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蝕む
しおりを挟むお互い疑心暗鬼になっているミナとティナ。
ティナは背中に、ミナの少し低い体温を感じながら悩んだ。
ミナは背中に、ティナの少し高い体温を感じながら考えた。
背中合わせの二人。
体の向きも見ている方向も思っていることも違う。けれど、同じ部屋で同じベットに横になっている。それがどうしたというのだ、と言う人はいるだろうが、二人にとっては大きな意味がある。
無防備な背中をティナに預けているミナ。
ミナは、頸動脈を切断するのには小指の先の爪で十分なことを知っている。それなのに、無防備に背中を預け、首を晒している。
何故だろう。
最近自分で自分がわからなくなることが多い。まあ、どうせ死ぬならティナに殺されるのもいいかな。
呑気な考えだと自覚している。けれどよくよく考えてみると、むしろどうせ死ぬならティナに殺されたいな、と思ってしまった。
もう十分生きた。生きすぎた。詐欺師と一緒に戦いの中で死にたかった。今までのこの十年間、惰性に生きてきた気がする。いや、ずっと昔からか。奴隷の時からそうだった。気がつかなかっただけだ。せめて、詐欺師が今も隣にいたら、生きる意味はあったのに。
生きる意味は十年前に失くした。
じゃあどうしよう?答は死だ。
◆
「アラン」
懐かしい声がする。記憶をたどると、すぐにわかった。
「詐欺師…?」
自信がなくて、尻すぼみになってしまう。
「うん。久しぶりだね、アラン。」
けれど、返ってきた声は生き生きとしたもので、柔らかな雰囲気をたずさえている。
「…あぁ、久しぶりだな。ところで詐欺師、お前はどこにいるんだ?声しか聞こえないんだけど?」
やけにはっきり聞こえるわりには、詐欺師の姿が見えない。
違和感を感じる。
「俺はこっちにいるよ。」
声のした方を向く。
「皆と一緒に、ね。」
片腕、片足がないひと、首がないひと、首しかないひと、頭が割れて中が見えているひと、骨や肉の断面が見えているひと、傷口から内蔵が出ているひと、目が潰れているひと、耳が削ぎ落とされているひと、鼻が折れているひと、折れてはいけない方向に骨が折れているひと、上半身しかないひと、下半身しかないひと、顔が半分しかないひと、顔の形が歪んでいるひと……………
血塗れのひとたちを率いるようにして先頭に立っている詐欺師も同じく血塗れで、綺麗に笑っていた。
詐欺師は五体満足で、血塗れなこと以外は怪我もしていないし特に異状はない。だからこそ、血塗れの集団の中では浮いていた。
「…詐欺師?」
強烈な違和感と、背筋を這い上がる怯えと、頭のどこかで鳴らされる警鐘と、それらについて深く考えることが出来ないくらいの焦燥感に襲われ、固まってしまった。
体は言うことを聞かず、頭もぼぅ…とする。
「アラン、君のせいだよ?」
軽い口調。
「は?」
「全部全部、アランのせいなんだ。」
ゆっくりと毒を吐く。
「何のことだ?」
「聞きたいの?」
怪我すると教えたのに触ろうとする子どもを見たかのように、驚いた。
「…まあ」
「じゃあ言うね。」
詐欺師は仕方がないと言うように口を開く。
「この国が負けたのも、旧国民だからって差別されるのも、俺が死んだのも、みんなみんな、アランのせい。」
口を弓なりにして、詐欺師は言う。
「アランがもっと用心深かったら、もっと強くて大将として振る舞って、大将として心構えと自覚があったら、この国は負けなかった。」
無の表情に歪んだ笑みを貼りつけて、詐欺師は言う。
「アランと俺は、出会わなければよかったのに。」
詐欺師はミナを見つめながら、歌うようにして言った。
