雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第十一章:血染めの鬼姫と妖狐と

第百五十七話:それじゃ、行ってくるね

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 「世界の意思と同化した師匠はね、狛の村の全てを知ってた。――」

 エリーが話し始めた狛の村の内容は、文献を読み解いたオリヴィアの推測と殆ど一致していた。
 しかし、その僅かな違いこそが、オリヴィアが知りたくも目を背けたかった事実だった。

 狛の村は130年程前、【不壊の月光】がそこで作られたとほぼ同時に生まれた、人間の村。

「狛の村の最も古い記述は728年前のもののはずでは?」
「うん、そう。狛の村は728年前に出来た、『魔物の村』だから」
「魔物の村……」

 曰く、狛の村は元々魔物が築いた村。繁殖能力を持った8匹の魔物が、後に『死の山』と呼ばれる場所に住み着いた結果生まれた村だと言う。

「では、拒魔とはどういうことですの?」
「それはきっと、残ってた彼らの最後の意思」
「と言うことは、……なるほど、そういう事ですのね」

 728年前、残っていた最後の資料に残っている冒頭の言葉がある。
 ――我々の村を、拒魔の村と名付ける。
 それを書いたのが魔物だと言うのならば、導き出される理由は簡単だ。

「そう。彼らはアンデッドに近い存在なの」

 アンデッドは死んだ人間の肉体に陰のマナが入り込んで魔物化したもの。陽のマナが多すぎる霊峰では普通の魔物は陰のマナが実体を持つほどの密度が得られない為に生まれる事はない。しかし、それが人間の死体に入り込めば別だ。人間の体によって外に漂う陽のマナとの触れ合いを少なくすることによって、その体を動かす程度に陰のマナを蓄積可能となり、魔物となる。
 狛の村の人々は、それに近い存在。

「あの山にね、入り込んだ人達が居たみたいなの。人数は九人。理由は分からないけど、その人達はなんらかの理由で山に入って、なんらかの理由で死にかけてた」

 世界の意思と同化したレインが知らないという事は、それは大した理由ではないのだろう。
 山は危険だ。あの山にいつデーモンが蔓延る様になったのかは分からない。しかしそれとは別に、山で命を落とす理由はいくらでもある。
 問題点は、九人が死にかけていたと言う点だ。

「そこに、甘い言葉が囁かれたみたい。その声が聞こえた人は一人だけ。姿も見えず、声も頭の中に直接聞こえた様な。
 その声はこう言った。【お前を生存させてやろう。ただし残りの八人は死ぬ。もしくはお前が死に、八人を生かして帰そう。さあ、どちらか選べ】そんな、悪魔の甘言」
「生まれた魔物は八体と言う事は……」
「うん。その人は、自分が生きたいと願ってしまったみたい。きっと、お姉ちゃんと似たような力を持ってたその人は、自分が生きたいと願った結果……」
「世界の意思は人間のことなんかなんとも思っていない、と……」

 エリーが言った言葉通りなら、確かに願いを叶えてやるとは一言も言っていない。選んだ逆のこと位、悪辣な世界の意思なら平気でやるだろう。
 つまり、答えた者は死に、残った八人は魔王を作るかの様に、無理やり陰のマナをねじ込み魔物化させた。その代わり強靭な肉体を得ることで命を繋いだというわけだ。
 ただし、魔物として。

「魔物となっても、魔王とは違って世界の意思に一切逆らえないってことではなかったみたい。だから、魔を拒む村。拒魔の村と彼らは名付けた。でも、その代わり彼らはその山から降りられなくなった。世界の意思に従って世界のことを文献として纏める運命を背負った」
「一応、聞いておきます。何故降りられなくなったのかは分かりますの?」
「……人間が化け物に見えたみたい」
「…………」

 なるほど、本当に悪辣だとオリヴィアは歯噛みをする。
 死の山の鬼の住む村。それはつまり、魔物となってしまった人々の呪いの影響で出来たイメージ。
 彼らはきっと、化け物に見えた人間に殺されない様に、抵抗しただけなのだろう。
 その結果何人もの人を殺し、恐れられる様になったのだろう。

「そして、130年前、たまたま月光が狛の村で作られた」
「そういうこと、ですのね」

 分かっていた結論にも、あえてそう反応する。
 月光の力は、『本来の姿を忘れない』
 それが村に生まれたことで、彼らはかつて人間だったことを思い出した。
 例え魔物の様な体であろうと、彼らは人間としての尊厳を取り戻した。そこからはもう人が化け物に見えることもなく、数年の時を経てグレーズと和平を結んだ。
 なるほど、そこまでの力を持っているのならば、僅か三つしか確認されていない『極』の称号を持っているのも頷けるというもの。

