15 / 57
第十話 未来など見えず、ただ研ぎ澄ます
しおりを挟む息を切らしながら、ランニングマシンの上を走る。一定のリズムで動き続ける足。足の動きに合せるように、繰り返す呼吸。
先日、髪の毛をショートボブにした。運動中でも邪魔にならない長さ。汗に濡れた髪は額に張り付き、先端から滴が漏れて、頬を伝っていた。
11月末日。午後7時。
美咲は、近所のスポーツジムで汗を流していた。7階建てのビル。2階と3階にフロアがある、スポーツジム。
ランニングマシンは、2階のフロアの窓際にある。
外はすっかり暗くなっていた。すぐ近くにある国道を、ライトを点けた車が何台も通り過ぎてゆく。
つい先日、美咲はスポーツジムに入会した。入会申込書に記載した利用目的は、体力作り。咲子に伝えた入会目的は、気分転換。嘘を立ち並べて、必死に体を鍛えていた。
体を鍛える目的は、五味を殺すため。
「気が滅入ってるから、どうにかして発散したいの。それに、洋平が帰ってきたときに、笑顔でいられる状態でいたいし」
嘘を塗り固めて、咲子に、ジム入会の相談をした。彼女は快く賛成してくれた。
ただ、咲子の表情はどこか疲れ切っていて、同時に悲しそうでもあった。洋平の行方が未だに掴めないことで、心労が溜まっているのだろう。
美咲は、つい、咲子に本当のことを話しそうになった。彼女の顔を見ながら、口を開きかけた。
でも、言えなかった。言わなかったのではない。言えなかったのだ。洋平がすでに死んでいることを知ったら、咲子はどれだけ悲しむだろう。洋子はどれだけ絶望するだろう。
彼女達の気持ちを思うと、言えなかった。
もっとも、もともと言うつもりもなかった。彼女達に事実を告げれば、間違いなく警察に通報するだろう。五味を逮捕させるだろう。そうすると、彼には甘い罰しか与えられない。そんなこと、許せない。
五味は絶対に殺す。自分の、この手で。
美咲の決意は固かった。だからこうして、五味を殺すために必要な体力をつけている。彼の寝込みを襲い、ナイフで滅多刺しにし、死体を解体し、どこかに捨てられる体力。
洋平の死を知ってから、美咲は、五味の信頼を盤石のものにしていった。彼を殺す計画を立てながら。先日の日曜には、彼と一緒に市街地に出かけた。
「できればね、季節ごとにあんたと旅行に行きたいな。2人っきりでどこかの旅館に泊って、一緒に過ごしたいの。春と夏と秋と冬で格好も持ち物も変えて、季節ごとに思い出を作りたいな」
そんなことを伝えたら、五味は、嬉々としてキャリーバッグを4つも買った。長期旅行にも使えそうな、大きなキャリーバッグ。今は、五味の家に保管してある。
そのキャリーバッグが、自分の棺桶になるとも知らずに。
季節ごとと言ったのは、季節が4つあるから。つまり、これから美咲が殺す人数分。
「シックで綺麗な服を着て、あんたと一緒に歩きたいな」
美咲がそう言うと、五味は誇らしげに、黒を基調とした綺麗な服を買った。
美咲は、決して、ただの一言も「買って」とは言わなかった。ただ、甘えるように偽りの願望を伝えただけだ。それだけで五味は、何でも買ってくれた。
五味にとっての金は、親がいくらでもくれるもの。自分が苦労して得た金ではないから、惜しくも何ともないのだろう。美咲の前でいい格好をするためなら、湯水のように使える。
五味がくれる物には、価値などない。美咲に何かを与えるために、努力も苦労もしていない。
洋平は、毎朝陽が昇る前に起きて新聞配達をしていた。必要な物を購入しつつも無駄遣いはせず、美咲へのプレゼントを買うために金を貯めていた。
洋平がくれる物なら、メッキに包まれた指輪でも、何にも代え難い宝物となった。
五味がくれる物など、どれだけ高価な物でも、道端の石ころに劣る。
なぜ、あんなに優しくて誠実な洋平が、こんなクズに殺されなければならなかったのか。なぜこのクズは、洋平を殺しておきながら、鼻の下を伸ばして笑っていられるのか。
五味と過ごす時間。その時間の長さに比例して、美咲の憎悪は膨らんでいった。彼を殺すことに、何の躊躇いもない。何を犠牲にしても構わない。どんな努力だってできる。
頭の中で、考えを巡らせた。五味を殺す体力と腕力が必要だ。だからといって、筋肉質になり過ぎてもいけない。彼の好みから外れない体型を維持しながら、確実に殺せる体力をつける。
様々な本やネットを通じ、人を刺し殺すために必要な情報も集めた。
刃物であれば簡単に人を殺せると思っていたが、どうやら違うらしい。骨が、刃物の侵入を防ぐこともあるという。残酷に、絶望的なほど滅多刺しにするなら、それなりの腕力が必要だと知った。
使う刃物も慎重に選ぶ必要がある。ドラマや映画では、包丁で人を刺し殺すシーンを度々見かける。しかし、包丁は、人を刺し殺す武器に適していない。フィンガーガード――刀でいう鍔にあたる部分――がないため、自分の手を、包丁の根元で傷付ける恐れがあるのだ。
怪我をすることなど恐くないが、怪我のせいで殺し損ねたら元も子もない。
五味を殺すために、体のどこを鍛えるべきかも調べた。寝ている五味に思い切り刃物を振り下ろすためには、上腕二頭筋と広背筋が必要だと知った。筋肉が付き過ぎないように注意しながら、美咲は、必要な部分を重点的に鍛えた。
五味を殺す。洋平殺害に関わった他の3人も殺す。洋平を奪われた憎しみも怒りも、全て叩き付ける。大好きな洋平を奪った報いを受けさせる。
それが、今の人生の目的地。同時に、終着地。
美咲は、もう、自分の未来など考えていなかった。
洋平と見ていた幸せな未来は、もう、どこにもない。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる