異世界働き方改革~エナドリ自販機で社畜を卒業します~

ゼニ平

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第2部 港町の黒焔鬼編

【第11話】「手紙と影」

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 港の夜は、まだどこか火の匂いが残っていた。
 倉庫街の黒い焦げ跡は生々しく、風が吹くたびに灰が舞う。
 
 知久はギルドの執務室で一人、机に向かっていた。
 
 蝋燭の炎が静かに揺れる。
 その淡い光の中で、彼はペンを走らせている。
 送り先は、王都のギルド本部。
 宛名は、グレンだ。

『四谷知久より報告

 昨夜、倉庫街にて火災発生。 
 火は通常の炎ではなく、黒い性質を帯びた異質なもの。 
これを、住民およびギルドの一部は《黒焔鬼》と呼称している。
 
また、火災で精神汚染のような症状が確認された。
これはただの火災ではない可能性が高い。

なお、支部長セファは事件に強い動揺を見せているが、前に進もうとしている。 
彼女は黒焔鬼の正体を突き止め、ギルドの混乱と不安を止めたいと言っている。

……自分も彼女に協力するつもりです。

だが、状況は思っていたより危険なようです。
もし何か情報があるなら、教えていただきたい。
以上、現状の報告と共有。』

 ペンを置き、知久は大きく息を吐いた。

「文書作成はともかく、手書きの手紙か……メールが懐かしいよ」

 蝋を封に垂らし、封書は完成した。

☆ ☆ ☆

 夜風が港の潮の匂いを運んでくる。
 手紙を本部宛に投函した帰り道、知久は港沿いの小道を歩いていた。

 海辺の遊歩道を、風が吹き抜ける。
 潮の香りと、夕暮れの光が、港町を包み込んでいた。

「こんなところで会うとは奇遇だな。四谷くん」

 背後から聞き慣れた声がした。振り返ると、濃紺の外套を羽織った男が立っていた。

 カラーポルト総督――ヴィーノ。知久は軽く会釈する。

「お疲れ様です、ヴィーノ総督……総督がおひとりで歩いていて大丈夫なんですか?」

「ただの散歩だ。護衛など必要あるまいて」

「あなたといいグレンさんといい……王族なのに一人で出歩いているなんて……」

「この街で、私に害をなそうと思う人間はいない。……支部長とは違って、な」

「……」

 逆説的にセファに害をなそうとする人間はいる、ということだ。
 ヴィーノは海を見ながら、小さく息を吐く。
 その横顔に浮かんだ一瞬の影を、知久は見逃さなかった。

「昨日の火事があって、セファの様子はどうだ?」

「自身が動けなかったことを悔いてはいましたが……今は、黒焔鬼を捕まえると意気込んでいますよ」

「ほう……勇ましいところは、母親によく似ている」

「リヴェラさんに、ですか?」

「ああ。真っ直ぐで、愚直で……弱さを見せようとしないところもだ」

 ヴィーノの声は、どこか遠くの記憶を見つめていた。

「……ヴィーノ総督は、セファの両親とは……仲間、だったんですよね」

「……ああ。リヴェラとダリオンは、かつて同じ理想を追った、かけがえのない友だった」

 昔を懐かしむような目で遠い夕陽を見ていた。

「理想を語り、夢を見た。だがそれだけでは、組織も街も変わらない。そんな当たり前のことに、気づくのが遅かったのかもしれないな」

 ヴィーノの声には、どこか過去を悔いるような響きがあった。

「じゃあ、どうしてギルドをやめたんですか?」

 その問いに、ヴィーノはほんの一瞬だけ目を伏せた。

「ギルドにいては、守りたいものを守れなくなったからだ」

「守りたいもの……?」

 ヴィーノは問いには答えず、知久の顔を真っ直ぐに見た。

「以前、君に問うたな。あの子をどう育てるつまりなのか、と。答えは出たのか?」

「……いえ、まだ、ちゃんと答えには……出せていません」

「まだ考えている途中なのだとしたら……決して迷う姿を彼女に見せてはいけない。育てる者に迷いがあると、その不安は簡単に弟子にも伝わる」

 ヴィーノの視線が、強く知久を射抜いた。

「……ご忠告、痛み入ります」

 大きくため息をついた。
 その瞳は何を考えているのか、読めない。

「この街は、一見発展しているように見えるかもしれないが……いわばこの国の影の部分だ。黒焔鬼も、その影の一部分」

「影?」

「深みに嵌ると、抜け出せなくなる。近寄るのはやめる事だ」

 そう言って、ヴィーノは海風にコートをはためかせながら、静かに歩き去っていった。
 知久はその背を見つめながら、小さく息を吐いた。

「王族らしい威厳の持ち主だけど……何を考えているのかわからない人だな」

 味方なのか、敵なのか。いまいち判断しにくい人だった。
 波の音が、静かに打ち寄せていた。

☆ ☆ ☆

 ヴィーノと別れてギルドへ戻る道すがら、知久は人気の少ない小道を歩いていた。

 夜は深く、波音だけが規則的に響く。
 潮の香りに混じって、かすかに焦げた匂い。
 倉庫街からの残り香だろうかーーいや。

(……違う。これは、火の匂いじゃない)

