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第二十八話 すでに辿り着いている真相
しおりを挟む「笹森さんには、五味を殺す理由はないんじゃないのか? むしろ、村田洋平の居場所を突き止めるためには、五味が生きている必要があったはずだ」
始業式の日の、午後7時。
洋平は、2人の刑事――前原とさくらの動きを追っていた。
学校での聞き込みを終えた前原とさくらは、警察署に戻っていた。
さくらは、自身の席で、聞き込みの内容をパソコンに打ち込んでいる。今はちょうど、美咲の証言を打ち込んでいるところだった。
生前、洋平は、刑事ドラマを見ていたことがあった。実際の警察署内は、ドラマの場面とそう違いはない。学校の教室と比べて2倍ほどの広さの部屋。各刑事の机が並べられている。頑丈そうな、スチール製の机。喫煙室以外は禁煙なのだろう、灰皿が置いてある机は1つもない。
この部屋には、前原とさくら以外に、刑事は1人しかいなかった。離れた席で資料作成を行なっている。
文字を打ち込む手を止めて、さくらは、すぐ隣りにいる前原に視線を向けた。彼女の目には、呆れに近い感情が込められていた。
「何言ってるんですか、前原さん。もし村田洋平の失踪に五味秀一が絡んでるなら、笹森美咲も容疑者の1人ですよ。それも、候補としてはかなり上位の」
聞き込みの後、美咲は涙を流していた。そんな美咲を見てもなお、さくらは、冷静に物事を考えていた。
さくらに比べて、前原は、完全に自身の感情に振り回されているように見えた。彼は間違いなく、美咲の話や涙に同情し、強く感情移入してしまっている。消えてしまった恋人を心配する美咲。恋人のことを想い、居場所を突き止めるために、嫌悪する男と付き合った美咲。
事件の関係者に感情移入できることと、事件を客観的かつ冷静に見ること。どちらが重要なのかは、刑事ではない洋平には分からない。ただ、美咲に感情移入する前原の気持ちは、現時点で犯人特定の邪魔になっている。
五味を殺したのは、美咲なのだから。
「前原さん。もう少し、多角的に物事を考えましょうよ」
さくらは再び、キーボードを叩く指を動かし始めた。同時に発する声には、何の遠慮も配慮もない。
「笹森美咲の証言が全て嘘だとは言いませんよ。彼女が村田洋平と付き合っていたのは周知の事実ですし、五味秀一に言い寄られていたのも事実でしょう。さらに、五味秀一が村田洋平の失踪の原因というのも、事実かも知れません。そう考えた笹森美咲が、村田洋平の居場所を探るために五味秀一と付き合ったというのも、本当かも知れません」
聞き込みでの美咲の証言には、何ら矛盾点はなかった。あの場面を観察していた洋平も、そう思っている。証言通りであれば、美咲に五味を殺す理由はない。むしろ、洋平の居場所を知るためには、五味に死なれては困る。
美咲の証言が全て事実ならば。
洋平は知っている。美咲の証言は、全てが事実ではない。洋平の居場所を知るために五味と付き合った。そこまでは事実。それ以降は嘘だ。
「それなら、笹森さんを疑う理由はないだろ?」
さくらは、キーボードを叩く手を止めた。美咲の証言を打ち込んでいる途中で。
「笹森美咲の証言が全て嘘だとは言ってません。でも、全て本当だとも言ってませんよ。事実の中に嘘が混じっている、と考えるべきです」
さくらは、ノートパソコンに打った文字を、コツコツと指で叩いた。たった今打ち込んだばかりの、美咲の証言。
『まだ何も掴めていない。何も掴めないまま五味が殺されて、手掛かりが完全に途絶えた』
「笹森美咲は、村田洋平の居場所を聞き出せていないと言ってました。それは事実でしょうか?」
「本当だろう? その証拠に、笹森さんは泣いていただろう? 村田洋平の居場所を掴む手掛かりがなくなって」
「泣いていた理由は、本当にそうでしょうか? 私には、違うように見えました」
さくらの声は、冷静そのものだ。落ち着いて話すその声は、実際に耳にしたら、驚くほど聞き心地がよいのだろう。もっとも、洋平にとっては決して気分のいいものではなかった。さくらの話は、美咲が犯人という真相に近付いてきている。
綺麗な声で死刑宣告をされるような、絶望的な気分だった。
さくらの言葉に、前原は首を傾げた。
「じゃあ、どうして笹森さんは泣いていたんだ?」
さくらは、冷静ながら、どこか悲しそうな顔をしていた。彼女は落ち着いて物事を考えている。だからといって、冷徹になれるわけではないようだ。前原ほどではないにしても、彼女も、美咲に感情移入しているのだろう。
