死を招く愛~ghostly love~

一布

文字の大きさ
4 / 57

第二話 嫌な予感を塗り潰すように、自分に言い聞かせる

しおりを挟む

 学校に着いて教室に入ると、美咲は周囲を見回した。

 時刻は8時40分。あと5分でホームルームが始まる。

 いつもなら、洋平と一緒に登校している時間。一緒に登校して、同じ教室に入り、それぞれの席に座る時間。

 教室内に、洋平はいなかった。

 8時45分になり、チャイムが鳴った。クラスの担任が教壇に立ち、ホームルームを始めた。

 洋平は来ていない。

 ホームルームが終わると、担任の教師が美咲のもとに来た。その表情には、困惑の色が見て取れる。

「村田はどうしたんだ? 休みか?」

 美咲と洋平が恋人同士だということは、周知の事実だった。美咲自身も隠そうとはしていなかった。むしろ、周囲に知って欲しいとさえ思っていた。

 美咲は、その容貌から、男子に人気がある。洋平と付き合い始めるまでは、頻繁に告白されていた。その数が、彼と付き合っていることを知られてから激減した。

 もっとも、一番諦めて欲しい男は、いつまで経っても諦めてくれないのだが。
 
 意識を担任の方に戻した。

「昨日から家に帰ってないみたいなんです。もしかしたら学校に来るかも、って思ってたんですけど」
「そうか。とりあえず、村田の家に電話してみるよ。悪かったな」
「いえ。私も、電話してきていいですか?」
「村田のお母さんにか?」
「いえ。私の母にです。洋平が学校に来てなかったら連絡するように言われていたんで。私の母と洋平のお母さん、仲がいいから」
「そうか。何か分かったら教えてくれ」
「はい」

 洋平は、ボクシングの試合以外の理由で学校を休んだことがない。成績も優秀。絵に描いたような文武両道の優等生だ。そんな彼が、連絡もない状態で学校に来ていない。担任が驚くのも当然だった。

 美咲は席を立ち、廊下に出て咲子に電話を架けた。今度はすぐに――1回目のコールで電話に出た。

『学校に着いたの?』
「うん」
『洋平君は?』
「……来てない」

 相変わらず、美咲の表情に変化はない。心の中は、不安で満たされているのに。黒く重い不快感で溢れかえっているのに。

 変わらない表情のまま、美咲は顔を伏せた。

「昨日の洋平からのメール、お母さんに転送しておくね」
『うん、お願い。私は、洋ちゃんを連れて警察に行ってくる。警察にそのメールを見せて、捜索願を出すつもり。警察がすぐに動いてくれるかは、微妙なところだけど』

 気持ちのうえで、美咲は眉をしかめた。表情は動かないが。

「どういうこと? 警察が動いてくれるかは微妙、って」
『単なる家出だと判断したら、警察は動いてくれないの。事件に巻き込まれた可能性が高いって判断してくれないと。あんたが受け取ったメールの内容にもよるけど、微妙だと思う』
「何で!?」

 つい、美咲は声を荒くした。

 咲子は、冷静に言葉を返してきた。いや、冷静でいようと務めている、という方が正しい。

『事件性の低いことに対してすぐに動き出すほど、警察は優しくないの。警察は正義の味方でも市民の味方でもない。ただの公務員で、ただの職業のひとつなんだから。だから、私なりに対策を立てるつもり』
「対策?」
『それは、あんたが帰って来たら話す。長くなるから』

 冷静な口調の直後、咲子の声は、唐突に優しくなった。

『安心して。あんたや洋ちゃんが不安にならないように、できる限りのことをするから。弁護士なんてしてるから、こういったことの経験値だって、それなりにあるんだし』

 冷静でいながら、優しい口調。そんな母親の声を聞いて、美咲は、彼女の様子を思い浮かべた。たまに見せる、手負いの獣のような雰囲気。恐れ、震えながらも、大切なものを守ろうとする姿。

 咲子はきっと、こんなふうに美咲を守り、育ててきたのだ。美咲が産まれる前――暴力を振るう夫と別れるときから。妊娠しているときは、夫の暴力から、腹の中の美咲を守ってきた。美咲が産まれてからは、小さな我が子の手を取って、戦ってきた。

 決して強い人ではないのに。

「お願いね、お母さん」
『任せておいて』
「おばさんの様子はどう?」
『今、学校の先生から電話がきたみたいで、話してる。かなり疲れてるみたい。当然だけどね』

 登校前に見た洋子の顔を、美咲は思い浮かべた。夜勤明けで疲れているときでさえ、実年齢より若く見える彼女。今朝は、ずいぶん老け込んで見えた。大切な息子に、何かあったら――そんな不安に押し潰されそうになっているのだ。

「おばさんも助けてあげて、お母さん」
『当然でしょ。洋平君からのメール、お願いね』
「わかった」

 美咲は電話を切った。すぐに、洋平から来たメールを、咲子のメールアドレス宛に転送した。昨夜の午後8時ちょうどに届いたメール。不穏な内容のメール。

 美咲の頭の中に、再び、五味のことが思い浮かんだ。洋平の家に向かう途中にも、思い浮かんだ人物。同じ学年で別のクラスの、しつこく美咲を口説いてきた男。

 五味秀一は、一言で言えばこのような人物だった。

「『何とかにはさみ』を体現している男」

 父親は、大手建設会社の代表取締役社長。祖父は、その会社の名誉職である会長。圧倒的に裕福な家庭に育ち、ままに育てられたのが分かる性格。その噂は、彼と知り合う前から、美咲の耳に入ってきていた。