「だからみんな、アランのせい。」
口元に弧を描いている詐欺師は、一言、ミナに言い放った。
「死んで」
穏やかに言い放った。さも当然のことのように。
「…わかった。」
何かを諦めたような力の無い声が出た。
詐欺師に言われたのだ。死ぬしかない。
「これ、使う?」
詐欺師が差し出してきたのはナイフ。とても簡素なつくりのナイフだ。
見覚えがあるそれをしばらく見つめていると、思い出した。
「それは…」
「あぁ、これ?覚えてるかな?アランが俺との初対面で斬りかかった時に使ったナイフだよ。その時は確か毒が塗ってあったよね。」
詐欺師が言いながらナイフを押しつけてきた。
受け取らされながら、詐欺師を見て言った。
「よく覚えてたな。」
「いきなりの攻撃には驚いたけど、こんな小型なナイフで、って思ったからね。」
「へぇ。」
詐欺師はもう一度言った。
「死んで」
「…」
わかった。
この一言が、言えなかった。
「アランのしたことはね、本来なら赦されることじゃないの。死んでも償いきれないくらいのことなんだよ。それくらいわかるよね。でも、赦されないからっていって、なにもしないのは、また違う話じゃない?」
詐欺師がナイフを俺の手の上から握った。
「ほら、会議の時間に間に合わなかったときに、少しでも早く行こうとしないで、そのまま会議を休んじゃうみたいな。」
順手で持っていたナイフを逆手に持ち変えさせられる。
「アランは、出来る限りのことはしなくちゃいけないと思うんだ。違う?」
「違わない、が…」
詐欺師は正論を言っている。けれど、本能がそれを拒む。
「だよね。じゃあせめてもの償いをしようか?」
「そう、だ、な…」
詐欺師の迫力に圧され、頷いてしまった。
直後、詐欺師の手に力が入った。
抵抗はなく、ナイフはミナの左胸に吸い込まれるようにして刺さっていく。…はずだった。
『ミナ!』
一瞬、全ての動きが止まった。
その一瞬は、正気になるのには十分だった。
すぐさま詐欺師の手からナイフを叩き落とす。
『ミナ!』
また、声が聞こえる。
『ミナ!』
『ミナ!』
『起きて!起きてよ!』
『目を、覚ましてっ…』
『っお願い…』
懐かしい音の雰囲気に、徐々に覚醒する。
その抑揚や語調が、頭の片隅にあった違和感を消していく。
「ん…?」
『っ!ミナ!!』
「ぅ…」
視界一杯にティナの顔が映り、それを確認した直後、かなりの勢いで抱きつかれた。体当たりとも言えるくらいの勢いに、ミナは思わず声を出した。
『ミナ!おはよう!』
「え?うん、おはよう。」
戸惑いながらもそう言ったミナ。
「…え、ティナ?」
『なにかしら?』
「何で…?」
『?』
「あ、そっか」
ティナがわたわたと慌ただしいおかげで、ミナは冷静になれた。
夢を見ていたのだ。
たまに見る夢だったのだが、今夜の夢は少し違った。詐欺師がナイフを取り出すのはいつも通りなのだが、逆手に持ち変えさせられるのは初めてだった。まあ、とりあえず今は置いておく。夢の話よりも、ティナが話した言葉の方が重要だった。
ティナは、旧国語を話したのだ。
何故、と思ったが、ティナはチェス大会に出ていたので、使えてもおかしくない。あの戦争が起きるまで、友好国だったのだから。
『…ティナ、どうしたの?』
思いきって旧国語で話しかけてみたミナ。
『どうしたのって…ミナがすごいうなされてたから……』
ティナは普通に旧国語でミナに返した。
よっぽど混乱してるのかな、と思ったミナは、ティナがこれほど流暢に旧国語を話せることに、内心驚いた。
『ミナ。』
『何?』
『…』
『何々?どうかした?』
『…お疲れさま。』
何がお疲れさまなのだろう?
