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前世の業が深すぎる
2.悲劇の聖女と性欲の女神
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ルリアナ=バナベルパラ男爵令嬢。
それが彼女の「今の」名前だった。
前世は、ティティリア=アルツミアという大層な名前の、民衆向けに作られた聖女という存在だった。
事実上はただの教会の奴隷だったが。
蜂蜜を塗り込んだような眩い金髪に赤銅色の瞳、白く滑らかな肌に清廉とした美しい顔立ちのティティリアは、名前があるのかも知らない貧しい村に生まれ、仰天した両親に教会に連れて行かれた。
かの国で金髪は聖女の生まれ変わりいうお触れが出ていたからだ。
子よりも金という実の両親から名前すら与えられなかったティティリアは、教会長より洗礼と名を与えられ、その見た目に相応しいように貴族の庶子と出生を偽られ、それは厳しい行儀作法叩き込まれる傍ら、朝から晩まで修行という名の雑用をこなし、聞こえもしない神様の声をひたすらに聞こえるふりをし、民の嘆願という名のほぼ愚痴に笑顔で相槌をうち続け、貴族の中年どもからの懺悔という名で手を握られるセクハラに耐え続け、さらには王家と教会の権威を高めるためというだけに第二王子と形ばかりの結婚させられた。
宝石のように美しいエメラルドの瞳と薄い金髪を持つ王子は、結婚するまではティティリアに甘い言葉を吐き、光栄だと言い続けていたが、初夜の晩にはその美しい緑の瞳にこの上ない蔑みを浮かべて見下ろし、「お前のような何処の馬の骨とも知れない下賤な者に触れる気は一切ない」と閨用に飾られた花瓶の花をティティリアにぶつけ、その水を頭から掛けて出て行った。
王子は「ティティリアが清い体でなければならないと信託を受けたのでやむを得ず初夜を行わなかった」とうそぶき、泣く泣く白い結婚だという体を取った。表面上の行事だけは聖女を気遣う夫のふりをし、人目がないところではティティリアの髪をわしづかみ、その作法がなっていないとひたすらに罵倒した。
顔が殴られなかったのが幸いなことくらいしかなかった。
時には腹痛を起こす毒を盛り「お前は神様に守られているから死なないんだよなあ」とげらげら笑い、面白がって地べたにわざと落とした料理を犬のように食えと頭を押さえられた。
毎晩毎晩狂乱的に愛人たちを抱く第二王子の閨事を無理やりに見させられながら、犬のように這いつくばり気まぐれに王子にムチ打たれた。
さすがにばれることがあったら対外的にまずいと思ったのか処女だけは守られたが、おおよそ出来損ないの家畜のような扱いであった。
外に出れば白い結婚をお望みとは教会も不敬だ、と貴族たちから馬鹿にされる。
高位貴族の婦人たちの茶会に出れば、付け焼刃の知識とマナーしかないティティリアは嘲笑の的であった。
きらびやかな社交の場では、教会の白い衣装を着、椅子に座りただの一度も動くことを許されぬように厳命され、「まあ物言わぬ女神像のように尊いこと」とティティリアの事情を知る者たちにくすくす笑われた。
王子に大切にされていないティティリアの世話をする者は年々減り、食事も衣服も行き届かなくなった。
王家では教会は目の上のたんこぶとして嫌われていたなんてなにも知らなかった。
そんな生活が2年も続いた頃、ついにティティリアは精神的に異常をきたし、まともな公式行事もできぬ体調だと教会へ返された。まだ20歳だった。
教会では生前離婚が認められない。
以降、ティティリアは王宮へは年に1度の神儀以外では戻らず、ただひたすらに教会でこの国で信仰されている女神像を磨き、手を合わせ、数少ないまともな慈善事業の孤児支援に尽力した。
ほぼ上流階級では役には立たなかったが、貴族のふり教育を生かして、親のいない子どもたちがこの先騙されないように文字を教え、計算を教え、希望するならどこかの屋敷で下働きとして生きていくに困らない程度のマナーと知識を伝え続けた。
しかし、妙齢を過ぎ、夫という名だけは持っている王子の長子が子を持った頃、食料備蓄のために各領地に配るためだった予算を王城の建て替えに使った王家の失策で冬までに備蓄麦が足りなくなった。穏やかな王国の気候がその年は荒れに荒れ、酷暑で食物の育ちが悪く、さらに悪いことに厳冬がやってきた。食料の備えがない弱い民から亡くなり、それでも身銭を切ることなく他国からの食料の買い付けもせず自らの生活水準すら下げない王家と中央貴族に、民とそして地方貴族の怒りは爆発した。
