4 / 44
一章 影に潜むもの
潜伏者
しおりを挟む
王城をよく拝むことのできる中央広場と、東と西、そして南の方角へと伸びる三本の大通り。
昼夜問わず、多くの人々が行き交う、まさに聖王都の大動脈。だが脇道にひとつ外れてしまえば、雰囲気はがらりと変わる。
「うえぇ……先輩、本当に行くんですか?」
西区の居住区は他に比べて古い。住人が移り住むごとに継ぎ接ぎ、増改築を繰り返した建物はところどころ修繕が間に合っておらず、それが不気味さを演出していた。
「まさか行き先が居住区だ、なんてことはないだろうからね。十中八九、行き先はこの先にある貧困区だろうさ。どうしたの? 怖気づいた?」
少しばかり瞳を潤ませ、震える手で祭服の裾を掴むマルル。その頭を優しく撫でる。
「いいよ。無理しなくても。ここまで付き合ってくれただけでも嬉しいもんさ」
マルルは目を閉じてひとつ深呼吸をする。再び開かれた黒い瞳には、心を決めたかのような力強さがある。
「……大丈夫です。どこまでもお供しますよ、先輩」
「ふふ、カンナ司祭と呼ぶようにって言ってるだろ。それじゃ行こうか、マルル助祭」
コールバインは商品を載せただろう馬車を牽いて移動していた。荷車が通れるくらいの道幅を選んでいたはず。それを手掛かりに、どういった経路を辿ったのか慎重に道を選ぶ。
建物がせっかくの陽気を遮ってしまい、時季外れの冷えた空気が肌をなでる。
鼻の奥にこびりつく、どこか湿ったような空気の臭い。ひび割れた石壁に蔓がびっしりと這う民家を横切り、細い水路にかかる古びた石橋を渡った。
「なんだかこうしていると『王の白き影』になったみたいですね。知りません? 流行の吟遊詩人が歌う冒険譚。なんでも、王様の命を受けて人の目を忍び平和を守る、悪を許さぬ騎士だとか。きっと、こんな感じなんですかねぇ」
余裕が出てきたのか、そんな軽口が聞こえる。
陽が高いのにも関わらず、人の気配がないことなど気にもしていない。この感じだと既に貧困区に足を踏み入れたようだが、黙っておこう。
「ああ、アタシも知ってる。たまたま、寮に帰る途中に酒場から聞こえてきただけどね。流行のってことは、だいぶ出来のいい物語なんだね」
「私もまだ聞いたことはないんですけど、なんでも歌い手の声と楽器の腕前が凄いんだとか。一緒になって噺を盛り立てる踊り子も、迫力があって人気みたいです。今度一緒に行ってみませんか?」
にこにこと笑っているマルルの口に、そっと人差し指をあてる。意図を察して口を紡いでくれたマルルと、一緒に民家の影に隠れる。
少し先に、前を歩く二人組の後ろ姿がある。頭から外套を被っていて様子はわからないが、一人が先頭に立ち、もう一人がその後ろにぴったりと着いて歩いている。歩く速度は遅く、歩幅も狭い。周辺の住人、というようには見えなかった。
「あの二人、なんか様子がおかしくないですか? 妙によそよそしいというか、人目を気にしてるみたいな……」
「そうだね。場所が場所だし、レマさんの息子が行方不明になってる件と関係してるかもしれない。後をつけてみよう、静かにね」
とは言ったが、全く無関係だったなんてオチもありえる。
ただ、見てしまった以上は見過ごすこともできない。女神サンアデリスに仕える教会の門を叩き、司祭となった責任と、今は亡き両親から受け継いだ想いが、胸の内であつく熱を帯び始めていた。
少し離れた距離を維持しながら、勘づかれないよう慎重に後をつける。
二人はほとんど廃屋に近いような民家と民家の間にある、色濃く影の落ちる道へと消えていく。後方の人物が時折、前方の男に向けてなにか話している。
前方の男が少しだけ振り向いて頷く。その時にちらりと見えたのは、眼鏡だろうか。
眼鏡をかけた人物は、背を丸め、両手でなにかを大事に胸に抱いているような格好をしている。どこか、怯えているようにみえた。
静かな怒りが腹の底で熾る。
何度めかの角を曲がると、やがて古びた木造の建物が現れた。一見すると寂れた酒場のようにみえる。片側が外れた両開きの扉の前で、二人は何事かを話している。
ここが目的地だろうか。いったいなぜ、こんなところに……。大きく膨れあがっていく疑念が、二人から目を離させない。
突然、眼鏡の人物が無理やり押し込まれるようにして、二人とも酒場の暗闇へと消えた。
―――間違いなく、何かが起きている!
