのことは出来る。だからお願い。ここから出て。私のことは恨んでも構わないけれど、明日の劇は観て。お願い…。」
畳み掛けるようにしてそう言ったティナ。
ミナは色々突っ込みたいところがあったがとりあえず考えた。
今まで脱獄の機会を狙っていたことは狙っていたが、本気で脱獄しようとは思ったことがなかった。そんな気力もなくなるぐらい、精神的に、ぼろぼろだった。脱獄のことを考えるほどの余裕はなかったのだ。だが、改めて脱獄をしようと考えてみると…。
「出来なくはない…かもしれない。」
なんとも曖昧な言い方になってしまった。
脱獄自体はまぁ、出来るだろう。
だが、その後捕まらないように逃げ続け、なおかつ明日にある劇を観る、となると、難しい。その間に捕まってしまうかもしれない。
けれど、番人のいなくなる時間もわかっているし、行動パターンも知っている。ティナの手を借りなくても脱獄自体は出来るはずだ。
「変装とか、する?」
ティナが遠慮がちに言った。
「…それ、いいかも。」
まずこの伸びきった髪を切って、ぼろぼろの衣服を着替えることにする。
それだけでも印象は変わると思うし。顔は幸い長い髪に隠れて番人にもあまり見られていない。
あれ、思ったよりも結構条件がいいぞ。けど、油断はしない方がいいかな。
あとは足枷を重りごと外せばいい。
「ティナ、細めの髪留めとかって持ってる?」
「うん、持ってる。あ、今見せようか?」
「あ、お願い。見せて。」
ティナは髪からそれをとると、ミナに格子越しに見せた。
「…うん。これをあともう一つと、それと鋏。あと…俺に合う大きさの服を、明日の劇が観れるような時間に持ってきてほしい。借りたいんだ。」
髪留めは一つでも足りなくはないが、予備でもう一つ欲しかった。
鋏は髪を切るために。
「わかった。今日の内がいいかしら?」
「んー…劇っていつ頃から始まるの?」
「明日の夕方頃からよ。」
「なら明日の午前中までに持ってきてくれればいいや。」
ティナはしばらく考え込むと、言った。
「…部屋に来る?」
ミナはティナの言葉の意味がわからず、一瞬素で呆けた。
「え…何で?」
「そうしたら明日、私はここに来なくてもよくなるし、ミナはここから街まで行く間に見つかる危険も少なくなるでしょ?」
「確かに…」
「来る?」
ミナは悩んだが、減らせる危険は減らしておいた方が良いので頷いた。
「うん、行く。」
ミナの手にはティナの髪留め。足枷の鍵を外そうとしているのだ。
「どう?」
「余裕余裕。」
ミナは月明かりだけを頼りに、細かい作業を楽々とこなしている。
つい先程右足の枷を外し、たった今左足の枷も外した。そして檻の鍵も解錠した。それを見ていたティナは、ミナの器用さに驚き、拍手をした。
「はい、ありがとう。」
「あ、うん。ミナ、凄いわね!この髪留め一つで解錠しちゃうなんて!」
髪留めを受け取りながら言ったティナに、ミナは苦笑いをこぼした。
「そう?ありがとう。」
詐欺師に教えてもらったことの内の一つだ。
他にも、自分より体が大きく体重もある相手を投げ飛ばす方法や、相手の死角に入るコツ、口の使い方等を教わった。
口の使い方が一番難しかった。言葉の使い方ともいうけれど。
「あとは、ここを出て王宮のティナの部屋に行くだけか。」
◆
「…」
「…」
ティナの後をついていくミナ。
牢獄から王宮までの道のりがわからないのだ。
二人共、無言で足を動かす。
しっかりとしたティナの歩みに迷いはない。けれどミナには不安要素があった。ティナの後をついていってたら、本当に王宮につくのだろうか、ということだ。ティナを信用してはいるが、あくまでもティナ個人として、だ。王女のティナはわからないことだらけで、信用できると判断出来るほどの情報がない。
