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第二章 金井秀人と四谷華
第二十六話 下衆からの呼び出し
しおりを挟む九月になって、ほんの少しだけ陽が短くなった。
午後四時。秀人は、帰路についていた。車で、夕方の国道を走っている。
今日は檜山組の事務所に顔を出し、当麻会の連中とリモートで会合をした。
この数年で、色んな奴等と繋がりを持った。力を見せつけて自分を売り込み、あるいは恐怖を抱かせ、協力者を増やした。海外のマフィアとも友好な関係を築けている。もっとも、秀人にとっても相手にとっても、根底にあるのは損得勘定だが。
華に関しても、計画通りに心理操作ができている。
秀人は、華の気持ちに気付いていた。彼女は自分に惚れている、と。大切に扱い、様々なことを丁寧に教え、惚れられるように仕向けた。完全に、彼女の心を掌握した。
あとは、どんなふうに使うかだ。華はソープランドで働き、さらに立ちんぼもしていた。四ヶ月ほどそれらから離れていたが、当時の顔見知りなどはいるだろう。
華を経由して複数の女性を集め、大きな事件を起こす。犯行動機は、社会に対する不満があるから、というのがいい。失業問題、経済問題、性の搾取問題。社会問題が犯罪により表面化すれば、この国は、さらに大きく揺れるはずだ。
華には、どんなことをさせようか。いっそ、高等裁判所でも襲撃させてみようか。司法を司る機関を、社会に不満を持った者達が襲撃する。シナリオとしては面白い。
ただ、その前に、華を人殺しに慣れさせる必要がある。四ヶ月間一緒に暮らして分かったが、彼女は甘い。怒りや憎しみを他人にぶつける気概に欠けている。
これからのことを考えていると、助手席に置いていたスマートフォンが鳴った。電話の着信音。
秀人は車を道路脇に停め、ハザードを点けた。
スマートフォンを手に取る。画面上には、華の名前が表示されていた。
華から電話が来ることなど、今まで滅多になかった。彼女は他人に気を遣う。用事があると言って出掛けた秀人には、よほどのことがない限り電話をしてこない。一緒に暮らしてから電話が来たのは一度だけ。黒猫のフクが体調を崩したときだけだ。そのときは、電話口で泣く華を宥め、急いで家に帰り、フクを病院に連れて行った。結局、ただの便秘だったのだが。
また、五匹のうちの誰かが体調を崩したのだろうか。そんなことを考えながら、秀人は電話に出た。
「もしもし。どうしたんだ、華」
華からの返事はない。電話の向こうから聞こえてきたのは、数人の男の含み笑いだった。声の種類は三つ。少なくとも三人の男がいる。
「……あんた、誰?」
電話の向こうに疑問を投げると、鼻で笑う音が聞こえた。
『華の彼氏だよ』
聞き覚えのある声が返ってきた。わざわざ自己紹介までしてくれた。電話の向こうにいるのは、テンマだ。周囲の奴等は、彼の仲間だろうか。
「で、華の彼氏が何の用?」
『しらばっくれてんじゃねぇよ。人の女に手ぇ出しといてよ』
お前が俺に預けたんだろ、高い金を受け取って。喉まで出かかった言葉を、秀人は止めた。そういえばテンマとは、電話でしか話したことがない。しかも、彼と話したときに、秀人は声色を変えていた。名乗りもしなかった。
テンマは、秀人が華を預かった者だと気付いていないのだろう。
それなら、一芝居打ってみるか。
「人の女、って。俺は、知り合いからその子を預かっただけだけど?」
『しらばっくれんなって言ってんだろうが!』
テンマが、威圧するように怒鳴ってきた。
『人の女に手ぇ出したのに、誠意も見せらんねぇのかよ!?』
テンマの怒鳴り声を右から左に流しつつ、秀人は、今の状況に至った経緯を推測した。
恐らく華は、今日、どこかに外出したのだろう。そこでテンマと再会した。
華は、テンマに対して、自分の気持ちを正直に伝えた。秀人が好きだ、と。
テンマは、華の恋愛対象を、大金を払って華を預かった者とは思わなかった。だから、二重に金をせしめることを思いついた。
――下衆の考えそうなことだね。
スマートフォンのマイクに音が入らないよう、秀人は、無音で溜め息をついた。テンマの考えは推測できたが、一応聞いておく。
「誠意って、何をすればいいんだ?」
『決まってるだろ』
テンマの意図は、秀人の推測通りだった。
