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四
冬が来た。兄の祝言は決まらない。もちろん久治の奉公先もない。末次が庄屋さんの下男に貰われて行くことになった。年が明けたら。
冬になると皆家の中で藁を編んだり籠を作ったりの手仕事をするから、久治は出られる日が少なくなる。薪を拾いに行くと言って、二、三日に一度出てくるので精一杯だった。
それでも炎に逢えれば全て辛くなくなってしまう。雪の道を踏み締めて歩く。かもしかやうさぎの足跡を辿る。あまり足跡を残せない。通い路を誰にも知られぬように、愛しいものに会いに行く。
「久治」
「炎」
炎が雪の中駆け寄ってくる。雪に紛れて消えてしまいそうな細く白い体。抱きとめる。白い息を切らせながら炎が笑う。愛しい。泉からは湯気が出るようになった。手を入れれば確かに冷たいが、川の水ほどではない。凍りもしない。湧水だからだろうか。
最近では寒いので、炎の庵の中で逢う。口づけを交わすようになった。細い温かい体を掻き抱いて柔らかな唇に己が唇を重ねる時には、兄のことも家のことも我が身のことすらどうでもなるがいいと思う。
炎の庵の中は不思議だった。小さな部屋の入ってすぐに狭い土間があるが、かまどなどはなく、水瓶が置いてあるだけだ。炭が横に筵に巻かれている。上座には大きな、ひと抱えもあるような漆塗りの箱が祭壇に置かれ、その横にこれもまた漆塗りの長持がある。あとはひと組の布団と小さな囲炉裏。
狭い板間に不釣り合いなほど、たくさんの巻物や本が積まれている。祭壇に置かれた箱には、来年の大祭の時に使う大切な石が入っているのだと炎は言った。大祭は十年ごとにあり、そのたびに石は新しくなる。巫子になったものは大祭までの間、毎日石に祈り神意を込める。
「大祭ではお前も外に出るのか?」
「そう。その時初めて外に出る」
「大祭が終わったら自由に出られるようになるのか?」
そう問うたとき、炎はなんとも言えない顔をした。困ったような、哀れむような。
「そうだな。もう閉じ込められることはなくなる。久治……」
向かい合わせで囲炉裏を囲んでいた炎が、腕を久治に差し出す。久治はいざり寄って抱きしめる。最初はお互いに遠慮しあって触れていたのに、最近では炎はずっとこうしていたがるようになった。何か不安なのだろうか。
こうして体をぴったりと合わせていると、もっと強く深く触れたくなってしまう。炎の心がわかればいい。ひたいとひたいを合わせてみても、久治には炎の心は覗くことができない。炎が顔を上げて唇を重ねる。背中に白い腕を回したまま、床に体を横たえる。久治の体もそれに合わせて炎の細い体を覆う。長い黒髪が床に広がる。
──もっともっと。もっと強く触れ合いたい。
指を絡める。体の中に火が灯ったようだ。唇を離す。炎を見下ろす。炎の両の目から涙が溢れている……。
「……どうした? 何か気に障ったか?」
「ちがう」
「ならなぜ泣く?」
「おまえが……愛しすぎて」
はらはらと床に涙が流れて落ちていく。
「気が狂いそうなほど愛しくて……」
「炎……」
また口付ける。
──俺だっておまえが愛しくて仕方がない。
肩を震わせて泣く体をもう一度強く抱きしめる。
「次はいつ逢える……」
「すぐに。必ず」
「だめだ。しばらくは逢えない……今夜から吹雪になる……」
「では、雪が止んだら」
「うん……」
やっと身を起こして涙を拭いた炎を残して、久治はまた山道を歩き出した。炎の様子が気にかかる。まるで、まるで間もなく離れ離れになるような……。
冬の山の日暮れは早い。あっという間に暗くなる。火を灯すわけにはいかない。薄く雪の積もった道をひたすら歩く。もうすぐに何も見えなくなるだろう。でもその前に神社の下に出るはずだ。
「誰だっ!」
山道から村の道に降りた時、松明が急に目の前に差し出された。眩しい。とっさに目を庇った腕を下ろすと、ぽっちゃりとした神主が青い顔で立っていた。
「久治か? 今時分にこんな所で何をしている」
「……焚き付けを拾いに来て山で迷った…」
