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第三章 罪の重さを計るものは
第六話① 残酷な出来事に、関係者は何を思うのか(前編)
しおりを挟む咲花は一時期、凶悪犯を殺さなくなった。
なぜかは分からない。
分からないが、亜紀斗は嬉しかった。咲花の行動が、亜紀斗の信念に近付いたから――ではない。
凶悪犯を殺さなくなった咲花は、殺していた頃よりも幸せそうに見えた。
凶悪犯を殺さなくなってからも、咲花は無表情だった。顔立ちが整っているからこそ、表情のない彼女は、周囲に冷たい印象を与えていた。
けれど、あの時期の咲花には、どこか温かさを感じた。気のせいかも知れないが、口角が少し上がっているときもあった。亜紀斗を煽るときのような、挑発的な笑みではなく。
実戦訓練のときに、亜紀斗は、咲花を殺すつもりで戦っている。嫌いだから殺したいのではない。彼女の実力を前にすると、自分の本質が表に出てしまうのだ。暴力性と凶暴性。好きな人の前では、決して見せられない自分。
そんな姿も、咲花の前ではさらけ出せた。
咲花は、亜紀斗とは真逆の信念を持っている。度々ぶつかり合っている。実戦訓練のときだけではなく、ことあるごとに衝突している。
間違いなく、周囲はこう思っているはずだ。亜紀斗と咲花は互いに嫌い合っている、と。
実際に、亜紀斗は咲花が嫌いだ。
……嫌いだ、と思っていた。
しかし、この感情は「嫌い」とは違うのではないか。
咲花の過去を知ったとき、亜紀斗は、彼女の幸せを願った。残酷で悲しい過去があるからこそ、幸せになってほしいと思えた。
幸せになってほしいと思えたからこそ、凶悪犯を殺さなくなり、雰囲気が温かくなった咲花を見て、嬉しかった。
咲花に対してどんな感情を持っているのか、亜紀斗自身にも分からない。嫌いではないのなら、この気持ちをどう表現すればいいのか。
恋人になど、絶対にできない女。友人にもなれない。価値観が真逆で、背を向け合って生きている。
だけど、背中を合わせながらも、共に歩いているような親近感がある。背中がくっつくほど、心が近しい場所にいる。
だから、咲花が凶悪犯を殺さなくなって嬉しかったのだ。殺しをやめた彼女の方が、殺していた頃より幸せそうだったから。
でも咲花は、再び凶悪犯を殺した。以前よりも見境なく。
「どうして」という言葉が、亜紀斗の頭を駆け巡った。幸せそうだったのに、どうして。
どうして、不幸に逆戻りしたのか。
理由はすぐに分かった。藤山が教えてくれた。咲花の姉を殺した犯人の一人が――神坂が、出所後に再び罪を犯した。監禁暴行罪という、咲花の姉の事件を彷彿とさせる事件。
亜紀斗はあれから、咲花の姉の事件を調べ上げた。捜査資料も見た。犯人達の供述調書も見た。ネットに溢れている情報にも目を通した。
今では、咲花の姉を殺した四人の名前が、完全に頭に入っている。
宮本祐二。事件の主犯で、少し前に出所した。養子縁組をして、今は高野祐二という名前になっている。
大倉洋。事件の準主犯格。養子縁組をして、神坂洋という名前になった。再度事件を起こし、現在は服役している。
南伸一。主犯と準主犯格の後輩。彼もすでに出所している。名前は変えていない。出所後も、悪い噂が絶えない。もっとも、再び罪を犯したという明確な証拠はない。
南と同級生の、磯部康文。彼も出所している。服役中にいじめられていたらしく、それがトラウマとなった。出所後は、実家でほぼ引きこもりとなった。朝刊配達以外の仕事をしていない。他人と関わるのが恐いらしい。
二月中旬。暦の上ではもうすぐ春だが、一年で一番寒い時期。
磯部の他殺体が発見されたのは、十日前だった。惨殺され、マンションのゴミステーションで見つかった。
