満腹アベック(5/24更新)

狂言巡

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好き嫌いの話/人参

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 格里縁は、甘く煮付けられた人参が苦手だった。
 いわゆる『グラッセ』と呼ばれるような、洋食屋のハンバーグの付け合わせとしてよく登場するタイプの甘い野菜が全般的に嫌で、とりわけ人参は好きではなかった。トウモロコシや南瓜、苺や西瓜といった甘い事が前提の物はいいのだ。
 だが、本来は甘くないのに甘く調理された野菜なんかは香りを嗅いだだけで、もうたえきれない。口に含んでじわりと広がる甘さはまず違和感を呼び起こし、生理的に受け付けないものがこの世にはあるのだと、幼き日の縁は悟った。
 付け加えると苦手な食べ物が増えるのは初めての経験ではなく、その数日前にチャレンジした忌まわしき発酵物こそが人生最大の天敵となっていたため、甘くされてしまった野菜はせいぜい中ボスレベルに留まっていた。だがしかし、苦手は苦手に違いない。もう一つ付け加えると、縁としては苺や西瓜は分類上では野菜だとしても個人的には果物として取り扱いたいところだ。
 そういえば、西瓜が食べたい。祖母の自宅ではもうできているのだろう、今日にでも寄ってみようか。そんな個人的欲求はさておき、その事を未来の恋人が知ったのは学生の時である。





「あれ? 縁先輩は人参が嫌いなんですか?」

 その日は委員会があり、縁はわざわざ教室に戻るのが億劫で昼食は会議で使用した空き教室で摂ることを事前に決めていた。それに当然のように同伴していた王高貴仁が、驚いた風の声音で箸をゆらした。縁はぬるい赤さの一口大の人参を弁当箱に戻して箸を置くと、ひょいと立ち上がって一番近い窓をがらがらと開けて風を通す。また何でもないように座り直して、人参を再び摘んだ。
 吹き抜ける風が、人いきれがまだこもってた教室内の空気を押し出していく。

「意外ですね。饅頭大好き甘党代表の先輩が」
「人参というより、本来甘くないはずの野菜が甘く味付けされているものが好きじゃないだけよ。私は甘党というわけじゃなくて、ただお饅頭が好きなだけ。勝手におかしな代表に選ばないで」
「いいえ先輩は立派なボスクラスの甘党ですよ。まぁ、甘い野菜が苦手というのはわからなくもありません。例えるなら、コーンスープの素を買おうとしたら、コーンの浮かんだシチューのルーを買ってしまった時の心境ですね」

 仁が何とも微妙な例えをあげつつ、てかてかと輝くぬるい赤をほいっと口に入れた。

「今苦手なのがわかると言わなかったかしら」
「それとこれとは話が別ですよ。王高貴家の自家製人参は甘くても美味しいですぞ、お一ついかがです?」
「遠慮する」
「安心して下さい、味の好みなんいつの間にか変化しているものですよ、ささどうぞ一口」
「やめ、ちょ、じ、仁!」

 むりやり食べさせられて終止しかめっ面をつくった縁はこの時、笑いながら謝ってくる後輩に喉までこみあげた罵倒を飲み下し、甘い人参が苦手であると知られたのである。





 そして、現在。
 ことり。底の浅い小皿が一つ、縁の正面に静かな音を立てた。真っ白な皿の中央には、赤く煮られた人参さん。甘い香りをふんわりと纏って鎮座している。いつか後輩の箸先でゆれた一口は厚みと数量を増してジェンガのように積み重なり、恋人であり同居人である男は無感情に銀色のフォークを置くと、すたすたすとんと向かいの席に腰掛けて縁を見据えた。
 ちらり。盗み見た奥のカウンターキッチンにはいつも通り、他の料理も盛り付けられた状態で今か今かと待ち構えている。
 腹の虫を誘う、程良く焼き目の付いたらしいトーストの匂い。色鮮やかなアスパラガスのベーコン巻きとスクランブルエッグ。おそらく半端に余っていた玉葱で作った冷製スープ。一昨日直売のおばさまから頂いたというレタスを千切ったサラダ。料理は既に出来ている。しかし、恋人同士の朝食が並べられるはずの舞台には人参オンリー、それも縁の前にだけ一皿、ぽつねんと置かれているばかりだ。
 いや、自分達にとっては、この人参こそが最上の前座にして、唯一の主役なのである。
 縁は知っている。その甘い赤色が、二人の間で重要な意味を持つことを。だから目だけで早くおあがり下さいと促す恋人を見やり、そしてフォークを構えてさくりと人参を突き刺した。

『喧嘩をしたら、次の日に格里縁は王高貴仁の作った人参のグラッセを食べる。それを仲直りの代わりとする』

 それが恋人である二人が一緒に暮らしはじめてからの約束事となっていた。

 きっかけは、理由も覚えていないようなことで大喧嘩をした翌日に、仁がイヤガラセの意をこめて縁の苦手な料理を作ったことだった。無言で差し出された赤くて甘い煮付けを、素直に謝ることもろくに出来ない縁は、無言で食べきった。
 わざわざ一手間かけてまで作られた甘いソレは、引っ込みがつかなくなった二人の溜飲を下げ、完食した後には用意されていた普通の料理を食べながら、顔を見合わせて笑ったものだ。それからは、お互いに売り言葉に買い言葉でどうにもならなくなると、翌日甘い香りで起こされた縁の目の前に、甘い人参それが並ぶようになった。
 食べたら全部水に流しましょう。そんな、二人だけの暗黙の了解ルール。思えば、昨日も随分と小さなことで喧嘩をした。
 何だかんだと二人して大げさな口論になったが、纏めると「縁さんが俺のアイスを食べたでしょう!」という話である。縁は仁の仁による仁のための御褒美だったという、コンビニ限定のアイスに全く覚えはなかった。しかし、自身で買った同系統のアイスは食べたために、端折って伝えたところが火に油。
 買ってくると言えば反省して下さるだけでいいんですと言い、身に覚えがないと言えばでも貴女さっき食べたと自白されたじゃないですか、あれは言葉のあやよ、アヤって誰ですか新しい女ですか! 違うに決まっているじゃない! などとぎゃんぎゃん大騒ぎになった。
 結論として、仁のアイスは冷凍庫ではなく、冷蔵庫の味噌が入ったタッパーの裏に紛れていたのだが、冷蔵されたがゆえに見るも無残な姿になっていたアイスに二人で戦慄して何も言えなくなってしまった。あれは誰も救われない、ひどい事件だった。後に金髪碧眼の名探偵はしみじみと語った。
 そして例に漏れず翌日、つまり今日、縁の前には人参がある。白い日が燦燦とリビングの温度を上げ、開け放たれた背後のベランダからは、爽やかな九時の風とそよぐ、ミントグリーンのカーテンが町の声をうたっている。

「頂きます」

 縁は手を合わせて挨拶をしてから、人参のグラッセを一切れ口に入れた。
 恋人の謝罪ゴメンナサイがめいっぱいつまったソレは凶悪なほどに甘く、噛むとほろりとほどけていく。しょっぱさと砂糖の直接的な甘味が絡み合い、あつあつのフライパンでコトコト気持ちごと煮詰められた人参は舌をじんとシビれさせた。二切れ、三切れと続けざまに食べていく縁を、仁はただじっと眺める。

「おそまつさまでした」

 黙々とよく噛んで味わっている恋人を無表情に見届けていた仁は、蛇口のように締まった外面を剥ぎ落として、にっこり縁に笑いかけた。

「まだ一つ残っているわ」
「それでは私が朝食を持ってくる間に迅速に完食して下さいね」
「……そうね」

 何でもないように明るい声で言った仁は、立ち上がって奥のキッチンの料理を取りに行った。縁は二人用のテーブルで、皿の中身を見つめる。そこにはイヤガラセに徹し切れなかった恋人の姿が目に見える。この家で一番小さいサイズの器。シュガーソルトバターだけで煮られた、簡単なレシピ。数分で食べ終わる。二人にとって一番的確な仲直り。
 いじらしい激情で彩られた、ちんまりとした甘い人参。別に、今でも苦手だと言った覚えはないのだが。

(おいしい)

 いつか飲み下した言葉はそのままに、縁は最後の人参をフォークで刺した。
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