罪と罰の天秤

一布

文字の大きさ
122 / 176
第三章 罪の重さを計るものは

第六話① 残酷な出来事に、関係者は何を思うのか(前編)

しおりを挟む
 
 咲花は一時期、凶悪犯を殺さなくなった。

 なぜかは分からない。
 分からないが、亜紀斗は嬉しかった。咲花の行動が、亜紀斗の信念に近付いたから――ではない。

 凶悪犯を殺さなくなった咲花は、殺していた頃よりも幸せそうに見えた。

 凶悪犯を殺さなくなってからも、咲花は無表情だった。顔立ちが整っているからこそ、表情のない彼女は、周囲に冷たい印象を与えていた。

 けれど、あの時期の咲花には、どこか温かさを感じた。気のせいかも知れないが、口角が少し上がっているときもあった。亜紀斗を煽るときのような、挑発的な笑みではなく。

 実戦訓練のときに、亜紀斗は、咲花を殺すつもりで戦っている。嫌いだから殺したいのではない。彼女の実力を前にすると、自分の本質が表に出てしまうのだ。暴力性と凶暴性。好きな人の前では、決して見せられない自分。

 そんな姿も、咲花の前ではさらけ出せた。

 咲花は、亜紀斗とは真逆の信念を持っている。度々ぶつかり合っている。実戦訓練のときだけではなく、ことあるごとに衝突している。

 間違いなく、周囲はこう思っているはずだ。亜紀斗と咲花は互いに嫌い合っている、と。

 実際に、亜紀斗は咲花が嫌いだ。

 ……嫌いだ、と思っていた。

 しかし、この感情は「嫌い」とは違うのではないか。

 咲花の過去を知ったとき、亜紀斗は、彼女の幸せを願った。残酷で悲しい過去があるからこそ、幸せになってほしいと思えた。

 幸せになってほしいと思えたからこそ、凶悪犯を殺さなくなり、雰囲気が温かくなった咲花を見て、嬉しかった。

 咲花に対してどんな感情を持っているのか、亜紀斗自身にも分からない。嫌いではないのなら、この気持ちをどう表現すればいいのか。

 恋人になど、絶対にできない女。友人にもなれない。価値観が真逆で、背を向け合って生きている。

 だけど、背中を合わせながらも、共に歩いているような親近感がある。背中がくっつくほど、心が近しい場所にいる。

 だから、咲花が凶悪犯を殺さなくなって嬉しかったのだ。殺しをやめた彼女の方が、殺していた頃より幸せそうだったから。

 でも咲花は、再び凶悪犯を殺した。以前よりも見境なく。

「どうして」という言葉が、亜紀斗の頭を駆け巡った。幸せそうだったのに、どうして。

 どうして、不幸に逆戻りしたのか。

 理由はすぐに分かった。藤山が教えてくれた。咲花の姉を殺した犯人の一人が――神坂が、出所後に再び罪を犯した。監禁暴行罪という、咲花の姉の事件を彷彿とさせる事件。

 亜紀斗はあれから、咲花の姉の事件を調べ上げた。捜査資料も見た。犯人達の供述調書も見た。ネットに溢れている情報にも目を通した。

 今では、咲花の姉を殺した四人の名前が、完全に頭に入っている。

 宮本みやもと祐二ゆうじ。事件の主犯で、少し前に出所した。養子縁組をして、今は高野たかの祐二という名前になっている。

 大倉洋。事件の準主犯格。養子縁組をして、神坂洋という名前になった。再度事件を起こし、現在は服役している。

 みなみ伸一しんいち。主犯と準主犯格の後輩。彼もすでに出所している。名前は変えていない。出所後も、悪い噂が絶えない。もっとも、再び罪を犯したという明確な証拠はない。

 南と同級生の、磯部康文。彼も出所している。服役中にいじめられていたらしく、それがトラウマとなった。出所後は、実家でほぼ引きこもりとなった。朝刊配達以外の仕事をしていない。他人と関わるのが恐いらしい。