「月光が機関で調査されたのがちょうど100年前……。予言では黒の魔王で最後とされた為に、そのまま何事もなく狛の村へと返還された」
「もしも返還されてなかったら、狛の村は90年前には無くなってたかもしれない。いや、それどころか世界が滅んでたかもね」

 エリーの言いたい事は、とても残酷なことだ。
 今回狛の村が滅んだ理由は、つまり月光が村を長く離れ、村人達が世界の意思に触れられる様になってしまったことが原因。
 その原因を作ったのは、レインに月光を持たせた前村長クラーレ、持っていったレイン、そして、それを受け継いでしまったオリヴィアとエリーだ。
 月光の力によって村人達が人間を維持出来ていたことを、村から剣を引き離してしまえば、緩やかに破滅に向かってしまうことを、誰一人として気づかなかったことが理由だ。

 しかしそれは同時に二人がレインと出会えた理由でもあり、レインに人としての死を与えられたのも、また月光の力。
 最後に魔物として無に帰すのではなく、本来の姿を忘れない力で人間としてエリーにあらゆる知識を残していったレインは、エリー曰く満足して死んだのだと言う。

「この剣は、わたくし達が持っていても良いのでしょうか……」

 話が全て繋がり、オリヴィアはついそんな言葉を漏らす。
 最早狛の村はない。後悔しても遅いことは分かっている。
 それでも、罪悪感は生まれてきてしまう。

 しかし、エリーは言う。
 師匠曰くと前置きをしてだけれど、結局は滅びることが運命だったとでも言う様に。

「いつか生まれる拒魔の勇者は、彼の黒剣で全てを取り戻すだろう。その予言は、師匠が月光で死ぬことで達成された。少なくとも、師匠はそう言ってた。それは、師匠が私達を思い出して人間として死ぬ為の予言だったんだって。
 ちなみに、月光の名前はもう知れちゃってるから、下手に村に戻して盗賊に狙われるより私達が持ってた方が安全だから持ってて欲しいみたいだったよ」

 そこで罪悪感を持つことまで、師匠はお見通しだったらしい。
 村に戻すより、国に預けて研究対象にされるより、エリーとオリヴィアが持っていた方が良い。
 確かに、それが魔物となった狛の村の秘宝である限り、魔王の愛剣である限り、二人が持つ以上に安全な保管場所はないだろう。

「……そうですわね。わたくし達たった二人だけは何があっても、全てを知る、彼らの、レイン様の、味方ですものね」

 この先の世界情勢は、レインと狛の村に対して非常に印象が悪い。
 それならば、とオリヴィアは納得する。
 確かに、知らなかったが故に守れなかった以上は、知っている以上は守らなければならない。

「狛の村と師匠に関しては、それが全てかな。本当に、何もかもが上手くいかないけど、なんと言うかさ」

 少しだけ、言いにくそうに目を泳がせてから、エリーは言う。

「私達は世界を救った英雄なんだから、少し位自分達の願いを叶えても良いはずだよね」

 レインを敵に回した以上は、本当ならエリーが世界を滅ぼしてもおかしくない。その位、エリーはレインに懐いている。それを我慢していると考えれば、確かにその位なら可愛いものだ。

「じゃあエリーさん、月光、持っていったらどうかしら」
「急にどうしたの?」
「レイン様の遺産分けですわ。今更ですけれど、エリーさんがレイン様の走馬灯を受け取ったのならちょうど良いですわ」

 言いながら、月光を押し付ける。
 それをエリーは、欲しいのと勝ててないから自分のものとしていけないという葛藤がある様で、渋い顔をする。

「ふふふ、平等に分けるのなら月光もエリーさんが持つのが良いんですのよ。だって、そうすればエリーさんはレイン様の魂を継いで、わたくしはレイン様の血肉を継ぐことになるんですもの」

 剣を押し付けるのと反対の手で、小瓶を取り出す。
 オリヴィアの最終兵器。使うか使わまいかをずっと悩んでいて、戴冠式の時に使うことに決めたその小瓶には、いつか聖女サニィが渡したものが入っている。
 魔法で完全に凍結された、レインとサニィの受精卵。ルークの魔法で少しの調整をすれば、子どもを作れないオリヴィアでも作れる様にしてあるらしい魔法の小瓶。 

「ああ、なるほどね。それなら、ありがたくいただくよ。貰った以上は、欲しかったら決闘だからね」
「ふふ、分かりましたわ。あ、その鞘では月光だとバレてしまいますから、鞘だけ新調するんですよ」
「あ、そうだね」

 月光の鞘は、剣の腹が見えるデザインになっている。
 刃の部分を覆うだけの鞘に、黒と金の剣を持っていれば、それが月光だとバレてしまう可能性は高い。
 今までは良かったとしても、これからは問題となる。

