囚われ王子は焔の王に寵愛される

ノガケ雛

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第一章

第5話

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 ノアリスは小さく体をふるわせていた。
 なぜか。目の前に兄──皇太子がいるからだ。

 彼はどこか仄暗い瞳でノアリスを見下ろしている。

 ノアリスは誰よりも兄を恐れていた。
 四年前──ノアリスがこの塔に囚われることになったのは、彼が理由であるからだ。



 いつからかわからない。
 しかし、ある時から兄の自分を見る目が歪んでいることに気がついた。
 そしてそれが確信に変わったのは、ある夜のこと。
 城の私室でそろそろ眠ろうと支度をしていた時、兄が現れてお茶に誘われた。
 それは特別珍しいことでも無かったので、何を疑うことも無くお茶を飲んだのだが、少しして体に力が入らなくなった。

 何かが、おかしい。
 そう思った時にはもう既に遅く、ノアリスはベッドに運ばれ、抵抗することも出来ず、兄によって無理矢理犯された。


 兄に薬を盛られ、抵抗できぬまま身体を奪われた夜。
 ノアリスの記憶は今でも、そこで止まっている。


 それは大きな事件となった。
 兄は父である国王に酷く叱責され、反省する態度を見せていたが、それが本当かはわからない。
 ノアリスは体調を崩し、数日間は部屋から出ることもままならなかった。

 母である王妃は、兄が弟を犯すなどという奇行を行ったことで狂ってしまい、事件の数日後には命を絶ってしまわれた。

 そんな、絶望に絶望を重ねるような数日間を過ごしていた時、ノアリスは腹が張るような痛みを感じた。
 それは段々と酷くなっていき、我慢できずに泣き叫ぶほど、痛みに暴れる。


 腹の中に大きな何かが詰まっているようだった。
 それを出そうと厠に行くが、なかなか出てこない。
 医師が慌ただしく手を動かし、ノアリスの身体を──奥の奥まで──確かめたその時、ぽつりと呟いた。「……これは、卵だ」と。


 そこからは早かった。
 その卵を何とか産み落としたのだが。
 それを見て感激したのは、兄、ただ一人。

「……これは、すごいな」

 彼は薄く笑って、殻ごと口に運んだ。
 ノアリスは震えた。吐き気が込み上げた。

 そして翌日、兄は王に叱責された際に頬を殴られ、怪我をしていたのだが、その青い痣が、跡形もなく消えていた。


 あれから四年──
 ノアリスはこの塔に囚われたまま、生きることを命じられた。

 あの夜の記憶は、脳裏に焼き付いたまま消えない。
 兄の歪んだ愛情、身体を蝕む痛み、そして腹の中に生まれた“異物”。

 卵という、呪いのようなその存在が、自分の身体に巣食っている。


 ……どうして自分だけが、こうして。

 ノアリスは、もう涙も流せなかった。




 兄に見下ろされ、ノアリスは震えながら、立つこともできずにいた。


「──隣国、ルイゼンの王が、来ている」
「っ、は、はい。聞きました」
「……卵の存在を知られている」
「っ!」


 ガッと頬を掴まれ、無理矢理顔を上げさせられる。
 ノアリスは顔色を真っ青にして、兄──ルーヴェンと目を合わせた。


「卵は、誰の手にも渡してはならぬ」
「……」
「──だが、同盟を結ぶ条件として、他に方法がないか、考えなければならない。どうしたものか……」


 頬から手が離れたと思った次の瞬間、兄がすぐ隣に腰を下ろす。その気配に、ノアリスの震えは一層強くなった。
 何をされるか分からない恐怖が、体を襲う。


「何がいいと思う、ノアリス」
「ぁ……わ、わたし、は……」


 俯いたまま、何も言えない。
 兄という存在に、ここまで怯える未来がくるとは思わなかった。
 
 次第にノアリスの回答には興味が失せたのか、ルーヴェンは塔を出ていく。
 兄が何をしにここにやってきたのかはわからず、彼が居なくなるとノアリスは大きく溜息を吐いた。