背にはそれなりの量の柴を負っている。炎の庵の近くは人が入らないので、これくらいなら道々半刻もせぬうちに集まる。
「そ、そうか。それにしても、灯りくらい持ちなさい。山犬に襲われるぞ」
「はい」
「くれぐれも、森には入らないようにな。ばちがあたるでな。この松明を持って帰りなさい……久治」
「はい」
「おまえ、……何もしとらんよな?」
「……何も、とは?」
「いや……早く帰りなさい」
炎の言った通り、その晩から吹雪になった。広くもない家に閉じ込められて、久治は息が詰まった。間も無く正月になる。末次は家を出て行く。
晴の間に取っていた竹を編む。水に浸けて柔らかくしておいたものではあるが、油断すると手を切る。びくでもいくつか編んでおかなければならない。雪が止んだら父親か松太郎が里に売りに行き、その金で年を越す。松太郎には竹を編むことはできない。
「久兄」
草鞋を編んでいた末次がこっそりと声をかける。
「久兄はずっとここにおるのか?」
「そうだな」
「俺もここにおりたい」
「馬鹿なことを言うな。庄屋さんの下男にでもなった方がましだ」
「うまくできるかわからない……久兄の方がずっと器用だ。下男になっても家にいるのと変わらないだろ」
「俺は育ちすぎた。おまえはこれからなんでもできる。余計なことを考えるな」
末次が庄屋にもらわれて行って、また何かで身を立ててくれたらいいと思う。自分と違って、兄が死んだ時の代わりの道具ではなくて、一人の人間として。
姉も二人いたが、二人とも数えで十三で嫁に行った。上の姉は隣村へ。下の姉は村の者に嫁いだが、産後の肥立ちが悪くて子供と一緒に死んでしまった。久治は体が丈夫な分、よほど便利に使われている。
「久」
母から呼ばれて顔を上げる。
「こう吹雪が長いと薪も焚き付けも無くなって困る。止んだら山から取ってきておくれな」
兄には絶対に頼まない。でも山に入れるのは嬉しい。久治は板戸の隙間から外を覗き、雪が止むのを心待ちにした。
三日三晩続いた吹雪が終わると、晴天になった。久治ははやる気持ちを表に出さないようにしながら朝から山に向かった。山は真っ白な雪に覆われてきらきらと輝いている。積もったばかりの雪はやわらかく、久治の足を深く吸い込む。
急に降った雪の重みで、枯れた枝が方々に落ちている。拾いながら歩く。先日神主に山から出てくるところを見つかってしまったので、別なところから行く道を見つけたい。炎の庵から見える山の形は覚えている。太陽で方向を見ながら進む。かもしかや狸に出会う。今の時期、熊はめったにいない。
湖の水面が遠くに見えてくる。あのほとりに神社があるから、うまく回り込めば禁足地に入れるはずだ。少し山を登る。山側からは炎の庵の屋根は巧妙に隠されている。でもこんもりとした森はわかる。
見つけた。
雪の斜面を滑るように降りると、森の中に入った。来られた。だいぶ山を回り込む形になるので、時間はかかるがまず誰にも見つからない。太陽は真南にかかろうとしている。息を弾ませ、炎の庵に近づこうとした久治は、いつもと違う空気に足を止めた。
叫びともなんともつかない声がする。炎? 炎のほかに誰かが炎の庵にいる。雪の足跡が庵の中に続いている。久治は走り寄って庵に飛び込みたい衝動を必死に堪えた。
──誰が、俺の他に誰がおまえを見つけたのか? なぜ?
雪に足跡が残るので、そばによることもできない。
少し来た道を戻り、小さな木に雪が被って小山になっているところに身を隠して様子を伺った。しばらくして、庵から黒い装束の長身の男が出てきた。
宮司か? 正月に来るとは聞いていたが、それにしては随分早い。久治は他の村人が新たに彼を見つけたわけではなかったことにとりあえずほっとした。男はこちらを見ることもなく、神社の方へ足早に歩いて行った。どうしようか。また戻ってくるだろうか。少し様子を見たほうがよいか。
しかし、逡巡している間に、今度は炎が庵から飛び出してきた。凍ることはないとはいえ、切るような冷たさに変わりはない泉に着物のままためらいもせずに入り、水面に両の手を叩きつけるのが見えた。炎!
