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第九話② 悲しみが、怒りになり、狂気に変わる(後編)
しおりを挟むおじやを食べ終えると、美咲は、額を押さえて考え込んだ。
五味に、このまま日常を送らせたりはしない。何もなかったことになんて、絶対にさせない。洋平を殺したのだ。何よりも大切な人を奪ったのだ。必ず、相応の報いを受けさせる。
――じゃあ、どうしたらいい?
五味から、さらに明確な物証や言葉を引き出して、警察に突き出すか?
五味は、身勝手な理由で人を殺した。その事実が明るみに出れば、五味の人生は終わるはずだ。未成年である以上、顔や名前は公表されない。しかし、今のネット社会であれば、すぐに彼の顔や名前が拡散されるだろう。どこに行っても何をしても、後ろ指を差される人生を送ることになる。
これが一番、無難な方法だろう。
そこまで考えて、美咲は、五味の話を思い出した。彼が語っていた、洋平を殺したときの様子。
洋平は、最初から最後まで無抵抗だったという。ひたすら五味達の攻撃を避け、自分からは決して攻撃しなかったそうだ。
なぜ、洋平はまったく抵抗しなかったのか。彼の心情が、美咲には痛いほどよく分かっていた。
洋平は、恐れていたのだ。五味に抵抗することで、過剰防衛となってしまうことを。傷害事件を起こすことで、洋子や美咲達に迷惑がかかることを。
この国の法律は、他人に対して理不尽に危害を加えた者には、温情を持って更生の余地を与える。そのくせ、自分の身を守ろうとする者には冷たい。
「!!」
――そうだ! この国の法律は、五味のようなクズには優しいんだ!
美咲は目を見開き、拳を握り締めた。
殺人の証拠を掴み、警察に通報すれば、五味は逮捕されるだろう。裁かれるだろう。公式に彼の名前は公表されなくても、ネットで拡散されるだろう。間違いなく、今よりは生き辛くなるはずだ。
だが、それだけだ。
未成年というだけで、五味は、そう遠くない未来に解放される。形式だけの更生プログラムで、見せかけの更生をし、当たり前のように一般社会に出てくる。洋平の命を奪ったことを、反省も後悔もせずに。何食わぬ顔で生きるのだ。
それだけではない。たとえ五味が、犯罪歴からまともな仕事に就けなくても、彼の家には莫大な財産がある。生活に困ることも不自由することもない。当たり前のように、今の延長のような生活を送るだろう。
つまり、今より少しだけ不自由になっただけの生活。
五味の父親が、息子を見捨てるとは思えない。いくら殺人を犯したといっても。高校に受かったくらいで、マンションを買い与えるような親なのだから。
――それじゃ駄目だ!
美咲は、五味を通報するという考えをかなぐり捨てた。警察や法律では、五味に相応しい報いは受けさせられない。
――あいつは、生きていていい人間じゃない。
声に出さず、唇の動きだけで囁いた。同時に、美咲の気持ちが固まった。
あいつは生きていていい人間じゃない。死ぬべきだ。
殺そう。五味が洋平にそうしたように。五味を殺してやるんだ。五味だけじゃなく、洋平の殺害に関わった4人全員を。罪の重さを思い知らせてやるんだ。
決意は、美咲の中であっさりと固まった。揺らいでいた水が急速に冷凍され、一瞬にして凍り付くように。二度と溶けない氷の固まりとなった。
五味達を殺す。全員殺す。美咲の決意は、すぐに、変わることのない決定事項となった。
問題は、どうやって殺すかだ。美咲が洋平くらい強ければ、彼等を問題なく殺せるだろう。真正面から徹底的に痛めつけ、嬲り殺しにできるだろう。五味が洋平にしたように。
もちろん、美咲にそんな力はない。真正面から男と戦って圧倒することなど、不可能だ。
洋平みたいにボクシングでも始めて、力をつけようか。そんな発想が浮かんだが、すぐに現実的ではないと判断した。洋平があれほど強くなるまで、どれだけの時間と努力が必要だったか。まして、洋平と同じだけの努力と時間を費やしても、彼ほど強くなれる保証はない。
戦い方も知らない美咲が、男4人を殺せるとしたら……。
美咲は思考を繰り返した。何パターンもの殺害方法を思い浮かべた。
毒殺はどうだろうか。毒なら、身の回りにある物で作ることが可能だ。昨日のような集まりを行なって、全員の食べ物や飲み物に毒を盛れば。
五味達は、毒で簡単に死ぬだろう。ほんの数秒、あるいはほんの数分ほど苦しみ、あっさりと死ぬだろう。
実にあっさりと。
――……毒なんかで、あっさり殺すの? 洋平を痛めつけた奴等を。嬲り殺しにした奴等を。
頭に浮かんだ、効果的な殺害方法。効果的で、現実的でもある。しかし、美咲の心が拒否していた。苦しんで死ぬだけなんて駄目だ。絶望を抱かせながら、この手で殺さないと。
あいつ等に、憎しみを全て叩き付けてやりたい。何の救いも安らぎもない、絶望的な殺し方をしてやりたい。それこそ、五味の過去も現在も、未来さえも奪うような。五味の全てを否定し、絶望させて殺したい。
できることなら、過去に戻って五味の両親を殺してやりたい。できることなら、未来に行って、五味の子供も殺してやりたい。五味の存在を感じさせる全てを、殺してやりたい。
もちろん、どんな力があったとしても、過去や未来になんて行けない。そんな非現実的な殺し方が無理なら、せめて、絶望の淵に叩き落としてやりたい。
でも、女である自分には、それすら難しい。
美咲は歯を食い縛った。拳を握って、テーブルに叩き付けた。ガチャンと、おじやが入った器が音を立てた。スプーンが器から落ち、金属音を鳴らした。
直後、美咲の頭の中に、ひとつの発想が浮かんだ。
女だからこそ、できることがある。女だからこそ、五味を、喜びの絶頂から地獄に叩き落とすことができる。女だからこそ、彼の未来を奪う方法がある。
五味の殺し方を決断すると同時に、美咲は理解した。どうして自分は、洋平のことを聞き出した後も、五味の信頼を失わないようにしたのか。どうして、クリスマスまで待って、などと口走ったのか。
無意識のうちに、五味を殺したいと思っていたのだ。自分から洋平を奪った、あのクズを。可能な限り絶望的な方法で殺したかったのだ。だから、あんなことを口にした。これから行なうことの準備のために。
――殺してやる。
可能な限り、絶望を抱かせて。何の救いもない殺し方をしてやる。
固めた決意。張り巡らせる思考。美咲は、五味を殺す手順を考えた。緻密に、絶対に失敗しないように。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。何度も何度も、胸中で繰り返した。
ポタリ。
突如、水音が鳴った。気が付くと、美咲の視界が歪んでいた。ポタリポタリと、水音が美咲の耳に届いた。
美咲の涙が、テーブルの上に落ちていた。
今は、悲しむときではない。ただ冷徹に、ひたすら冷酷に、復讐を成し遂げるんだ。
涙を拭きもせず、美咲は計画を練り続けた。
深く静かに狂う自分に、気付くこともなく。
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