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二章 迫る脅威、騎士の戦い
祈りのかたち
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「―――人の子らよ。暗き夜に恐れるとも主を求めよ。奉仕の心届くば主の導きあり。神意の道が開けよう」
「……教典の冒頭にある一節、ですね。聖なる翼を持つ女神、サンアデリス様が遺した言葉」
神話によれば、約九百年前、神同士が争った大戦があったとされる。
導き手として降臨された八柱の神々は、激しい戦いによって癒えぬ傷を負い、姿を消す。人々が混乱に陥るなか、女神サンアデリスの遺志を継ぐ初代教皇によって、聖堂教会が興された。
新たな導き手として迎えられた教会は、間もなく人を導く存在として王を選びだし、自らの上に玉座を創り座らせる。
何故わざわざ導き手の役割を王へ委ねたのか。諸説ありいまもなお議論も絶えないが、これが教典に記される、この国の成り立ち。
王政こそ大陸をまとめる権力であることに違いはない。一方で、神話では盟友関係にあった、他二柱の神を崇める民たちも、信仰の引継ぎという形で女神サンアデリスを信仰し、その教えはこの大陸に根をおろしている。
王政と教会。聖王大陸は、二つの権力に支配されていた。
「オリヴィエ助祭は、教会の教えをどう思う?」
「どう、と言われると困ってしまいますね。……女神様に仕える聖職者だけでなく、この大地に生きるすべての者へ救済を示す、人の寄る辺、でしょうか」
「立派だね。咄嗟にそこまで答えられるなんてさ。アタシが同じくらいの頃は、言葉に詰まってうまく喋れなかったもんだよ」
ギギと音を鳴らす、寝台の脇に置かれた椅子に腰を下ろし、オリヴィエにも座るように促す。彼女が椅子に腰を戻すのを見届けてから、話を続ける。
「人の寄る辺というのは、とても良い表現だねぇ。最高司教も、同じ言い方をしていたよ」
「フランチェスカ最高司教様と同じ……。とても、嬉しく思います」
「でもさ、救済っていったいなんだろうね? 懸命な祈りが届けば女神様が救ってくださる、そういうことかね?」
脳裏に蘇る夕暮れの記憶。朱色に染まる礼拝堂。アタシの新任研修を指導した、フランチェスカの言葉。
「施しのようにあまくもたらされる。それで苦しみから救われるなんて、都合が良すぎるとは思わないかい?」
「……救いを求めるからこそ、女神様を信奉し、ただ一心に祈りを捧げる。それではいけない、ということでしょうか」
「教典通りなら、それでいいんだろうさ。ただ、誰の為に、何の為に、祈りの言葉を紡ぐのか。心を託す場所はどこにあるのか。それが重要なのさ。納得、できない?」
じっと教典の表紙に視線を落とし、オリヴィエは身動ぎ一つしない。感情の読めない貌の下で交差する想いは読めないが、受け取った言葉を吟味し、考えを巡らせている。
少しの沈黙のあと、オリヴィエは口を開く。
「カンナ司祭が説いていらっしゃることは、己の内側に信ずるものを持てているか。例え長い時間がかかったとしても、裏切られようと、それを疑わず信じ抜く覚悟を持っているのか。……ということなのでしょうか。そうなのだとすれば、私は分かりません」
耳を傾け、少女の言葉をじっと待つ。
「女神様への信仰も、救いの手も、この大陸を生きる者には必要なのです。私は女神様への信仰を取り戻したい。心からそう願っていますが、その方法もまったく見当がつかないでいます」
オリヴィエは、短く息継ぎをする。心のうちから溢れてくる感情の波に飲み込まれないよう、言葉を選ぶその姿は、荒波に舟を攫われまいと舵をとる水夫ようにみえた。
