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篝火の策謀
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『人生はチョコレートの箱のようだ。開けてみなければ中身は判らない』
これはその生涯を通じて、多くの人々に勇気と感動を与えた『フォレスト・ガンプ』が、彼の母親から言い聞かされた言葉である。人生という名の険しい道には、無数の落とし穴が至るところに点在している。それを前もって予測し回避する事は、超能力者でもない限りまず不可能だろう。日本語にも『一寸先は闇』『事実は小説より奇なり』という諺もある。
抱きしめれば抱きしめ返してくる、触れ合える。もう、離れられない。灯は、抱きしめていた腕の力を更にぎゅっと強めた。彼は何も言わなかったが、抱きしめる腕が震えている事で、紫は全てを察した。
倒れたその日、紫は畔柳にお礼を言った後、連絡を受けてやって来た灯と共に帰路に着いた。そして灯が借りているアパートへと向かった。
「いいの? いきなりお邪魔して」
「大丈夫だよ義姉さん、誰との予定も入ってないし、ちょっと、飲み物用意してくるから」
「うん……」
初めて入った灯の部屋は、多少床に雑誌が散らかっているものの、一定の清潔さを保っている。不思議と落ち着く部屋というのが紫の抱いた感想だった。
「……義姉さん、そんな取って食べたりしないから安心して」
「そ、そんなの考えてない!」
「ハイハイ~」
数時間前に仮眠室で告白して思い切り泣いた所為か、今の紫は平常を取り戻していた。灯が傍にいる安心感もあって、今は夢の事も頭から消えかけている。まぁ、若干の緊張はあるが……。
「でも、それにしても義姉さん、夢占い信じて僕から離れようとするなんて相変わらずの早とちりだね」
「だってずっと同じ夢ばっかりみて心配になっちゃって……」
「ハイハイ~その夢占いサマサマで俺達結ばれたもんねー」
察しのいい異母弟は人の微妙な表情の変化を読み取ってからかってくる。ムッとした紫に対してもただ笑って返すのが気に食わない。
「うっ」
「義姉さんかわいい」
「しつこい……」
キッチンとリビングでやり取りをしている間に灯は、紫に何やら温かい飲み物が入ったカップを目の前に置いた。
「これは……?」
「ハーブティー。バイト先で教わったんだ、嫌いかな? カフェオレ派だもんね」
「大丈夫。頂きます」
そう言って口に含んだお茶は、ハーブの良い香りと共に紫の躰に染み渡っていった。落ち着く。その一言に尽きた。
「義姉さん、今日はご飯食べたら何もせずに寝ようよ。明日は公休で、まだ体調悪かったら休めばいいし」
「……そうだね」
彼に触れられるとドキドキと心臓が煩くなり、緊張したり慌てさせられたりと心休まる事がない。彼の体温、触れてくる指先、肌に落とされる唇の感触。しなやかな筋肉の硬さ、鳥の羽根のように美しい形をした肩甲骨、自分だけを見つめてくる眼差し。だというのに、灯の一挙一動を見るたび、強張っていた躰がほぐれていくのが解る。今まで夢の所為で心も躰も疲弊していた為、久しぶりに休日を得たようなそんな安堵感が躰中を巡っている気がした。それも相まってかハーブティーが半分以上減った時、紫はゆるやかな眠気に襲われた。
「義姉さん、眠いの?」
「少しだけ……」
「いいよ、寝ちゃって。僕、夕ご飯作ってくるからできたら起こすよ。何食べたい?」
「リゾット……前に作ってくれた……」
そう言って、紫は眠気に身をゆだねた。深い眠りに誘われる感覚に、喜びを覚えながら……。
灯は紫が完全に眠りに落ちたのを見届けた。眠る縁の額にちゅっと軽いキスを落としたその表情は。『恍惚』という言葉が相応しかった。
ぶくぶく、ぶくぶくぶくぶく……。
黒髪の女は水の世界にいた。少しずつ、自分が底へ沈んでいるのだけ理解する。それなのに、彼女の心情は穏やかで恐怖は微塵も抱いてない。この安堵感は……。
