30 / 40
第二章
第30話
しおりを挟むカイゼルの腕に抱かれていると、少しずつ胸が安らいでいった。
涙は止まり、ふっと息を吐く。
「すみません、突然、押しかけて」
「いや、構わないさ。むしろ、来てくれてよかった。不安で一人泣きながら過ごしてしまうより、ずっと」
優しい表情で、穏やかな声で、そう言ったカイゼルに、ノアリスはふとイリエントから聞いた彼の過去を思い出した。
彼が一人になった時、誰がその不安な心を安心させてあげたのだろうか。
「カイゼル様……」
「ああ。眠たくなってきたか?」
「いえ……」
「今日は俺のベッドで眠るといい。ロルフも、おいで」
執務室の奥にあるベッドに案内される。
大きなそれに横になるけれど、彼は隣りに腰掛けるだけ。
「カイゼル様は……?」
「……共に眠ってもいいのか?」
思いがけない問いかけに、ノアリスは胸が跳ねる。
こんなにも優しく自分の気持ちを伺ってくれることが有難くもあるが、少し照れてしまう。
「ぁ……も、もちろん、です。ここは、カイゼル様のベッドであって、私や、ロルフのものではありません……っ」
慌てて言い切ったものの、耳の奥が熱を持ってじんじんする。
カイゼルは、そんなノアリスを見つめ、静かに微笑んだ。
隣りに横になったカイゼルとの距離が、とても近い。
「っ、あ、あの……カイゼル様」
「うん?」
「ぅ……」
「……今日は、夢を見ないように俺が傍にいて見守っていよう」
少しトーンが落とされて、静かに落ち着いた声が心地よく鼓膜を揺らす。
「安心して眠るといい。ロルフも傍にいる。ノアリスが起きるまで、ずっとだ」
「……迷惑じゃ、」
「そんなことないさ」
右手を優しく包まれる。
そのあたたかさにホッと力が抜けた。
「カイゼル様は……」
「ああ」
「……不安な時、どうしているの、ですか」
「不安な時、か……」
何かを思い出すように、視線を斜め上に向けた彼は、しばらく考えた後に苦笑を零す。
「ずっと前に、そんな時もあったが……忘れてしまったな。ただひたすら、前を向いていたような気がするが」
「……今は、何も、不安なことも、怖いことも、無いのですか……?」
そっと彼を見つめ、包んでくれている手を柔く握る。
「……いいや、あるさ。不安なことは、そなたが一人で何もかもを抱え込まないかということだな」
「え……」
「怖いことは……そなたが、抱え込んだ不安に押し潰されてしまうことだ」
眉を八の字に下げたカイゼルは、そう言ってノアリスの小さな頭を撫でた。
「何かがあったなら、教えてくれ。俺はそなたを傷つけたくない。何かがなくても、気になったことや、疑問に思ったことは聞いてくれて構わない。答えられることは何でも答えよう。そうすればきっと、知らないことに対する不安は薄れていくだろう」
一国の王が、自分のために時間を割いてくれる。
それも、迷惑では無いと言って。
ノアリスは胸がキュッと締まるような苦しさを感じて、つい顔を顰めた。
「ノアリス?」
「……カイゼル様は、どうして、私にこれほどまで、優しくしてくださるのですか……? 私は、何もできない、何の価値もない人間です。フェルカリアでは王子でしたが、それも名ばかりで、何の権限もございません」
それなのに、どうして。
エメラルドグリーンの瞳を見つめると、彼はその目を細め穏やかに微笑んでいた。
カイゼルはそっとノアリスの頬に触れ、ためらいなく言葉を落としていく。
「ノアリス。そなたが自分をどう思おうと……俺にとっては、大切だ」
低く柔らかな声音が、胸の奥に染みわたる。
ノアリスは瞬きを繰り返す。信じられないとでも言うように首を横に振った。
「……私が、大切……?」
「そうだ」
カイゼルと繋いだままの手が、きゅっと強く握られる。
「理由が要るのか? そなたがそこにいて、笑ったり、時に怯えたり……その全部が、俺の心を動かす。だから守りたいと思う」
あまりにまっすぐな言葉に、ノアリスの胸は痛いほど締めつけられる。
何も返せない。何もできない。
それでも──彼は確かに、望んでくれている。
「わ、私、も……」
「ノアリスも?」
「っ、私も、カイゼル様を、大切に、思っています」
「それは……嬉しいな」
「……だ、抱きしめても、よろしい、ですか……?」
「! ああ、もちろんだ」
少し緊張しながら、カイゼルに擦り寄ったノアリスは、その逞しい体に腕を回す。腕に力がこもり、ぎゅっと抱きしめると、カイゼルの胸から温かな鼓動が伝わってくる。
その音は、ひどく穏やかで、心を落ち着かせる子守歌のようだった。
「カイゼル様の……鼓動、落ち着く……」
「ああ。そなたの震えも、少しずつ治まってきたな」
囁く声に、ノアリスは小さく頷く。
背中に回された手が、優しくそこを撫でた。
まぶたが重くなっていくのを感じる。
「カイゼル様……このまま、離れたく、ありません……」
「……なら、このままでいよう。安心して眠りなさい」
髪を梳かれる。その手つきは壊れ物を扱うかのように柔らかくて、気がつけばノアリスは深い眠りに落ちていたのだった。
◇
浅い寝息が規則正しく響き始めると、カイゼルは静かに目を伏せた。
──まだ、囚われている。