磯部の死体の状況から、銃殺されたことは明らかだった。
事件の捜査には、SCPT隊員がヘルプで入ることになった。十班に分かれ、各班五名の刑事と一名のSCPT隊員で行動する。
亜紀斗が同行することになったのは、三班。川井が――咲花の元婚約者がリーダーを務める班だった。
捜査の範囲は、大きく三つに区分された。磯部の自宅周辺。彼の死体が発見された周辺。彼が務める新聞販売店や、新聞を配っていた区域周辺。
川井や亜紀斗が捜査するのは、死体が発見された場所の周辺だった。
死体の発見場所に、大量の血痕はなかった。全身を切り刻まれ、銃で撃たれ、火傷の痕があったにも関わらず。それはつまり、磯部は別の場所で殺され、ゴミステーションに遺棄されたということを意味していた。
現場で採取された物を鑑識が調べ、資料を作成する。亜紀斗達は現場で聞き込みを行い、資料と証言を照合してゆく。
地道で、気が遠くなるような作業だ。
磯部の死体が発見されたのは、午前六時半。マンションの住人一人一人に聞き込みを行ったところ、六時半以前に最後にゴミが捨てられたのは、午前三時半頃だった。
三時半頃にゴミを捨てた住人に尋ねたところ、磯部の死体らしきものはなかったという。三時半といえばまだ暗いが、ゴミステーションに死体があれば気付くだろう。ゴミを捨てたという住人が、嘘を言っていなければ。
磯部の足取りも追われた。
磯部が働いている新聞販売店は、週一回、決まった曜日に休みが与えられる。磯部の死体が発見された日、彼は休みだった。出勤していなくても、不審には思われない。
磯部の実家でも聞き取りは行われた。
磯部と同居している家族は、両親のみ。彼の両親は、目立たないように細々と暮らしていた。息子が重罪を犯し、事件当時は週刊誌で顔も晒され、家族の情報も流出した。
美人女性監禁虐殺事件。あの事件発覚から、磯部一家の生活は激変した。磯部には姉がいるが、事件後、彼女はすぐに実家を出た。行方をくらませ、一度も帰って来ていないという。
磯部の両親も、事件当時住んでいた家を出た。一戸建てで暮らしていたのだが、売り払い、築四十年の安アパートに移り住んだ。そこで、もう十五年ほども暮らしている。引きこもりになった息子を、共働きのパートの収入で養いながら。
磯部の両親の話では、彼は、死体となって発見される前日から帰宅していなかったという。前日の早朝に新聞配達に出掛け、そのまま戻らなかった。
『失礼ながら、息子さんは、ほぼ引きこもりだったんですよね? そんな息子さんが丸一日ほど帰宅しなかったことに、何も思わなかったんですか?』
刑事がそう聞いたところ、両親は、虚ろな顔で答えた。
『あんな事件を起こして――他人様のお嬢さんを、あんな目に合わせたんです。そんな息子が行方不明になったところで、警察の方に、探してほしいなんて頼めません。他人様の命を奪った息子を、保護してほしいだなんて……』
磯部の家族は、磯部の犯行のせいで人生を滅茶苦茶にされた。加害者の家族に罪はない、などと言っても、世間はそう見てくれない。居場所を失い、持ち家を売り払い、仕事も辞めて、パートだけで細々と生活することになった。
それでも、磯部の両親にとっては、磯部は息子だったのだろう。行方が分からなくなって、不安だったのだろう。探したかったのだろう。探して欲しかったのだろう。
だが、そんなことなど言えるはずもなかった。かつて女性を拉致し、行方不明にした。監禁し、筆舌に尽くしがたい暴行を長期に渡って加え、殺害した。そんな息子が攫われても、殺されても、因果応報としか言えない。罪に対して、相応しい罰が下ったとしか思えない。
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