久治が駆け寄った時、炎は涙を流しながら体に泉の水をかけ続けていた。指先が真っ赤になっている。炎、と後ろから両肩を掴んで小さな声で呼ぶと、炎は振り返って水を掬うのをやめ、がくりとこうべを垂れた。体は氷のように冷たい。着物も髪もぐっしょりと濡れている。
「どうした? まず、入ろう」
「久治……」
庵の中は暖かかったが、どこか違和感があった。何かおかしな気配がする。いつもは畳まれて隅に収まっている布団が延べてある。炎は濡れた着物を脱ごうとしない。
「着物を変えないと」
「……こっちを見ないと約束してくれるなら」
「なぜ? 別に……」
その時、久治は初夏の祭りの時にも炎が同じように水を浴びていたのを思い出した。あの時……
「…… あざか?」
久治はぐいと炎の胸元をはだけた。そこには点々と鮮やかに赤い花が咲いていた。
「やめて!」
炎が濡れた着物をかき合わせてその場にしゃがみ込む。肩を震わせる。
「……わかった。すまなかった。決して見ないと約束する。頼むから着替えてくれ」
久治が一度庵の外に出ると、ぽたぽたと雪溶け水の滴る音がそこら中から聞こえた。あれは何なのだろう。あのあざ。丸く、同じような形と大きさの赤いあざだ。おそらくあの黒装束の男が関係している。初夏の祭りの時にも、あの男は来ていたはずなのだから。何か折檻でもされるのだろうか。それであんなに炎は取り乱すだろうか。
しばらくして庵の中に戻ると、炎はやや落ち着いて、乾いた着物を着て座っていた。布団も畳まれていた。
「大丈夫か? 寝ついていたのか?」
「寝ついてなどいない」
「布団が敷いてあったから」
「あれは違う」
目を合わせてくれない。顔色が悪い。手をひたいに当ててみる。熱はなさそうだ。頬に触れる。とても冷えている。頬に置いた手に炎の手が重なる。ひどく冷たい手だ。炎がやっと目を上げて久治の瞳を見た。かと思うと、堪えていたものが決壊するようにがばと抱きついてきた。全身が冷たい。
「凍えているじゃないか」
「……」
久治は慌てて背負っていた薪を下ろし、改めて炎を抱きしめた。
「宮司が出て行くのが見えたが、何かされたのか?」
炎が久治の首元に顔を埋めたままこくりと頷いた。
「夏におまえが言っていた嫌なことか?」
また頷く。
「そのあざはそのためにできたものか?」
「……くっ……」
あたたかい涙が肩口を濡らした。泣く弟をあやした時のように、背をとんとんと叩いてやる。やがて炎はゆっくりと体を離すと、自ら着物を開いた。白い体に目を落とす。首筋にも、胸にも腹にも、紅色のあざがくっきりとある。さらに目を落とす。細い両足の内腿にも……
「これはなんだ?」
「これは……あの男がわれを……」
炎が唇を一度強く噛んだ。薄紅色が一気に白くなり、また濃くなる。
「われの体を確かめると言って……く……口で吸った跡だ」
「……」
「ここに来ると必ずわれを裸にして……身体中を…舐っていく……われは…逆らえない…………」
「炎……」
「それだけではない……われの体の中に…大きくなったものを……」
「それ以上言わなくてよい!」
体を強く抱きしめると、炎は声を上げて泣いた。
「いいんだ。嫌なのは当たり前だ。それは好き会うたもの同士だけがすることだ。好きでもないやつに……」
言葉が出なくなった。ただ強く抱きしめた。好きでもないやつに、いいように汚されて、どんなにか辛かったことだろう。
「好き会うた人としかせずともよいのだな……」
炎は確かめるように言った。
「そうだ。それは好まぬやつとすることではない」
目は涙でまだ濡れている。久治はそっとそれを指で拭った。ひんやりと冷たい頬。
「われはおまえならよい……おまえならよかった……」
「炎……」
「おまえならどんなによかったか……」
炎の指が久治の着物をぎゅうと掴んだ。
「われがきらいになった……?」
「好きだ。お前に何があっても」
「われもお前が心底いとしい……」
