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どうか届いて
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目覚まし時計が鳴る十分前に目が覚めた。役割を果たさずにスイッチをオフにされたそれの時刻を見て、躰を起こし大きく伸びをした。何も聞こえなかった。躰の調子は悪くない。それどころか久しぶりに十分に睡眠をとってすっきりしている。腕も指も足も首もちゃんと動く。試しに声を出してみた。
「 」
何を言ったのか、自分でも判らない。特に支障は無いと思ったけど。常日頃から体調管理に細かい皆のところへ向かう事にした。どうせうちはナンジャクですよっと。部屋にはちょうど――何故かほぼ全員)居たので。近くにあった紙に書いて事情を説明した。相変わらず、自分の書く時は汚ないなぁ、なんて思って悲しくなった。
「た、大変! 倫太朗くんどうしましょう?」
「うーん……とりあえず検査でもした方がええな」
「何かが喉に詰まっているわけじゃないみたいですし」
「しし、何か変なモノでも食ったんじゃないスか? 拾い食いとか」
「かもねぇ、かずらちゃん食べ物じゃったら何でも口にするけん」
「んー、この際毒見役とか付けた方がよくなーい?」
「いいアイディアだけどね世永君、意外と食い意地が張っているかずらちゃん本人がきっと許さないと思うな」
「何でもいいですけど、ご自分の身を重んじて欲しいものですわ本当に」
「人情深いのは、悪い事ではないぞ八重」
「ええもちろん、ですが明石君。何でも限度というものがありましてよ」
皆が何を喋っているのか全然聞こえない。赤ちゃんヒットマンみたいに読唇術ができるわけじゃないから一体なにを喋っているのか全く解らない。けど。とりあえずバカにされたような気がするので殴ってみた、司くんだけ。だって他の人は後が怖いんだもん。
「イテ! かずら先輩なんでオレだけなんスかぁ!」
「あれ、かずらちゃんいつの間に読唇術でも習った?」
「……たぶん、かずらさんはご自分が馬鹿にされているところは分かったのでしょうね」
「ね~ほ~んとかわ~い~い~な~」
「何を言うか坂口、かずらが可愛いのは前からだ! とにかく検査の準備をしないといかん」
「ん。念には念を入れへんと」
「とにかく手遅れになってからでは遅いからね」
「ねぇ、ジェラール先輩。明石先輩が過保護なのってのも前からじゃない」
「いいんですよ仁美君、そうじゃなきゃ誰が守るっていうんですか」
短い会話を交わした倫兄さんとエマさんは検査の準備をするらしく。簡潔にメモに書いた後部屋を出て行った。そんなに深刻にならなくても、なんて思っても。さっさと部屋を出た皆には伝える事が出来なかった。とりあえず学校は行くけど、部活は休みなさいと言われた。確かにこれでは合唱部に行けないので黙って頷くしかなかった。これが本当にぐうの音も出ないというやつだろうか。
登校途中、何人かすれ違い目が合って口が動いているのを確認した時は、軽く手を振っておく。声が戻ったら後日謝罪と説明に行こう。そう予定を立てていると、ふいに肩を叩かれた。振り向けば頬を突っ突かれた。超古典的!
「Доброе утро! かずら聞いたぞ、声が出なくなったんだってな」
イワンが何かを言っているという事は解るけど、何を言っているのかやっぱり解らない。でもとりあえず、自分の身を案じてくれている事だけは解る。何となく、雰囲気と表情で、解ってしまう。会った時からこうだった。今でも、変わらない。
「しかし聞こえないだけで声も出せないとは。エマさんが言っていたが、人間というのは不思議な生き物だ。……そうそう、そう言えばこんな方法を聞いた事があるんだが」
イワンが何かを言っている。という事は解るけど、何を言っているのかこれまた解らない。耳が聞こえない事を知っているはずなのに、それでも彼は何かを喋り続けている。相変わらず、マイペース。我が道を進んでいらっしゃる。羨ましい、なんて思うし。 悲しい、なんて思う。せっかくイワンが話しかけてくれているのに、自分は答えるどころか聞く事も出来ない。そんな自分に軽く落胆していると急に顎を捕まれて。綺麗にやけたクッキーみたいな色が、だんだん近づいてくるのを不思議に思っていると。ぺたり。
「あ」
「よし治ったぞ。良かったな」
「え、あの、さっきのって」
「昔からお約束だぞ。眠り続けてるお姫様にすると起きたという話」
「うち、眠ってない」
「いいんだ、似たようなものだろう」
似ているのかな? でも確かに治った……治ったって言い方も変だと思うけど。治ったのはいい。彼の声が聞けたのもいい。それにしたってさっきのは……うーん。
「さっきのって、」
「ん? もう一回か?」
「そうじゃなくて、」
「大丈夫だ。他のやつにはしないぞ」
声が出たうちに満足するとイワンは笑った後、片手を振りながら自分のクラスに向かって行った。別に嫌だとか思えないし、最後の言葉もなんだか、あれ? うん、なんか――。
「うち、嬉しかったのかな?」
「何がですか?」
「あ。ベル先生、おはようございます」
「おはようございます、かずらさん。声が戻ったのは喜ばしい事ですが、何かありましたか?」
「どうしてですか?」
「さっきそこでザレスキー君とすれ違ったのですが、妙に上機嫌で」
「出会いがしら、イワンに驚かされて治りました」
「相変わらずですね……」
よくよく考えたら、最初に言った言葉は、彼の名前だった。どうしてその名を呼んだのか。わざわざその言葉を選んだのか。自分でも解らない。ただ何となく、一番、言いたかった事なんだと思う。やっと気づけた今日から頑張らないと。勉強して、家に帰って、検査して、夕飯を食べて、お風呂に入って、明日の時間割の準備をして。それから眠るまでの間に、イワンにキスをお返しするシュミレーションでもしなければいけないと思った。
「 」
何を言ったのか、自分でも判らない。特に支障は無いと思ったけど。常日頃から体調管理に細かい皆のところへ向かう事にした。どうせうちはナンジャクですよっと。部屋にはちょうど――何故かほぼ全員)居たので。近くにあった紙に書いて事情を説明した。相変わらず、自分の書く時は汚ないなぁ、なんて思って悲しくなった。
「た、大変! 倫太朗くんどうしましょう?」
「うーん……とりあえず検査でもした方がええな」
「何かが喉に詰まっているわけじゃないみたいですし」
「しし、何か変なモノでも食ったんじゃないスか? 拾い食いとか」
「かもねぇ、かずらちゃん食べ物じゃったら何でも口にするけん」
「んー、この際毒見役とか付けた方がよくなーい?」
「いいアイディアだけどね世永君、意外と食い意地が張っているかずらちゃん本人がきっと許さないと思うな」
「何でもいいですけど、ご自分の身を重んじて欲しいものですわ本当に」
「人情深いのは、悪い事ではないぞ八重」
「ええもちろん、ですが明石君。何でも限度というものがありましてよ」
皆が何を喋っているのか全然聞こえない。赤ちゃんヒットマンみたいに読唇術ができるわけじゃないから一体なにを喋っているのか全く解らない。けど。とりあえずバカにされたような気がするので殴ってみた、司くんだけ。だって他の人は後が怖いんだもん。
「イテ! かずら先輩なんでオレだけなんスかぁ!」
「あれ、かずらちゃんいつの間に読唇術でも習った?」
「……たぶん、かずらさんはご自分が馬鹿にされているところは分かったのでしょうね」
「ね~ほ~んとかわ~い~い~な~」
「何を言うか坂口、かずらが可愛いのは前からだ! とにかく検査の準備をしないといかん」
「ん。念には念を入れへんと」
「とにかく手遅れになってからでは遅いからね」
「ねぇ、ジェラール先輩。明石先輩が過保護なのってのも前からじゃない」
「いいんですよ仁美君、そうじゃなきゃ誰が守るっていうんですか」
短い会話を交わした倫兄さんとエマさんは検査の準備をするらしく。簡潔にメモに書いた後部屋を出て行った。そんなに深刻にならなくても、なんて思っても。さっさと部屋を出た皆には伝える事が出来なかった。とりあえず学校は行くけど、部活は休みなさいと言われた。確かにこれでは合唱部に行けないので黙って頷くしかなかった。これが本当にぐうの音も出ないというやつだろうか。
登校途中、何人かすれ違い目が合って口が動いているのを確認した時は、軽く手を振っておく。声が戻ったら後日謝罪と説明に行こう。そう予定を立てていると、ふいに肩を叩かれた。振り向けば頬を突っ突かれた。超古典的!
「Доброе утро! かずら聞いたぞ、声が出なくなったんだってな」
イワンが何かを言っているという事は解るけど、何を言っているのかやっぱり解らない。でもとりあえず、自分の身を案じてくれている事だけは解る。何となく、雰囲気と表情で、解ってしまう。会った時からこうだった。今でも、変わらない。
「しかし聞こえないだけで声も出せないとは。エマさんが言っていたが、人間というのは不思議な生き物だ。……そうそう、そう言えばこんな方法を聞いた事があるんだが」
イワンが何かを言っている。という事は解るけど、何を言っているのかこれまた解らない。耳が聞こえない事を知っているはずなのに、それでも彼は何かを喋り続けている。相変わらず、マイペース。我が道を進んでいらっしゃる。羨ましい、なんて思うし。 悲しい、なんて思う。せっかくイワンが話しかけてくれているのに、自分は答えるどころか聞く事も出来ない。そんな自分に軽く落胆していると急に顎を捕まれて。綺麗にやけたクッキーみたいな色が、だんだん近づいてくるのを不思議に思っていると。ぺたり。
「あ」
「よし治ったぞ。良かったな」
「え、あの、さっきのって」
「昔からお約束だぞ。眠り続けてるお姫様にすると起きたという話」
「うち、眠ってない」
「いいんだ、似たようなものだろう」
似ているのかな? でも確かに治った……治ったって言い方も変だと思うけど。治ったのはいい。彼の声が聞けたのもいい。それにしたってさっきのは……うーん。
「さっきのって、」
「ん? もう一回か?」
「そうじゃなくて、」
「大丈夫だ。他のやつにはしないぞ」
声が出たうちに満足するとイワンは笑った後、片手を振りながら自分のクラスに向かって行った。別に嫌だとか思えないし、最後の言葉もなんだか、あれ? うん、なんか――。
「うち、嬉しかったのかな?」
「何がですか?」
「あ。ベル先生、おはようございます」
「おはようございます、かずらさん。声が戻ったのは喜ばしい事ですが、何かありましたか?」
「どうしてですか?」
「さっきそこでザレスキー君とすれ違ったのですが、妙に上機嫌で」
「出会いがしら、イワンに驚かされて治りました」
「相変わらずですね……」
よくよく考えたら、最初に言った言葉は、彼の名前だった。どうしてその名を呼んだのか。わざわざその言葉を選んだのか。自分でも解らない。ただ何となく、一番、言いたかった事なんだと思う。やっと気づけた今日から頑張らないと。勉強して、家に帰って、検査して、夕飯を食べて、お風呂に入って、明日の時間割の準備をして。それから眠るまでの間に、イワンにキスをお返しするシュミレーションでもしなければいけないと思った。
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