 そうしてほんの少しの遺産分けが終わった所で、二人は眠りについた。
 最後の日の夜は、二人で同じベッドで寝る。
 明日になれば、二人の弟子は別々の道を進み始める。

 ――。

 次の日の朝、朝食を皆で食べていると、漣の裏口がドントンドンと叩かれる。
 その叩き方は、魔王討伐軍の連絡時の叩き方。

「はーい」

 アリスが開けると、見覚えのある顔。

「エリー様、わたくしの独断で、一つお頼みしたいことがございます」

 その人物は、入ってくるなりエリーに頭を垂れ、そんなことを言い始める。
 アリエルのところの侍女の一人だ。
 彼女は、エリーが期待していた通りの言葉を口にした。

「アリエル様が、レイン様を擁護する旨の発言を公にしました。ライラ様が逝去されて以来、護衛の力は不足しています。どんな対価も支払います。どうか、アリエル様をお守り下さいませ」

 今、レインを擁護する意味など全くない。むしろ、孤立するだけの話だ。そんな馬鹿なことをと、普通は驚くことだろう。
 しかしその侍女の言葉に、この場に居た全員が、微笑んでいた。

「ちょうど今日向かおうと思ってたんだ。すぐ準備するね」

 あっけらかんと、エリーは応える。
 既に、漣に着いてすぐに、エリーはそれをみんなに伝えていた。

「え……?」
「アリエルちゃんの護衛、ライラさんから頼まれてたんだ。気が向いたらでも、って感じだったけど。だから行くよ」

 ライラの走馬灯をも受け取っていたエリーはそう答えて口にご飯を掻き込むと、急いで部屋へと駆け込んでいった。

「ふふ、お母さん師匠お姉ちゃん師匠オリ姉師匠お母さんって言ってたあのエリーが、本当に大きくなったわね」

 しみじみと、アリスはエリーが駆けていった方向を見守る。
 それを、オリヴィアも女将も大将も微笑ましく眺めて、侍女だけがぽかんとしていた。

 しばらくして、宝剣【月光】と【レイン】の二本と『お泊まりセット』を用意して戻ってくる。アリエルの城に行くときにいつも持って行っていた遊び道具やパジャマ、色々一式。
 友人を守りに行くと言うのに、随分呑気だと皆が呆れそうになるものの、エリーの切り替えの早さは流石レインの弟子としか言い様がないレベルだ。問題はなかろうと、溜息混じりの息を吐く。

「それじゃ、行ってくるね」
「気をつけるのよ。いつでもアリエルちゃんを連れてきて良いからね」
「うん。お母さん。あ、オリ姉、お母さんと女将さんと、この町の守りは任せたからね!」
「はいはい。こちらこそ、アリエル様のことは任せましたわよ」
「任せて! 女将さん、大将。今までありがとうございました!!」
「うん。あなたは私達の子どもも同然なのだから、たまには顔を見せるのよ」
「はい。それじゃ、行ってきます!」

 そう言って元気に飛び出して、すぐ、顔を出す。

「あ、オリ姉、子どもの名前は私にも考えさせてね! 早めに言葉遣いも町に馴染みなよ」

 それだけを言って、オリヴィアの返事も聞かずに、エリーは飛び出していった。

「ふふふ、もう、勝てそうにありませんわね」

 そう微笑むオリヴィアの顔は、とても満足そうだったという。

 ――。

 それから暫く、女王アリエルの治める国アルカナウィンドは、少しずつの衰退を始めた。
 アルカナウィンドは、初代英雄【白の女王エリーゼ】の威光の下に造られた国。
 その国は英雄の為にある国だった。
 首都、アストラルヴェインの住民達は、皆がレインの英雄性を知っている。対して地方は、それを知らない。何故アリエルがレインを擁護したのかを、一切知らない。
 誰しもが憧れる初代英雄の子孫であるアリエルが魔王を擁護するなど、あってはならない。
 そんなことを考える者が、少なくない。

 そんなアルカナウィンドも、グレーズとの国交は何一つ問題無く続くことになった。
 アーツは苦心しながらも、魔王を擁護するアルカナウィンドを悪とすることもなく、誰にも文句を言わせぬ妥協点を見つけてはそれを世界に発信して行った。それに協力したのが、珍しいことにウアカリだった。どことも同盟を結ぶことなく中立を保ち続けたウアカリも、二つの国家の間にはクッション材の様に入り込み、間を執り成していた。
 世界中の凡ゆる国と上手い外交を行い続けたアーツはいつしか賢王と呼ばれることになるが、それは更に後の話。

 エリーはそんな渦中のアルカナウィンドで名前を変え、異常な強さの近衛騎士団長兼護衛として、アリエルの側に居続けた。
 アリエルの命が危険に脅かされることは、生涯ただの一度としてなかったという。
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