色違いの瞳と目が合った。もう言葉はいらない。深く口付ける。うなじに指を這わせる。肩はまだ冷えている……。木板の床にそっと炎の体を横たえる。こちらも帯を解く。肌がじかに重なる。体の熱が炎に吸い取られていく。白い首の赤い跡に唇を当てる。
「炎、この跡を付けたのは俺だ」
炎がこくりと頷く。ひとつひとつ跡に口付けていく。首から胸、腹、肩の噛み跡、内股。いくつもいくつも、全部。
ひとつなぞる毎に、炎が身を震わせ、熱いため息をつく。炎のものが立ち上がり、脈打つのがわかる。炎の中にそっと指を入れる。指が締め付けられる。中が蠕く。炎が声にならない声を上げる。久治が硬くなった自分のものをあてると、ゆっくりと入って行く。炎の中も熱い。
「……ほの…お…」
「久治…」
体を動かすたびに、己のものが炎の体の中で弾けてしまいそうになる。でも止まらない。炎の指が背中を這う。目と目が合う。つらいか? 痛いか? 平気……と炎は荒い息の下で言う。
もっと体を寄せたい。炎を繋がったまま抱き起こす。抱きしめる。ふたりの体が一つの繭になったようだ。口付ける。このまま時が止まったらいい。炎がまたがったまま膝をつく。その細い腰を抱いて突き上げる。白い背がのけぞる。甘い吐息が聞こえる。艶かしい。紅潮した肌も、乱れた髪も。がまんできない。炎の中に思い切り吐精する。炎もまた、腹を精水で濡らした。
長い睫毛を伏せて荒い息をする。炎が久治の肩に手を置いて体を持ち上げると、久治のものが抜け、白い足の間につうと何かが流れ落ちた。
「炎……」
炎はまだ息を切らせ、久治の頭に腕を巻きつけるように抱いて、口付けする。
「好きだ、久治。久治……」
「俺もおまえが好きだ」
どさりと雪の塊が落ちる音が大きく響いた。はっとする。陽が傾きかけている。
「……もう、行ってくれ」
炎が手を離す。久治は後ろ髪を引かれる思いで森を後にした。
炎は戸口から、一度振り返り森の中に消えて行く愛しい人の背を、見えなくなるまでずっと見ていた。
冬になると皆家の中で藁を編んだり籠を作ったりの手仕事をするから、久治は出られる日が少なくなる。薪を拾いに行くと言って、二、三日に一度出てくるので精一杯だった。
それでも炎に逢えれば全て辛くなくなってしまう。雪の道を踏み締めて歩く。かもしかやうさぎの足跡を辿る。あまり足跡を残せない。通い路を誰にも知られぬように、愛しいものに会いに行く。
「久治」
「炎」
炎が雪の中駆け寄ってくる。雪に紛れて消えてしまいそうな細く白い体。抱きとめる。白い息を切らせながら炎が笑う。愛しい。泉からは湯気が出るようになった。手を入れれば確かに冷たいが、川の水ほどではない。凍りもしない。湧水だからだろうか。
最近では寒いので、炎の庵の中で逢う。口づけを交わすようになった。細い温かい体を掻き抱いて柔らかな唇に己が唇を重ねる時には、兄のことも家のことも我が身のことすらどうでもなるがいいと思う。
炎の庵の中は不思議だった。小さな部屋の入ってすぐに狭い土間があるが、かまどなどはなく、水瓶が置いてあるだけだ。炭が横に筵に巻かれている。上座には大きな、ひと抱えもあるような漆塗りの箱が祭壇に置かれ、その横にこれもまた漆塗りの長持がある。あとはひと組の布団と小さな囲炉裏。
狭い板間に不釣り合いなほど、たくさんの巻物や本が積まれている。祭壇に置かれた箱には、来年の大祭の時に使う大切な石が入っているのだと炎は言った。大祭は十年ごとにあり、そのたびに石は新しくなる。巫子になったものは大祭までの間、毎日石に祈り神意を込める。
「大祭ではお前も外に出るのか?」
「そう。その時初めて外に出る」
「大祭が終わったら自由に出られるようになるのか?」
そう問うたとき、炎はなんとも言えない顔をした。困ったような、哀れむような。
「そうだな。もう閉じ込められることはなくなる。久治……」
向かい合わせで囲炉裏を囲んでいた炎が、腕を久治に差し出す。久治はいざり寄って抱きしめる。最初はお互いに遠慮しあって触れていたのに、最近では炎はずっとこうしていたがるようになった。何か不安なのだろうか。
