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四章 狭間の祈り手
大地の呼び声(2)
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山脈の切れ間に茫々と広がる、黄金の絨毯。緩やかな弧を何度も描きながら、そのただなかを続いていく街道は、大陸の南東へとひたすらに伸びている。
少し前には北の端。そして今度は南東のはずれ、人が寄らぬ小島へと向かっている。この短い間に、ずいぶんと走りまわされたものだ。
―――これまで、王都近郊から外に踏み出したこともなかったのにね。
馬車から流れみえる、秋の景色は代わり映えせず、車輪から伝わる振動に揺さぶられ、ゆりかごのように眠気を誘う。気持ちよさそうに大きな翼を広げる、鷹の鳴き声が耳に響く。
ここのところよく眠れていない。いっそのこと、このまま眠ってしまってもよかったが、痛みはじめているこめかみが、横から邪魔をしてくる。昨晩もこうして眠気と痛みで右往左往している間に、陽が昇ってしまったのだった。
「カンナ司祭、目を閉じているだけでも気が休まるかもしれません。少しでも楽になさってください」
隣に座るアビーの、心配そうな声に手を振る。
「大丈夫さ、心配いらないよ。それに第二騎士団からも付き添ってもらってるんだ。ティモンやジニアスもだけど、馬に乗る連中に比べれば、馬車は快適だからね。うたた寝なんかしてらんないさ」
ヴアルが去ってすぐ、ディオリオは騎士団長を訪ねていた。
事の経緯を伝え、護衛の騎士を手配するように頼むと、意外にあっさりと承諾されたという。どうやらディオリオの頼みを聞くようにと、事前に口利きした者がいたらしい。
そのランタナという女性は、驚いたことに、教皇の付き人を務める人物だった。それは、教皇の意思の表れに他ならない。
だがそれは、教皇がヴアルの来訪を知っていた、ということになる。
それとも、先にヴアルは教皇と会っていたのだろうか。
教皇が付き人以外と言葉を交わすことは滅多にないときく。それが異文化を匂わす男相手となれば、余計に考えられない。
気配をただよわせる、社会の裏側、権力者たちの都合に、顔を顰めたくもなる。裏側に引き込まれてもなお、その思いは変わらない。
そもそも、ヴアルはなぜアタシを呼んだのか。まさか、身体を気遣っただけではないだろう。結局、その理由も話すことなく、喋るだけ喋って帰ってしまった。
いずれにしろ、ヴアルの言葉を無視するわけにはいかない。
疑問は残り、釈然としないままだったが、ちょうど王都に帰還していた第二騎士団数名から三騎が割り振られ、護衛につくことが決まった。
「さすが、歴戦の第二騎士団です。あんな手綱さばき、真似できません」
カクトゥスに加えて、ムサ、オンバと名乗った三騎は、それぞれ馬車を中心に広く三角形を描くような位置取りで追随していた。時には先行し、時には馬の脚を緩め、隙なく周囲を警戒している。
アビーの視線の先には、腿で鞍を挟むような姿勢で腰を浮かせ、左右を見渡している騎士の姿がある。短い尻尾のように束ねた茶髪に、二人に比べて細めの体躯。たしか、ムサと名乗っていた。
危険はなにも化物や盗賊の襲撃に限った話ではない。
限りなく策謀を謀っている可能性が高い、学術都市の『老人たち』と暗殺者。
この三月のあいだ、それらしい動きを見せることもなかったが、王都を離れた絶好の機会を、みすみす逃すはずはないだろう。
しかし、身構えるアタシたち一行を嘲笑うかのように、四日間の旅程に異常は起きず、工房都市に無事到着したのだった。
さらに数日南下すると、島へと続く洞窟がある。馬と見張りのティモンらを残し、海をもぐっていくような洞窟を抜け、幻燈の森がある小島の土を踏むと、さすがに肩透かしを喰らったような気分を味わった。
「静かすぎますね、あまりにも。何も起きないなら、それに越したことはないのですが、すこし、ひっかかる」
「ここまで、何度も確かめてはいたが、尾行や監視はなかった。まぁ、こっちの感知をうまく誤魔化してたなら、話は別だけどよ。そんな相手なら、こそこそと跡をつけるなんて真似はしないだろうさ。……それが俺たちの見解だよ、室長さん」
ムサの意見を、ディオリオは無言で聞いていたが、やがてゆっくりと頷く。
「ここまで来てしまったのですから、立ち止まっても仕方ないですね。それに、カンナ司祭の心配もある。はやくヴアル導師に会い、真実とやらを話してもらった方が良いでしょう」
「……アタシのことなんか、引き合いに出さなくていいから。黙ってたこと、そんなに根に持ってんのかい?」
「そんなことはありませんよ。少々、手のかかる部下だとは思いますがね。ほら、案内人とやらも来たようですよ」
湿った土に、膝下まで伸びる草原が、幻燈の森へと続いている。森の葉は黄金色に色づき、潮風に静かに吹かれていたが、森を覆う紫色の霞は、ここからでも様子がみてとれるほど深く濃い。
木々の間を、いくつもの桃色の光が、まるで浮くようにして、ぼんやりと漂っている。
一つ一つの光の玉は、拳よりも小さかったが、玉同士が近づいてはぱっと離れ、また別の玉と近づく、不規則な動きを見せていた。
くすくす……囁き嗤うような声が、聞こえたような気がした。
「お待ちしておりました。ヴアル高僧から、カンナ司祭をはじめ、皆さまを里までご案内するよう仰せつかっております。長旅でお疲れでしょうが、いまもう少し、ご辛抱ください」
ヴアルと同じく、赤茶の布を巻いたような衣服。目もと以外を覆う頭巾をかぶっているので顔は見えなかったが、若い娘の声だった。
その目が、ちらりとアタシを見たような気がした。
それも束の間、案内人の娘は背を向けて歩きはじめる。
「ここは、『小さき隣人の棲む森』。目に見えぬ、小さき隣人の家でもあります。正しい手順か、小さき隣人の言葉を知らぬものは惑わされ、二度と出られません。くれぐれも、私から離れぬよう、ついてきてくださいね」
ディオリオは頷くと、騎士たちに目配せをして、そのあとに続いていく。
チカチカと白むような眩暈を抑え込み、桃色の光に誘われるようにして、足を踏み入れていった。
少し前には北の端。そして今度は南東のはずれ、人が寄らぬ小島へと向かっている。この短い間に、ずいぶんと走りまわされたものだ。
―――これまで、王都近郊から外に踏み出したこともなかったのにね。
馬車から流れみえる、秋の景色は代わり映えせず、車輪から伝わる振動に揺さぶられ、ゆりかごのように眠気を誘う。気持ちよさそうに大きな翼を広げる、鷹の鳴き声が耳に響く。
ここのところよく眠れていない。いっそのこと、このまま眠ってしまってもよかったが、痛みはじめているこめかみが、横から邪魔をしてくる。昨晩もこうして眠気と痛みで右往左往している間に、陽が昇ってしまったのだった。
「カンナ司祭、目を閉じているだけでも気が休まるかもしれません。少しでも楽になさってください」
隣に座るアビーの、心配そうな声に手を振る。
「大丈夫さ、心配いらないよ。それに第二騎士団からも付き添ってもらってるんだ。ティモンやジニアスもだけど、馬に乗る連中に比べれば、馬車は快適だからね。うたた寝なんかしてらんないさ」
ヴアルが去ってすぐ、ディオリオは騎士団長を訪ねていた。
事の経緯を伝え、護衛の騎士を手配するように頼むと、意外にあっさりと承諾されたという。どうやらディオリオの頼みを聞くようにと、事前に口利きした者がいたらしい。
そのランタナという女性は、驚いたことに、教皇の付き人を務める人物だった。それは、教皇の意思の表れに他ならない。
だがそれは、教皇がヴアルの来訪を知っていた、ということになる。
それとも、先にヴアルは教皇と会っていたのだろうか。
教皇が付き人以外と言葉を交わすことは滅多にないときく。それが異文化を匂わす男相手となれば、余計に考えられない。
気配をただよわせる、社会の裏側、権力者たちの都合に、顔を顰めたくもなる。裏側に引き込まれてもなお、その思いは変わらない。
そもそも、ヴアルはなぜアタシを呼んだのか。まさか、身体を気遣っただけではないだろう。結局、その理由も話すことなく、喋るだけ喋って帰ってしまった。
いずれにしろ、ヴアルの言葉を無視するわけにはいかない。
疑問は残り、釈然としないままだったが、ちょうど王都に帰還していた第二騎士団数名から三騎が割り振られ、護衛につくことが決まった。
「さすが、歴戦の第二騎士団です。あんな手綱さばき、真似できません」
カクトゥスに加えて、ムサ、オンバと名乗った三騎は、それぞれ馬車を中心に広く三角形を描くような位置取りで追随していた。時には先行し、時には馬の脚を緩め、隙なく周囲を警戒している。
アビーの視線の先には、腿で鞍を挟むような姿勢で腰を浮かせ、左右を見渡している騎士の姿がある。短い尻尾のように束ねた茶髪に、二人に比べて細めの体躯。たしか、ムサと名乗っていた。
危険はなにも化物や盗賊の襲撃に限った話ではない。
限りなく策謀を謀っている可能性が高い、学術都市の『老人たち』と暗殺者。
この三月のあいだ、それらしい動きを見せることもなかったが、王都を離れた絶好の機会を、みすみす逃すはずはないだろう。
しかし、身構えるアタシたち一行を嘲笑うかのように、四日間の旅程に異常は起きず、工房都市に無事到着したのだった。
さらに数日南下すると、島へと続く洞窟がある。馬と見張りのティモンらを残し、海をもぐっていくような洞窟を抜け、幻燈の森がある小島の土を踏むと、さすがに肩透かしを喰らったような気分を味わった。
「静かすぎますね、あまりにも。何も起きないなら、それに越したことはないのですが、すこし、ひっかかる」
「ここまで、何度も確かめてはいたが、尾行や監視はなかった。まぁ、こっちの感知をうまく誤魔化してたなら、話は別だけどよ。そんな相手なら、こそこそと跡をつけるなんて真似はしないだろうさ。……それが俺たちの見解だよ、室長さん」
ムサの意見を、ディオリオは無言で聞いていたが、やがてゆっくりと頷く。
「ここまで来てしまったのですから、立ち止まっても仕方ないですね。それに、カンナ司祭の心配もある。はやくヴアル導師に会い、真実とやらを話してもらった方が良いでしょう」
「……アタシのことなんか、引き合いに出さなくていいから。黙ってたこと、そんなに根に持ってんのかい?」
「そんなことはありませんよ。少々、手のかかる部下だとは思いますがね。ほら、案内人とやらも来たようですよ」
湿った土に、膝下まで伸びる草原が、幻燈の森へと続いている。森の葉は黄金色に色づき、潮風に静かに吹かれていたが、森を覆う紫色の霞は、ここからでも様子がみてとれるほど深く濃い。
木々の間を、いくつもの桃色の光が、まるで浮くようにして、ぼんやりと漂っている。
一つ一つの光の玉は、拳よりも小さかったが、玉同士が近づいてはぱっと離れ、また別の玉と近づく、不規則な動きを見せていた。
くすくす……囁き嗤うような声が、聞こえたような気がした。
「お待ちしておりました。ヴアル高僧から、カンナ司祭をはじめ、皆さまを里までご案内するよう仰せつかっております。長旅でお疲れでしょうが、いまもう少し、ご辛抱ください」
ヴアルと同じく、赤茶の布を巻いたような衣服。目もと以外を覆う頭巾をかぶっているので顔は見えなかったが、若い娘の声だった。
その目が、ちらりとアタシを見たような気がした。
それも束の間、案内人の娘は背を向けて歩きはじめる。
「ここは、『小さき隣人の棲む森』。目に見えぬ、小さき隣人の家でもあります。正しい手順か、小さき隣人の言葉を知らぬものは惑わされ、二度と出られません。くれぐれも、私から離れぬよう、ついてきてくださいね」
ディオリオは頷くと、騎士たちに目配せをして、そのあとに続いていく。
チカチカと白むような眩暈を抑え込み、桃色の光に誘われるようにして、足を踏み入れていった。
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