そう思ったミナを、ティナは抱きしめた。
『私はね、ミナを一度も敵だとは思ったことがないわ。むしろ、私がミナに恨まれていないかが恐い。』
驚いているミナを気にもとめず、ティナは言う。
『私は今から十年以上昔に、この国には何で戦争を仕掛けないのかと、父に聞いたことがあるの。たぶんそのせいで、父はこの国に戦争を仕掛けたのよ。だから、ミナは悪くないの。全部私のせい。』
『え、ちょ、』
『友好国から背後をいきなり攻められて、無事な国は、そうそうないわ。あったとしたら、友好国の裏切りを考え、友好国を裏切る算段をしていたはず。ミナは悪くないわ。国に尽くしただけよ。』
ティナはミナを抱きしめながら、言った。
『苦しかったのよね。辛かったんだよね。責任を全て背負わされて、膝をつくことも許されなかったんだよね。その苦しさを、辛さを、わかってあげることはできないけれど、受け止めることならできるわ。…もう、我慢しないでいいの。私はミナの力になりたいの。…忘れちゃったかしら?』
ミナはティナの腕を振り払うと背を向けた。
そんなミナに手を伸ばすティナだったが、ミナに怒鳴られる。
『来るな!』
ミナの迫力にたじろいだティナ。
伸ばしかけた手を宙で停止させる。
『俺をわかろうとなんてするな!赦したりなんかしてほしくない!受け止める?笑わせんな!あんたの細い腕じゃあ無理に決まってんだろ!』
思考も停止したティナ。
『自惚れるな、あんたは俺の力になれるほど強くないっ!』
ミナはティナに背を向けたまま荒々しくそう言った。
『……ミナ…いや、アラン。貴方は私と初めてあったときから、私にとってはミナだった。アランなんて名前の人、私は知らない。私が今まで接してきた人はミナだった。アランじゃない。文字として、情報としてのアランは、アランなのだけれど、アランじゃない。実際に会って話したりしたら、ミナだった。アランじゃなくて、ミナだった。』
ティナは痺れるように痛む胸に手をあて、回転しはじめた頭で言葉を紡ぐ。
『ミナ、優しいのね。責任を全て背負わされても、それが当たり前だと思い込んで、大人しく背負ってこれからも生きていくつもり?そっちこそ笑わせないでよ。ミナの方が自惚れているわ。そんなに重い責任をひとりで背負えると本気で思っているのかしら。無理に決まっているじゃない。だからそんなに長い刑期になっているんでしょう?貴方は強い。けれど、優しすぎるわ。馬鹿みたいにお人好しね。何で軍の大将であるアランに責任を全て押し付けなきゃいけないの?軍の上層部は?アランの他にもいるでしょう?アラン、貴方は利用されたのよ。国を代表する人柱としてね。』
いまだにティナに背を向けているミナ。
構わずにティナは言った。
『貴方は人柱になる必用はない。我慢しないで。』
ミナはティナに背を向けながら、堪えていた。
ティナの言葉は幼い子をあやすように、穏やかな口調で発せられた。
一度は思ったことがあることをティナに指摘され、やっぱりそうなんだ、と思っていると、少し気持ちが軽くなった。けれど、ここでティナに縋るわけにはいかない。
誰かに縋った途端に全てが崩れる。
そんな予感がした。
ふと、背中が温かいもので包まれた。
『貴方はアランであり、ミナでもある。アランは何も悪くないけれど、その行いは、別の角度から見ると悪く見える。これは仕方のないことよ。…でもミナは何も悪くないわ。ちゃんと自分の罪を償っている。自分がしたことの大きさを理解してる。』
あぁ、ティナか…。
振り払いたいが、今はそんな余裕はない。
『私はミナしか知らないわ。貴方がアランだなんて、思ってもみなかった。』
笑いながらそう言ったティナ。
今更しらをきるティナは、今更なことをわかっているが、あえてしらをきったのだろう。
アランの行いや罪を認めたが、それらを吹き飛ばすように歯切れのいいティナ。
思わず笑ってしまった。
そして、堪えていたものが溢れた。
『ティナ、ごめん。今まで黙ってて。何も言わなくて。』
怖かった。
言ったことで、ティナが離れていくのが怖かった。
もう大切な人を失いたくないのだ。
『ありがとう。知っても離れずにいてくれて。』
ティナが口を開く気配がしたが、その前に言った。
「でも、迷惑。さっさと離れてくれないかな?」
ティナの顔は見えないが、傷ついた表情をしていることは、容易に想像できた。
「…鬱陶しい。どうせティナも偽善者なんだろ。」
背中の温もりを振り払い、目があったティナにそう言った。
ティナは驚きと悲しみの表情をしていた。
「いい。何も聞きたくない。…舞台を観たら、俺はこの国を出る。」
口を開きかけたティナに背を向け、部屋の窓から飛び降りた。
背後からティナの息を飲む音がした。
それもそうだろう。
なんてったって、ここは三階。
王宮なので、それぞれの階の天井は高いし、すくなくとも三十メートルはある。
下手すれば死ぬ。
重りから開放された今、体が軽くて仕方がない。
どこに向かおうか。どこにだって行けそうな気がした。
警備が緩くて俺がいても目立たない場所。
うん、いいところがあるな。
よしあそこに行こう。
背中にティナの声を聞いたが、足は止めない。
『ミナ!行かないで!』
ミナはスラムへと向かった。
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