アタシたちだけでどうにかできるとは思えない。場所は覚えた。ここは退き返して、教会に戻ろう。それから事情を話し、騎士を派遣してもらえばいい。アタシも同行すれば、多少の怪我も治療できる。
「……マルル。ここは一度戻って、騎士を呼んでこよう。聞いてるかい? マルル……」
振り返るが、そこにマルルの姿はない。
冷や水を浴びせかけられたように、急激に血の気が引く。
しくじった! あの子が何も言わずに逃げ出すなんてありえない。とっくに尾行に気付かれていた。
酒場の方へ再度振り返ると、目の前には外套を羽織る人影。
衝撃とともに、腹部に鈍い痛みが走り、呻き声が漏れ視界が歪む。声を上げようにも、息が吸い込めない。顔も上げられない。
頭の中を、痛いという言葉が駆けまわり、手足が自分のものでないように動かせない。再びの衝撃に身体が震え、視界が暗転した。
昼夜問わず、多くの人々が行き交う、まさに聖王都の大動脈。だが脇道にひとつ外れてしまえば、雰囲気はがらりと変わる。
「うえぇ……先輩、本当に行くんですか?」
西区の居住区は他に比べて古い。住人が移り住むごとに継ぎ接ぎ、増改築を繰り返した建物はところどころ修繕が間に合っておらず、それが不気味さを演出していた。
「まさか行き先が居住区だ、なんてことはないだろうからね。十中八九、行き先はこの先にある貧困区だろうさ。どうしたの? 怖気づいた?」
少しばかり瞳を潤ませ、震える手で祭服の裾を掴むマルル。その頭を優しく撫でる。
「いいよ。無理しなくても。ここまで付き合ってくれただけでも嬉しいもんさ」
マルルは目を閉じてひとつ深呼吸をする。再び開かれた黒い瞳には、心を決めたかのような力強さがある。
「……大丈夫です。どこまでもお供しますよ、先輩」
「ふふ、カンナ司祭と呼ぶようにって言ってるだろ。それじゃ行こうか、マルル助祭」
コールバインは商品を載せただろう馬車を牽いて移動していた。荷車が通れるくらいの道幅を選んでいたはず。それを手掛かりに、どういった経路を辿ったのか慎重に道を選ぶ。
建物がせっかくの陽気を遮ってしまい、時季外れの冷えた空気が肌をなでる。
鼻の奥にこびりつく、どこか湿ったような空気の臭い。ひび割れた石壁に蔓がびっしりと這う民家を横切り、細い水路にかかる古びた石橋を渡った。
「なんだかこうしていると『王の白き影』になったみたいですね。知りません? 流行の吟遊詩人が歌う冒険譚。なんでも、王様の命を受けて人の目を忍び平和を守る、悪を許さぬ騎士だとか。きっと、こんな感じなんですかねぇ」
余裕が出てきたのか、そんな軽口が聞こえる。
陽が高いのにも関わらず、人の気配がないことなど気にもしていない。この感じだと既に貧困区に足を踏み入れたようだが、黙っておこう。
「ああ、アタシも知ってる。たまたま、寮に帰る途中に酒場から聞こえてきただけどね。流行のってことは、だいぶ出来のいい物語なんだね」
「私もまだ聞いたことはないんですけど、なんでも歌い手の声と楽器の腕前が凄いんだとか。一緒になって噺を盛り立てる踊り子も、迫力があって人気みたいです。今度一緒に行ってみませんか?」
にこにこと笑っているマルルの口に、そっと人差し指をあてる。意図を察して口を紡いでくれたマルルと、一緒に民家の影に隠れる。
少し先に、前を歩く二人組の後ろ姿がある。頭から外套を被っていて様子はわからないが、一人が先頭に立ち、もう一人がその後ろにぴったりと着いて歩いている。歩く速度は遅く、歩幅も狭い。周辺の住人、というようには見えなかった。
「あの二人、なんか様子がおかしくないですか? 妙によそよそしいというか、人目を気にしてるみたいな……」
「そうだね。場所が場所だし、レマさんの息子が行方不明になってる件と関係してるかもしれない。後をつけてみよう、静かにね」
とは言ったが、全く無関係だったなんてオチもありえる。
ただ、見てしまった以上は見過ごすこともできない。女神サンアデリスに仕える教会の門を叩き、司祭となった責任と、今は亡き両親から受け継いだ想いが、胸の内であつく熱を帯び始めていた。
少し離れた距離を維持しながら、勘づかれないよう慎重に後をつける。
二人はほとんど廃屋に近いような民家と民家の間にある、色濃く影の落ちる道へと消えていく。後方の人物が時折、前方の男に向けてなにか話している。
前方の男が少しだけ振り向いて頷く。その時にちらりと見えたのは、眼鏡だろうか。
眼鏡をかけた人物は、背を丸め、両手でなにかを大事に胸に抱いているような格好をしている。どこか、怯えているようにみえた。
静かな怒りが腹の底で熾る。
何度めかの角を曲がると、やがて古びた木造の建物が現れた。一見すると寂れた酒場のようにみえる。片側が外れた両開きの扉の前で、二人は何事かを話している。
