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七
正月が終わると、気温が上がり始める。ゆっくりと雪が溶けてゆき、田畑の土が見えてくる。久治は田のあぜを歩いていた。と、神主が向かい側から歩いてきて、久治を手招きした。久治は背筋が冷たくなった。ここまでこの男がわざわざやって来る理由は一つしかない。
神主の後ろについて神社の境内まで来た。少し前までは参拝客もちらほらあったが、もうそろそろそれも絶えた。雪がまだらに残っている。梅の花が咲きそうに膨らんでいる。
「なんで呼ばれたか、わかっていると思うが」
神主に促されて、二人は神社の裏の切目縁に腰を下ろした。今すぐに宮座から縄を巻かれるというわけではなかったので、久治は少しほっとした。
「お前、通っているだろう」
「通っている?」
「しらばっくれなくてもいい。どこに通っているかは言わん。もうやめろ。まだ私しか知らない。他の者にばれる前にやめろ」
「……」
「あのなあ、禁足地に入った者がどうなるか知っているか?俺の前の禰宜は、前の巫女を逃がそうとして捕まって腹を切った。わかるか? 神職ですらそうなる。お前なんて、磔か晒し首になってしまうぞ」
「……」
磔か晒し首。やはりか。そんな気はした。
「神主は死んだ。それだけですか?」
「は?」
「巫女の方は無事でしたか?」
「あ、ああ。まあ……」
神主は自分を戒めた。この聡い子に下手なことを言うわけにいかない。大胆なこの子のことだ、何をしでかすかわからない。
「自由になった?」
「……自由に。なったよ。だからな、久治。わたし以外が気づかぬうちにやめろ。大祭が終わるまでの辛抱だろう。悪いことは言わぬ。もし誰かに見つかったら、わたしも庇えない」
あと三月だ、と神主は思った。それで大祭になる。どんなに長くてもそれまで。久治は強情だがばかではない。
久治が通っているのではないかと思ったのだってほとんど勘だ。食事を届けに庵に行くと、今までは無気力に本に目を落としていた炎が、そわそわと窓の外を気にしていることが多くなった。これは誰か来ているなと思った。宮司ではない誰か。
その時、去年の冬に、明かりも持たずに神社の下の道から飛び出てきた久治のことを思い出した。どうもあの道を人がよく歩いているような気配があったから見回っていた時だった。あの時久治は道に迷ったと言った。でも久治くらいの男が、通いなれた山道に迷うはずはない。
それからはその獣道が誰かに踏み分けられることもなくなったが、炎の様子は相変わらずだった。おそらく道を変えて通っているなと思った。賢い。そしてそんなことに気を回せる者もそうはいない。久治はそもそもこの庵のことにもどういうわけか気が付いて興味を持っていた。色々なことが符合して、久治しかいないと思った。
「……わかった」
久治が大人しく頷いたので、神主はほっとした様子で自宅に戻っていった。だが久治は心に引っかかっていた。前の神主は巫女と逃げようとして死んだ。
巫女と逃げようとして。
なぜ? 大祭が終われば自由になるなら、わざわざ逃げる必要はない。死んだ神主だって見つかったらどうなるかわかっていたはずだ。
久治は辺りを確認し、初めて鳥居から禁足地に踏み込んだ。鳥居からもかなり炎の庵は奥まっていた。なるほどここならば多少音がしても誰にも気づかれないだろう。
足音を聞きつけて庵から出てきた炎は、久治が来るはずのない方向からやって来たことに驚いた。
「久治! こちらから来ては……」
「今日だけだ。神主に気づかれた」
炎がはっと息を飲んだ。
「それでは……」
「大丈夫。俺を殺す気はないらしい。それより炎、大祭が終わったらお前はどうなるのだ?」
「……それは……」
「村の子になるのか? 神主になるのか? それとも里に降りるのか?」
「言えない……」
「でも自由になる?」
炎は久治が何かを感じ取っていることを察した。でも嘘はつきたくない……。
「自由になる。われは必ずお前のもとにかえる」
「必ずだな」
「うん」
約束する。魂だけになろうとお前の元に還る。
久治は胸騒ぎがしていた。神主の態度も、炎の態度もとても大祭が終われば安穏とできるようには思えない。
相変わらず山に入るとなると松太郎が付いてきたが、それでも炎に会いに通うことにした。春先なのが幸いして、久治が秘密にしていたわらびの群生地に松を連れて行けば松も数度通ううちになんとか一人で来ては帰れるようになったので、冬よりは時間を作るのが余程楽になった。松は来年のことなど考えず根こそぎ蕨を手折ってしまうが、もうどうでも良い。とにかく炎のことが心にかかった。
父親に大祭とはなにかと聞いたら、普段の祭と違って巫女が被衣を着て踊るのだと言った。他に何か違いはあるのかと言い募っても、後は見ればわかるとしか教えてもらえなかった。
それに、炎がますます久治を激しく求めてくるようになった。自ら口を吸い、脚を絡め、腰を振る。まばたきする間も惜しいと言うように。
嬉しいと思う反面、何か急いているようで不安になった。どうした、何かあったかと尋ねても、炎は「お前が愛しいから」としか言わない。お前が愛しくて我慢できないから。そう言われると何も言えない。
大祭が近くなると、炎の体に宮司がつけた跡が残っていることが増えた。年に二度しか来なかった宮司は、最近は大祭にかこつけて頻繁に通っているらしい。
「鉢合わせするかもな」
「……そうかも知れない。お前はもう来ない方がいい。見つかったら殺されてしまう」
「来るよ」
炎が久治をぎゅっと抱きしめた。炎は泣いている。久治は炎のひたいにひたいをくっ付けた。体温が繋がる。でも頭の中は見えない。炎の涙は止まらなかった。山を降りる時も、炎の大きな目はまだ濡れていた。
神主の後ろについて神社の境内まで来た。少し前までは参拝客もちらほらあったが、もうそろそろそれも絶えた。雪がまだらに残っている。梅の花が咲きそうに膨らんでいる。
「なんで呼ばれたか、わかっていると思うが」
神主に促されて、二人は神社の裏の切目縁に腰を下ろした。今すぐに宮座から縄を巻かれるというわけではなかったので、久治は少しほっとした。
「お前、通っているだろう」
「通っている?」
「しらばっくれなくてもいい。どこに通っているかは言わん。もうやめろ。まだ私しか知らない。他の者にばれる前にやめろ」
「……」
「あのなあ、禁足地に入った者がどうなるか知っているか?俺の前の禰宜は、前の巫女を逃がそうとして捕まって腹を切った。わかるか? 神職ですらそうなる。お前なんて、磔か晒し首になってしまうぞ」
「……」
磔か晒し首。やはりか。そんな気はした。
「神主は死んだ。それだけですか?」
「は?」
「巫女の方は無事でしたか?」
「あ、ああ。まあ……」
神主は自分を戒めた。この聡い子に下手なことを言うわけにいかない。大胆なこの子のことだ、何をしでかすかわからない。
「自由になった?」
「……自由に。なったよ。だからな、久治。わたし以外が気づかぬうちにやめろ。大祭が終わるまでの辛抱だろう。悪いことは言わぬ。もし誰かに見つかったら、わたしも庇えない」
あと三月だ、と神主は思った。それで大祭になる。どんなに長くてもそれまで。久治は強情だがばかではない。
久治が通っているのではないかと思ったのだってほとんど勘だ。食事を届けに庵に行くと、今までは無気力に本に目を落としていた炎が、そわそわと窓の外を気にしていることが多くなった。これは誰か来ているなと思った。宮司ではない誰か。
その時、去年の冬に、明かりも持たずに神社の下の道から飛び出てきた久治のことを思い出した。どうもあの道を人がよく歩いているような気配があったから見回っていた時だった。あの時久治は道に迷ったと言った。でも久治くらいの男が、通いなれた山道に迷うはずはない。
それからはその獣道が誰かに踏み分けられることもなくなったが、炎の様子は相変わらずだった。おそらく道を変えて通っているなと思った。賢い。そしてそんなことに気を回せる者もそうはいない。久治はそもそもこの庵のことにもどういうわけか気が付いて興味を持っていた。色々なことが符合して、久治しかいないと思った。
「……わかった」
久治が大人しく頷いたので、神主はほっとした様子で自宅に戻っていった。だが久治は心に引っかかっていた。前の神主は巫女と逃げようとして死んだ。
巫女と逃げようとして。
なぜ? 大祭が終われば自由になるなら、わざわざ逃げる必要はない。死んだ神主だって見つかったらどうなるかわかっていたはずだ。
久治は辺りを確認し、初めて鳥居から禁足地に踏み込んだ。鳥居からもかなり炎の庵は奥まっていた。なるほどここならば多少音がしても誰にも気づかれないだろう。
足音を聞きつけて庵から出てきた炎は、久治が来るはずのない方向からやって来たことに驚いた。
「久治! こちらから来ては……」
「今日だけだ。神主に気づかれた」
炎がはっと息を飲んだ。
「それでは……」
「大丈夫。俺を殺す気はないらしい。それより炎、大祭が終わったらお前はどうなるのだ?」
「……それは……」
「村の子になるのか? 神主になるのか? それとも里に降りるのか?」
「言えない……」
「でも自由になる?」
炎は久治が何かを感じ取っていることを察した。でも嘘はつきたくない……。
「自由になる。われは必ずお前のもとにかえる」
「必ずだな」
「うん」
約束する。魂だけになろうとお前の元に還る。
久治は胸騒ぎがしていた。神主の態度も、炎の態度もとても大祭が終われば安穏とできるようには思えない。
相変わらず山に入るとなると松太郎が付いてきたが、それでも炎に会いに通うことにした。春先なのが幸いして、久治が秘密にしていたわらびの群生地に松を連れて行けば松も数度通ううちになんとか一人で来ては帰れるようになったので、冬よりは時間を作るのが余程楽になった。松は来年のことなど考えず根こそぎ蕨を手折ってしまうが、もうどうでも良い。とにかく炎のことが心にかかった。
父親に大祭とはなにかと聞いたら、普段の祭と違って巫女が被衣を着て踊るのだと言った。他に何か違いはあるのかと言い募っても、後は見ればわかるとしか教えてもらえなかった。
それに、炎がますます久治を激しく求めてくるようになった。自ら口を吸い、脚を絡め、腰を振る。まばたきする間も惜しいと言うように。
嬉しいと思う反面、何か急いているようで不安になった。どうした、何かあったかと尋ねても、炎は「お前が愛しいから」としか言わない。お前が愛しくて我慢できないから。そう言われると何も言えない。
大祭が近くなると、炎の体に宮司がつけた跡が残っていることが増えた。年に二度しか来なかった宮司は、最近は大祭にかこつけて頻繁に通っているらしい。
「鉢合わせするかもな」
「……そうかも知れない。お前はもう来ない方がいい。見つかったら殺されてしまう」
「来るよ」
炎が久治をぎゅっと抱きしめた。炎は泣いている。久治は炎のひたいにひたいをくっ付けた。体温が繋がる。でも頭の中は見えない。炎の涙は止まらなかった。山を降りる時も、炎の大きな目はまだ濡れていた。
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