「ユカちゃん……」
流れに身を任せていると、上から茶髪の青年が女の元にやってきた。少し急いで泳いできたのだろうか、衣服に乱れが見られる。
「ユカちゃん……もう怖い思いなんてさせないからね……」
そう宣言すると、青年は静かに女を抱きしめた。嗚呼、この安堵感はこれから来ているのか。そう納得した女はゆっくりと目を閉じ、青年を抱きしめ返した。そしてゆっくりと、静かに二人は底が存在するのかすら判らない水の中へと、沈んでいった……。
「何かハマちゃったわぁ……」
同時刻、冷泉は仕事を終えて帰宅の為に駅にいた。モデル業が最近忙しい上に乗った電車が事故の影響で遅延した。その最中に暇潰しで見ていた夢占い。紫の相談をきっかけにすっかりハマってしまっていた。
「あれ以来、ユカお姉さまお会いできてないけど大丈夫なのかしらぁ。リアリストなわりにミョーに迷信深いとこあるしねぇ……あらぁ? 『水に沈む夢』? これ見てなかったかも……最新の更新? なになに……不安、無気力状態、運気の低下……怖いのばっかじゃん。いろいろ意味あるみたいだけど、結局どれを取っても……」
ぶくぶく……ぶくぶくぶく……ぶくぶく……。
「堕ちていくのねぇ……」
灯は部屋の電気を消した。静かにクローゼットを開けて、取り出した物をベッドの傍のチェストの上に置く。それは金魚鉢のような形をしたアロマランプで、下の方に二匹の魚が描かれている。スイッチを入れると、部屋は淡いブルーの光に包まれる。丁寧に敷き詰められたガラス片が、水中の気泡を思わせる演出をしていた。光と共に部屋に漂うのは、紫が好きだと言った、ネロリの香りの物だ。催眠性が高く、 不安症や抑鬱症による睡眠障害に効果があり 交感神経系を鎮静させるという。
一切身動きしない彼女の寝顔は、眠り続ける姫のように安らかだ。この優しく甘い匂いと結びついた記憶が滔々と湧いてくるだろう。二人で話をした事、いろいろなところへ行った事など。
「ユカちゃん……」
「つーかまえた」
これはその生涯を通じて、多くの人々に勇気と感動を与えた『フォレスト・ガンプ』が、彼の母親から言い聞かされた言葉である。人生という名の険しい道には、無数の落とし穴が至るところに点在している。それを前もって予測し回避する事は、超能力者でもない限りまず不可能だろう。日本語にも『一寸先は闇』『事実は小説より奇なり』という諺もある。
抱きしめれば抱きしめ返してくる、触れ合える。もう、離れられない。灯は、抱きしめていた腕の力を更にぎゅっと強めた。彼は何も言わなかったが、抱きしめる腕が震えている事で、紫は全てを察した。
倒れたその日、紫は畔柳にお礼を言った後、連絡を受けてやって来た灯と共に帰路に着いた。そして灯が借りているアパートへと向かった。
「いいの? いきなりお邪魔して」
「大丈夫だよ義姉さん、誰との予定も入ってないし、ちょっと、飲み物用意してくるから」
「うん……」
初めて入った灯の部屋は、多少床に雑誌が散らかっているものの、一定の清潔さを保っている。不思議と落ち着く部屋というのが紫の抱いた感想だった。
「……義姉さん、そんな取って食べたりしないから安心して」
「そ、そんなの考えてない!」
「ハイハイ~」
数時間前に仮眠室で告白して思い切り泣いた所為か、今の紫は平常を取り戻していた。灯が傍にいる安心感もあって、今は夢の事も頭から消えかけている。まぁ、若干の緊張はあるが……。
「でも、それにしても義姉さん、夢占い信じて僕から離れようとするなんて相変わらずの早とちりだね」
「だってずっと同じ夢ばっかりみて心配になっちゃって……」
「ハイハイ~その夢占いサマサマで俺達結ばれたもんねー」
察しのいい異母弟は人の微妙な表情の変化を読み取ってからかってくる。ムッとした紫に対してもただ笑って返すのが気に食わない。
「うっ」
「義姉さんかわいい」