 空気の質が変わった。
 背筋を撫でる、冷たい気配。

 次の瞬間。

──ギィ、と鉄が擦れる音。

「っ——!?」

 頭上から振り下ろされた刃。
 知久は反射的に身をひねり、石畳に刃が叩きつけられる。

 火花が散り、夜が一瞬だけ赤く染まる。

 街灯の届かない路地の闇に、漆黒の外套の影が浮かび上がった。
 顔は覆面で隠され、呼吸音すらない。

 何者なのか問いかける暇もなく、次の斬撃が迫る。

「……荒事は得意じゃないんだけど、なっ!」

 知久は左手を掲げた。

「《ライフイズエナジー》、発動!」

 淡い光と共に、赤い缶が排出される。飲み干した瞬間、胸の奥が灼けるように熱を帯びる。

「燃え盛れ! 《フレアハート》!!」

 炎が剣の形を取り、右腕から迸るように伸びた。
 迫る刃と刃がぶつかり合い、金属音と火花が夜を切り裂いた。

(……手強い、けど……!)

 一進一退の攻防。だが時間は限られている。《フレアハート》の効果は短い。
 焦りを抱いた瞬間、襲撃者の剣が知久の脇腹を浅く裂いた。

「ぐあっ!!」

 焼けるような痛みと共に、脳髄を揺さぶられるような不快な衝撃。
 思わず片膝をつき、呼吸が乱れる。

──トドメを刺そうと刃を振りかざした、その時。

「そこまで、です!!」

 鋭い声が夜気を裂いた。飛び込んできたのはセファ。
 槍を大きく振るい、襲撃者を横合いから弾き飛ばす。

「先生、下がってください!」

「セファ……!」

 黒焔鬼は無言のまま立ち上がり、今度は二人を睨み据える。
 二対一。しかもセファの槍さばきは容赦なく、鋭い。
 形勢不利と悟ったのか、襲撃者はすぐに飛び退き、闇の中へと消えていった。
 
 残されたのは、血を流しながら苦悶の息をつく知久。

「先生! だ、大丈夫ですか!? すぐに医療班を……」

「いや……大丈夫だ」

 彼は震える手で、再び自販機のパネルに手をかざす。

「……っ、出ろ……《レスキューグリーン》……!」

 緑色の缶をあけて喉に流し込む。じんわりとした癒しの感覚が体を満たし、裂傷が塞がっていく。

「はぁ……なんとか、助かった……」

 セファは険しい顔で知久を見つめた。

「まさか、先生が狙われるなんて……!」

「ああ、本当にな……セファは怪我はないか?」

 彼女の肩も小刻みに震えている。

「あ、大丈夫です!! 足を擦りむいちゃったぐらいで!」

「それはよかった……でも」

 知久は急に真面目な顔になる。

「セファ。どうしてこんな遅くに出歩いていたんだ?」

「うっ。えっと、それは……」

「勤務時間が終わった後……ずっと見回りをしていたのか?」

「……っ!?」

 言葉に詰まるセファ。彼女の姿は、明らかに戦闘用のものだ。間違っても、夜中に小腹が空いて買い出しに来たような格好ではない。

「えっと、その……ちょ、ちょっとだけです!!」

「一番危ないのはセファだって、わかってるよな?」

「うぐ……で、でも」

「それに、そんな事をして体力が持たないぞ」

 朝早くから出勤し、書類仕事や現場を見て、退勤後には街の見回り。
 書類仕事は知久の助力のおかげで負担が半分以下に減っているとはいえ、さすがにオーバーワーク気味だ。

「明日からは俺も参加するよ」

「え、え!? でも、これは私が勝手にやってることで!!」

「気持ちはわかるけど、無茶しすぎだ。あんまり一人で背負うなよ」

 素直にやめろと言ってやめるわけがない。
 セファは意外と頑固なところがある。だったらせめて一緒にいて、負担を減らしてあげつつ、彼女のことを守るしかない。
 静かな忠告に、彼女は唇をかみしめ、目を伏せた。

 その様子に、ふっと笑いをこぼす。

「ま、そのおかげで俺も助かったんだ。あんまり強くは責められないよな。ありがとう、セファ」

「え、えっと……えへへ」

 黒焔鬼らしき人物の姿をようやくとらえた。
 それは、かなり大きな一歩だった。
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