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四章 狭間の祈り手
黒風に吹かれる
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沈み行く朱い夕陽が、糸のように降りそそぐ秋雨を煌めかせている。
肩を濡らす雫を払いながら、足早にアジトへと向かう。まるで巨大な道具かなにかを使い、岩山を刳り抜いて建てられた遺跡のなかは薄暗く、ひやりとした湿度を含んでいた。
低い天井を支えている、なにかの紋様が刻まれた石柱の間を通り抜けた。
狭い通路の最奥、布が垂かけられた部屋。その布を捲るようにして入室する。主はまだ戻ってきていないはずだった。
「誰かと思えばお前か、スレッツァ。どうした。なんか用か?」
「……驚かさんでくださいよ。ずいぶんと早かったじゃないですか。あの髭商人の呼び出しなんだから、まだまだかかると思ったんですがね。まさか、面倒になって投げ出したんじゃないでしょうね」
右目に眼帯をかけた男は、横倒しになった石柱を椅子代わりに、肩をすくめてみせる。
「大事な出資者の呼び出しなんだ。しっかり聞いてきたさ。……お小言をな」
ただの寄せ集めに過ぎない貧弱な集団を、いまや大々的に反体制を掲げる攻性の組織にまで発展させたこの男を呼び出し、文句を言えるのは、もはや彼くらいのものだろう。加えてこの男は暗殺者の技を編み出した、いわば創始者のような存在だった。
この男、ジエロは、四十に届かぬ年齢でその域まで到達した類まれなる傑物。その男が、深いため息を吐く。
「暗殺者の運用についてな、果たしてこれで良いのかと言われたよ。今のままでは、掲げた理想とかけ離れているのではないか、とな」
出資者であるルンマンという男は、大陸南東部を中心にして販路を築き、財を成した大商人である。ジエロの志に深く共感し、このアジトの提供からこまかな場面まで協力してくれていた。
「俺たちはただの暴力集団じゃあない。俺も口すっぱく言ってはいるんですがねぇ。どうも若い連中は、手に入れた力に酔いやすい」
ジエロは天井を見上げ、苦々しく呟く。
「その結果が昨年のアーフェンハー港での虐殺だ。汚職や不正とは関係のない人間にまで、被害が出てしまった。今だってそうだろう? むやみに傷つけなくてもいい相手にまで、怒りの感情を吐き出している」
輝石に込められた炎が揺らめき、岩壁に映る影が歪む。
「綺麗ごとを言うつもりはないが、俺たちが手を下す相手は大陸を蝕む害虫だけだ」
感情の抑えられた、静かに語られた言葉だったが、その響きには抱く覚悟の強さが含まれている。
「それを、はき違えることは許されない。……お前や、付き合いの古い連中はわかってくれちゃいるがな。俺の言葉は、先端までは届いてはくれない」
「後悔してる、なんて言わんでくださいよ。たしかに若い連中のやってることは暴走に近い。力を試したい、見せびらかしたいとウズウズしてる奴ばっかりだ。それでも、救われて泣いて喜ぶ顔だって見たでしょう? 俺たちの目指した理想には一歩ずつ近づいてる。あんたのおかげだ、ジエロ」
「……そうだといいんだがな」
暗殺者の祖とも呼べる男が、なんと人間くさい。どこか疲労感を漂わせ、感傷に浸るこの顔を今すぐに若い連中に見せてやりたかった。
「そんなことよりも、俺に用があったんだろ?」
「そうだった。すっかり忘れちまってた」
ジエロは横を向いていた身体をこちらに向け、顔の前で両手を組むようにして屈む。
「里に残ってる仲間から連絡があったんですがね。どうも、ヴアル高僧が聖王都へと向かったらしい」
「導師が……理由はわかっているのか?」
「それがまったく。僧房から出てきたと思ったら、そのまま行っちまったらしい。他の僧たちも、突然のことで何も聞いてなかったそうです」