ここが目的地だろうか。いったいなぜ、こんなところに……。大きく膨れあがっていく疑念が、二人から目を離させない。
突然、眼鏡の人物が無理やり押し込まれるようにして、二人とも酒場の暗闇へと消えた。
―――間違いなく、何かが起きている!
アタシたちだけでどうにかできるとは思えない。場所は覚えた。ここは退き返して、教会に戻ろう。それから事情を話し、騎士を派遣してもらえばいい。アタシも同行すれば、多少の怪我も治療できる。
「……マルル。ここは一度戻って、騎士を呼んでこよう。聞いてるかい? マルル……」
振り返るが、そこにマルルの姿はない。
冷や水を浴びせかけられたように、急激に血の気が引く。
しくじった! あの子が何も言わずに逃げ出すなんてありえない。とっくに尾行に気付かれていた。
酒場の方へ再度振り返ると、目の前には外套を羽織る人影。
衝撃とともに、腹部に鈍い痛みが走り、呻き声が漏れ視界が歪む。声を上げようにも、息が吸い込めない。顔も上げられない。
頭の中を、痛いという言葉が駆けまわり、手足が自分のものでないように動かせない。再びの衝撃に身体が震え、視界が暗転した。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の慟哭
浜柔
ファンタジー
前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。
だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。
※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。
※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。
「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。
「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので
ふわふわ
恋愛
「婚約破棄?
……そうですか。では、私の役目は終わりですね」
王太子ロイド・ヴァルシュタインの婚約者として、
国と王宮を“滞りなく回す存在”であり続けてきた令嬢
マルグリット・フォン・ルーヴェン。
感情を表に出さず、
功績を誇らず、
ただ淡々と、最善だけを積み重ねてきた彼女に突きつけられたのは――
偽りの奇跡を振りかざす“聖女”による、突然の婚約破棄だった。
だが、マルグリットは嘆かない。
怒りもしない。
復讐すら、望まない。
彼女が選んだのは、
すべてを「仕組み」と「基準」に引き渡し、静かに前線から降りること。
彼女がいなくなっても、領地は回る。
判断は滞らず、人々は困らない。
それこそが、彼女が築いた“完成形”だった。
一方で、
彼女を切り捨てた王太子と偽聖女は、
「彼女がいない世界」で初めて、自分たちの無力さと向き合うことになる。
――必要とされない価値。
――前に出ない強さ。
――名前を呼ばれない完成。
これは、
騒がず、縋らず、静かに去った令嬢が、
最後にすべてを置き去りにして手に入れる“自由”の物語。
ざまぁは静かに、
恋は後半に、
そして物語は、凛と終わる。
アルファポリス女子読者向け
「大人の婚約破棄ざまぁ恋愛」、ここに完結。
【完結】第一王子と侍従令嬢の将来の夢
かずえ
恋愛
第一王子は、常に毒を盛られ、すっかり生きることに疲れていた。子爵令嬢は目が悪く、日常生活にも支障が出るほどであったが、育児放棄され、とにかく日々を送ることに必死だった。
12歳で出会った二人は、大人になることを目標に、協力しあう契約を交わす。
主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから
渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。
朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。
「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」
「いや、理不尽!」
初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。
「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」
※※※
専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり)
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる