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四章 狭間の祈り手
小さき隣人の棲む森
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里へと案内する娘が掌に宿す、青白い灯かりを見失わないように、全員が一塊りになって進む。
紫色の霞が視界いっぱいに広がり、霞のもつ甘い匂いに胸がつかえた。
木々は鬱蒼として、まるで葉でつくられた天井のようになっている。根はどれも逞しく大地に息づいており、踏み越えるたびに、ゴツゴツとした感触を足裏から伝えてきていた。
まだ陽は高いはずだが、もはやその光は届かず、ぼんやりとした桃色の光の玉がいくつも浮かんでいる。桃色の光の玉は、近くを飛び回るものもあれば、木の枝や根本近くで動かないものまで、じつにさまざまであった。
「ムサ君、この霞をどう思う?」
すぐ左後方から聞こえた野太い声。声主はオンバだった。
「いやー、参っちまうよ。気配が読めないっつうか、まわりを綿で固められてるような、手ごたえのない圧迫感? そんな感じばっかだぜ」
「なんだいそれは。君に詩人の才覚がないのは重々承知していたが、今日は一段とひどいじゃないか。カクトゥス君はどうだい?」
「……俺も、気配がわからん。もし仮に敵が近くに潜んでいても、これでは気付きようがないな」
「それは私も同意見だよ。せいぜい、感知が得意なムサ君に期待するしかないようだね。さ、ムサ君。張り切って神経を研ぎすませておくれよ」
「おまえ、俺を犬っころかなにかと思ってんだろ。覚えてろよ? 隊律を破ったって副隊長に訴えてやるからな。隊律その一、仲間を貶すことなかれ、だ」
いつもなら気にも留めない騎士たちの会話。それが何故か、無性に苛立ちを感じさせる。森を進む一歩ごとに、頭痛が脈打つ。
右前方を歩いているムサが、抗議のために振りあげた左腕。あやうくぶつかりそうになった光の玉は慌ててよけ、まるで腹を立てているかのように、ムサの顔の周りを飛び回った。
うるさくて仕方ないだろうに。しかしムサは何事もなく腕を戻す。何も見えていないような、自然な動作だった。
―――桃色の光の玉。これが見えてるのは、アタシだけなんだろうか。
くすくす。ニンゲンはにぶいね。
『大地の民』じゃなきゃ、みえないからね。
でもあのニンゲンはみえてるみたい。
ほんとうだ。おかしいね。
耳鳴りのように、幼いこどもの声が響く。
はっきりとではなく、不思議な響きを持った言葉だったが、なんとなく意味は理解できる。
きっと、まぶしいたましいをもってるんだよ。
でも、つらそうだね。
ほんとうだ。あれじゃ、かわいそうだね。
せっかくのたましいも、ほうせきになっちゃうね。
そうしたら、ぼくたちがもらっちゃおう。
こどものわらう声が、幾重にも折り重なって響き、身体中を震わせる。
足から力が抜け落ちて、咄嗟に両手を地面につける。目の前にある、自分の手の輪郭が、二重三重に浮かびあがり、あちこちへ散っていく。
風の吹きこまない森で、木々の葉が、さあっと騒めく。
胸の内を探られ、暴かれる感触に、苦いものが口のなかに広がった。
「カンナ司祭。気を確かにもってください。ヤティナの言葉は人を惑わします。これを吸って、心を落ち着かせてください。ゆっくりと、鎮めて」
案内人の娘が慌てて駆け寄り、懐から香のようなものを取り出す。銅を打って拵えた、小さな楕円形の、札のような見た目をしていた。
真ん中あたりには、いくつか穴が開いており、鼻の奥に残る甘い匂いを追い出すように、清潔感ある香りが駆け抜けていく。それでも視界は歪んだまま、空中に身体が投げ出されたような感覚に、頭のなかが混乱していた。
「アタシは……あの頃から、何も成長してない」
「―――おちついてください。小さき隣人の姿が見えてるのですね? 彼らの光は、呪いをかけないまま、目にしてはいけません。そもそも見えないなら問題ないのですが……。大丈夫。彼らに直接害する力はありませんから」
娘の言葉は音として聞こえているが、もはや意味が理解できない。
ぴったりと閉じた箱のふたがずれ、中身が漏れだすようにして、思いが口から流れ出ていく。
「女神が実在した、そう聞いても、信仰心のないアタシは、なにも思わなかったんだ」
主を求めよ。崇め讃えよ。そればかりの教会規範は、救いをもたらしはしない。
救いを求める人々は、日々を慎ましく懸命に生きる人々の悲しみは、一向に減ることなく、悪意はうずまき、大陸に吹き荒れている。
「アタシは、自分にやれることは、全部やろうと思った。でも、こぼれ落ちるものが、あまりにも多すぎる。アタシは、両親と両親にすがった連中を馬鹿にした頃から、何も変わっちゃいない。変わった気に、なってただけなんだ……」
それは、剥き出しの感情だった。自分自身への怒りと悲しみ。ずっと抱えてきた、心の叫び。
「アタシには、何もできない。知らないことが、多すぎる。いったいアタシに、なにをさせようってんだ! こんな、なにもできない、なにもしらない、アタシなんかに!」
ふわりと、やわらかな感触。娘の腕が、肩にまわされていた。
首のまわりに、ぽうっと熱が宿る。重なり、響き合っていた音が、透明になっていく。
「―――大丈夫です。先輩、言ってたじゃないですか。迷ったら、周りを頼れって。オリヴィエに言ったこと、忘れちゃったんですか? 弱いところがあったって、前を向いて、まっすぐに進んでいく。それが、私が尊敬する、カンナ先輩なんです」
それは、懐かしさすらおぼえる声だった。
「……アンタ、まさか……」
焦点が合うように、世界の輪郭が一つに戻る。
顔を隠す頭巾の奥、大きな黒い瞳と、視線が交わった。
―――娘の向こう側。ぬらりと、碧色をした水たまりが地面から湧いた。それは見る見るうちに、二本の角を生やした女の顔となり、その下に胴と四本の腕、蛇のような下半身を象っていく。
下側二本の腕は胸の前で掌を合わせ、上側の二本は鋭い氷の刃を握る。
閉じた瞳のまま、無表情の顔はたしかに、アタシを向いた。
紫色の霞が視界いっぱいに広がり、霞のもつ甘い匂いに胸がつかえた。
木々は鬱蒼として、まるで葉でつくられた天井のようになっている。根はどれも逞しく大地に息づいており、踏み越えるたびに、ゴツゴツとした感触を足裏から伝えてきていた。
まだ陽は高いはずだが、もはやその光は届かず、ぼんやりとした桃色の光の玉がいくつも浮かんでいる。桃色の光の玉は、近くを飛び回るものもあれば、木の枝や根本近くで動かないものまで、じつにさまざまであった。
「ムサ君、この霞をどう思う?」
すぐ左後方から聞こえた野太い声。声主はオンバだった。
「いやー、参っちまうよ。気配が読めないっつうか、まわりを綿で固められてるような、手ごたえのない圧迫感? そんな感じばっかだぜ」
「なんだいそれは。君に詩人の才覚がないのは重々承知していたが、今日は一段とひどいじゃないか。カクトゥス君はどうだい?」
「……俺も、気配がわからん。もし仮に敵が近くに潜んでいても、これでは気付きようがないな」
「それは私も同意見だよ。せいぜい、感知が得意なムサ君に期待するしかないようだね。さ、ムサ君。張り切って神経を研ぎすませておくれよ」
「おまえ、俺を犬っころかなにかと思ってんだろ。覚えてろよ? 隊律を破ったって副隊長に訴えてやるからな。隊律その一、仲間を貶すことなかれ、だ」
いつもなら気にも留めない騎士たちの会話。それが何故か、無性に苛立ちを感じさせる。森を進む一歩ごとに、頭痛が脈打つ。
右前方を歩いているムサが、抗議のために振りあげた左腕。あやうくぶつかりそうになった光の玉は慌ててよけ、まるで腹を立てているかのように、ムサの顔の周りを飛び回った。
うるさくて仕方ないだろうに。しかしムサは何事もなく腕を戻す。何も見えていないような、自然な動作だった。
―――桃色の光の玉。これが見えてるのは、アタシだけなんだろうか。
くすくす。ニンゲンはにぶいね。
『大地の民』じゃなきゃ、みえないからね。
でもあのニンゲンはみえてるみたい。
ほんとうだ。おかしいね。
耳鳴りのように、幼いこどもの声が響く。
はっきりとではなく、不思議な響きを持った言葉だったが、なんとなく意味は理解できる。
きっと、まぶしいたましいをもってるんだよ。
でも、つらそうだね。
ほんとうだ。あれじゃ、かわいそうだね。
せっかくのたましいも、ほうせきになっちゃうね。
そうしたら、ぼくたちがもらっちゃおう。
こどものわらう声が、幾重にも折り重なって響き、身体中を震わせる。
足から力が抜け落ちて、咄嗟に両手を地面につける。目の前にある、自分の手の輪郭が、二重三重に浮かびあがり、あちこちへ散っていく。
風の吹きこまない森で、木々の葉が、さあっと騒めく。
胸の内を探られ、暴かれる感触に、苦いものが口のなかに広がった。
「カンナ司祭。気を確かにもってください。ヤティナの言葉は人を惑わします。これを吸って、心を落ち着かせてください。ゆっくりと、鎮めて」
案内人の娘が慌てて駆け寄り、懐から香のようなものを取り出す。銅を打って拵えた、小さな楕円形の、札のような見た目をしていた。
真ん中あたりには、いくつか穴が開いており、鼻の奥に残る甘い匂いを追い出すように、清潔感ある香りが駆け抜けていく。それでも視界は歪んだまま、空中に身体が投げ出されたような感覚に、頭のなかが混乱していた。
「アタシは……あの頃から、何も成長してない」
「―――おちついてください。小さき隣人の姿が見えてるのですね? 彼らの光は、呪いをかけないまま、目にしてはいけません。そもそも見えないなら問題ないのですが……。大丈夫。彼らに直接害する力はありませんから」
娘の言葉は音として聞こえているが、もはや意味が理解できない。
ぴったりと閉じた箱のふたがずれ、中身が漏れだすようにして、思いが口から流れ出ていく。
「女神が実在した、そう聞いても、信仰心のないアタシは、なにも思わなかったんだ」
主を求めよ。崇め讃えよ。そればかりの教会規範は、救いをもたらしはしない。
救いを求める人々は、日々を慎ましく懸命に生きる人々の悲しみは、一向に減ることなく、悪意はうずまき、大陸に吹き荒れている。
「アタシは、自分にやれることは、全部やろうと思った。でも、こぼれ落ちるものが、あまりにも多すぎる。アタシは、両親と両親にすがった連中を馬鹿にした頃から、何も変わっちゃいない。変わった気に、なってただけなんだ……」
それは、剥き出しの感情だった。自分自身への怒りと悲しみ。ずっと抱えてきた、心の叫び。
「アタシには、何もできない。知らないことが、多すぎる。いったいアタシに、なにをさせようってんだ! こんな、なにもできない、なにもしらない、アタシなんかに!」
ふわりと、やわらかな感触。娘の腕が、肩にまわされていた。
首のまわりに、ぽうっと熱が宿る。重なり、響き合っていた音が、透明になっていく。
「―――大丈夫です。先輩、言ってたじゃないですか。迷ったら、周りを頼れって。オリヴィエに言ったこと、忘れちゃったんですか? 弱いところがあったって、前を向いて、まっすぐに進んでいく。それが、私が尊敬する、カンナ先輩なんです」
それは、懐かしさすらおぼえる声だった。
「……アンタ、まさか……」
焦点が合うように、世界の輪郭が一つに戻る。
顔を隠す頭巾の奥、大きな黒い瞳と、視線が交わった。
―――娘の向こう側。ぬらりと、碧色をした水たまりが地面から湧いた。それは見る見るうちに、二本の角を生やした女の顔となり、その下に胴と四本の腕、蛇のような下半身を象っていく。
下側二本の腕は胸の前で掌を合わせ、上側の二本は鋭い氷の刃を握る。
閉じた瞳のまま、無表情の顔はたしかに、アタシを向いた。
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