こうして体をぴったりと合わせていると、もっと強く深く触れたくなってしまう。炎の心がわかればいい。ひたいとひたいを合わせてみても、久治には炎の心は覗くことができない。炎が顔を上げて唇を重ねる。背中に白い腕を回したまま、床に体を横たえる。久治の体もそれに合わせて炎の細い体を覆う。長い黒髪が床に広がる。
──もっともっと。もっと強く触れ合いたい。
指を絡める。体の中に火が灯ったようだ。唇を離す。炎を見下ろす。炎の両の目から涙が溢れている……。
「……どうした? 何か気に障ったか?」
「ちがう」
「ならなぜ泣く?」
「おまえが……愛しすぎて」
はらはらと床に涙が流れて落ちていく。
「気が狂いそうなほど愛しくて……」
「炎……」
また口付ける。
──俺だっておまえが愛しくて仕方がない。
肩を震わせて泣く体をもう一度強く抱きしめる。
「次はいつ逢える……」
「すぐに。必ず」
「だめだ。しばらくは逢えない……今夜から吹雪になる……」
「では、雪が止んだら」
「うん……」
やっと身を起こして涙を拭いた炎を残して、久治はまた山道を歩き出した。炎の様子が気にかかる。まるで、まるで間もなく離れ離れになるような……。
冬の山の日暮れは早い。あっという間に暗くなる。火を灯すわけにはいかない。薄く雪の積もった道をひたすら歩く。もうすぐに何も見えなくなるだろう。でもその前に神社の下に出るはずだ。
「誰だっ!」
山道から村の道に降りた時、松明が急に目の前に差し出された。眩しい。とっさに目を庇った腕を下ろすと、ぽっちゃりとした神主が青い顔で立っていた。
「久治か? 今時分にこんな所で何をしている」
「……焚き付けを拾いに来て山で迷った…」
背にはそれなりの量の柴を負っている。炎の庵の近くは人が入らないので、これくらいなら道々半刻もせぬうちに集まる。
「そ、そうか。それにしても、灯りくらい持ちなさい。山犬に襲われるぞ」
「はい」
「くれぐれも、森には入らないようにな。ばちがあたるでな。この松明を持って帰りなさい……久治」
「はい」
「おまえ、……何もしとらんよな?」
「……何も、とは?」
「いや……早く帰りなさい」
炎の言った通り、その晩から吹雪になった。広くもない家に閉じ込められて、久治は息が詰まった。間も無く正月になる。末次は家を出て行く。
晴の間に取っていた竹を編む。水に浸けて柔らかくしておいたものではあるが、油断すると手を切る。びくでもいくつか編んでおかなければならない。雪が止んだら父親か松太郎が里に売りに行き、その金で年を越す。松太郎には竹を編むことはできない。
「久兄」
草鞋を編んでいた末次がこっそりと声をかける。
「久兄はずっとここにおるのか?」
「そうだな」
「俺もここにおりたい」
「馬鹿なことを言うな。庄屋さんの下男にでもなった方がましだ」
「うまくできるかわからない……久兄の方がずっと器用だ。下男になっても家にいるのと変わらないだろ」
「俺は育ちすぎた。おまえはこれからなんでもできる。余計なことを考えるな」
末次が庄屋にもらわれて行って、また何かで身を立ててくれたらいいと思う。自分と違って、兄が死んだ時の代わりの道具ではなくて、一人の人間として。
姉も二人いたが、二人とも数えで十三で嫁に行った。上の姉は隣村へ。下の姉は村の者に嫁いだが、産後の肥立ちが悪くて子供と一緒に死んでしまった。久治は体が丈夫な分、よほど便利に使われている。
「久」
母から呼ばれて顔を上げる。
「こう吹雪が長いと薪も焚き付けも無くなって困る。止んだら山から取ってきておくれな」
兄には絶対に頼まない。でも山に入れるのは嬉しい。久治は板戸の隙間から外を覗き、雪が止むのを心待ちにした。
三日三晩続いた吹雪が終わると、晴天になった。久治ははやる気持ちを表に出さないようにしながら朝から山に向かった。山は真っ白な雪に覆われてきらきらと輝いている。積もったばかりの雪はやわらかく、久治の足を深く吸い込む。