王女のティナと、個人としてのティナは、何が違うのだろう。違いは必ずあるはずだ。
もしかしたら、連れていかれる先で命を落とすかもしれない。
考えすぎだろうと思うが、考えずにはいられない。考えた上で、こうしてティナの後をついていっている。
危険かもしれないのに、不思議だ。
ミナは、何故自分が危険を犯してまでティナの後をついていくのかが、わからなかった。
動きに合わせて揺れるティナの髪を眺めながら、不思議な感覚に首を捻った。
まあいいか、と思い欠伸を小さくこぼしたミナは、ティナの髪を眺めたまま呟いた。
「愉しみだ。」
皮肉げな笑みと共に言った言葉。
ティナに連れていかれた先がどんなところだろうと、笑ってやろうという、ミナの歪んだ決意が込められていた。
「こっちよ。」
囁くティナに従えば、厳重なはずの王宮の警備の網をくぐり抜け、あっさりと王宮内に入れた。こんなに簡単に侵入できることに驚いたミナは、王宮に着いたこと自体に、内心肩透かしを食らった気分だった。
真夜中を少し過ぎた時間帯の王宮の静けさと、昼間のざわめきとの落差が激しいせいか、どこか不気味に感じたミナ。
けれどその分人がいないので、すんなりとティナの部屋に着いた。
部屋に入り、ティナが扉をそうっと閉めた。
「…」
「…?」
ランプに照らされたティナの部屋を、まじまじと眺めるミナ。
そんなミナを見て何でそんなに観察してるのだろう、と首をかしげたティナ。
「ティナ、髪を切りたいから、何か切るもの貸してほしい。」
あぁ、道具を探していたのか、と納得したティナは、勉強机の引き出しを開いた。
「…ごめん、鋏、ない。」
刃が錆び付いていたので、イゾベルに代わりのものと交換してもらうつもりで渡してしまっていた。
すっかり忘れていた。
「鋏じゃなくてもいいよ。刃物なら何でもいいんだけど、あるかな?」
ティナは困ったような顔をして、考えた。
刃物は、ある。が、誰かに触れさせることへの抵抗が拭えない。
「少し待って。」
ティナはミナにそれだけ言った。
どうしよう。
首からさげたナイフを、服の上からそっとつかんだ。
このナイフは母の唯一の形見なのだ。
母といっても、顔も覚えていないのだが。
父に、お前の母親の形見だ、と言われて渡されたナイフなので、本当に母の物なのかはわからない。
けれど、これを持っていると安心する。
何故だろう。
ナイフという自衛の武器を持っていると感じるからだろうか。
ふとミナを見ると、こちらを見つめていた。目があったが、ミナの表情は無表情。
「…ミナ。」
気がついた。
「…何?」
ミナは私が知ったことに気がついている。
「私のことは恨んでもらって構わないわ。」
ミナの表情に、変化は見られなかった。
「…?」
ティナの言葉をよく理解できない。
何故俺がティナを恨まなければいけないのだろう。俺はティナになにもされていない。ティナにしたことは、あるが…。
話を切り出そうとしていたのだが、ティナの言葉で思考は停止し、考えが上手くまとまらない。
何故ティナはそう言ったのだろう。
もしかしたら、これからティナが何かを起こすのだろうか。
「ごめん…」
沈黙をどう捉えたのだろうか。
ティナにいきなり謝られた。
わけがわからない。
無表情のティナだったが、どこか泣き出しそうな雰囲気だった。
「ティナ、」
「あ、刃物ないから明日の朝でもいいかしら?鋏なら頼めばすぐに持ってきてもらえるし。」
ミナの言葉を遮るように、ティナは言った。「…いいよ」
「わかったわ。じゃあとりあえず今夜は寝ましょう?もう夜も深いわ。」
「…うん」
ティナの作り笑顔に、ミナは頷く以外に何も出来なかった。
「おやすみなさい」
「…おやすみ」
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