その冬の終わり、一つの反乱が起き、そのまま全土に広がっていった。
王家は「今世の聖女が役目を果たさないからだ」と教会の責任とし、教会は「聖女が怠惰だから女神に見捨てられたのだ」と、ティティリアの責任とした。
いつの間にかティティリアが神の名の下に享楽にふける浪費家の悪女と貶められ、ティティリアが女神が望んだからと言うのでもっと美しい城にするために国庫を開かせたなんて話になっていた。
いいや、ティティリアはちゃんと変な噂を遠くで聞いてはいた。
でも自分はずっと教会の中にいて王城になんてそもそもいないし、夫との間が真っ白であることだって貴族はみんな知ってるんだし、誰も信じないだろうと放っておいた。過去の王城での残酷な経験から、正直彼らと関わりたくなかったのだ。
でも、ティティリア自身を知らない民衆にそんなことは関係なく、真実か真実でないかは凄まじい怨嗟の中に埋もれてしまった。誰かが扇動したとしか思えないほどの熱狂に至っていた。
ティティリアは、自分は何の力もないのに聖女として崇められ、民を騙すことに加担してご飯を食べてきたのだし、と、大概のことは権力者に言われるがままに流し、裏でその手でできる範囲でのことだけを続けてきた。
しかし、流石にこの責任の押し付けはひどいと思った。
思ったが、全ては遅きに失した。
「なぜ、こんなことに?私は私のできる範囲で正しく生きてきたのに!目をつぶったのが悪かったの?悪かったかもしれない・・・でも、だったら!私だって自由に生きたかったのに!!こんな世界に生まれたくなんてなかった!!」
偽物の聖女と石を投げられ、火にかけられた彼女の最後の嘆きと叫びは遠くの空に消えた。
**
「あ、目が覚めた?よかったよかったぁ!」
「………えっ?」
あまりの痛みと熱さに耐え兼ねブツリと真っ暗な闇に意識を奪われたはずのティティリアが次に目を覚ました時、目の前に発光した物体がいた。
真っ暗な何も見えない空間にふわふわと浮かんでいるのは白金の真っ直ぐな長い髪と菫色の瞳の20歳くらいの儚げな女性。頭から真っ白な無地のローブを被って、足元まで隠れるこれまた真っ白な首詰めのワンピースを着ている。
その顔には嫌と言うほど見覚えがあった。
「………め、がみさま?」
「はーい、大正解!初めまして。ティティリアちゃんね。あなたが生前とっても熱心に私の像を磨き上げながらひたすら欲望のままに妄想を口走ってくれたことで私に本来の力を戻してくれたそうです!ありがとうございます!」
「え……、よ、欲望?妄想?」
「えっと…、そう!あれ!よく私の前でしていたじゃない?女の子の大切なところを触りながら"もっと騎士様ぁ…"って、あれがね…」
「ひっ、ひぃいいいいっっ!!?」
とんでもないことを口にする女神様のピンク色の唇を、ティティリアは慌てて塞ごうとした。
実のところ、ティティリアは聖女などと大層な呼び名で呼ばれていたが全く信心深くなかった。
しずしずと黙って微笑み、それっぽい仕草で大聖堂の女神像の前に傅いてさえいれば、ティティリアの容姿からみんな勝手に敬虔で清廉な聖女だと誤解してくれていたのだ。
だいたい教会なんて聖女や聖女候補をうまく使ってありがたがらせてお布施を集めることにしか興味がないのにそんなことを知っていて何が清貧清廉だ、である。
聖女候補たちは、信仰心が篤い貴族に捧げものとして嫁がされていった。その先なんてしらないが、物のように買われていったのだからきっと幸せではないことが多いかもしれない。
美しい容姿を持って王家に売られながら、結局、王宮から戻ってきたティティリアは「役立たず、」の烙印を押された。ひどく折檻を受けたし、ただ働きの範囲が非常に広がった。
それでもあの地獄のような王宮よりはましだと思っていた。
毎日の日課として、誰もやりたがらない一際冬は寒くて夏は暑い宝物庫という名の物置に無造作に置かれていた等身大の女神像の清掃は、全ての不満も欲望も口に出してぶちまけ、何なら誰にも聞かれないからと秘密をもち、その罪悪感から心を込めてゴシゴシと全力で磨き上げ、それはもうピッカピカに保っていた。
(そんな煩悩垂れ流しをよりにもよって本物の女神様に聞かれていたと?!)
「うそ!嘘でしょ!?女神様は大礼拝堂におわすあのバカみたいに大きい像の方にいるのでは!」
「あー、アレ?あんなもの何代か前の教皇がもっとお布施をーっていって作っただけ。あんな穢らわしいものに触れたくないでしょ。わたしの本体は大昔からずーっと等身大のこっちよ」
「ええーっ、あっちの像を磨くの、大きいし高いしすっごく大変だったのに!いえ、そうじゃなくて…っ、すみませんすみません!それは眼前で罰当たりなことをっ」
「ううん、おかげで力が戻ったの。ありがとう!」
「えっ?!」
「だって私、愛と性欲の女神だもの」
「あいと…せいよく……?性欲?」
「そうそう。そういう人間にとって当たり前の子孫繁栄と単純な快楽への願いから生まれたの。なのに長い年月の間で何故かみんなそういうものは隠すようになっちゃって私も力が枯渇して眠っちゃったのよ、……………確か」
ティティリアが神官から聞いていた話は、女神様は清廉で純潔でだから神に仕える聖女も清貧でなければならないと。
いや、神官長たちはどこが清貧と言えるのかと舌打ちしたくなる金の亡者という感じだったが、それでも彼らは性的には乱れているようには見えなかった。なにせ神官になるには煩悩を抑えるための厳しい修行があり、ほぼみんな不能と言われていたからだ。
男としてダメだからそれを埋めるためにあんなにガメツイんだな、とティティリアは心の中で死ぬほど見下していたくらいだ。
それが実は崇めていた女神様はその真逆の性欲から生まれた存在とはなんたる皮肉なのだろう。
「でも!そんな中であなたが来てくれたの!毎日毎日ピカピカに磨いてくれてその時間中、異性への憧れと煩悩と欲望を垂れ流してくれてすっかり目が覚めたわ!」
「……うっ、うううっ」
ティティリアは恥ずかしくて穴があったら埋まりたい気分だった。
クズな夫による屈辱的な数百もの夜は、ルリアナの何かを壊していた。
性的なことは憎んでいたはずのルリアナの体は定期的に被虐を望み、むずむずとするようになってしまったのだ。
無垢が推奨される教会でそういうのは駄目と耐えていたのだが、だんだんともうこれ誰もいないし聞こえないしよくない?とある日、天啓があったかのように振り切れた思考になって、時々、そう、信じてほしいのだが本当に時々、自分の体を慰めたりもした。
年月が経つにつれ、その蔵でだけは真面目で清廉な聖女の仮面を取り払い、ただの雌としての欲望を隠さなくなった。
ところで、だ。
古い女神像の世話は歴代の聖女が担ってきたはずなのに誰も性欲の女神を目覚めさせてない、イコール、全員清廉潔白、そういう欲望もしっかりコントロールしてきたということだ。
なのにティティリアだけが垂れ流し。
恥ずかしすぎて死ねるレベルである。
「恥ずかしがることないのよ!だって人間なら当然の欲望じゃない!食欲睡眠欲性欲っていうでしょう!三大欲求なのに我慢するほうがおかしいのよ!あなたは欲望に忠実で素晴らしいわ!」
どうもこの女神様は無邪気すぎる。無邪気にティティリアの心をこれでもかと抉ってくる。
「欲望に忠実なんて褒め言葉じゃないです…」
さめざめと顔を覆ったティティリアに女神様は困った顔をした。
「そうなの?でもあなたのおかげで私は目が覚めたし、あなたも十分に徳を積んだからこうして肉体から離れて存在できるようになったのよ」
「徳を、ってまさかそういう欲求不満がすぎたってことですか?!」