「カンナ司祭の仰る通り、人々が強い信念をもって信奉を続けられれば、若しくは叶うのかもしれません。ですが、教会への信頼が日々失われるままでは、困難な道だと思えて仕方がありません。……教えてください。カンナ司祭が信じているものを。正しい聖職者と祈りのかたちとはいったい、なんなのでしょう……」
揺らぐ金色の瞳。言葉は平静でも、悲壮感すら漂わせる表情が胸をきつく締めつける。
「ごめんよ。それは教えられない。自分自身で見つけるしかないんだ。祈りの意味を自ら見出すことが、アンタを成長させてくれるんだからね」
きっとアタシとは違った答えになるはずさ―――。その言葉を、ぐっと飲み込む。
フランチェスカからも、同様の言葉を投げかけられた。この問いかけは、謂わば彼女が後進の成長を願って課す宿題。オリヴィエが自ら答えにたどり着かなければ意味がない。
それに、偉そうに語ってみてはいるが、アタシ自身、見つけていた答えに迷いがある。いや、気付かされてしまったのだ。
まだ得心がいかず、言い淀むオリヴィエを手で制する。明日の出立は早い。ここらで切り上げておかなくては。
「さ、今日はここまで。明日は朝一番での出立になるし、到着してから忙しいからね。体調を整えることも大事な教務の一つだよ」
不承不承といった様子ながらも、オリヴィエは「はい」と静かに応じる。
座る時と同じく、軋む音を立てて椅子から立ち上がり、部屋をあとにした。
部屋の扉を閉めると、通路は明かりひとつない、深い深い青色だけが残った。
静寂の中を進むうちに、揺れていた金色の瞳が浮かぶ。その瞳の裏側。隠された影には、何かひっかかるものがあった。
それは、否定されることへの恐れ。
……正しくなければ価値がない。残酷な現実にオリヴィエは立ち会わされている。正しくあれ。規範であれ。そうでないなら、いらない。
神話を発祥とする尊き血。なんという重荷を、あの小さな肩に背負わせるのか。そう思うと哀れだったし、それを強いた者たちに腹も立つ。
暗闇に響く、床石を踏む足音がぴたりと止む。
―――そのなかには教会もいる。
その事実に、唇を噛みしめた。
「……教典の冒頭にある一節、ですね。聖なる翼を持つ女神、サンアデリス様が遺した言葉」
神話によれば、約九百年前、神同士が争った大戦があったとされる。
導き手として降臨された八柱の神々は、激しい戦いによって癒えぬ傷を負い、姿を消す。人々が混乱に陥るなか、女神サンアデリスの遺志を継ぐ初代教皇によって、聖堂教会が興された。
新たな導き手として迎えられた教会は、間もなく人を導く存在として王を選びだし、自らの上に玉座を創り座らせる。
何故わざわざ導き手の役割を王へ委ねたのか。諸説ありいまもなお議論も絶えないが、これが教典に記される、この国の成り立ち。
王政こそ大陸をまとめる権力であることに違いはない。一方で、神話では盟友関係にあった、他二柱の神を崇める民たちも、信仰の引継ぎという形で女神サンアデリスを信仰し、その教えはこの大陸に根をおろしている。
王政と教会。聖王大陸は、二つの権力に支配されていた。
「オリヴィエ助祭は、教会の教えをどう思う?」
「どう、と言われると困ってしまいますね。……女神様に仕える聖職者だけでなく、この大地に生きるすべての者へ救済を示す、人の寄る辺、でしょうか」
「立派だね。咄嗟にそこまで答えられるなんてさ。アタシが同じくらいの頃は、言葉に詰まってうまく喋れなかったもんだよ」
ギギと音を鳴らす、寝台の脇に置かれた椅子に腰を下ろし、オリヴィエにも座るように促す。彼女が椅子に腰を戻すのを見届けてから、話を続ける。
「人の寄る辺というのは、とても良い表現だねぇ。最高司教も、同じ言い方をしていたよ」
「フランチェスカ最高司教様と同じ……。とても、嬉しく思います」
