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【藤と榊】クンツァイトの求愛

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 コツコツと爪で軽く硝子の壁をつつけば、にゃあと返事してくれた。直後に大きな欠伸をかまして寝こけるのだから、本当に気まぐれの愛想サービスだったのだろう。無邪気さに目を細めた。

「猫、好きなの?」

 眠たそうに聞くヒカルは木材を乗せたカートを押していた。棚が欲しいと思い立った彼女が言い出したのはほんの数時間前。(趣味を除けば)あまり物欲がないヒカルにしては珍しいなと、ホームセンターまで着いてきたところだった。木材は適切なサイズにカットしてもらったとはいえ、組み立ての際には必ず自分が付き添っていようと決心した。

「動物は何でも好きだ」

 言葉は通じないが、言葉が通じても意思の疎通が取れない人間と比べたら何倍も。

「そっか」
「ヒカルさんは?」
「んん……ちぃちゃいのはうっかり踏んじゃいそうで怖いかも……」

 鈍臭い彼女ならやりかねないと頷く賢希に、ヒカルは頬にかかる髪を弄りながら続ける。

「あと、」
「ん?」
「お別れする時、悲しいからねぇ」

 珍しくしんみりしたヒカルの言葉が、賢希の心に沈殿する。しゃがみ込んだヒカルが、眠る仔猫のガラス戸を優しく撫でた。

「良い人のトコに行けるといいね、この子」

 微笑む姿が、また焼きついて小さく積もっていく。同意するのは、簡単だ。実際、賢希もそれを考えていないわけではない。命は平等で限りがある事を、重々承知しているつもりだ。それでいて、自分の中に浮かぶ感情の傲慢さに辟易した。

「……早く帰って棚作ろうか」
「ん? うん」
「俺の荷物も置かせてね。共同家具って事で」
「うん、いいよ」

 目の前の小さな命との共存を選択しなかったのは、限られた人生で可能な限り、ヒカルと共に過ごしたいと思ったから。その事を彼女に伝えるつもりはない。それでも見透かされたのか、店を出る直前、あの仔猫がまた「にゃあ」と鳴いた気がした。
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