『詫び賃用意しろや。そうだな。五百万。それで手ぇ打ってやるよ』
「そんな大金、すぐに用意できると思う?」
『できるだろ? どうせお前、華をどこかのオヤジから買ったんだろ? 金に余裕あるんじゃないのか?』
「まあ、できないことはないけど」
『だったら、とっとと用意しろや!』
また、テンマが怒鳴り声を上げた。いちいちうるさい。
秀人はスマートフォンを耳から離し、ディスプレイに表示された時刻を確かめた。午後四時十二分。
再び、スマートフォンを耳に戻す。
「少し時間がほしいんだけど。金額が金額だからさ」
『今日中だ。日付が変るまで。それ以上は待たねぇからな』
「それくらい時間があれば、なんとか」
正直なところ、五百万程度であれば、用意するのにそれほど時間はかからない。家には、一千万くらいは常備している。
「それで、どこに持っていけばいいんだ?」
『華のスマホから住所を送ってやる。そこに来い』
「わかった」
秀人は唇の端を上げた。丁度いい、と思った。華に、こいつらを殺させよう。テンマは華を利用し、避妊具を着用しない売春を行わせ、複数の性病に罹らせた。テンマの醜さを華に見せつけて、彼女の怒りを煽ろう。彼を殺したくなるくらいに。
『ああ、そうそう』
どこか楽しそうに、テンマは続けた。
『分かってると思うけど、警察には言うなよ。ってか、この女を買ったくらいだから、警察には言えねぇか。後ろめたいことがある奴は大変だな』
お前が言うなよ。呆れて苦笑しそうになっている秀人に、テンマはさらに忠告してきた。
『逃亡するのも勧めねぇな。お前の家の住所、分かってるからな』
「華が持ってたメモで?」
『ああ、そうだ。俺のバックには、ヤクザだっているんだからな。もし逃亡したら、そいつら連れて取り立てるからな』
「大丈夫だよ。ちゃんと行くから」
『お利口だな』
テンマのところに、今、華がいる。彼女には、これから働いてもらう必要がある。大怪我でもしていたら、これまでの苦労が水の泡だ。
「で、一応確認だけど。華は無事なの? 怪我させてないだろうね?」
『心配なら、声でも聞いてみるか?』
テンマが、耳元からスマートフォンを離したようだ。聞こえてくる音で、彼が移動していることが分かる。三歩ほど歩いて、姿勢を低くした。しゃがみ込んだのだろうか。
小さく、テンマの声が聞こえてきた。
『ほら、大好きな秀人君だ。話してみろよ』
直後、電話の周囲の音が変った。スマートフォンを、華の耳に当てたようだ。
最初に聞こえてきたのは、鼻をすする音と、小さな嗚咽。次に、涙声。
『秀人ぉ』
華の声だった。
「華、大丈夫か? 怪我してないか? 痛いことされてないか?」
『ごめんねぇ、秀人ぉ』
華は、秀人の質問に答えなかった。ただ、謝っていた。
『華、馬鹿だから。華が馬鹿なせいでこんなことになって、ごめんねぇ』
華と初めて会った日。彼女は、秀人が口にした「馬鹿」という言葉に、過剰なほど反応していた。「馬鹿じゃないもん」と、泣き叫んでいた。
そんな華が、自分のことを「馬鹿」と言って泣いている。自分のことを「馬鹿」と言って、謝っている。
「大丈夫だよ、華」
秀人は目を細め、できるだけ優しい声色で伝えた。
「すぐに行くから。もうしばらく待ってて」
『ごめんねぇ』
会話が成立していない。たぶん、今は何を言っても「ごめん」しか返ってこないだろう。
電話の向こうの音が、また変った。華の耳からスマートフォンを離し、テンマの耳元に戻したようだ。
『無事なのはわかっただろ?』
「そうだね。じゃあ、できるだけ早く、金を用意していくよ。ところで、そっちの近くに駐車場はある? 大金を持ち運ぶんだから、歩きでは行きたくないんだよね」
『適当な有料駐車場にでも停めろよ。そこまで面倒見切れねぇわ』
ただの一度も、面倒なんて見てもらってないだろ。テンマに対する言葉を、秀人は心に留めた。
「分かった。探してみるよ」
『そうしろ。じゃあ、待ってるからな』
「ああ」
電話を切る。
「日付が変るまで、ねぇ」
ポツリと、テンマの言葉を反芻した。今日中に金を用意しろ、と言っている。用意して、今日中に来い、と。
つまり、今日がテンマの命日になるということだ。
ハザードを消してウィンカーを上げ、秀人は車を発進させた。
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