大地の神ジンガーラを崇める少数民族が暮らす集落。里に住む彼らは教えに従い、社会とのかかわりを持たず、人目を避けるようにしてひっそりと暮らしている。古くは『大地の民』とも呼ばれた一族をまとめ、すべての決定権を握っているのは、ヴアルと呼ばれる一人の高僧だった。
その人物が、なんの前触れもなく、ふらりと王都へと旅立った。里の人間はこれ以上ないほど狼狽えたに違いない。
「その後は、補佐役の中僧正がうまいこと仕切ってるらしいですがね。何か知ってます?」
「いや、知らない。俺もヴアル導師とは十年以上会ってないからな。とはいえ、理由もなく行動する人間じゃあない」
ジエロは無精髭の生えた顎をなで、一人で頷いていた。
「里には女神サンアデリスの言葉を記したという碑文もある。導師が管理しているから、誰も見たことがないがな。内容も知らんが、それに関係しているのかもしれないな」
「大地の神を崇める里に、なんで女神の碑文があるんです? 教会のいう神話ってのは詳しく知らんのですけど、なんか関係あったんですかね」
「さぁな。昔聞いた気もするが、もう忘れてしまったよ。だが、この大陸に大きな嵐が吹き荒れる予兆には感じるな。……これは、俺たちも探らなきゃならん。そう思うだろう? フォルネイ」
「止めてくださいよ。咄嗟に思いついた偽名なんですから」
調査の為に聖王都へ潜伏していた際、おかしな出会い方をしたカンナという司祭に名乗った名だった。それ以降、仲間内からはこうやってからかわれていた。
「ずいぶん洒落た偽名にしたもんだ。カンナ司祭、だったか。そんなにいい女だったのか?」
「まぁ、俺好みではありましたけどね。仲間に誘うくらいには。でもきっと、何度誘っても頷かねぇですよ。そういう女です」
「ふぅん。お前がそこまで言うんだ、一度会ってみたいもんだよ。さて、スレッツァ。一人二人連れて、俺と一緒に来い。里に行って、導師の考えを探ってみる」
「本気ですか? あの『幻燈の森』を抜けなきゃなんねぇんですよ」
「問題ない。正しい手順は知ってるから、なんなく抜けられるさ。―――俺は、あの里の出身だからな」
肩を濡らす雫を払いながら、足早にアジトへと向かう。まるで巨大な道具かなにかを使い、岩山を刳り抜いて建てられた遺跡のなかは薄暗く、ひやりとした湿度を含んでいた。
低い天井を支えている、なにかの紋様が刻まれた石柱の間を通り抜けた。
狭い通路の最奥、布が垂かけられた部屋。その布を捲るようにして入室する。主はまだ戻ってきていないはずだった。
「誰かと思えばお前か、スレッツァ。どうした。なんか用か?」
「……驚かさんでくださいよ。ずいぶんと早かったじゃないですか。あの髭商人の呼び出しなんだから、まだまだかかると思ったんですがね。まさか、面倒になって投げ出したんじゃないでしょうね」
右目に眼帯をかけた男は、横倒しになった石柱を椅子代わりに、肩をすくめてみせる。
「大事な出資者の呼び出しなんだ。しっかり聞いてきたさ。……お小言をな」
ただの寄せ集めに過ぎない貧弱な集団を、いまや大々的に反体制を掲げる攻性の組織にまで発展させたこの男を呼び出し、文句を言えるのは、もはや彼くらいのものだろう。加えてこの男は暗殺者の技を編み出した、いわば創始者のような存在だった。
この男、ジエロは、四十に届かぬ年齢でその域まで到達した類まれなる傑物。その男が、深いため息を吐く。
「暗殺者の運用についてな、果たしてこれで良いのかと言われたよ。今のままでは、掲げた理想とかけ離れているのではないか、とな」
出資者であるルンマンという男は、大陸南東部を中心にして販路を築き、財を成した大商人である。ジエロの志に深く共感し、このアジトの提供からこまかな場面まで協力してくれていた。
「俺たちはただの暴力集団じゃあない。俺も口すっぱく言ってはいるんですがねぇ。どうも若い連中は、手に入れた力に酔いやすい」