「私には、もう二度と村田洋平に会えないから流れた涙に見えました」
さくらは、真相に近付いているのではない。
洋平は、自分の考えを訂正した。さくらは、真相に到達しているのだ。ただ、確証を得るだけの裏付けがないだけで。
「村田洋平は、五味秀一に殺されたのではないでしょうか。笹森美咲は、それを知っていた。だから五味秀一と付き合い、殺した」
さくらの推測と事実は、結果と経緯に若干の違いがある。しかし、美咲が五味を殺したという事実に、間違いはなかった。
洋平は、寒気にも似た恐怖を覚えた。まだ証拠がないとはいえ、さくらは真相に辿り着いている。もし証拠を掴まれたら、美咲は捕まってしまう。殺人犯になってしまう。
恐怖に包まれながら、洋平は思考を巡らせた。
――美咲は、殺害の証拠を残していないだろうか。美咲に結び付く証拠は、抹消できているだろうか。
殺害現場である五味の家には、美咲の指紋はほとんど残っていないはずだ。髪の毛だって完璧に掃除していた。
警察が殺害現場を突き止めるまで、そう時間はかからないだろう。もしかしたら、もう突き止めているかも知れない。だが、それが、美咲が犯人だという証拠にはならないはずだ。五味の家に出入りしていた人間は、美咲以外にもいるのだから。
五味の死体を詰めたキャリーバッグはどうだろうか? 美咲が犯人だと証明する物になるだろうか? いや。大丈夫なはずだ。誰が五味を殺したのだとしても、死体を詰める道具としてキャリーバッグを使う可能性はある。
五味を殺したナイフや、死体を解体したノコギリはどうだろうか? あれはまずい。ナイフやノコギリは、美咲が直接購入した物だ。五味殺害と美咲を決定的に結び付ける証拠となる。絶対に発見不可能な場所に処分してくれるといいが……。
洋平は、必死に考えを巡らせた。それしかできなかった。今の洋平が美咲にしてやれることなど、何一つないのだ。
さくらの話に矛盾点はない。それは前原にも分かっているようだった。彼は口を閉ざして、辛そうな顔を見せていた。唇を噛み締めている。
さくらは再度、パソコンの文字を打ち始めた。口調は冷静だが、表情は暗い。刑事としてではなく人間として、思うところがあるのだろう。それでも、刑事としての意思を貫いている。
カチャカチャとキーボードを叩く音が、広い室内に響いていた。
さくらが美咲の証言を打ち終わり、他の生徒の証言も打ち終えたあたりで、再び前原が口を開いた。
「原」
「なんですか?」
「まだ、捜査方針は決まってないよな?」
「まあ、まだ何の指示も出ていませんから」
現在は各方面の証言を集めている段階で、容疑者候補は絞られていない。捜査方針が決まる前の段階だ。
「だったら俺は、方針が決まるまでは、笹森さんが犯人ではないという方針で動きたい」
前原の発言は、洋平にとってはあまりに意外だった。さくらとの会話から、彼が、事件関係者に感情移入しやすい性格だとは分かっていた。だが、これほどまでとは思わなかった。
前原は、美咲が無実だと断定した上で動くつもりなのだ。
洋平にとっては、有り難いことこの上ない発言だった。このまま永久に美咲を疑うことなく、捜査して欲しい。そんな願いと同時に、さくらに少し同情してしまった。こんな熱血刑事ドラマの主人公みたいな男と仕事をするのは、間違いなく大変だろう。
さくらはノートパソコンの電源を落とすと、じっと前原を見つめた。可愛い顔に似合わない、強い視線だった。呆れと決意と決断。色んな気持ちが入り交じった視線でもあった。
「いいですよ。じゃあ、方針が決まるまで、その方向で動きましょう」
「悪いな」
前原は苦笑を浮かべ、さくらに礼を言った。
前原は優しい人なのだろう。損得勘定抜きで、他人を思いやれる人。洋平の目から見ても、刑事に向いているとは到底思えない。けれど、人間としては尊敬できる人物だ。
五味殺害の犯人は美咲なのに、彼女が犯人ではないという方針で動く。その決断をした2人に、洋平は、どこか罪悪感に近い感情を抱いた。美咲に捕まって欲しくないのは本心だ。けれど、この2人にも、辛い思いをして欲しくない。特に前原には。
そんな洋平の気持ちは、次のさくらの一言で、一瞬にして吹き飛ばされた。
「では、笹森美咲が犯人ではない証拠を集めるために、しばらく動いてみましょうか」
つまり、美咲の無実を証明するために、彼女の周辺を調査する。逆説的に言えば、最短距離で美咲が犯人である証拠を見つけ出せる調べ方でもある。
洋平の心には、再び、恐怖と焦りが居座った。
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