「しつこい……」
キッチンとリビングでやり取りをしている間に灯は、紫に何やら温かい飲み物が入ったカップを目の前に置いた。
「これは……?」
「ハーブティー。バイト先で教わったんだ、嫌いかな? カフェオレ派だもんね」
「大丈夫。頂きます」
そう言って口に含んだお茶は、ハーブの良い香りと共に紫の躰に染み渡っていった。落ち着く。その一言に尽きた。
「義姉さん、今日はご飯食べたら何もせずに寝ようよ。明日は公休で、まだ体調悪かったら休めばいいし」
「……そうだね」
彼に触れられるとドキドキと心臓が煩くなり、緊張したり慌てさせられたりと心休まる事がない。彼の体温、触れてくる指先、肌に落とされる唇の感触。しなやかな筋肉の硬さ、鳥の羽根のように美しい形をした肩甲骨、自分だけを見つめてくる眼差し。だというのに、灯の一挙一動を見るたび、強張っていた躰がほぐれていくのが解る。今まで夢の所為で心も躰も疲弊していた為、久しぶりに休日を得たようなそんな安堵感が躰中を巡っている気がした。それも相まってかハーブティーが半分以上減った時、紫はゆるやかな眠気に襲われた。
「義姉さん、眠いの?」
「少しだけ……」
「いいよ、寝ちゃって。僕、夕ご飯作ってくるからできたら起こすよ。何食べたい?」
「リゾット……前に作ってくれた……」
そう言って、紫は眠気に身をゆだねた。深い眠りに誘われる感覚に、喜びを覚えながら……。
灯は紫が完全に眠りに落ちたのを見届けた。眠る縁の額にちゅっと軽いキスを落としたその表情は。『恍惚』という言葉が相応しかった。
ぶくぶく、ぶくぶくぶくぶく……。
黒髪の女は水の世界にいた。少しずつ、自分が底へ沈んでいるのだけ理解する。それなのに、彼女の心情は穏やかで恐怖は微塵も抱いてない。この安堵感は……。
「ユカちゃん……」
流れに身を任せていると、上から茶髪の青年が女の元にやってきた。少し急いで泳いできたのだろうか、衣服に乱れが見られる。
「ユカちゃん……もう怖い思いなんてさせないからね……」
そう宣言すると、青年は静かに女を抱きしめた。嗚呼、この安堵感はこれから来ているのか。そう納得した女はゆっくりと目を閉じ、青年を抱きしめ返した。そしてゆっくりと、静かに二人は底が存在するのかすら判らない水の中へと、沈んでいった……。
「何かハマちゃったわぁ……」
同時刻、冷泉は仕事を終えて帰宅の為に駅にいた。モデル業が最近忙しい上に乗った電車が事故の影響で遅延した。その最中に暇潰しで見ていた夢占い。紫の相談をきっかけにすっかりハマってしまっていた。
「あれ以来、ユカお姉さまお会いできてないけど大丈夫なのかしらぁ。リアリストなわりにミョーに迷信深いとこあるしねぇ……あらぁ? 『水に沈む夢』? これ見てなかったかも……最新の更新? なになに……不安、無気力状態、運気の低下……怖いのばっかじゃん。いろいろ意味あるみたいだけど、結局どれを取っても……」
ぶくぶく……ぶくぶくぶく……ぶくぶく……。
「堕ちていくのねぇ……」
灯は部屋の電気を消した。静かにクローゼットを開けて、取り出した物をベッドの傍のチェストの上に置く。それは金魚鉢のような形をしたアロマランプで、下の方に二匹の魚が描かれている。スイッチを入れると、部屋は淡いブルーの光に包まれる。丁寧に敷き詰められたガラス片が、水中の気泡を思わせる演出をしていた。光と共に部屋に漂うのは、紫が好きだと言った、ネロリの香りの物だ。催眠性が高く、 不安症や抑鬱症による睡眠障害に効果があり 交感神経系を鎮静させるという。
一切身動きしない彼女の寝顔は、眠り続ける姫のように安らかだ。この優しく甘い匂いと結びついた記憶が滔々と湧いてくるだろう。二人で話をした事、いろいろなところへ行った事など。
「ユカちゃん……」
「つーかまえた」
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