フェルカリアでの環境から、自分に価値がないと思ってしまっている。
その言葉を聞くたびに、胸が痛むのだ。
しかし、一歩前進したのは、大切に思っているということが、伝わったこと。
そして、ノアリス自身も、同じ思いだと教えてくれたこと。
自ら腕の中に入ってきて、離れたくないと言い眠っている。
それがカイゼルにとって、どれだけ嬉しいことであるかを、ノアリスは知らない。
「……こんな感情を抱くのは、初めてだ」
かすかな声で呟く。眠る彼には届かないと分かっていながら。
それでも言葉にせずにはいられなかった。
初めて見た時から、惹かれていた。
あの時はただ興味があっただけ。しかし、この壊れそうな美しい人を、どうにか守りたいと思った。
いつか、満面の笑みを見せてほしいと。
カイゼルは横たわるノアリスの髪を指先でそっと払うと、静かに目を閉じる。
今はただ、彼を包む夜が優しいものであることを願いながら。
71
あなたにおすすめの小説
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
冷酷なアルファ(氷の将軍)に嫁いだオメガ、実はめちゃくちゃ愛されていた。
水凪しおん
BL
これは、愛を知らなかった二人が、本当の愛を見つけるまでの物語。
国のための「生贄」として、敵国の将軍に嫁いだオメガの王子、ユアン。
彼を待っていたのは、「氷の将軍」と恐れられるアルファ、クロヴィスとの心ない日々だった。
世継ぎを産むための「道具」として扱われ、絶望に暮れるユアン。
しかし、冷たい仮面の下に隠された、不器用な優しさと孤独な瞳。
孤独な夜にかけられた一枚の外套が、凍てついた心を少しずつ溶かし始める。
これは、政略結婚という偽りから始まった、運命の恋。
帝国に渦巻く陰謀に立ち向かう中で、二人は互いを守り、支え合う「共犯者」となる。
偽りの夫婦が、唯一無二の「番」になるまでの軌跡を、どうぞ見届けてください。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
隠れオメガの整備士は自由になりたい。なのに暴走する最強騎士を身体を張って止めたら、運命の番だとバレて過保護な専属契約を結ばされました
水凪しおん
BL
※オメガバース設定。激しい戦闘描写や、執着攻めによるマーキング描写、軽度の性的な接触の描写がありますので、15歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。
汚染された惑星を浄化する生体兵器『機装(ギア)』。
その搭乗者は優れた能力を持つ『アルファ』に限られ、彼らの精神を安定させる鎮静剤として『オメガ』が存在する世界。
整備士のエリアンは、オメガであることを隠し、ベータと偽って軍の最前線で働いていた。
オメガは道具のように扱われるこの社会で、自由を守るための必死の嘘だった。
だがある日、軍最強のエリートパイロット・クレイドの機装が暴走する事故に遭遇する。
死を覚悟して止めに入ったエリアンだったが、暴走する機体はなぜか彼にだけ反応し、沈静化した。
それは、隠していたオメガのフェロモンが、クレイドと強烈な『共鳴』を起こした瞬間だった。
「見つけた。俺の対になる存在を」
正体がバレたと戦慄するエリアンに対し、冷徹なはずのクレイドが向けたのは、処罰ではなく執着に満ちた熱い視線で……?
孤独なエリート騎士×身分を隠した健気な整備士。
星の命運と本能が交錯する、近未来SFオメガバース!
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー
白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿)
金持ち社長・溺愛&執着 α × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω
幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。
ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。
発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう
離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。
すれ違っていく2人は結ばれることができるのか……
思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいαの溺愛、身分差ストーリー
★ハッピーエンド作品です
※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏
※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m
※フィクション作品です
※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる