罪と罰の天秤

一布

文字の大きさ
83 / 176
第二章 金井秀人と四谷華

第十一話② 役に立ちたい(後編)

しおりを挟む

 秀人は一旦、部屋から出た。猫達が入り込まないように、部屋の襖を閉めた。周囲に猫がいたら、彼女の集中力が切れてしまう。

 華が問題を解いている間に、他の仕事をしてしまおう。朝食で使った食器を洗い、片付けた。昼食の用意もした。秀人自身も勉強をするため、まだ読んでいなかった本に目を通した。

 時間が一時間ほど余ったので、クロマチンの訓練も軽く行う。

 咲花と戦って、学んだことがある。今認識している常識に縛られてはいけない。外部型の彼女が近距離でも攻撃できたように、まだ未知の使い方がクロマチンにはあるはずだ。

 クロマチンは、体内のエネルギーを使い、常人では不可能なことを可能にする力。内部型は身体強化をする。外部型は、体の外で物理作用を起こす。

 この外部型の物理作用を、もっと応用できないか。

 応用方法について、秀人には、ひとつの構想があった。

 せっかくだから、試しにやってみよう。

 キッチンに足を運び、秀人は、洗いたての包丁を手に取った。先端を軽く指先に刺した。

 プツリという感触と、鋭い痛み。包丁を抜くと、指先から血が流れてきた。

 秀人は、外部型クロマチンを発動させた。薄く、皮膜状に形を整えた。一センチメートル四方ほどの、エネルギーの膜。厚さは〇・二ミリ程度。その気になればもっと薄くできるが、とりあえずはこの程度でいい。

 クロマチンの膜を、血が出ている指先に張り付けた。絆創膏のように。

 傷口が塞がれ、秀人の指先の血が止まった。

 クロマチンは、体内のエネルギーを大量に消費する。指先に貼る程度でも、それなりにエネルギーを使用する。貼ったクロマチンを維持するためにも、エネルギーは必要だ。この程度の傷を塞ぐためにエネルギーを消費するのは、コストパフォーマンスが悪すぎる。さらに、縫合が必要なほど深い傷を負った場合、この方法では止血できない。

 秀人は集中力を高めた。指先に貼ったクロマチンから、無数の、細い糸状のクロマチンを伸ばしてゆく。傷口の中に。

 目的は、完全な止血。傷口を塞ぐだけではなく、クロマチンを体内に入り込ませ、血管を塞いで止血をする。

 細く小さな物を操るには、高い集中力が必要になる。針の穴を通す、程度の集中力ではない。トランプで数メートルのタワーを作成するような、繊細で緻密な集中力。

 傷口がある左手の指先は、微動だにしない。動くと、上手く血管を塞げない。しかし、膝は震えていた。あまりに高い集中力で。

 毛細血管は、肉眼では見えない。傷の痛みと感覚だけで、血の出所を探ってゆく。

 ミクロ単位まで細くしたクロマチンを、傷口の中で移動させる。出血している血管を特定し、塞ぐ。血管の切り口から出た血が固まるで、塞ぎ続ける。

 血液が固まる時間というのは、一般的に認識されているよりも短い。状況にもよるが、通常は数秒から数分程度で固まる。もちろん、血液の量が多ければ多いほど固まるのは遅くなるし、大量に出血している場合は、固まる前に流れ尽くす。だから、大怪我を負って出血多量で命を落とす人もいる。

 今の秀人の傷は小さい。さらに、毛細血管から出ている血液の量は、ほんの少しだ。あっとう間に固まり、出血が止まった。指先に張り付けたクロマチンの膜を消しても、もう血は出てこなかった。

 ふう、と秀人は息をついた。気が付くと、額に汗が浮かんでいた。集中していたが故の疲労。

 この技術を使えば、たとえ刃物で刺されても、ある程度の止血は可能だろう。もっとも、傷の大きさに応じて止血は難しくなる。刃物で深く刺された場合は、一時的な止血が精一杯だ。訓練する価値のある技術ではあるが。

 額の汗を拭って、時計を見た。
 時刻は、午前十時四十九分になっていた。

 秀人は、華のいる部屋に戻った。

 時刻は、午前十時五十分。

「あと二分だよ、華」
「うん」

 華は、十枚ある問題の最後の一枚に取りかかっていた。想像以上に進行が早い。一問一問順番に解いていたら、最後の一枚までは到達できなかったはずだ。少なくとも、華の知能では。

 ――やっぱりね。

 胸中で呟く。想像通りだ。

 時計が、午前十時五十二分を示した。

「はい、華。そこまで」

 秀人が終了の合図をすると、華は、ふぁーと声を出して大きく伸びをした。

 秀人は華の頭を撫でた。

「お疲れ様、華。頑張ったね」
「うん。疲れたぁ」
「じゃあ、少し休んで、あのコ達と遊んであげて。俺は、テストの結果を見るから」
「はーい」

 疲れた声で返事をすると、華は椅子から腰を上げた。リビングに行く。それぞれ適当なところでくつろいでいる猫達に近付き、様子を見て回る。

 秀人はテストに目を通した。

 小学校一、二年程度の問題は、全て正解している。小学校三、四年程度の問題も、ほとんど正解していた。

 秀人が注目したのは、華のテストの解き方だった。

 テストには十数問、難易度が高い問題を混ぜている。一カ所に集中させてではない。簡単な問題の合間合間に混ぜていた。

 華は、回答不可能だと思われる問題には、手をつけていなかった。解こうとした形跡もない。これは、秀人の指示を頭に入れ、指示通りにテストを進めたからだ。

『全部できなくてもいい。ただ、できるだけたくさん解けるように頑張って』

 できるだけたくさん解くために、難問はすぐに回答不可能だと判断し、次の問題に進んだ。

 この状況判断は、簡単なようでいて難しい。少なくとも、先天的に知能が低い者には不可能だ。あらかじめ「分からない問題はとばして」と指示されなければ。

 つまり華は、知能は低くても、自身で必要な状況判断ができ、かつ、判断通りに行動できるのだ。

 この結果から導き出される回答はひとつ。

 華の知能の低さは、やはり後天的な要因によるもの。同時に、先天的な知能は、決して低くない――むしろ高い部類だということ。まともな家庭に生まれ、まともな環境で育てば、一定以上のレベルの大学にも進学できたはずだ。

 もっとも、もう二十二歳の華が、そこまで知能を上げることは不可能だ。知能の成長期は、すでに過ぎている。せいぜい、日常生活は問題なくできる、という程度までしか上げられない。

 華が回答した問題の数と正解率を算出した。テストの結果から出した彼女の知能は、IQにして、おおむね八十ほど。

 ボーダーと呼ばれる知能指数は、概ね八十五以下。今の華が該当する。

 華は、先天的には賢い部類だ。しかし、環境により、知能の成長が妨げられた。それならば、知能が成長できなかったぶん、別の能力が特出しているかも知れない。現時点で分かっている華の特出した能力は、一度見た人の顔を忘れないというもの。

 その他に、秀でた能力はないか。

 午後以降は、そこを探っていくか。

 テスト用紙を机の上に戻し、秀人は部屋を出た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...