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四章 狭間の祈り手
芽吹かせる者
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ぼんやりとした蝋燭の火が、ゆらゆらと揺れている。
寝かされている上体をおこすと、視界が歪んだ。
「まだ、休んでなきゃダメです。先輩。香を焚いたので、ゆっくり寝ていてください。それとも、水ですか?」
どこかピリッとした刺激がありながらも、気持ちの落ち着く香りを感じつつ、短く頷いてみせる。頭巾を外した、案内人の娘―――マルルは木椀に水を汲むと、口の側まで持ってきてくれた。
割れるのではないか、と不安になるほどだった頭の痛みは、すっかり収まっていたが、身体は火照るように熱く、無性に喉が渇いていた。匂いのないはずの水が、涼やかな香りを立てている。
背中を支えてもらいながら、ゆっくりと口を潤していく。とにかく水を欲していた喉は、止まることなく、甘露のように身体へと流し入れていく。
気がつくと、椀は空になっていた。おかわりいります? というマルルの問いかけに、ゆっくりと首を振る。
「……それより、アタシは、どれくらい寝てた?」
「あれから、五、六時間くらいでしょうかね。もう日も暮れて、外はまっくらですよ」
板材が敷き詰められた床に、固い繊維質の編布が敷かれる、質素な部屋だった。一段高くなったには寝具が置かれ、どうやらそこに寝かされていたらしい。
オンバに抱えられて里に到着するまでの記憶は、おぼろげながらにある。僧房で休めるようにと、ヴアルは何人かに指示をだしていた。マルルに付き添われて、この部屋に入ってから、気を失ったのだろう。
「先輩、かなり汗をかいてましたらね。失礼かとは思ったんですが、私のほうで着替えさせてもらいました」
視線を落とすと、マルルと同じ、赤茶の布地をした衣服が着せられている。
傍から見れば、かなり風通しの良い、身体を冷やす衣服だと思っていたが、肌に巻かれた感触は温かく、快適そのものだった。
「ありがとう。でも、アタシには、ちょっと似合わないかもしれないね。それに比べて、マルルはしっくりきてるよ。……ここが、アンタの生まれ故郷なんだね? 言ってくれても、良かったのに」
マルルは、少し寂しそうな顔をする。そっと、手に持った椀を置き、膝を床に置いて座る。
そんな顔をさせるつもりじゃなかったのにと、軽率な言葉選びを悔やんだ。
「ごめんなさい。先輩は、信じてくれないかもしれないですけど、騙すつもりなんて、これっぽっちもなかったんです」
ぽそぽそと、まるで親に咎められた子供のように、小声で少しずつ、マルルは語り始める。
「私たちは『大地の民』。大地の神ジンガーラを崇め、この里にて共に生きた者たち。……忘れられた一族、なんて呼ばれ方もしてるみたいですね。私たちは、その末裔。大爺さま―――ヴアル高僧は、私たちを取りまとめる、長老のような存在です」
マルルは、そこまで一息に喋ると、唇を湿らせた。
「私は、ヴアル高僧から、選定者としての役割を任されて、王都に入りました。聖職者になったのは、仲間たちと話し合って決めたことです。私は、助祭となって王都で暮らし、『芽吹かせる者』を探しました」
「選定者に、芽吹かせる者、か。どっちも、はじめて聞くね」
「ヴアル高僧は、芽吹かせる者と言っていました。私も、詳しくは聞かされていません。ヴアル高僧は、まだ話す時でないと、それだけでしたから。選び出した芽吹かせる者に、女神の言葉を伝えることこそ、恩義に報いる唯一の方法だと」
小教会の応接間で話した内容を思い出す。たしかにヴアルは、伝えることで恩義を果たせると、そう言っていた。
そして、アタシに会いに来た……。
「まさか、その、アーシャー・カラカってのに選ばれたのは」
「―――はい。先輩です。私が、選定者として、先輩を選びました」
一言一言に十分に間を持たせ、はっきりと告げるマルル。
あの森の、執拗に心をざわつかせる声から、やっと解放されたというのに、だというのに、またこうやって、わけのわからないものに巻き込まれてしまう。
正直、もう散々だった。その思いが、マルルから目を逸らさせる。
沈黙が肌を刺す。ガタガタと、吹きすさぶ夜風が鎧戸を叩く音だけが、仄暗い部屋にうつろに響いていた。
固く口を結ぶマルルが俯いている。そんな気配を感じながら、ぽつりとつぶやく。自分でも驚くほど抑揚のない、平坦な声だった。
「どうして、アタシなんだい?」
「……先輩の魂が、綺麗だと思ったからです。朱く燃えあがる炎のように、明るく照らし出すその輝きに、私は目を奪われました。選ばれた人の生き方を変えてしまうかもしれない。その重さから逃げ出したかった私にとって、先輩の光は、あたたかく導いてくれる手でした」
喉が腫れたように、声がうまく出せていなかった。
彼女と出会い、共に多くの時間を過ごしたのは、二年間にすぎない。王都にやってきたのは、四年前の十四歳の頃だと聞いた。逃げ出したかったと言ったマルルは、なにを思い、過ごしていたのだろう。
そういえば、出会った頃の印象は、下を向くことの多い大人しい娘だったと思い出した。
「……なにかあったら、アタシを頼りな。アタシはそう、言ったんだったね」
植物の蔓が刺繍された掛け布から、マルルの顔へと視線を上げる。
―――まったく、何をやっているんだろう。可愛い後輩に、こんな顔をさせるなんて。
「ごめんよ。ちょっと、気持ちが整理できなくなっちまってた。心を決めて、やってきたはずなのにね。でも、もう少し考えさせておくれ。マルルはそんなふうに言ってくれるけど、アタシは、自分に何ができるのか、考えないといけないんだ」
マルルは、小さく「はい」とだけ答えると、動きを察してくれたのか、横になるのを手伝ってくれた。
「もう少し、休ませてもらうよ。しばらく、一人にさせておくれ」
布の擦れる音がして、蝋燭の灯りがふ、と消えた。静かに戸が閉められると、薄白い闇と、轟々と唸る風の音だけが残った。
寝かされている上体をおこすと、視界が歪んだ。
「まだ、休んでなきゃダメです。先輩。香を焚いたので、ゆっくり寝ていてください。それとも、水ですか?」
どこかピリッとした刺激がありながらも、気持ちの落ち着く香りを感じつつ、短く頷いてみせる。頭巾を外した、案内人の娘―――マルルは木椀に水を汲むと、口の側まで持ってきてくれた。
割れるのではないか、と不安になるほどだった頭の痛みは、すっかり収まっていたが、身体は火照るように熱く、無性に喉が渇いていた。匂いのないはずの水が、涼やかな香りを立てている。
背中を支えてもらいながら、ゆっくりと口を潤していく。とにかく水を欲していた喉は、止まることなく、甘露のように身体へと流し入れていく。
気がつくと、椀は空になっていた。おかわりいります? というマルルの問いかけに、ゆっくりと首を振る。
「……それより、アタシは、どれくらい寝てた?」
「あれから、五、六時間くらいでしょうかね。もう日も暮れて、外はまっくらですよ」
板材が敷き詰められた床に、固い繊維質の編布が敷かれる、質素な部屋だった。一段高くなったには寝具が置かれ、どうやらそこに寝かされていたらしい。
オンバに抱えられて里に到着するまでの記憶は、おぼろげながらにある。僧房で休めるようにと、ヴアルは何人かに指示をだしていた。マルルに付き添われて、この部屋に入ってから、気を失ったのだろう。
「先輩、かなり汗をかいてましたらね。失礼かとは思ったんですが、私のほうで着替えさせてもらいました」
視線を落とすと、マルルと同じ、赤茶の布地をした衣服が着せられている。
傍から見れば、かなり風通しの良い、身体を冷やす衣服だと思っていたが、肌に巻かれた感触は温かく、快適そのものだった。
「ありがとう。でも、アタシには、ちょっと似合わないかもしれないね。それに比べて、マルルはしっくりきてるよ。……ここが、アンタの生まれ故郷なんだね? 言ってくれても、良かったのに」
マルルは、少し寂しそうな顔をする。そっと、手に持った椀を置き、膝を床に置いて座る。
そんな顔をさせるつもりじゃなかったのにと、軽率な言葉選びを悔やんだ。
「ごめんなさい。先輩は、信じてくれないかもしれないですけど、騙すつもりなんて、これっぽっちもなかったんです」
ぽそぽそと、まるで親に咎められた子供のように、小声で少しずつ、マルルは語り始める。
「私たちは『大地の民』。大地の神ジンガーラを崇め、この里にて共に生きた者たち。……忘れられた一族、なんて呼ばれ方もしてるみたいですね。私たちは、その末裔。大爺さま―――ヴアル高僧は、私たちを取りまとめる、長老のような存在です」
マルルは、そこまで一息に喋ると、唇を湿らせた。
「私は、ヴアル高僧から、選定者としての役割を任されて、王都に入りました。聖職者になったのは、仲間たちと話し合って決めたことです。私は、助祭となって王都で暮らし、『芽吹かせる者』を探しました」
「選定者に、芽吹かせる者、か。どっちも、はじめて聞くね」
「ヴアル高僧は、芽吹かせる者と言っていました。私も、詳しくは聞かされていません。ヴアル高僧は、まだ話す時でないと、それだけでしたから。選び出した芽吹かせる者に、女神の言葉を伝えることこそ、恩義に報いる唯一の方法だと」
小教会の応接間で話した内容を思い出す。たしかにヴアルは、伝えることで恩義を果たせると、そう言っていた。
そして、アタシに会いに来た……。
「まさか、その、アーシャー・カラカってのに選ばれたのは」
「―――はい。先輩です。私が、選定者として、先輩を選びました」
一言一言に十分に間を持たせ、はっきりと告げるマルル。
あの森の、執拗に心をざわつかせる声から、やっと解放されたというのに、だというのに、またこうやって、わけのわからないものに巻き込まれてしまう。
正直、もう散々だった。その思いが、マルルから目を逸らさせる。
沈黙が肌を刺す。ガタガタと、吹きすさぶ夜風が鎧戸を叩く音だけが、仄暗い部屋にうつろに響いていた。
固く口を結ぶマルルが俯いている。そんな気配を感じながら、ぽつりとつぶやく。自分でも驚くほど抑揚のない、平坦な声だった。
「どうして、アタシなんだい?」
「……先輩の魂が、綺麗だと思ったからです。朱く燃えあがる炎のように、明るく照らし出すその輝きに、私は目を奪われました。選ばれた人の生き方を変えてしまうかもしれない。その重さから逃げ出したかった私にとって、先輩の光は、あたたかく導いてくれる手でした」
喉が腫れたように、声がうまく出せていなかった。
彼女と出会い、共に多くの時間を過ごしたのは、二年間にすぎない。王都にやってきたのは、四年前の十四歳の頃だと聞いた。逃げ出したかったと言ったマルルは、なにを思い、過ごしていたのだろう。
そういえば、出会った頃の印象は、下を向くことの多い大人しい娘だったと思い出した。
「……なにかあったら、アタシを頼りな。アタシはそう、言ったんだったね」
植物の蔓が刺繍された掛け布から、マルルの顔へと視線を上げる。
―――まったく、何をやっているんだろう。可愛い後輩に、こんな顔をさせるなんて。
「ごめんよ。ちょっと、気持ちが整理できなくなっちまってた。心を決めて、やってきたはずなのにね。でも、もう少し考えさせておくれ。マルルはそんなふうに言ってくれるけど、アタシは、自分に何ができるのか、考えないといけないんだ」
マルルは、小さく「はい」とだけ答えると、動きを察してくれたのか、横になるのを手伝ってくれた。
「もう少し、休ませてもらうよ。しばらく、一人にさせておくれ」
布の擦れる音がして、蝋燭の灯りがふ、と消えた。静かに戸が閉められると、薄白い闇と、轟々と唸る風の音だけが残った。
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