「違うわ。あなたはいいことをたくさんしたもの。困った人の願いに耳を傾けて、きちんと貧しい子どもたちに衣食住を与えて、教育をして、盗みをする子も子を捨てる親をも減らしたわ。だからあなたは正しき聖女として認められたのよ」
ティティリアは首を傾げた。
「いえ、でも私、女神様の声聞こえなかったし」
「誰も聞こえないわよそんなもの。だって私ずっと眠ってたんだし」
「えっ、そうなんですか?でも歴代の聖女様は女神様のお告げで王家への反逆とか教会への不信心とかを当ててたって」
「ええ?そんなのたまたまじゃない?というか、そんなものいくらでも人間が都合よく作れる話じゃない。あなたが巻き込まれたように」
「あ………」
つまり歴代の聖女も傀儡というわけか。
散々お前は穀潰しだと罵られ搾取されてきたティティリアと同じように虐げられ、都合がいい存在としたら扱われていただけなのかもしれない。
あいつら昔からそうか、とムカムカと腹が立った。
女神様は目を細める。
「あなたはとっても素直な人。間違った価値観に歪まなかった。だからきっと私を目覚めさせる聖力がたまったのね」
「………性、力?」
「違うわよ、聖なる力って意味。でもあなた、困ったことにその力でみんなを…えぇと、呪っちゃったみたいなの」
愕然とした気分で聞き返したティティリアにコロコロと笑った女神様は、次の瞬間にはぁーとため息をついた。
表情豊かで忙しない女神様である。
しかし聞き逃せないことを口にしていた。
「………はい?のろった?」
それが彼女の「今の」名前だった。
前世は、ティティリア=アルツミアという大層な名前の、民衆向けに作られた聖女という存在だった。
事実上はただの教会の奴隷だったが。
蜂蜜を塗り込んだような眩い金髪に赤銅色の瞳、白く滑らかな肌に清廉とした美しい顔立ちのティティリアは、名前があるのかも知らない貧しい村に生まれ、仰天した両親に教会に連れて行かれた。
かの国で金髪は聖女の生まれ変わりいうお触れが出ていたからだ。
子よりも金という実の両親から名前すら与えられなかったティティリアは、教会長より洗礼と名を与えられ、その見た目に相応しいように貴族の庶子と出生を偽られ、それは厳しい行儀作法叩き込まれる傍ら、朝から晩まで修行という名の雑用をこなし、聞こえもしない神様の声をひたすらに聞こえるふりをし、民の嘆願という名のほぼ愚痴に笑顔で相槌をうち続け、貴族の中年どもからの懺悔という名で手を握られるセクハラに耐え続け、さらには王家と教会の権威を高めるためというだけに第二王子と形ばかりの結婚させられた。
宝石のように美しいエメラルドの瞳と薄い金髪を持つ王子は、結婚するまではティティリアに甘い言葉を吐き、光栄だと言い続けていたが、初夜の晩にはその美しい緑の瞳にこの上ない蔑みを浮かべて見下ろし、「お前のような何処の馬の骨とも知れない下賤な者に触れる気は一切ない」と閨用に飾られた花瓶の花をティティリアにぶつけ、その水を頭から掛けて出て行った。
王子は「ティティリアが清い体でなければならないと信託を受けたのでやむを得ず初夜を行わなかった」とうそぶき、泣く泣く白い結婚だという体を取った。表面上の行事だけは聖女を気遣う夫のふりをし、人目がないところではティティリアの髪をわしづかみ、その作法がなっていないとひたすらに罵倒した。
顔が殴られなかったのが幸いなことくらいしかなかった。
時には腹痛を起こす毒を盛り「お前は神様に守られているから死なないんだよなあ」とげらげら笑い、面白がって地べたにわざと落とした料理を犬のように食えと頭を押さえられた。
毎晩毎晩狂乱的に愛人たちを抱く第二王子の閨事を無理やりに見させられながら、犬のように這いつくばり気まぐれに王子にムチ打たれた。
さすがにばれることがあったら対外的にまずいと思ったのか処女だけは守られたが、おおよそ出来損ないの家畜のような扱いであった。
外に出れば白い結婚をお望みとは教会も不敬だ、と貴族たちから馬鹿にされる。
高位貴族の婦人たちの茶会に出れば、付け焼刃の知識とマナーしかないティティリアは嘲笑の的であった。
きらびやかな社交の場では、教会の白い衣装を着、椅子に座りただの一度も動くことを許されぬように厳命され、「まあ物言わぬ女神像のように尊いこと」とティティリアの事情を知る者たちにくすくす笑われた。
王子に大切にされていないティティリアの世話をする者は年々減り、食事も衣服も行き届かなくなった。
王家では教会は目の上のたんこぶとして嫌われていたなんてなにも知らなかった。
そんな生活が2年も続いた頃、ついにティティリアは精神的に異常をきたし、まともな公式行事もできぬ体調だと教会へ返された。まだ20歳だった。
教会では生前離婚が認められない。
以降、ティティリアは王宮へは年に1度の神儀以外では戻らず、ただひたすらに教会でこの国で信仰されている女神像を磨き、手を合わせ、数少ないまともな慈善事業の孤児支援に尽力した。
ほぼ上流階級では役には立たなかったが、貴族のふり教育を生かして、親のいない子どもたちがこの先騙されないように文字を教え、計算を教え、希望するならどこかの屋敷で下働きとして生きていくに困らない程度のマナーと知識を伝え続けた。
しかし、妙齢を過ぎ、夫という名だけは持っている王子の長子が子を持った頃、食料備蓄のために各領地に配るためだった予算を王城の建て替えに使った王家の失策で冬までに備蓄麦が足りなくなった。穏やかな王国の気候がその年は荒れに荒れ、酷暑で食物の育ちが悪く、さらに悪いことに厳冬がやってきた。食料の備えがない弱い民から亡くなり、それでも身銭を切ることなく他国からの食料の買い付けもせず自らの生活水準すら下げない王家と中央貴族に、民とそして地方貴族の怒りは爆発した。
その冬の終わり、一つの反乱が起き、そのまま全土に広がっていった。
王家は「今世の聖女が役目を果たさないからだ」と教会の責任とし、教会は「聖女が怠惰だから女神に見捨てられたのだ」と、ティティリアの責任とした。
いつの間にかティティリアが神の名の下に享楽にふける浪費家の悪女と貶められ、ティティリアが女神が望んだからと言うのでもっと美しい城にするために国庫を開かせたなんて話になっていた。
いいや、ティティリアはちゃんと変な噂を遠くで聞いてはいた。
でも自分はずっと教会の中にいて王城になんてそもそもいないし、夫との間が真っ白であることだって貴族はみんな知ってるんだし、誰も信じないだろうと放っておいた。過去の王城での残酷な経験から、正直彼らと関わりたくなかったのだ。
でも、ティティリア自身を知らない民衆にそんなことは関係なく、真実か真実でないかは凄まじい怨嗟の中に埋もれてしまった。誰かが扇動したとしか思えないほどの熱狂に至っていた。
ティティリアは、自分は何の力もないのに聖女として崇められ、民を騙すことに加担してご飯を食べてきたのだし、と、大概のことは権力者に言われるがままに流し、裏でその手でできる範囲でのことだけを続けてきた。
しかし、流石にこの責任の押し付けはひどいと思った。
思ったが、全ては遅きに失した。
「なぜ、こんなことに?私は私のできる範囲で正しく生きてきたのに!目をつぶったのが悪かったの?悪かったかもしれない・・・でも、だったら!私だって自由に生きたかったのに!!こんな世界に生まれたくなんてなかった!!」
偽物の聖女と石を投げられ、火にかけられた彼女の最後の嘆きと叫びは遠くの空に消えた。
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「あ、目が覚めた?よかったよかったぁ!」
「………えっ?」
あまりの痛みと熱さに耐え兼ねブツリと真っ暗な闇に意識を奪われたはずのティティリアが次に目を覚ました時、目の前に発光した物体がいた。
真っ暗な何も見えない空間にふわふわと浮かんでいるのは白金の真っ直ぐな長い髪と菫色の瞳の20歳くらいの儚げな女性。頭から真っ白な無地のローブを被って、足元まで隠れるこれまた真っ白な首詰めのワンピースを着ている。
その顔には嫌と言うほど見覚えがあった。
「………め、がみさま?」
「はーい、大正解!初めまして。ティティリアちゃんね。あなたが生前とっても熱心に私の像を磨き上げながらひたすら欲望のままに妄想を口走ってくれたことで私に本来の力を戻してくれたそうです!ありがとうございます!」
「え……、よ、欲望?妄想?」
「えっと…、そう!あれ!よく私の前でしていたじゃない?女の子の大切なところを触りながら"もっと騎士様ぁ…"って、あれがね…」
「ひっ、ひぃいいいいっっ!!?」
とんでもないことを口にする女神様のピンク色の唇を、ティティリアは慌てて塞ごうとした。
実のところ、ティティリアは聖女などと大層な呼び名で呼ばれていたが全く信心深くなかった。
しずしずと黙って微笑み、それっぽい仕草で大聖堂の女神像の前に傅いてさえいれば、ティティリアの容姿からみんな勝手に敬虔で清廉な聖女だと誤解してくれていたのだ。
だいたい教会なんて聖女や聖女候補をうまく使ってありがたがらせてお布施を集めることにしか興味がないのにそんなことを知っていて何が清貧清廉だ、である。
聖女候補たちは、信仰心が篤い貴族に捧げものとして嫁がされていった。その先なんてしらないが、物のように買われていったのだからきっと幸せではないことが多いかもしれない。
美しい容姿を持って王家に売られながら、結局、王宮から戻ってきたティティリアは「役立たず、」の烙印を押された。ひどく折檻を受けたし、ただ働きの範囲が非常に広がった。
それでもあの地獄のような王宮よりはましだと思っていた。
毎日の日課として、誰もやりたがらない一際冬は寒くて夏は暑い宝物庫という名の物置に無造作に置かれていた等身大の女神像の清掃は、全ての不満も欲望も口に出してぶちまけ、何なら誰にも聞かれないからと秘密をもち、その罪悪感から心を込めてゴシゴシと全力で磨き上げ、それはもうピッカピカに保っていた。
(そんな煩悩垂れ流しをよりにもよって本物の女神様に聞かれていたと?!)
