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第三話 対策を練り、無事を願う
しおりを挟む授業が終わってから、美咲はスマートフォンを見た。
昨夜から、洋平が家に帰っていない。学校にも来ていない。行方が分からなくなってから24時間も経っていないが、失踪状態と言っていい。
美咲は、休み時間のたびにスマートフォンを見ていた。洋平から連絡が来ていないか。咲子から、洋平に関する情報が入っていないか。
今は15時20分。帰りのホームルームが終わった直後。
美咲のチャットアプリに、咲子からのメッセージが入っていた。
『話したいことがあるから、今日はできるだけ早く帰ってきて』
もしかして、洋平について何か分かったのだろうか。頭に浮かんだ希望的観測を、美咲はすぐに否定した。今朝、咲子が言っていた。警察に捜索願を出す以外にも対策をする、と。その話だろう。
美咲はすぐに帰り支度をし、教室から出た。校舎の玄関先まで、駆け足で向かう。手早く靴を履き替えて、走って家に向かった。
学校から家までは、約1.5キロメートルほど。歩いて15~20分ほどの距離だ。その距離を、できるだけ速く走った。通学用の革靴は走るのに不向きで、足が痛くなった。痛いが、気にならなかった。足の痛みよりも、洋平のことが気掛かりでたまらない。
制服に革靴、しかも鞄まで持っているせいか、家に着くまでずいぶん時間がかかった。10分くらいだろうか。
自宅に着くと、美咲はドアを開け、家の中に駆け込んだ。玄関で、靴を放り出すように脱ぎ捨てた。コトンコトンと、靴が落下する音が聞こえた。
勢いよくリビングのドアを開け放った。
「お母さん! ただいま!」
リビングのドアから見て、左側奥にダイニング。右側には、ソファーとテレビ、窓がある。L字型のソファーの前には、小さなテーブル。
ソファーには、洋平の母親――洋子が座っていた。
「美咲ちゃん、おかえりなさい」
洋子は、今朝よりもさらに憔悴していた。目の下の隈が、より濃くなっている。朝、彼女に会ってから、約8時間ほどか。その8時間の間に、何年も経ったかのように老け込んでいた。疲労と心労が尋常ではないのだろう。
美咲は再び、今朝の咲子の言葉を思い浮かべた。警察に捜索願を出すと言った後の、彼女の言葉。
『単なる家出だと判断されたら、警察はすぐには動いてくれないの。事件に巻き込まれた可能性が高いって判断してくれないと。あんたが受け取ったメールの内容にもよるけど、微妙だと思う』
洋子の様子から、容易に想像がついた。警察の対応は、芳しいものではなかったのだ。
リビングの隣りにある和室から、咲子の声が聞こえる。どこかに電話をしているようだ。
美咲は洋子の前に立ち、その場で膝をついて座り込んだ。
「おばさん、大丈夫?」
「うん。大丈夫。ごめんね。うちの洋平のことで、心配かけて」
洋子が大丈夫ではないことなど、その顔を見れば一目瞭然だ。それでも彼女が「大丈夫」と返答するのも、概ね予想がついていた。今のやり取りは、会話の切り出しに過ぎない。
「警察に行ったんでしょ? どうだった?」
洋子は、疲弊し切った顔に苦笑を浮かべた。
「なんだかね、ぞんざいな態度だったよ。面倒そうと言うか。完全に、ただの家出だと思われてるみたいだった」
「お母さんは、洋平のメールを警察に見せたんだよね」
洋子は頷いた。弱々しい動作だった。
「思わせ振りなメールですね、って。吐き捨てるみたいに言われたの。変なメールとか、不穏なメールじゃなく、思わせ振りな、って。洋平が、わざわざ大事を演じてるみたいな扱いだった」
ザワリとした感覚が、美咲の背筋に走った。直後、頬が熱くなってきた。
相変わらず、美咲の表情は変わらない。それは自分でも分っている。それでも、美咲の胸中では、強い感情が渦巻いていた。ぞんざいな対応をした警察官への、憤り。
和室から、咲子の声が聞こえなくなった。通話が終わったのだろう。和室の襖を開け、リビングに出てきた。
「美咲、お帰り」
