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第二十九話 事実は、嘘に紛れるように
しおりを挟むさくらは、五味殺害の真相に辿り着いている。
美咲は、七瀬殺害の計画を立てている。
双方の思惑を知っている洋平は、彼女達の行動を追っていた。美咲の行動。さくらと前原の行動。
始業式の次の日から、美咲は、鏡の前で表情を作る練習をしていた。
五味や六田を殺すときは、楽しそうな笑顔や媚びるような表情の練習をしていた。
今行なっている練習は、まったく別の表情だ。心配そうに見つめる表情。相手を安心させるような、力強い表情。反面、悲しそうに涙を見せる表情。
まるで演劇の練習のように、繰り返している。次の標的――七瀬を殺すために。彼を、上手く誘い出すために。
もちろん美咲は、スポーツジムに通うことも欠かしていなかった。相手を無抵抗な状態にできたとしても、人を殺して死体を遺棄するには、それなりの体力が必要になる。それを想定してのことだろう。
洋平は、美咲が殺人者にならないことを願っていた。恨みや憎しみなど忘れ、洋平のことも忘れ、幸せに生きて欲しい。復讐などに手を染めずに。ただそれだけを望んでいた。
だが、それはもう叶わない。美咲はすでに2人の人間を殺している。たとえ殺したのがクズ同然の男だとしても、殺人は殺人だ。明るみに出たら、殺人犯として罰せられる。さらに彼女は、もう2人の人間も殺そうとしている。
それなら、洋平が願うことはただ一つだ。
どうか、五味達を殺した犯人が判明しないでほしい。証拠不十分で逮捕状すら出せずに、迷宮入りしてほしい。
自分の願いが非道徳的だということは、十分理解している。社会の正当性すら否定する思想だと、理解している。
それでも洋平は、願わずにはいられなかった。社会正義なんてどうでもいい。五味や六田、七瀬や八戸の命なんて、どうでもいい。どうなろうと知ったことではない。
美咲が幸せに生きることに比べたら、彼等の命など紙くず同然だ。
美咲が殺人に手を染めたとき、洋平は、無抵抗のまま殺されたことを後悔した。自分が殺されたことで、美咲の人生を狂わせてしまった、と。
もし、今の美咲と洋平が、逆の立場だとしたら。五味達に殺されていたのが、美咲だったなら。洋平は間違いなく、五味達を皆殺しにしていただろう。
自分が殺されたときは、そんなことにすら気付けなかった。
今なら分かる。だからこそ、美咲の心情も理解できる。どんなに綺麗事を言っても、どれだけ社会正義を唱えても、今の美咲を止めることはできない。
もし、今の美咲を止められる人間がいるとしたら、それは洋平だけだ。
洋平が、もうやめてくれと懇願したなら。美咲が地獄に堕ちてゆく姿など、見たくない――と、伝えたなら。
「俺のことなんて忘れて、誰よりも幸せな人生を歩んでくれ」
美咲の手を握って、洋平がそう伝えたなら。
彼女は、思い留まってくれただろう。
けれどそれは、決して叶わない。洋平の言葉も、気持ちも、もう美咲には届かない。
七瀬や八戸を殺すための練習をするだけではなく、美咲は、さらに別の行動も始めていた。五味に買わせた黒い服を着て、夜に、頻繁に外出するようになった。
黒い服やコートに身を包んだ美咲は、周囲の闇に紛れている。とはいえ、街灯の下ではまったく見えないというほどではない。
実際に、美咲の行動を追っている前原やさくらは、彼女の行動をしっかりと把握していた。
前原とさくらは、美咲に張り込んでいた。ときには1人ずつ。ときには2人一緒に。捜査本部の方針が出るまでに行なうと決めた、彼等の行動。
『美咲が犯人ではないという方針で、彼女が犯人ではない証拠を掴むために動く』
そのために、美咲の動きを追っている。
美咲には、今のところ、七瀬殺害に動き出す様子はない。練習している表情や口調が、まだ不自然で納得できないからだろう。ひたすら表情や口調の練習をし、夜遅くになると、頻繁に外出している。行き先は、近所のコンビニや24時間営業のスーパーだった。
洋平の知る限り、美咲は、こんなに頻繁に外出するタイプではない。それではなぜ、最近は、こんなに頻繁に外出しているのか。
その理由も、洋平には分かっていた。
美咲は、疑心暗鬼になっているのだ。五味殺害に関して、刑事が動き出したことで。自分は疑われる立場だと理解し、見張られていることを想定し、無駄な外出をしている。刑事の目を欺くために。
美咲のこの行動は、効果があったと言える。
美咲の行動を数日間追っていたさくらは、美咲犯人説に疑問を持つようになっていた。頻繁に外出しつつも殺人の証拠隠滅などをしない、美咲を見て。何ら怪しい行動をしない、彼女を追って。
それでも、洋平の心には不安が募っていた。前原とさくらは、美咲を見張っている。この状況で、美咲が七瀬殺害に乗り出したなら。
決定的な場面を、前原とさくらに目撃されてしまう。言い逃れ不可能な現行犯で、捕まってしまう。
――どうすればいい? どうすれば、美咲が捕まらずに済む?
洋平は何もできない。それを分かっていても、考えずにはいられない。考えなければ、不安に押し潰されてしまいそうだった。
結局、始業式の翌日の1月16日から25日まで、美咲は、決定的な行動を開始しなかった。
1月26日の昼間には、五味秀一殺害事件の捜査本部にて、会議が行なわれた。
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