 二月中旬。暦の上ではもうすぐ春だが、一年で一番寒い時期。

 磯部の他殺体が発見されたのは、十日前だった。惨殺され、マンションのゴミステーションで見つかった。

 磯部の死体の状況から、銃殺されたことは明らかだった。

 事件の捜査には、SCPT隊員がヘルプで入ることになった。十班に分かれ、各班五名の刑事と一名のSCPT隊員で行動する。

 亜紀斗が同行することになったのは、三班。川井が――咲花の元婚約者がリーダーを務める班だった。

 捜査の範囲は、大きく三つに区分された。磯部の自宅周辺。彼の死体が発見された周辺。彼が務める新聞販売店や、新聞を配っていた区域周辺。

 川井や亜紀斗が捜査するのは、死体が発見された場所の周辺だった。

 死体の発見場所に、大量の血痕はなかった。全身を切り刻まれ、銃で撃たれ、火傷の痕があったにも関わらず。それはつまり、磯部は別の場所で殺され、ゴミステーションに遺棄されたということを意味していた。

 現場で採取された物を鑑識が調べ、資料を作成する。亜紀斗達は現場で聞き込みを行い、資料と証言を照合してゆく。

 地道で、気が遠くなるような作業だ。

 磯部の死体が発見されたのは、午前六時半。マンションの住人一人一人に聞き込みを行ったところ、六時半以前に最後にゴミが捨てられたのは、午前三時半頃だった。

 三時半頃にゴミを捨てた住人に尋ねたところ、磯部の死体らしきものはなかったという。三時半といえばまだ暗いが、ゴミステーションに死体があれば気付くだろう。ゴミを捨てたという住人が、嘘を言っていなければ。

 磯部の足取りも追われた。

 磯部が働いている新聞販売店は、週一回、決まった曜日に休みが与えられる。磯部の死体が発見された日、彼は休みだった。出勤していなくても、不審には思われない。

 磯部の実家でも聞き取りは行われた。

 磯部と同居している家族は、両親のみ。彼の両親は、目立たないように細々と暮らしていた。息子が重罪を犯し、事件当時は週刊誌で顔も晒され、家族の情報も流出した。

 美人女性監禁虐殺事件。あの事件発覚から、磯部一家の生活は激変した。磯部には姉がいるが、事件後、彼女はすぐに実家を出た。行方をくらませ、一度も帰って来ていないという。

 磯部の両親も、事件当時住んでいた家を出た。一戸建てで暮らしていたのだが、売り払い、築四十年の安アパートに移り住んだ。そこで、もう十五年ほども暮らしている。引きこもりになった息子を、共働きのパートの収入で養いながら。

 磯部の両親の話では、彼は、死体となって発見される前日から帰宅していなかったという。前日の早朝に新聞配達に出掛け、そのまま戻らなかった。

『失礼ながら、息子さんは、ほぼ引きこもりだったんですよね? そんな息子さんが丸一日ほど帰宅しなかったことに、何も思わなかったんですか?』

 刑事がそう聞いたところ、両親は、虚ろな顔で答えた。

『あんな事件を起こして――他人様のお嬢さんを、あんな目に合わせたんです。そんな息子が行方不明になったところで、警察の方に、探してほしいなんて頼めません。他人様の命を奪った息子を、保護してほしいだなんて……』

 磯部の家族は、磯部の犯行のせいで人生を滅茶苦茶にされた。加害者の家族に罪はない、などと言っても、世間はそう見てくれない。居場所を失い、持ち家を売り払い、仕事も辞めて、パートだけで細々と生活することになった。

 それでも、磯部の両親にとっては、磯部は息子だったのだろう。行方が分からなくなって、不安だったのだろう。探したかったのだろう。探して欲しかったのだろう。

 だが、そんなことなど言えるはずもなかった。かつて女性を拉致し、行方不明にした。監禁し、筆舌に尽くしがたい暴行を長期に渡って加え、殺害した。そんな息子が攫われても、殺されても、因果応報としか言えない。罪に対して、相応しい罰が下ったとしか思えない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...