咲子の表情は冷静に見えた。あくまで、冷静に見えるだけだろう。娘である美咲には、それがよく分かる。
「ただいま。どうだったの?」
警察の対応については、洋子から聞いた。その対応結果を経て、これからどうするつもりなのかを聞きたかった。
美咲の気持ちに反して、咲子の話は、警察への不満から始まった。
――咲子と洋子は、今朝、洋平の捜索願を出すために警察署に向かったという。洋平の顔写真数枚と、他の必要な書類を持参して。
警察署に着いて窓口で要件を伝えると、1人の警察官が対応した。
捜索願は、誰でも出せるものではない。現在の洋平の場合、捜索願を出せるのは、親権者である洋子のみだ。咲子が同行したのは、ただのサポートに過ぎない。
捜索願を出すためには、対象者について複数の情報が必要となる。そのために、洋平の顔写真や複数の書類を持参した。また、対象者発見の参考となる事項として、昨夜のメールを提示した。
警察の対応は、先ほど洋子が言った通りだった。ただの家出人として判断され、ぞんざいな扱いを受けた。
「あの警察官は大ハズレ。まるで当てにならない。完全に、ただの家出人として対応しようとしてる。プレッシャーをかけるために、わざわざ仕事用の格好で行ったのに。私の弁護士記章も見なかった。無能の中の無能だわ、あれは」
やはり、咲子は冷静ではなかった。落ち着いているのは表情だけで、手負いの獣のように気が立っている。
弁護士を通じて警察に依頼をすると、一般人が依頼をするよりも、迅速かつ真摯に対応してくれることがある。初期の対応に関する法的責任を、弁護士に問われる可能性があるからだ。まして今回の件は、ただの家出とするには不可解な部分が存在する。
一般的に通常の家出の場合は、資金面の不安などから、事前に準備をすることが圧倒的に多い。しかし洋平は、何の事前準備もなく唐突に行方をくらませている。しかも、家から何も持ち出さずに。昨夜のメールの内容も考慮すると、何らかの事件に巻き込まれた可能性は十分にある。
そのような状況に加え、弁護士である咲子が同行したのに、警察の対応はぞんざいだった。対応した警察官は、深い思慮ができない上に咲子の弁護士記章――俗に言う弁護士バッジ――にも気付かないほど馬鹿なのか。あるいは、後々の責任問題も考えられないほどの間抜けなのか。あるいは、その両方か。
咲子の言う通り、完全に「ハズレ」の警察官を割り当てられたのだ。
「それで、どうするの?」
美咲の質問に対し、咲子は即答した。やや気が立っている口調で。
「探偵に、洋平君の捜索依頼をした」
警察に、即座に捜索をしてくれる様子はない。もし洋平が危機に瀕していたとしても、それを発見することはできないだろう。
動いてくれない警察は頼れない。だからこそ咲子は、プロの手を借りようと判断した。間違いなく正しいと言える判断。
「うちの事務所と懇意にしてる興信所があるの。そこに依頼しておいた。興信所にとってみれば、うちの事務所は、依頼人を紹介し合う仕事仲間なわけだから。しかも、正式な依頼だし。間違いなく、しっかりやってくれると思う」
咲子の話を聞いて、洋子は、両手で顔を覆った。
「ごめんね。ありがとうね、咲ちゃん。費用は、どんなことがあっても必ず返すから」
涙声だった。洋子の中で、張り詰めていた糸がプツリと切れたのだろう。今朝から――いや、洋平が帰らない昨夜から、ずっと張り詰めていた糸。彼女の肩は、小刻みに震えている。
「何言ってるの」
咲子は、洋子の肩に手を置いた。
「洋ちゃんも洋平君も、家族みたいなものなんだから。家族が助け合うなんて、当たり前でしょ?」
洋子を安心させるように、咲子は気丈に振る舞っている。強くあろうとしている。夫と別れた後は、美咲を守りながら生き抜くために。今は、自分の親しい人を守るために。
洋子の肩に置かれた、咲子の手。彼女の手も、かすかに震えている。
そのことに、美咲ははっきりと気付いていた。
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