ジエロは天井を見上げ、苦々しく呟く。
「その結果が昨年のアーフェンハー港での虐殺だ。汚職や不正とは関係のない人間にまで、被害が出てしまった。今だってそうだろう? むやみに傷つけなくてもいい相手にまで、怒りの感情を吐き出している」
輝石に込められた炎が揺らめき、岩壁に映る影が歪む。
「綺麗ごとを言うつもりはないが、俺たちが手を下す相手は大陸を蝕む害虫だけだ」
感情の抑えられた、静かに語られた言葉だったが、その響きには抱く覚悟の強さが含まれている。
「それを、はき違えることは許されない。……お前や、付き合いの古い連中はわかってくれちゃいるがな。俺の言葉は、先端までは届いてはくれない」
「後悔してる、なんて言わんでくださいよ。たしかに若い連中のやってることは暴走に近い。力を試したい、見せびらかしたいとウズウズしてる奴ばっかりだ。それでも、救われて泣いて喜ぶ顔だって見たでしょう? 俺たちの目指した理想には一歩ずつ近づいてる。あんたのおかげだ、ジエロ」
「……そうだといいんだがな」
暗殺者の祖とも呼べる男が、なんと人間くさい。どこか疲労感を漂わせ、感傷に浸るこの顔を今すぐに若い連中に見せてやりたかった。
「そんなことよりも、俺に用があったんだろ?」
「そうだった。すっかり忘れちまってた」
ジエロは横を向いていた身体をこちらに向け、顔の前で両手を組むようにして屈む。
「里に残ってる仲間から連絡があったんですがね。どうも、ヴアル高僧が聖王都へと向かったらしい」
「導師が……理由はわかっているのか?」
「それがまったく。僧房から出てきたと思ったら、そのまま行っちまったらしい。他の僧たちも、突然のことで何も聞いてなかったそうです」
大地の神ジンガーラを崇める少数民族が暮らす集落。里に住む彼らは教えに従い、社会とのかかわりを持たず、人目を避けるようにしてひっそりと暮らしている。古くは『大地の民』とも呼ばれた一族をまとめ、すべての決定権を握っているのは、ヴアルと呼ばれる一人の高僧だった。
その人物が、なんの前触れもなく、ふらりと王都へと旅立った。里の人間はこれ以上ないほど狼狽えたに違いない。
「その後は、補佐役の中僧正がうまいこと仕切ってるらしいですがね。何か知ってます?」
「いや、知らない。俺もヴアル導師とは十年以上会ってないからな。とはいえ、理由もなく行動する人間じゃあない」
ジエロは無精髭の生えた顎をなで、一人で頷いていた。
「里には女神サンアデリスの言葉を記したという碑文もある。導師が管理しているから、誰も見たことがないがな。内容も知らんが、それに関係しているのかもしれないな」
「大地の神を崇める里に、なんで女神の碑文があるんです? 教会のいう神話ってのは詳しく知らんのですけど、なんか関係あったんですかね」
「さぁな。昔聞いた気もするが、もう忘れてしまったよ。だが、この大陸に大きな嵐が吹き荒れる予兆には感じるな。……これは、俺たちも探らなきゃならん。そう思うだろう? フォルネイ」
「止めてくださいよ。咄嗟に思いついた偽名なんですから」
調査の為に聖王都へ潜伏していた際、おかしな出会い方をしたカンナという司祭に名乗った名だった。それ以降、仲間内からはこうやってからかわれていた。
「ずいぶん洒落た偽名にしたもんだ。カンナ司祭、だったか。そんなにいい女だったのか?」
「まぁ、俺好みではありましたけどね。仲間に誘うくらいには。でもきっと、何度誘っても頷かねぇですよ。そういう女です」
「ふぅん。お前がそこまで言うんだ、一度会ってみたいもんだよ。さて、スレッツァ。一人二人連れて、俺と一緒に来い。里に行って、導師の考えを探ってみる」
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