急に降った雪の重みで、枯れた枝が方々に落ちている。拾いながら歩く。先日神主に山から出てくるところを見つかってしまったので、別なところから行く道を見つけたい。炎の庵から見える山の形は覚えている。太陽で方向を見ながら進む。かもしかや狸に出会う。今の時期、熊はめったにいない。
湖の水面が遠くに見えてくる。あのほとりに神社があるから、うまく回り込めば禁足地に入れるはずだ。少し山を登る。山側からは炎の庵の屋根は巧妙に隠されている。でもこんもりとした森はわかる。
見つけた。
雪の斜面を滑るように降りると、森の中に入った。来られた。だいぶ山を回り込む形になるので、時間はかかるがまず誰にも見つからない。太陽は真南にかかろうとしている。息を弾ませ、炎の庵に近づこうとした久治は、いつもと違う空気に足を止めた。
叫びともなんともつかない声がする。炎? 炎のほかに誰かが炎の庵にいる。雪の足跡が庵の中に続いている。久治は走り寄って庵に飛び込みたい衝動を必死に堪えた。
──誰が、俺の他に誰がおまえを見つけたのか? なぜ?
雪に足跡が残るので、そばによることもできない。
少し来た道を戻り、小さな木に雪が被って小山になっているところに身を隠して様子を伺った。しばらくして、庵から黒い装束の長身の男が出てきた。
宮司か? 正月に来るとは聞いていたが、それにしては随分早い。久治は他の村人が新たに彼を見つけたわけではなかったことにとりあえずほっとした。男はこちらを見ることもなく、神社の方へ足早に歩いて行った。どうしようか。また戻ってくるだろうか。少し様子を見たほうがよいか。
しかし、逡巡している間に、今度は炎が庵から飛び出してきた。凍ることはないとはいえ、切るような冷たさに変わりはない泉に着物のままためらいもせずに入り、水面に両の手を叩きつけるのが見えた。炎!
久治が駆け寄った時、炎は涙を流しながら体に泉の水をかけ続けていた。指先が真っ赤になっている。炎、と後ろから両肩を掴んで小さな声で呼ぶと、炎は振り返って水を掬うのをやめ、がくりとこうべを垂れた。体は氷のように冷たい。着物も髪もぐっしょりと濡れている。
「どうした? まず、入ろう」
「久治……」
庵の中は暖かかったが、どこか違和感があった。何かおかしな気配がする。いつもは畳まれて隅に収まっている布団が延べてある。炎は濡れた着物を脱ごうとしない。
「着物を変えないと」
「……こっちを見ないと約束してくれるなら」
「なぜ? 別に……」
その時、久治は初夏の祭りの時にも炎が同じように水を浴びていたのを思い出した。あの時……
「…… あざか?」
久治はぐいと炎の胸元をはだけた。そこには点々と鮮やかに赤い花が咲いていた。
「やめて!」
炎が濡れた着物をかき合わせてその場にしゃがみ込む。肩を震わせる。
「……わかった。すまなかった。決して見ないと約束する。頼むから着替えてくれ」
久治が一度庵の外に出ると、ぽたぽたと雪溶け水の滴る音がそこら中から聞こえた。あれは何なのだろう。あのあざ。丸く、同じような形と大きさの赤いあざだ。おそらくあの黒装束の男が関係している。初夏の祭りの時にも、あの男は来ていたはずなのだから。何か折檻でもされるのだろうか。それであんなに炎は取り乱すだろうか。
しばらくして庵の中に戻ると、炎はやや落ち着いて、乾いた着物を着て座っていた。布団も畳まれていた。
「大丈夫か? 寝ついていたのか?」
「寝ついてなどいない」
「布団が敷いてあったから」
「あれは違う」
目を合わせてくれない。顔色が悪い。手をひたいに当ててみる。熱はなさそうだ。頬に触れる。とても冷えている。頬に置いた手に炎の手が重なる。ひどく冷たい手だ。炎がやっと目を上げて久治の瞳を見た。かと思うと、堪えていたものが決壊するようにがばと抱きついてきた。全身が冷たい。
「凍えているじゃないか」
「……」
久治は慌てて背負っていた薪を下ろし、改めて炎を抱きしめた。
「宮司が出て行くのが見えたが、何かされたのか?」
炎が久治の首元に顔を埋めたままこくりと頷いた。