「でもさ、救済っていったいなんだろうね? 懸命な祈りが届けば女神様が救ってくださる、そういうことかね?」
脳裏に蘇る夕暮れの記憶。朱色に染まる礼拝堂。アタシの新任研修を指導した、フランチェスカの言葉。
「施しのようにあまくもたらされる。それで苦しみから救われるなんて、都合が良すぎるとは思わないかい?」
「……救いを求めるからこそ、女神様を信奉し、ただ一心に祈りを捧げる。それではいけない、ということでしょうか」
「教典通りなら、それでいいんだろうさ。ただ、誰の為に、何の為に、祈りの言葉を紡ぐのか。心を託す場所はどこにあるのか。それが重要なのさ。納得、できない?」
じっと教典の表紙に視線を落とし、オリヴィエは身動ぎ一つしない。感情の読めない貌の下で交差する想いは読めないが、受け取った言葉を吟味し、考えを巡らせている。
少しの沈黙のあと、オリヴィエは口を開く。
「カンナ司祭が説いていらっしゃることは、己の内側に信ずるものを持てているか。例え長い時間がかかったとしても、裏切られようと、それを疑わず信じ抜く覚悟を持っているのか。……ということなのでしょうか。そうなのだとすれば、私は分かりません」
耳を傾け、少女の言葉をじっと待つ。
「女神様への信仰も、救いの手も、この大陸を生きる者には必要なのです。私は女神様への信仰を取り戻したい。心からそう願っていますが、その方法もまったく見当がつかないでいます」
オリヴィエは、短く息継ぎをする。心のうちから溢れてくる感情の波に飲み込まれないよう、言葉を選ぶその姿は、荒波に舟を攫われまいと舵をとる水夫ようにみえた。
「カンナ司祭の仰る通り、人々が強い信念をもって信奉を続けられれば、若しくは叶うのかもしれません。ですが、教会への信頼が日々失われるままでは、困難な道だと思えて仕方がありません。……教えてください。カンナ司祭が信じているものを。正しい聖職者と祈りのかたちとはいったい、なんなのでしょう……」
揺らぐ金色の瞳。言葉は平静でも、悲壮感すら漂わせる表情が胸をきつく締めつける。
「ごめんよ。それは教えられない。自分自身で見つけるしかないんだ。祈りの意味を自ら見出すことが、アンタを成長させてくれるんだからね」
きっとアタシとは違った答えになるはずさ―――。その言葉を、ぐっと飲み込む。
フランチェスカからも、同様の言葉を投げかけられた。この問いかけは、謂わば彼女が後進の成長を願って課す宿題。オリヴィエが自ら答えにたどり着かなければ意味がない。
それに、偉そうに語ってみてはいるが、アタシ自身、見つけていた答えに迷いがある。いや、気付かされてしまったのだ。
まだ得心がいかず、言い淀むオリヴィエを手で制する。明日の出立は早い。ここらで切り上げておかなくては。
「さ、今日はここまで。明日は朝一番での出立になるし、到着してから忙しいからね。体調を整えることも大事な教務の一つだよ」
不承不承といった様子ながらも、オリヴィエは「はい」と静かに応じる。
座る時と同じく、軋む音を立てて椅子から立ち上がり、部屋をあとにした。
部屋の扉を閉めると、通路は明かりひとつない、深い深い青色だけが残った。
静寂の中を進むうちに、揺れていた金色の瞳が浮かぶ。その瞳の裏側。隠された影には、何かひっかかるものがあった。
それは、否定されることへの恐れ。
……正しくなければ価値がない。残酷な現実にオリヴィエは立ち会わされている。正しくあれ。規範であれ。そうでないなら、いらない。
神話を発祥とする尊き血。なんという重荷を、あの小さな肩に背負わせるのか。そう思うと哀れだったし、それを強いた者たちに腹も立つ。
暗闇に響く、床石を踏む足音がぴたりと止む。
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