 金にものを言わせて豪遊し、修学旅行では20万もの大金を数日のうちに使い切った。度々夜の街に繰り出し、風俗店巡りを趣味としている。

 かといって、素人の女性に手を出さないというわけではない。校内では、目をつけた女子生徒をひたすら口説いている。狙った女子生徒に付き合っている男子がいたら、その男子をトイレに呼び出し、リンチをした。狙った女子生徒と付き合っているのが校外の男子であれば、仲間数人で拉致らちし、やはりリンチ。

 これは、単なる噂ではない。実際に、美咲も、怪我をした男子生徒を数人目撃している。

 それでも五味が犯罪者にならないのは、事件を全て示談にしているからだろう。父親の会社には顧問弁護士がいるはずだ。その弁護士が手を回し、被害者が被害届を出さないようにしているのだ。

 下衆で下劣。そのくせ承認要求が強く、自分を認めさせるためにも金を使う。

 そんな五味が進学校に合格できたのは、父親の一言がきっかけだったらしい。

「いい学校に合格できたら、マンションを買ってやる」

 父親に言われて五味は勉強に力を入れ、この高校に合格できた。彼の父親は、約束通り、マンションの一室を買い与えたという。現在彼は、高校生にして、マンションで一人暮しをしている。生活費は親が出しているのだろうが。

 我が儘に育てられたが故に傲慢ごうまんで、欲しい物を手に入れられる経済力もある。恵まれた環境は、五味に、無駄としか言いようのない自信を与えた。

 五味からにじみ出る自信は、周囲に人を集めさせた。

 美咲は、咲子の言葉を思い出した。父親について話していたときの、彼女の言葉。

「若い頃は、性格に難があっても、自信に満ちてる男に惹かれるんだよね。生きる力が強そうなタイプ。本能なのか何なのかは、分からないけど。その点、洋平君を好きになったあんたは、私なんかよりもずっと男を見る目があるよ。あんたは、同世代の女の子よりも、ずっと賢いと思う」

 五味の周囲に集まる人の中には、女の子も多い。それはきっと、若い女性を惹き付ける魅力があるからだろう。咲子が言っていたように。

 美咲は、五味に、1年ほど前から口説かれ続けていた。彼が美咲の容貌に惹かれたということは、考えるまでもなかった。

 当然、美咲は、五味の告白を断り続けた。洋平と付き合っているから、と。何度も何度も断り続けた。それでも、自信に満ちている五味に、諦める様子はなかった。美咲を振り向かせるために、自分自慢を振りかざしていた。

 美咲は、五味にしつこく口説かれていることを、洋平に話したことがある。相談ではない。五味のしつこさに気持ち悪さすら感じていたが、悩むほどではなかった。洋平に話したのは、単なる愚痴だ。

「俺から文句言っておこうか?」

 洋平は、露骨に面白くなさそうな顔をしていた。彼は、感情が表に出やすい。自分の恋人がしつこく口説かれて、不快だったのだろう。いくら美咲にその気がないといっても。

 洋平の様子を見て、美咲は、申し訳ないと思いながらも嬉しくなってしまった。ヤキモチを妬いてくれている。洋平は、本当に、私のことが好きなんだな。

 私も、洋平が好き。本当に好き。照れ臭い言葉を心に閉じ込めて、美咲は、別のことを口にした。

「いいよ。もし喧嘩にでもなったら、洋平が困るんだし」

 洋平は、中学1年からボクシングを始めた。美咲を守れる男になりたかった――というのが、ボクシングを始めた理由だ。傍目からも分かるほど努力を重ね、中学3年のときには全国2位にまでなった。さらに、高校1年にしてインターハイ出場。高校2年の今年は、インターハイや国体でベスト8まで勝ち進んだ。

 そんな洋平だからこそ、喧嘩は御法度ごはっとだった。たとえ自分の身を守るためだとしても、ボクサーが喧嘩で拳を使うことを、司法は許してくれない。1発でも手を出せば、傷害の前科がつくだろう。正当防衛など認められずに。この国の司法は、加害者には優しくても、自分の身を守るために戦う者には冷たいのだ。

 もしかしたら洋平は、五味に呼び出されたのかも知れない。美咲を口説き落とせないことに苛立った五味に、何かされたのかも知れない。

 洋平から届いたメールを見て、美咲は、そんなことを考えた。

 美咲を口説き落とせないのは、洋平のせいだ。彼がいなくなれば、美咲は簡単に落ちるはずだ。傲慢で自信に満ちた五味がそう考えるのは、ごく自然なことだと思えた。同時に、五味なら、自分の欲求のために洋平に危害を加えても、何ら不思議ではない。我が儘に育てられ、欲しい物を何でも手に入れてきた五味なら。

 咲子にメールを転送した、スマートフォン。送信完了のメッセージが出た後、美咲はギュッと握った。心の中が、嫌な予感で満ちている。真っ黒な重油のように、心を重くしている。苦しいくらいに重く。

 スマートフォンをブレザーのポケットにしまうと、美咲は、心臓付近を強く押さえた。嫌な予感で潰れそう胸を、支えるように。

 何度も何度も、胸中で繰り返した。自分に言い聞かせた。

 大丈夫。洋平は強いんだから。だから、大丈夫。五味なんかに何かされたとしても、絶対に大丈夫。

「洋平は強いんだから。だから、絶対に大丈夫」

 今朝、洋子を励ますために口にした言葉。

 今は、自分を励ますために繰り返していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...