「夏におまえが言っていた嫌なことか?」
また頷く。
「そのあざはそのためにできたものか?」
「……くっ……」
あたたかい涙が肩口を濡らした。泣く弟をあやした時のように、背をとんとんと叩いてやる。やがて炎はゆっくりと体を離すと、自ら着物を開いた。白い体に目を落とす。首筋にも、胸にも腹にも、紅色のあざがくっきりとある。さらに目を落とす。細い両足の内腿にも……
「これはなんだ?」
「これは……あの男がわれを……」
炎が唇を一度強く噛んだ。薄紅色が一気に白くなり、また濃くなる。
「われの体を確かめると言って……く……口で吸った跡だ」
「……」
「ここに来ると必ずわれを裸にして……身体中を…舐っていく……われは…逆らえない…………」
「炎……」
「それだけではない……われの体の中に…大きくなったものを……」
「それ以上言わなくてよい!」
体を強く抱きしめると、炎は声を上げて泣いた。
「いいんだ。嫌なのは当たり前だ。それは好き会うたもの同士だけがすることだ。好きでもないやつに……」
言葉が出なくなった。ただ強く抱きしめた。好きでもないやつに、いいように汚されて、どんなにか辛かったことだろう。
「好き会うた人としかせずともよいのだな……」
炎は確かめるように言った。
「そうだ。それは好まぬやつとすることではない」
目は涙でまだ濡れている。久治はそっとそれを指で拭った。ひんやりと冷たい頬。
「われはおまえならよい……おまえならよかった……」
「炎……」
「おまえならどんなによかったか……」
炎の指が久治の着物をぎゅうと掴んだ。
「われがきらいになった……?」
「好きだ。お前に何があっても」
「われもお前が心底いとしい……」
色違いの瞳と目が合った。もう言葉はいらない。深く口付ける。うなじに指を這わせる。肩はまだ冷えている……。木板の床にそっと炎の体を横たえる。こちらも帯を解く。肌がじかに重なる。体の熱が炎に吸い取られていく。白い首の赤い跡に唇を当てる。
「炎、この跡を付けたのは俺だ」
炎がこくりと頷く。ひとつひとつ跡に口付けていく。首から胸、腹、肩の噛み跡、内股。いくつもいくつも、全部。
ひとつなぞる毎に、炎が身を震わせ、熱いため息をつく。炎のものが立ち上がり、脈打つのがわかる。炎の中にそっと指を入れる。指が締め付けられる。中が蠕く。炎が声にならない声を上げる。久治が硬くなった自分のものをあてると、ゆっくりと入って行く。炎の中も熱い。
「……ほの…お…」
「久治…」
体を動かすたびに、己のものが炎の体の中で弾けてしまいそうになる。でも止まらない。炎の指が背中を這う。目と目が合う。つらいか? 痛いか? 平気……と炎は荒い息の下で言う。
もっと体を寄せたい。炎を繋がったまま抱き起こす。抱きしめる。ふたりの体が一つの繭になったようだ。口付ける。このまま時が止まったらいい。炎がまたがったまま膝をつく。その細い腰を抱いて突き上げる。白い背がのけぞる。甘い吐息が聞こえる。艶かしい。紅潮した肌も、乱れた髪も。がまんできない。炎の中に思い切り吐精する。炎もまた、腹を精水で濡らした。
長い睫毛を伏せて荒い息をする。炎が久治の肩に手を置いて体を持ち上げると、久治のものが抜け、白い足の間につうと何かが流れ落ちた。
「炎……」
炎はまだ息を切らせ、久治の頭に腕を巻きつけるように抱いて、口付けする。
「好きだ、久治。久治……」
「俺もおまえが好きだ」
どさりと雪の塊が落ちる音が大きく響いた。はっとする。陽が傾きかけている。
「……もう、行ってくれ」
炎が手を離す。久治は後ろ髪を引かれる思いで森を後にした。
炎は戸口から、一度振り返り森の中に消えて行く愛しい人の背を、見えなくなるまでずっと見ていた。
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「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。