狭間の祈り手 -聖王大陸戦記 Ⅰ-

ムロ☆キング

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四章 狭間の祈り手

黒風に吹かれる(2)

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 すっかりと秋めいた青空のした、いつもより数段と忙しなく行き来する王都の人々をみると、思わず「のんきなもんだな」なんてこぼれそうになる。

 活性化する化物モンスターたちは、騎士たちの尽力をもってしても生活圏を脅かし、不吉きわまりない『災厄の予言』という噂話と相まって、王と教会による統治に暗い影を落としている。

 暗殺者という、弾圧からの解放者とも支持される輩もいる。アーフェンハー港が位置する大陸南西部を中心にその機運は高まり、どんよりと重い、嵐をはらんだ暗雲を聖王大陸のうえに広げていた。

 競い月(十月)に入り、年に一度の大競技祭の準備に追われ、浮かれるうちに、人々の頭のなかから、そんなことは吹き飛んでしまっているのだ。

 ―――それとも、必死に見ないようにしてるのかな?

 食卓の上にある、クッピーナ(薄く伸ばした生地にジャムなどを詰めた揚げ菓子)をフォークでもてあそんでいると、空席の向かい側に人影が現れる。

「なんだいマルル、行儀の悪い。外の席なんだから、誰に見られてるかわかんないよ。それとも、もしかしてイマイチだった? ここの店は値段のわりにそこそこ美味いって評判なんだがねぇ」

 肩に触れるくらいの位置で切り揃えられた赤髪を揺らし、カンナはひょいと皿の上にあるクッピーナを摘まみ、一口頬張る。

「お、黒ベリーのジャムだ。なんだ、結構ウマいじゃないか」

「もう。先輩こそ、手づかみなんて行儀悪いですよ。それに、自分から言い出した約束だっていうのに、遅刻してきた待ち合わせの相手に呆れてただけですから」

「あはは、ごめんごめん」と言って、手をひらひらと振ってみせるカンナの顔色は青白い。溌溂としたいつもの眼差しも、鳴りを潜めてしまっている。向けられる笑顔すら、無理に取り繕ったものにみえた。

「……大丈夫ですか先輩? ずいぶんお疲れのようですけど」

「あぁ……大丈夫さ。最近やけに忙しくてね。疲れが抜けないだけさ。それよりも、遅れちまって悪かったね。それに、黙っていなくなっちまったことも」

「ほんとですよ。オリヴィエの研修が終わってすぐに異動だなんて。あの子、私の責任ですなんて、最高司教に撤回の懇願に行ったんですから。懲罰ではなくて、むしろ栄転だ、って諭されてましたけど」

 フランチェスカの口から、ついにカンナの異動先を聞くことはできなかった。教務の合間や非番の日に街を探してみたがその姿は見つけられず、不安と焦りだけが募る。

 そうしているうちに三月ほどが過ぎ、居ても立ってもいられず、強硬手段に出ようと心を決めた矢先、ふらりとカンナが中央教会に姿を現したのは、昨日の夜遅い出来事だった。

 フランチェスカに会いたかったようだが、あいにく彼女は北部にある自領へと戻ってしまっている。

 馬でも五日はかかる距離があり、王都に戻るまでにはまだ日がある。そう伝えると、カンナはあてが外れた様子で肩を落とした。

 その様子に、なんとか堪えていた我慢の糸がぷつりと切れ、しんと静まる夜の教会でカンナ相手に喚き散らしたのだった。他の司祭や助祭の子が何事かと様子を見に来ても、止めどもなく溢れる感情に蓋はできなかった。

「どうしても言えないわけがあってね。こればっかりは、マルルにも話せないんだ。すまないね」

 昨晩と同じ台詞。一通り罵詈雑言を受け取ったあと、カンナはせめてものお詫びにと「明日はマルルの言うことを一日聞くからさ」と言ったのだった。

 一日付き合ってもらう。そう約束をして、今日を迎えたのである。

「それにしても、オリヴィエと仲良くしてくれてるようで良かったよ。アンタ、苦手じゃないか、がさ。あの子は、そのものだよ?」

「私だって、戦ったわけじゃないけど、先輩とあの子と一緒に、命がけの戦場に居たんです。オリヴィエが、嫌な子じゃないって分かってますよ。むしろ、ちょっと心配なくらいです。正式に最高司教の教え子に認められたんで、大丈夫とは思うんですけどね」

「ああ、それで一緒にグラントール領まで着いていってるんだっけ。まぁ、お師匠様は良く気付くし、思慮深い方だから、オリヴィエの危なっかしいというか、自分を閉じ込めてしまってるようなところも、良くしてくれると思うよ」

 遅れてきた給仕に、毛玉ヤギの乳を使った甘い茶を注文するカンナをみながら、そうだろうかと、口にでない不安を胸の内で呟く。

 オリヴィエではなく、フランチェスカのことだ。

 年齢を感じさせない美貌。鋭敏であり聡明。それでいて決して他者を見下さず、何人であっても真摯に向き合う聖人のごとき精神。―――彼女が持つその魂は、底がみえない。

 深く集中しなければ、幻のように霞み、輪郭すら捉えられないが、ちょうど心の臓あたりに重なり、寄り添うようにして揺らめく魂を、私の眼は視ることができた。

 大抵の人が浅い位置で燃やすそれを、フランチェスカは光届かぬ海の底に持っている。深く視ようとすれば引きずり込まれる、蠱惑的な青い闇。初めてそれを感じた時、フランチェスカは唇の端を歪めたのだった―――。

 勘違いだったのかもしれない。彼女の持つエーテルを扱う能力、灯火の力は常人から抜きんでているから、そう錯覚したのだ。慈しむ微笑みとはまったく違った、あの歪んだ嗤いは、きっと見間違いなのだと、言い聞かせている。

「マルル? どうかしたかい?」

「い、いいえ。なんでもないです。私も先輩と一緒の飲もうかな」

 いつの間にか届いていた茶を飲むカンナの魂はいま、嵐の黒風にさらされたように頼りなく揺れている。

 この数月の間に起きた出来事が、確実に魂を蝕んだに違いない。それを自覚しているのかは分からなかったが、弱音を他人から隠すこの先輩は、きっと言わないだろう。

「……先輩、やっぱり今日は休んだ方が良いんじゃないですか? どこからどうみても、体調が悪いようにしかみえませんよ」

「なにいってんだい。ちょっと疲れただけだって言ったろ。そうだ、あれ聴きに行こうか。前にマルルが言ってた、流行の吟遊詩人」

「あ、王の白き影ですね? たしかにまだ歌ってるみたいですけど、今の時間だとまだちょっと早いかもなぁ」

 言葉のどの部分にひっかかりを感じたのかは分からないが、なんともいえない表情をカンナはしていた。

「探しましたよ、姐さん」

 短い茶髪を後ろで縛った、細身だが長身で、強かでしなるような木を思わせる男が立っていた。男の腰には、弓が備えられている。

「ジニアス……。今日はアタシ、休みにしてもらったはずだけど?」

「それが、急用ができたもんで。室長が、早くこいってさ」

 あまり見たことのない、苦虫を噛み潰したような顔をするカンナは、まだ中身の残る茶をそのままにして、立ち上がる。カップの脇には、十分すぎるほどの銅貨が置かれていた。

「本当にごめん、マルル。この埋め合わせ、絶対にするからね」

「あ、あの先輩。それはいいんですけど、お身体、大事にしてくださいね」

 ジニアスと呼ばれた男とともに、遠ざかる背中に声をかける。

 このままどこか遠くに行ってしまうのではないか。胸をよぎる予感に、そんな言葉しかかけられない。喧騒に紛れながら、カンナは「じゃあね」と一度だけ振り返る。

 言葉が届いていたのかどうかわからぬまま、その姿は人混みへ消えていった。
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