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第四話 クズでゲスな疑念の主
しおりを挟む洋平が行方不明になって、1週間が経った。未だに何の手掛かりもない。もちろん、警察からの連絡もない。
咲子は、依頼した興信所から定期的に連絡を受けているようだ。進展があったという話はしていなかったが。
洋平がいなくなってから時間が経てば経つほど、美咲は、彼のことばかり考えるようになっていった。
平日の午前。4時間目の授業。
教師の話など、まったく耳に入ってこない。昼休み前の最後の授業。1時間目から、美咲の頭の中は、洋平のことでいっぱいだった。授業中だけではない。朝起きてから夜寝るまで、ずっと。
いつも側にいた洋平。一緒にいるときは、彼のことを思い浮かべる必要などなかった。隣りを見れば、彼がいたのだから。
感情がすぐに顔に出て、表情豊かな洋平。嬉しいときは、顔いっぱいに笑みを浮かべていた。特に顔立ちが整っているわけではないが、その笑顔は眩しかった。美咲にとっては、それこそ太陽のようだった。
美咲が誕生日プレゼントをあげたとき、洋平は、頬を若干赤くしながら満面の笑みを浮かべていた。美咲が大好きな、顔いっぱいの笑み。箱に入ったプレゼントを開ける前から、とてもとても嬉しそうだった。彼にとっては、プレゼントの中身など何でもよかったのだろう。美咲がプレゼントをくれたということが、何よりも嬉しかったのだ。
そんな洋平に比べて、自分はどうだったか。彼と接していたときの自分を思い出して、美咲は、少し胸が痛くなった。
美咲は、感情を表に出すのが苦手だ。常に無表情。綺麗な顔立ちをしているだけに、周囲には冷たい印象を与えているのかも知れない。
そんな美咲にも、当たり前だが感情はある。洋平が誕生日プレゼントをくれたときは、本当に嬉しかった。嬉しさで、胸の奥がジワリと温かくなった。
洋平の家は、決して裕福ではない。だから彼は、親に小遣いなど貰っていない。中学生の頃から新聞配達のアルバイトをして、自分の物は全て自分で買っていた。通っているボクシングジムの月謝も、自分のアルバイト代から払っていた。
それでいながら勉強もボクシングも手を抜かず、両方で優秀な成績を修めていた。特に地頭がいいわけでも、運動神経がいいわけでもないのに。
美咲にくれたプレゼントも、当然、洋平自身が稼いだお金で買った物だ。勉強とボクシングで人並み以上の努力をしながら、アルバイトもして稼いだお金。薄暗い早朝から新聞配達をして稼いだお金。
ジムの月謝や学校で必要な物もアルバイト代で払っていたから、懐に余裕などなかっただろう。そんな状況でコツコツとお金を貯めて、美咲にプレゼントを買ってくれたのだ。
大事なのは、何をくれたかではなかった。洋平が一生懸命働いて、余裕などない状況で、コツコツとお金を貯めて買ってくれたこと。その事実が何より重要だった。美咲も彼と同じように、プレゼントの中身を見る前から、これ以上ないほど嬉しかった。
美咲が洋平と違っていたのは、プレゼントを貰ったときの表情だった。彼とは違い、美咲は、笑顔を見せることができなかった。自分の感情を抑え切れないほど嬉しかったのに、表情は全然動かなかった。
洋平は、きっと、美咲の喜ぶ顔を見たかったのだろう。太陽のように明るい笑顔を見たかったのだろう。美咲自身が、彼の笑顔を見ていたかったように。
洋平に会いたかった。会って、ありがとうと言いたかった。笑顔を見せたかった。どれだけ自分が彼のことを好きか、伝えたかった。
けれど、未だに洋平の行方は分からない。
洋平は、今、どこで何をしているのだろうか。彼が行方不明になった原因を考えた。五味の仕業ではないかという考えが、一週間前より強くなっていた。
不安が、美咲の視野を狭くしていた。原因を自分の中で特定しないと――洋平の行方を知る糸口が掴めないと、不安で頭がおかしくなりそうだった。
五味が原因なら、洋平はきっと無事だ。あんなに強い洋平が、五味なんかにやられるはずがない。もしかしたら、どこかに拉致されているかも知れない。監禁されているかも知れない。それでも、五味なんかに、簡単にやられるはずがない。
洋平が行方不明になった原因を五味だと特定することで、美咲は、自分の精神の安定を保っていた。意図的ではなく、無意識のうちに。
4時間目終了のチャイムが鳴った。教師が教科書を持って教壇を降り、教室から出て行った。
昼休みになった。
クラスメイトは各々自分の弁当を出したり、購買に昼食を買いに行った。
美咲は、自分の弁当を机の上に置いた。いつもは――1週間前までは、洋平と一緒に食べていた。けれど、今は1人で食べている。
洋平が行方不明だということは、もう、学校中の人間が知っている。朝礼や全校集会で、情報収集の目的で公表されたのだ。
今の美咲の立場は、恋人が行方不明になっている女子生徒だ。そんな美咲を、周囲は腫れ物のように扱っていた。だから、今の美咲に話しかける人はいなかった。皆、何を言っていいのか分からないのだろう。
周囲の態度を、美咲は、不快には思っていなかった。とはいえ、嬉しいわけでもない。端的に言ってしまえば、どうでもよかった。今はただ、洋平のことだけを考えていたかった。洋平のことしか、頭に浮かばなかった。
早く帰ってきて欲しい。そうしたら、何も言わずに抱きつきたい。二度と離れないように。強く、強く抱き締めたい。
