雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第十一章:血染めの鬼姫と妖狐と

第百五十八話:んー、タンバリンね。タンバリン

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 ルークが仕事を終えマナスルの研究所に戻ると、どうやらエレナは霊峰の頂上に出かけている様だった。
 最早あの場所が半分仕事場の様になっているエイミーの様子でも見に行ったのだろう。
 それほど急ぐ理由は無いものの、もう三ヶ月程エレナと会っていない。気がつけば、ルークは全速力で霊峰を登っていた。きっと、レインを語るたまきに中てられたのだろう。
 かつては軽々30分で下山する化け物のレインを見て、魔法使いには不可能な速度だと呆れと恐怖を感じたものだったが、今のルークはその半分の速度で登りきって見せる。ブリンクと名付けたルークのオリジナル魔法は、地面の形状を正確に把握出来る範囲でなら瞬時に空間をまたぎ移動出来る。連発してしまえばマナの消費が激しい為、たまき戦ではたまきを引き離す時にしか使わなかったが、マナ濃度の異常な霊峰では別だ。

 この霊峰に居る場合に限っては、逃げに徹した今のルークを捕まえることは全盛期のレインにすら出来ないだろう。いや、仮に捕まえることは出来なくとも、次元の狭間斬りをされればそんな速度など無視して即死なのには変わりは無いけれど。

 そんなことを思いながら、ルークは愛しいエレナの居る山頂へと辿りついた。

「あ、おかえりルー君」

 直ぐに気付いたエレナがそう出迎える。
 それは極あっさりとしたものだったが、今まで殆どずっと一緒にいたエレナからそう言われることが、素直に嬉しいと感じる。

「ただいま、エレナ」

 そう笑顔で答えるルークの下に駆け寄るエレナ。
 そのまま抱擁を交わすも、その雰囲気は直ぐに鬱屈したものへと変化していった。
 抱きしめるエレナ越しに見えるエイミーが、非常に苛立たしげにしている。
 帰ったルークを見向きをせずに、ブツブツと詠唱を繰り返しながら、さながら魔物にでも変化するのではと言うレベルで怨念を撒き散らしている。

「えー……と、大体予想は付くんだけどエイミー先生は何であんなに不機嫌なんだ?」
「あぁ、エイミー先生は皆の魔法書の扱いに怒ってるのよ」
「ん? 魔法書の扱い?」

 予想とは違うエレナの発言に、ルークは首を傾げる。大方エイミーのことだから、レインが世界の意思に負けて魔王になったことに関して怒っているのか、もしくは若い二人が熱く抱擁を交わしているのが気に食わなかったか、そんなところだと予想していた。
 しかしエイミーの妄信的な性格を考えてみれば、その答えは自ずと見えてくる。

「あのね、世界の皆は今反魔人様じゃない? だから、魔法書の魔人様に関するページを切り取ったりとか黒塗りしたりとか、そういうことをする人が多いみたいなの」
「あ、あーーーー。そういうことね。流石エイミー先生はブレないね……」

 黒いオーラを纏ったエイミーはブツブツと一冊の魔法書をコピーし終えると、ルークを睨めつけるように見る。その目には濃いクマが張り付いている。

「お疲れルーク。あなたにはこれから世界中を回ってもらいたい用事があるんだけど」
「えーと、聞きたくないんですけど……」
「良いから聞きなさい」

 辛い使命を終えた後にはエレナとの幸せが待っている。本気でそう信じていた。
 しかし帰ってみれば、面倒な恩師に面倒な依頼を押し付けられそうになる。
 ルークとしては、そんなこと・・・・・よりも、エレナとの結婚式等を考えたいのだ。
 エイミーは有無を言わさず語り始める。

「本当にこの世界は馬鹿しか居ないのかしら。聖女様が選んだパートナーなのだから、魔王だろうがなんだろうがあの人はそれなりに敬意を持つべき相手なのよ。聖女様が黙されてた? 有り得ない。みんな見てるでしょ? 聖女様のあの幸せそうな顔。洗脳されてる人があんなに幸せそうな顔を出来るはずないもの。だから、悪いのはあの人ではなく、それをちゃんと知らない世界中の馬鹿共だわ。魔王を倒さないと世界が滅びる? 滅びれば良いじゃない聖女様を裏切る世界なんか。
 だと言うのに魔王があの人だと知ってからというもの、世界中の馬鹿共は聖女様の書いた『聖書』を、あろうことか最も幸せそうなあの人に関わる部分を破いたり塗りつぶしたり、本当なら私が魔王に代わって世界を滅ぼしたい位なのよ。
 でも、こんな下らない世界でも、聖女様は救ったわ。
 決して解けないと思われていた呪いを解いて、人間達に生きろと言ってくれたわ。
 自らを犠牲にしてまで。
 それに、あの人も付き合ったのでしょう? あの人の体を使って、呪いを解いたのでしょう?
 下らない吸血鬼の呪いに罹ってから『聖書』を読み解いたら、どうやって呪いを解いたのか分かったわ。
 それを、馬鹿な人間共は知らないのよ」

 まるで、魔物にでもなったかの様に馬鹿な人間共と繰り返すエイミー。
 まあ、その異常性は聖女を知った時からなので、今更気にはしない。
 それよりも、誰も知ることの無かった呪いの解き方を分かったという方が重要だ。頭は狂っていても、流石は研究所のトップなだけはあると、ルークは逆に呆れそうになる。
 しかし、次に出たエイミーの言葉が、これまた予想外だった。

「だから私は、『傷つけたら爆発する聖書』を作り上げたわ」
「……は?」
「だから、破いたり黒塗りしたら爆発する『魔法書』よ。聖女様が書いた通りが完璧なのだから、欠けたらもう価値はないわ。そして欠けさせる人間にも」
「いや、ちょっと待って先生。爆発って……?」

