罪と罰の天秤

一布

文字の大きさ
123 / 176
第三章 罪の重さを計るものは

第六話② 残酷な出来事に、関係者は何を思うのか(後編)

しおりを挟む

「佐川君、俺達も少し休もうか」

 午後一時半になって、川井が提案してきた。

 覆面パトカーの中。亜紀斗は後部座席に、川井は運転席に座っている。

 本部にいる刑事と何度か連絡を取り合い、集めた証言のすり合わせをした。さらに証言を集めるべく、他の四人の刑事は、昼食を摂ると捜査に出向いた。

 川井と亜紀斗は、まだ昼食を食べていなかった。

「そうですね」

 亜紀斗は、後部座席の下から、用意した昼食を取り出した。コンビニエンスストアの弁当が五つ。一・五リットルのスポーツドリンク。

「咲花もそうだったけど、相変わらず大食いなんだな。まあ、それだけエネルギーを使うんだろうね。クロマチンを使用する感覚とか、どれだけ空腹になるのかなんて、俺には分からないけど」

 亜紀斗と二人だけになると、川井は、よく咲花の話題を口にした。前回一緒に仕事をしたときもそうだった。

「そうですね」

 唐揚げを口にしながら、亜紀斗は、自分が感じていることだけを答えた。

「俺もクロマチンを使うようになってから感じたことですが、人間の体って、食べてエネルギーを作って、できたエネルギーを全身に巡らせて動いてるんですよね。それが、凄くよく分かるようになったって言うか。大量にエネルギーを使おうとすると、体が温かくなる感じがするんですよ。激しい運動をしたら体が火照りますけど、あれに近いです」

 亜紀斗は内部型の能力者だ。おそらく、外部型の能力者とは、クロマチンを使用した際の感覚が違う。亜紀斗は内部を強化するから、体が火照るような感覚を得る。

 その理屈で考えると、外部型は――咲花は、体の外に熱が放出されるような感覚を得ているのかもしれない。

 咲花の感覚を想像しつつも、亜紀斗は、言葉にはしなかった。川井の前で彼女のことを語るのが、なんだか悪いような気がした。

 川井は、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。弁当を食べながら、話題を変える。今回の事件のこと。

「それにしても、正直、今回の事件のことを聞いたときは驚いたよ。磯部の死体が発見された前日は、俺、非番だったからね。休み明けで出勤したら、殺人が起こったって報告があって。しかも、ただの殺人じゃない。あの事件の犯人が殺されたっていうんだから」

 あの事件――美人女性監禁虐殺事件。咲花の姉が殺された事件。

「佐川君も知ってるだろ? 昔、磯部が逮捕された事件のこと」

 運転席のバックミラー越しに、川井と目が合った。

 亜紀斗は無言で頷いた。

 咲花の姉が殺された事件は有名だ。警察関係者でなくとも、あの事件のことを知らない者はほとんどいないだろう。少なくとも、事件発生時に物心がついていた者は。それほど、全国を震撼させた事件だった。事件の残忍さ。凄惨さ。犯人全員が未成年であったこと。犯人達に下された判決が、犯行に対してあまりに甘いと言われたこと。どの点についても、話題性が大きかった。史上最悪の少年事件、と呼ばれるほどに。

「ところで、佐川君」

 亜紀斗と川井の視線は、バックミラー越しに絡んだままだ。

「何ですか?」
「咲花は今回、捜査のヘルプには入ってないんだね」
「そうですね。笹島は、特別課の通常業務に就いてます」
「前回は捜査一課のヘルプに入ってたのに、今回は入ってないのか。どうしてか、藤山隊長あたりから聞いてるかい?」
「……」

 亜紀斗は言葉に詰まった。誤魔化すように、弁当を口に運んだ。

 咲花が捜査一課のヘルプに入らない理由を、亜紀斗は知らない。誰にも聞かされていない。しかし、推測はできる。ほぼ確信を持っている推測。

 咲花が、あの事件の被害者遺族だから。つまり、容疑者候補の一人だから。

 亜紀斗は、捜査一課のヘルプに過ぎない。ただの、捜査一課の刑事の護衛。立場上、捜査内容や容疑者候補については、詳細を聞かされていない。

 だが、川井は違う。今回の事件を捜査する刑事であり、ある程度の立場にある者でもある。だから、間違いなく知っているはずだ。咲花が捜査に加わらない理由も、彼女が容疑者候補の一人であることも。

 それなのに、どうしてこんなことを聞いてくるのか。

 川井と視線が合っている。彼の目は、何かを探っているようにも見えた。

 亜紀斗は、口の中に食べ物を詰めた。頬が膨らむほどに。ゆっくりと租借しながら、川井の質問の意味を考えた。

 考えたが、川井の意図は分からない。分からないから、考えるのをやめて彼の視線を受け止めた。どこか攻撃的にも見える、彼の視線。

 ――あ。

 口の中の物を咀嚼しながら、胸中で声を漏らした。論理的思考ではなく直感で、亜紀斗は、川井の考えに気付いた。彼の攻撃的な目が、亜紀斗に気付かせた。

『君は、咲花があの事件の被害者遺族だと知っているのか?』
『もし知っているなら、咲花が犯人だと疑っているのか』

 川井の目が語る、彼の思考。

 川井は、咲花に対してまだ気持ちが残っている。だから、咲花が犯人だと思いたくないのだ。彼女を信じたいのだ。

 信じているから、咲花を犯人だと疑う人間に対し、攻撃的になる。そうすることで、彼女を守るように。

 口の中の物を飲み込むと、亜紀斗はスポーツドリンクを口にした。ペッドボトルから口を離すと、川井の質問に答えた。

「俺は何も知らないですし、聞いてもいないですね」

 今回の事件については何も知らないし、何も聞いていない。咲花のことは知っているが。

「まあ、今回のヘルプのメンバーは隊長が決めたんでしょうけど。あの人、適当なんで。適当に決めたら笹島が外れたんじゃないですかね?」
「……そうか」

 溜め息のように呟いて、川井はお茶を飲んだ。バックミラーに映る彼から、視線が外れた。目を伏せ、どこか苦々しそうにしている。

 自分の大切な人が、殺人事件の容疑者候補に挙がっている。今の川井は、やり切れない思いを抱えているのだろう。愛している人が疑われている。彼自身も、職務上、疑わなければならない。本当は、咲花の側にいたいのに。彼女に、「どんなことがあっても信じている」と伝えたいのに。

 同時に、川井は、咲花の姉を殺した奴等に対して、強い憎しみも抱えているはずだ。彼等のせいで咲花は幸せを放棄した。彼等のせいで、咲花との結婚が消え去った。

 刑事という職務から、川井は、磯部殺害について捜査している。本心では、こんな捜査などしたくないだろうに。

 昼食を食べ終えるまで、川井はずっと無言だった。
 亜紀斗も、彼にかける言葉が見つからなかった。

 食事を終えて他の刑事を呼び戻すと、再び捜査を開始した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...