死を招く愛~ghostly love~

一布

文字の大きさ
54 / 57

第三十八話② 闇が晴れて、思い出す(後編)

しおりを挟む
「ごめんね。私、早い段階で分かってた。洋平君が殺されてる可能性が高いって」
「!?」

 美咲は目を見開いた。

「興信所に洋平君の調査を依頼してから、割とすぐに報告があったの。五味達が、洋平君を殺したようなことを話してた、って」

 ふいに、美咲は思い出した。洋平がいなくなってから、それほど日が経っていない頃のこと。五味と付き合うと、決意した日。

 あの日、咲子はひどく憔悴しょうすいしていた。

「あの時点で、興信所から受け取った報告を持って、警察に行くべきだった。行こうと思った。でも、行けなかった。言えなかった。美咲や洋ちゃんのことを考えると、洋平君があんなことになってるなんて……」

 咲子の声は震えていた。拭いたはずの涙が、こぼれ落ちていた。

 彼女は、この3ヶ月の間、ずっと苦しんでいたのだろう。洋平の死を知りながら、誰にも言えなくて。警察に言えば、必ず美咲や洋子の耳にも入る。悲しませ、絶望させてしまう。だから言えなかった。

 だから咲子は、不自然にならない程度で可能な限り、家を空けていたのだ。美咲の顔を見るのが、辛かったから。

「謝らないで、お母さん」

 母親との間にあるアクリル板に触れようとして、美咲は、自分の両手が拘束されていることを思い出した。

 抱き合いながら、思い切り泣きたかった。咲子に甘えたかった。同時に、甘えさせたかった。今は、それもできない。

 頭を下げながら、嗚咽を漏らす咲子。彼女の背中を、洋子は優しく撫でていた。

 洋子に、咲子を責めるつもりなど微塵もないのだろう。友人の子が殺されたことを、簡単に告げられるはずがない。女手一つで我が子を育てているという、同じ境遇。洋子は、咲子の気持ちが痛いほど分かっているはずだ。

 咲子の背中を撫でる、洋子の手。その手を離し、洋子は美咲の方を向いた。膝にある洋平の遺骨を、少しだけ強く抱き締めた。深く、美咲に頭を下げる。咲子と同じように。

「私もね、今日は、美咲ちゃんに謝りに来たの。どうやっても償いようがないけど」
「おばさんが? どうして?」
「だって、本当は――」

 洋平を抱き締める洋子の手に、力が込められた。それでも、優しい抱き締め方。

「――本当は、私がやらなきゃいけないことだから。私は、洋平の母親だから。だから本当は、美咲ちゃんがしたことを、私がやらなきゃ駄目だったから。あいつ等は、私が殺すべきだったから」

 美咲は、洋子の方に顔を突き出した。アクリル板にぶつかりそうになるくらいに。
 
「駄目だよ!」

 無意識のうちに、美咲の口が開いた。必要以上に大きな声が出た。

「おばさんがそんなことしたら、駄目だよ! そんなことしたら、洋平が――」

 言いかけて、言葉に詰まった。この先に吐き出す言葉は、自分自身に返ってくる。言いかけた瞬間に、そう悟った。

『そんなことをしたら、洋平が悲しむよ!』

 洋平は優しかった。自分よりも、自分にとって大切な人を優先する人だった。自分が傷付いても、大切な人を守ろうとする人だった。

 洋平がボクシングを始めた理由は、美咲を守れる男になりたかったから。そのためだけに努力し、結果を残した。

 洋平が成績優秀だったのは、将来、美咲と幸せな家庭を築きたかったから。そのためだけに彼は、努力を惜しまなかった。

 洋平が美咲を抱こうとしなかったのは、美咲を傷付けたくなかったから。欲求に任せて美咲を抱き、万が一のことがあったら、美咲を傷付けてしまう。だから、自分の欲求を必死に抑えていた。

 そして、洋平の最後のとき。
 死に際の洋平。

 スタンガンで、体の自由が利かなくなっていた。それでも、気力だけで動き、五味に奪われたスマートフォンを破壊した。五味が、洋平を装って美咲を呼び出せないように。自分が傷付くことなど、一切構わずに。

 洋平は、傷付きながらも美咲を守った。
 洋平は、命を捨てて美咲の未来を守った。
 洋平は、死を賭してまで、美咲の幸せを願った。

 死ねば完全な無になると言っていた洋平。

 生きているときだけに存在している、自分の意思を。自我を。希望を。願いを。

 美咲のために使っていた。

「……あ……」

 声が漏れた。涙が、決壊したように溢れ出てきた。

 洋平は、感情がすぐ顔に出る。誰のことが好きで、何が大切で、誰の幸せを願っているのか。美咲への気持ちを、常に顔に出していた。

 美咲は、そんな洋平のことを、誰よりもよく知っている。誰よりも深く理解している。彼が何を望み、何を願い、何のために生き、何のために死んだか。

 世界中の誰よりも分かっている。

 ――分かっていたのに!

 洋平が死んで、悲しかった。苦しかった。耐えられなかった。

 だから、怒りに身を任せた。自分の感情を持て余し、振り回され、狂い、誰よりも分かっていたはずの洋平の気持ちに、背を向けた。

 洋平の願いとは真逆の道に足を踏み入れ、堕ちていった。
 洋平を殺した五味と付き合い、彼を殺すために、体を差し出した。
 洋平が守ってくれた幸せを掴む手を、人殺しの手にした。

 この世の誰であっても、殺された洋平の代弁者になどなれない。彼の気持ちを語ることなど、誰にもできない。

 ただひとりを除いて。
 美咲を除いて。

 そんな自分が。

 洋平の気持ちを語れるはずの自分が、彼を裏切った!
 洋平が命がけで守ったものを、滅茶苦茶に壊した!
 洋平の死を、ただの無駄死ににしてしまった!

「あ……ああ……」

 涙が、美咲の頬を伝う。流れる涙は、止まらなかった。ボロボロとこぼれ、溢れていった。

 体中の水分を全て出してしまうくらいに、美咲は涙を流した。逮捕のときは堪え切った涙を、止めることができなかった。

 呼吸が苦しい。嗚咽が漏れる。胸の中が、後悔と嫌悪と懺悔で満ちた。

 ごめんなさい。

 呼吸することすら放棄して、美咲は、洋平に呼び掛けた。必死に唇を動かした。

 ごめんね、洋平。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。

 美咲の言葉は声にならず、かき消えた。

 涙だけが、美咲の気持ちを語っていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...