 ──隣国の、王様


 昨日見た、彼の人のこと。
 
 長身で、堂々とした姿は逞しくて、誰よりも王らしかった。
 あの、切れ長で美しい目を、もう一度近くで見たいと思う。
 何もかもを包み込むような、漆黒の髪はどれほど柔らかいのだろうか。


「……助けてなんて、くれるわけ、ないよね」


 きっと、父も兄も、城にいる皆も、自分の存在を隠しているはず。
 卵の存在を知ってはいても、あれがどうできているのかは知らない。

 つまり、ここでノアリスが生きていることを、彼らは知らないのだ。


 変な期待は抱かない方がいい。
 そんなことはわかっているが、どこかもう少し明るい未来があってもいいのではないかと、思ってしまうのだ。


 ルイゼンという国は、どのような国なのだろうか。
 そこは、緑が豊かなのか、海が広がっているよか。
 想像をするのは唯一現実から逃げる手段で楽しい。


「──王子様、お食事の時間です」


 逃げ込んだ幻想を引き裂くように、現実がノアリスを引き戻す。
 あまりにも残酷な、地獄のような現実へ。




 食事は一日に三度。
 朝、昼、夜と、決まった時間に運ばれてくる。
 どうやら城の調理場で作られているらしく、どれも少し冷めていた。

 兄が訪れてから、二日が経った。
 本日三度目の食事も、一人、静かに摂る。

 ここに閉じ込められる前は、食事は家族団欒の楽しいひとときだった。
 笑って、美味しくて、幸せな時間だった。

 ──けれど今は。

 食事はただ「摂らされるもの」に変わってしまった。
 無理にでも口に運ばなければならない、義務のような時間。

 残すと怒られる。
 「栄養が偏って、卵ができなくなったらどうする」と叩かれたこともある。

 それ以来、無理にでもすべてを食べるようになった。
 でも、ストレスのせいか、最近は味もよくわからない。
 食べても、口の中に広がるのは無味と虚無。

 ノアリスにとって、食事はもはや──拷問に近かった。


 同盟の話は、上手くいっているのだろうか。
 ノアリスにとっては、全く関係の無い話なのだが、あの王様が頭にチラついて、気になっている。
 
 食事を終えて、口元を拭い、鉄格子の嵌められた窓から外を見る。
 この低い塔では、城下の様子を眺めることすら叶わない。
 ただ、月に一度だけ歩くことを許された庭を見下ろすだけだ。


 退屈で、希望のない日々なんて、早く終えてしまいたいが、どうしようもなく、ここには何もない。
 食事とともに運ばれてくるカトラリーですら、自害できないようスプーンだけだ。


 四年前までは、こんな生活ではなかった。
 外の世界を知っているからこそ、余計に辛い。


 ──コン、コン


「っ!」


 突然、扉をノックされ、振り返った。
 この時間には誰も来ないはず。
 食器を片しに来るのは、いつも翌朝。
 朝食と交換するように、空いた皿が下げられていく。

 風呂は、七日間に一度だけ。
 庭に出た二日前に入ったので、それも有り得ない。

 では、誰が。
 この外界から閉ざされた塔に、自ら来るのは──

 想像して、体が震える。
 兄か、王か。それとも噂を聞き付け犯しに来た知らない誰かか。


「中にいるのだろう。ノアリス王子」
「っ、」


 聞いた事のない、低くて太く、厚い声。
 ノアリスの呼吸が上がる。


「初めまして。隣国ルイゼンの王、カイゼルだ」
「!」


 ノアリスは驚いて目を見張った。
 閉じられた扉を凝視したまま、動けない。


「先日、少しだけ会ったな」
「っ、は、はい」
「! 貴殿と少し、話がしたい。入ってもいいだろうか」
「ぁ……」


 予想だにしない訪問者に、ノアリスは何も言えなかった。
 きっと、誰かにバレてしまうと、カイゼル王が危ない。
 けれど、──話してみたい。


 ノアリスはおずおずと扉に近づき、しばし迷った末──返事の代わりに、コツン、コツンと二度、ノックを返した。
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