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第三章 罪の重さを計るものは
第三話① 亜紀斗対咲花~違和感の中での戦い~(前編)
しおりを挟む『じゃあ次は、咲花君と亜紀斗君、用意してねぇ』
スピーカーを通して、藤山の間延びした声が響いた。
一月。暖房が効いた、道警本部の訓練室。
実戦訓練用の防具を身につけ、亜紀斗は待機室から出た。
今年最初の実戦訓練。
亜紀斗の相手は、咲花だった。
彼女も、反対側にある待機室から出てきた。一定の距離を置いて、訓練場で向かい合う。
実戦訓練は、業務の都合で中止にならない限り、月に二回行われる。
亜紀斗が道警本部に異動になって、もうすぐ三年。七十回近く実戦訓練を行ったが、そのうちの約半分は、咲花が相手だった。
実戦訓練の組み合わせを決めるのは、隊長である藤山の仕事だ。彼がどんな意図で、こんなにも亜紀斗と咲花を戦わせるのか。その真意は分からない。
おそらく、実力的な問題だろう――と、亜紀斗は考えていた。他の隊員の実力は、亜紀斗や咲花に大きく劣る。実力が拮抗した者同士を戦わせて実戦の勘を磨くのであれば、亜紀斗の相手は咲花しかいないし、彼女にとっても同様だろう。
もっとも、亜紀斗が咲花を相手に優勢に戦えたことは、今まで一度もない。
初めて咲花と戦ったときは、大怪我をして戦闘不能となった。
二度目以降は、仕留められることこそないものの、明らかに劣勢だった。
自分が強くなっている、という実感はある。実際に、他の隊員との実力差は、日に日に開いている。それなのに、咲花には追いつけない。
前回の――十二月の訓練のときは、今まででもっとも咲花に拮抗できた。全体を通して劣勢ではあったが、亜紀斗が優勢に戦えた場面もあった。
ただ、と思う。最近の咲花は、様子が変だった。どこが変なのかと聞かれると、亜紀斗も答えることができない。先月の中旬頃から彼女の様子がおかしくなって、亜紀斗との実戦訓練の際も、上の空のようだった。
咲花を相手に拮抗できたのは、そのせいではないか。自分の実力が、彼女に追い付いてきたのではなく。
亜紀斗は、向かい合っている咲花をじっと観察した。防弾ヘルメットの奥にある、彼女の綺麗な顔。いつも通りの、冷たい無表情。
いつも通りに見える。でも、やはりどこかおかしい。
『はい、じゃあ開始』
緊張感など微塵もない口調で、藤山が開始の合図をした。
亜紀斗は構えた。相手に接近するための、低い構え。
咲花も構えた。亜紀斗に向って、左足を前にした斜の構え。
咲花の様子がおかしい原因は、何なのか。神坂の――彼女の姉を殺した犯人の、再犯のせいか。
――違う。
神坂の再犯が世間に知られたのは、去年の夏頃だ。時期が合わない。あの事件は、咲花が犯人殺しを再開するきっかけではあったが。
では、一体どうして……。
「!?」
気が付くと、咲花の弾丸が目の前に迫っていた。
避けられるタイミングではない。亜紀斗は本能的に察知した。素早く全身を強化。しかし、反応が少し遅れた。耐久力の強化が、少し弱い。腹部に弾丸がめり込む。貫通型の弾丸。息が詰まり、「うっ」と声が漏れた。
明らかな失態。訓練中に集中力を欠き、無駄なダメージを受けた。
ダメージは、亜紀斗のスイッチを入れた。戦闘のスイッチ。他の隊員相手では入れられない――咲花が相手だからこそ入れられる、凶暴性と暴力性のスイッチ。
亜紀斗は咲花が嫌いだ。だが、憎いわけではない。それでも、彼女の実力を前にすると、本来の自分に戻ってしまう。
暴力の中で生きる自分。
咲花が追撃を仕掛けてきた。六連発の弾丸。四方八方から、亜紀斗を狙ってくる。
亜紀斗は、腹部のダメージで呼吸ができなくなっている。足が動かない。咄嗟に、全身の耐久力を強化した。体を丸く縮め、衝撃に備える。
ドスドスッと音を立てて、咲花の弾丸が亜紀斗に命中した。内部型クロマチンで強化していても、かなりの衝撃を受けた。
――クソが!
亜紀斗は舌打ちした。集中力を欠いた自分に苛立った。馬鹿か俺は。気を抜ける相手じゃないだろ。
腹部のダメージが抜けてきた。呼吸が戻ってきた。大きく息を吸い込んで、全身に酸素を送った。足に力が入る。完全回復はしていないが、もう動ける。
咲花の攻撃は続く。亜紀斗がダメージを受けたチャンスをす見逃すほど、彼女は甘くない。たとえ、普段と様子が違っていても。
攻勢に入っている咲花から、逃げては駄目だ。ますます追い詰められる。亜紀斗の本能が、現時点で最良の戦術を選択させた。
強引にでも距離を詰める。攻勢に出る。
咲花までの距離は、約十二メートル。
全身を強化して咲花の弾丸を受けながら、亜紀斗は前進した。ダメージで、まだ素早く動けない。距離を詰めるには、耐久力を強化して前に進むしかない。
クロマチンは、体内のエネルギーを大量に消費する。だからこそ、必要な部分を必要なだけ強化することで、エネルギー消費を抑える必要がある。
だが、素早く動けない亜紀斗に、エネルギー消費を抑える余裕はない。全身を強化しているせいで、エネルギーの消費が激しい。
全身を強化して実力差や状況を補う――まるで、秀人と戦ったときのようだ。あのときも、彼との実力差を埋めるために、全力で全身を強化した。
あの日以降、亜紀斗は、より厳しい訓練を重ねた。自主訓練で、全力でエネルギーを使用する訓練もした。
秀人と戦ったときは、全力でエネルギーを使用した結果、二分程度で酸欠に陥った。大量のエネルギー消費に、体の酸素供給が追い付かなかったのだ。
けれど今は、三分ほど全力でエネルギーを使える。このダメージの回復を図るには、十分な時間だ。
咲花は、開始時点の場所から動いていない。一カ所に留まって、ダメージを受けた亜紀斗を狙い撃ちにしている。
訓練開始から約三分。
亜紀斗のダメージが、ほとんど抜けた。問題なく呼吸できるようになった。足も動く。
咲花の弾丸が迫ってきた。
亜紀斗は小さく左に動き、彼女の攻撃を避けた。避けると同時に、確認できた。もう、問題なく動ける。
耐えるだけの時間は終わりだ。
亜紀斗は、エネルギー使用量を通常に戻した。必要な部分を、必要なだけ強化する。素早く左右に動くため、体幹と足腰の筋力を強化。耐久力の強化は、最小限に抑えた。強化した筋力に耐えられる程度に。
咲花の攻撃を受け続けて、かなりのエネルギーを消費した。体内のエネルギーの六割くらいか。
実戦訓練の時間は十分。残り時間は七分ほど。今の亜紀斗が戦える時間ではない。間違いなく、途中でエネルギーが切れる。
つまり、咲花を仕留めない限り、今日も負ける。
今まで、何度も咲花に負けた。負け続けた。全戦全敗。それでも、敗北に慣れることなどない。
暴力の中で生きてきた亜紀斗にとって、敗北は、生命の危機を意味する。生きるためには勝たなければならない、という感覚が身についている。
今の危機的状況は、亜紀斗の感覚を鋭くした。生き残るための最善の戦法を、生存本能が選択させた。勝ち残るために必要な戦い方を、闘争本能が導き出した。
素早く動いて咲花の狙いを外し、彼女との距離を詰めてゆく。
動きながら、亜紀斗は防弾ヘルメットを脱いだ。銃弾すら防ぐ、頑丈なヘルメット。
咲花との距離は、約六メートル。
咲花が弾丸を放ってきた。
亜紀斗は右にステップし、素早く避けた。右にステップしたので、当然、右足で着地することになる。着地した瞬間に右足を踏ん張ることで、反動が生まれる。
右足の反動を利用して、亜紀斗はヘルメットを投げた。咲花に向って。
内部型クロマチンで筋力を強化し、全力で投げたヘルメット。その速度は、プロ野球選手の比ではない。時速二二〇キロメートルは超えている。
身体強化のできない外部型の能力者では、到底反応できない速度。
それでも、咲花は反応した。
いや、反応したのではないだろう。咲花は予測していたのだ。亜紀斗がヘルメットを脱いだ瞬間に、それを武器に使うと。
亜紀斗が投げたヘルメットに、咲花は弾丸を放った。破裂型の弾丸。
ヘルメットは弾け飛び、天井に当たった。ガコンッ、と重い音が響いた。そのまま落下してくる。一・三キログラムあるヘルメットが六メートル先の床に落下するまで、約一・一一秒。
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