咲子が作ってくれた弁当を、箸で口の中に運ぶ。味はしなかった。味を感じられなかった。美咲の目から、涙が零れそうになった。幼い頃からずっと一緒で、離れることなど考えられなかった洋平。こんなに長い間彼の顔を見ないのも、声を聞かないのも、初めてだった。一緒にいるのが当たり前で、いつまでも側にいると信じて疑わなかった。
それなのに……。
「美咲」
名前を呼ばれて、美咲は顔を上げた。この学校で美咲を下の名前で呼ぶのは、2人しかいなかった。
1人は、当然洋平だ。彼が美咲を下の名前で呼ぶのは当たり前だと思っていたし、不快でもなかった。むしろ、彼に名字で呼ばれることなど、想像もできなかった。想像したくもなかった。
もう1人は――
「何?」
美咲は、意図して冷たい口調で聞いた。目の前の、自分を下の名前で呼んだ人物に。表情は、相変わらず動いていないが。
「冷たいな。そんなに邪険にするなよ」
美咲の目の前で、五味秀一が軽薄そうな笑みを浮かべていた。1年の頃から、美咲を口説き続けている男。素行が悪く、親の金を使って好き勝手に生きている男。洋平とは真逆の男だ。それはつまり、美咲がもっとも嫌っているということを意味している。
「村田はまだ見つからないんだろ?」
五味は、ニヤニヤと嫌な笑い方をしている。その様子は、洋平の行方が未だに分からないと確信しているように見えた。
「あんたには関係ない」
「そう言うなよ。一応、同級生だからな。心配してやってるんだよ」
五味が心配などしていないことは、馬鹿でも分かる。美咲を口説き落としたい彼にとって、洋平は、邪魔以外の何者でもない。だからこそ、美咲は五味を疑っていた。
洋平失踪の原因は、五味にあるのではないか。
その疑いの気持ちは、日に日に強くなる。五味以外に、洋平が失踪する原因が思い当たらなかった。
「ひどい奴だよな。お前に何も言わずに消えるなんてよ。薄情だと思わないか。あいつにとって、お前は、どうでもいい女なんじゃないのか?」
「……?」
五味の言葉に、美咲の心の中で何かが引っ掛かった。それが何かは分からない。何かが分かりそうで、分からない。思い浮かびそうで、思い浮かばない。
分からないが──ただ、なぜか、五味に対する疑念が強くなった。洋平の失踪に五味が絡んでいるはずだ、という疑念。
「なあ、美咲」
五味が、美咲に顔を近付けてきた。顔に、嫌な笑みを張り付けたままで。この男に名前で呼ばれると、虫唾が走る。接近されると、吐き気がする。
「あんな奴のことなんか、もう忘れろよ」
また、美咲の心に何かが引っ掛かった。いや。引っ掛かる、などという生易しいものではない。疑念は美咲の心にしっかりと根を下ろし、確信とも言える存在となった。
理由は、はっきりとは分からないが。
「あいつは、お前に何も言わずに勝手に消えたんだ。そんな奴、忘れろよ。俺にしておけよ」
理由は分からない。だが、美咲は確信できた。間違いなく、洋平失踪の原因は五味だ。洋平が消えたことに関わり、真相を知っているんだ。
断言できる根拠はない。断定するのは短絡的とさえ言える。それでも、間違いないと自信を持って言えた。五味は、洋平がいなくなった原因を知っている。洋平の行方を知っている。
美咲は、箸を弁当箱に添えて置いた。空いた右手を、強く握った。固めた拳。拳を振れば届く位置に、五味の顔がある。不快な気持ちしか抱けない男の顔。今すぐ殴ってやりたい。自分が洋平くらい強かったら、今すぐ殴り倒して、洋平の居場所を吐かせるのに。
もちろん、そんな気持ちを実行に移したりしない。たとえ殴って問い詰めても、五味は白状しないだろう。
洋平の居場所を吐かせたい。彼の居場所を突き止めて、連れ戻したい。彼に会いたい。抱き締めたい。
洋平への強い想いが、美咲を短絡的な思考に陥れた。同時に、冷静にもさせた。相反するようにも見える、心理の同居。
洋平失踪の原因は五味だ。だから、五味に、上手く白状させる必要がある。
五味に白状させるには、どうしたらいいか。
美咲は深く考えたが、いい案は浮かばなかった。
「……少し考えさせて」
美咲の言葉に、五味は目を丸くした。先ほどまでの笑みが消えた。
「本当か?」
今までどうやってもなびかなかった美咲が、考えると言った。その言葉に、単純に驚いたのだろう。丸くした目の下で、五味の口角が少し上がった。先ほどまでの嫌な笑みとは違う、嬉しそうな笑み。
「本当だから。だから、今は1人にしておいて」
「まあ、そういうことならな。また明日も来るよ」
「急かし過ぎ。せめて来週まで待って」
「はいはい。まあいいよ。じゃあ、また来るからな」
嬉しそうに言って、五味は教室から出て行った。
教室内が、少しザワついているように感じた。五味が何度も美咲に言い寄っていたことも、美咲が断り続けていたことも、周囲は知っている。
周囲は何を思っているのだろうか。美咲が五味を追い払うために、その場凌ぎの言葉を吐いたと思っているのだろうか。それとも、洋平がいなくなったことで、美咲が自暴自棄になったとでも思っているのだろうか。もしくは、洋平がいなくなった寂しさから、五味に縋ろうとしているように見えているのか。
周囲の目など、どうでもよかった。今の美咲の胸中は、ただ1つの考えに埋め尽くされていた。それ以外は考えられなかった。
どうやって、五味に洋平の居場所を吐かせるか。
ただ、それだけを考えていた。
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