 理論はめちゃくちゃだが、狂信的なエイミーにとってはそれが正しいのだろう。
 それはともかく、今言ったことは洒落になっていない。
 爆発は危険だ。不意打ちでそれを防げる魔法使いは存在しない。小規模のものなら人間の強度を超える勇者ならば大丈夫かもしれないが、普通の人間と同じ魔法使いならば手首位は消し飛ぶだろう。と言うよりも、エイミーの口ぶりからして、その程度はするだろう。
 魔法書を触媒とした聖女の魔法だろう。それが至近距離で炸裂するのは、想像するだけでも恐ろしい。
 そんな青ざめた顔をしたルークを見て、エイミーは呆れた様に言う。

「爆発と言っても、手首が飛ぶとかはないわ。爆発したら1年髪の毛の縮れが取れなくなるだけ。陰毛なのか髪の毛なのか見分けがつかない感じにね」
「何言ってんだこいつ……」

 思わず、ルークはそんなことを呟く。
 心配が呆れに変わったと言うか、もう振り回されるのにも疲れたと言うか、なんとも微妙な心境のままエレナを振り向くと、エレナは満面の笑みでこう答えた。

「私が提案したの。先生と魔人様を馬鹿にするなら殺すくらいでも良いんじゃないって。でも、エイミー先生がその程度に抑えたの」
「あぁ、そうですか……」

 エレナも割と危ないことを失念していた。
 そう考えれば、エイミーは狂信的な中でも冷静だったのだろう。
 尤も理由は、いくら馬鹿でも聖女様が救った連中なのだから生かしておかないといけないとか、そんなものだろうが。

「ってことで、呪文を教えるから既に配った世界中の魔法書にそれを掛けてきて欲しいのよ」
「流石に言わせてください」
「何かしら?」
「自分でやれ」

 それだけ言い残して、ルークはエレナを抱えて下山を始めた。
 そう言われることも分かっていたのだろう。エイミーは世界中の人々に行き渡る程の数を増産した後、旅に出たらしい。その後の行方を知る者は、いや、知りたい者は居なかった。
 聖女の二人の教え子には毎月手紙が届いていたらしいので、心配する者もいない。
 何故ならその手紙から伝わる内容は、無駄に楽しそうなものだったからだ。

「今日は背教者50人の頭を陰毛に変えてやったわ。たかがデーモンが倒せる程度で私に抵抗しようとした愚かな女も居たけれど、叩きのめしてやったら泣いて許しを請うてきたわ。もちろん罰として陰毛3年の刑にしてやったけれどね!!」

 ――。

 さて、魔法使いのカップルは程なくして結婚した。
 ベラトゥーラの英雄。聖女の弟子。
 そんな二人は、国から多大な恩赦を与えられるもこれを固辞、代わりに姓を名乗ることを求めて認められた。
 その姓は皆の思惑と外れ、聖女とは全く関係の無さそうに見えるものだった。

 それには、理由がある。

 聖女の二人の弟子は、共に最前線で戦ったにも関わらず、無傷で帰還。

 彼ら二人の影響で、この先魔法使いの地位は更に向上した。
 魔王の周囲で援護していたメンバーも、弓で攻撃した勇者は手痛い反撃を受けることになった。
 それに比べて魔法使いの攻撃は多くが回避されるのみでそこまでの反撃を受けていない。
 魔王が完全な徒手空拳なのが理由だが、そんなことは世界の人々には関係がなかった。

 エリー達無しで正面から戦えば魔法使いが真っ先に全滅するのが目に見えているものの、結果のみを見た人々は【聖女様の育てた魔法使い】が優秀なのだと理解することになる。

 それについて【後継者ルーク】は、「魔法使いは勇者が居なくてはその力を発揮しきれない」とのコメントを残しているが、あまりその意図を理解した者は居なかった様子。平らになった小山がその功績をありありと示す場所だと、聖地の一つとして名所になった。

 それを予測した二人の、囁かな抵抗だった。

 ――。

「そう言えばエレナ、たまきから先生の遺品だってこんなものを貰ってたんだった」

 下山したルークは、エレナに受け取ったものを見せる。
 なんの変哲もないただのタンバリンだ。

「へえ、これが先生の遺品なんだ」

 エレナはそれを受け取って、まじまじと見つめる。

「なんか鞄の中に入ってたんだって。何でなのか全く分からないけど」
「んー、タンバリンね。タンバリン……あ、先生って動物好きだったじゃない」
「今度は何を思いついたんだ?」

 やはりと言うべきか、ルークに思いつかないことは直ぐにエレナが思いつくらしい。

「前に先生、タマリンが可愛くてたまらんって言ってたよね」
「……言ってたね」
「タマリンを持ち帰ることは出来なかったから、代わりにタンバリンを持ち帰ったってことじゃない?」
「え?」

 いや、流石にそれはない、と思いたいものの、確かにサニィは無類の動物好きだったことを思い出す。
 響きが似ていると言うだけで……、いや、分からない。
 しかしエレナがそうかもしれないと言うだけで、どこか信憑性があるような気がしてしまう。
 無駄に悩んでいると、エレナは言い出した。

「それか、私達の子どもの為のおもちゃ代わりのプレゼントか何かかな?」
「あぁ、それはそれでしっくり来るような来ないようなだね」
「でしょ。だから子ども作って確かめようよ。タンバリン好きだったらその為だね」

 あっさりと言うエレナに、思わずルークはあっけに取られる。
 確かに、魔王を倒した今となっては、もう許されるのだろう。
 微妙に赤面してしまうそんな言葉に、ルークはようやく無事に生き残ったことを実感するのだった。
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