「うそ!嘘でしょ!?女神様は大礼拝堂におわすあのバカみたいに大きい像の方にいるのでは!」
「あー、アレ?あんなもの何代か前の教皇がもっとお布施をーっていって作っただけ。あんな穢らわしいものに触れたくないでしょ。わたしの本体は大昔からずーっと等身大のこっちよ」
「ええーっ、あっちの像を磨くの、大きいし高いしすっごく大変だったのに!いえ、そうじゃなくて…っ、すみませんすみません!それは眼前で罰当たりなことをっ」
「ううん、おかげで力が戻ったの。ありがとう!」
「えっ?!」
「だって私、愛と性欲の女神だもの」
「あいと…せいよく……?性欲?」
「そうそう。そういう人間にとって当たり前の子孫繁栄と単純な快楽への願いから生まれたの。なのに長い年月の間で何故かみんなそういうものは隠すようになっちゃって私も力が枯渇して眠っちゃったのよ、……………確か」
ティティリアが神官から聞いていた話は、女神様は清廉で純潔でだから神に仕える聖女も清貧でなければならないと。
いや、神官長たちはどこが清貧と言えるのかと舌打ちしたくなる金の亡者という感じだったが、それでも彼らは性的には乱れているようには見えなかった。なにせ神官になるには煩悩を抑えるための厳しい修行があり、ほぼみんな不能と言われていたからだ。
男としてダメだからそれを埋めるためにあんなにガメツイんだな、とティティリアは心の中で死ぬほど見下していたくらいだ。
それが実は崇めていた女神様はその真逆の性欲から生まれた存在とはなんたる皮肉なのだろう。
「でも!そんな中であなたが来てくれたの!毎日毎日ピカピカに磨いてくれてその時間中、異性への憧れと煩悩と欲望を垂れ流してくれてすっかり目が覚めたわ!」
「……うっ、うううっ」
ティティリアは恥ずかしくて穴があったら埋まりたい気分だった。
クズな夫による屈辱的な数百もの夜は、ルリアナの何かを壊していた。
性的なことは憎んでいたはずのルリアナの体は定期的に被虐を望み、むずむずとするようになってしまったのだ。
無垢が推奨される教会でそういうのは駄目と耐えていたのだが、だんだんともうこれ誰もいないし聞こえないしよくない?とある日、天啓があったかのように振り切れた思考になって、時々、そう、信じてほしいのだが本当に時々、自分の体を慰めたりもした。
年月が経つにつれ、その蔵でだけは真面目で清廉な聖女の仮面を取り払い、ただの雌としての欲望を隠さなくなった。
ところで、だ。
古い女神像の世話は歴代の聖女が担ってきたはずなのに誰も性欲の女神を目覚めさせてない、イコール、全員清廉潔白、そういう欲望もしっかりコントロールしてきたということだ。
なのにティティリアだけが垂れ流し。
恥ずかしすぎて死ねるレベルである。
「恥ずかしがることないのよ!だって人間なら当然の欲望じゃない!食欲睡眠欲性欲っていうでしょう!三大欲求なのに我慢するほうがおかしいのよ!あなたは欲望に忠実で素晴らしいわ!」
どうもこの女神様は無邪気すぎる。無邪気にティティリアの心をこれでもかと抉ってくる。
「欲望に忠実なんて褒め言葉じゃないです…」
さめざめと顔を覆ったティティリアに女神様は困った顔をした。
「そうなの?でもあなたのおかげで私は目が覚めたし、あなたも十分に徳を積んだからこうして肉体から離れて存在できるようになったのよ」
「徳を、ってまさかそういう欲求不満がすぎたってことですか?!」
「違うわ。あなたはいいことをたくさんしたもの。困った人の願いに耳を傾けて、きちんと貧しい子どもたちに衣食住を与えて、教育をして、盗みをする子も子を捨てる親をも減らしたわ。だからあなたは正しき聖女として認められたのよ」
ティティリアは首を傾げた。
「いえ、でも私、女神様の声聞こえなかったし」
「誰も聞こえないわよそんなもの。だって私ずっと眠ってたんだし」
「えっ、そうなんですか?でも歴代の聖女様は女神様のお告げで王家への反逆とか教会への不信心とかを当ててたって」
「ええ?そんなのたまたまじゃない?というか、そんなものいくらでも人間が都合よく作れる話じゃない。あなたが巻き込まれたように」
「あ………」
つまり歴代の聖女も傀儡というわけか。
散々お前は穀潰しだと罵られ搾取されてきたティティリアと同じように虐げられ、都合がいい存在としたら扱われていただけなのかもしれない。
あいつら昔からそうか、とムカムカと腹が立った。
女神様は目を細める。
「あなたはとっても素直な人。間違った価値観に歪まなかった。だからきっと私を目覚めさせる聖力がたまったのね」
「………性、力?」
「違うわよ、聖なる力って意味。でもあなた、困ったことにその力でみんなを…えぇと、呪っちゃったみたいなの」
愕然とした気分で聞き返したティティリアにコロコロと笑った女神様は、次の瞬間にはぁーとため息をついた。
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