127 / 229
04 (e)VAC(u)ATION
11 Vesta (もう一度、あの夜)
しおりを挟む
部屋で窓を眺める。今夜は3人での夕食の後から雨が降り始めて、外は真っ暗だ。洗濯されたシーツ。バルは離れたベッドにただ横になっている。何を考えているのかな。
「電気、消す?」
「うん」
スイッチを切ると本当の暗闇になった。
「ふふ。光量がなさすぎて暗視できない……こんなに暗いの初めて」
「サーモを活用しろよ」
サーモで見てみる。向こうのベッドのバルだけが明るく見える。自分がいたベッドも少し明るい。
「バルしか見えない」
「他のもんが見えても怖いな」
ベッドに横になる。暗視もサーモも切ってしまうと、目を開けているのか閉じているのかわからなくなる。今日は疲れたな。自分の馬鹿さ加減に疲れた。雨の音が聞こえる。この家は防音壁が入ってないみたいだ。
アラスターと、恋人になっちゃいけなかった。
なんでちゃんと考えなかったんだろう。好きだって言われてすごく嬉しかった。本当に。でも……。
唇にキスした時、あっと思ったんだ。これは違うなって。俺がキスしたいのはこの人じゃない……。アラスターとしたいのはこういうことじゃない。
どうしてあそこで引けなかったんだろう。あの時ちゃんとわかっていれば。俺は、アラスターを引きずり回しただけだ。
本当に馬鹿だった。今さら。
「ヴェスタ」
出し抜けにバルの声が聞こえた。空耳かと思った。
「ん?」
「この休暇、楽しい?」
「楽しい」
楽しい。今日も楽しかった……。一部を除けば。
「ごめんな。俺はこの街に来る時は、全部から離れることにしてるから」
なんの話?
「誰にも教えたくないんだ。でもお前に押し付けることじゃなかった」
思い至った。「帰れ」のことだ。
「だからただのお願いになるんだけど、ここにいる間だけは、誰にもどこにいるのか言わないでくれないか」
「……バルは何から逃げてるの?」
お母さんだけじゃない。もっと根本的なものから逃げてる感じがする。
「全部」
ぜんぶ。
「この街は色んな人がいるから、俺ひとり混ざってても誰も気にしない。俺が豚の子でも、ドナーでも」
「そっか……」
急に、バルと二人なんだと実感した。部屋に二人きりなんだ。だからの秘密の話。
「いいよ。誰にも言わない」
ああ。このせりふをずっと前にも言った。
──誰にも言わない。わかってるから……
二回目の二回目の後。あの時は辛かった。抱かれている最中の幸福感から急に引き戻された。自分がバルの、浮気相手ですらない、ただの……ただの人形だったのを思い出してしまったから。
今も。
今も遠い。浮気相手ですらない。バルの、セクサロイドですらない。わかってるから………。
この暗闇の向こうにバルがいて、少し歩けば、ほんの何歩か、それだけでバルに触れられるのに。
ばかみたい。自分のせい。バルに触れて欲しい。気が狂いそうなくらいに。
バルはあの香水がないと俺に欲情しないのに、俺はバルがそこにいるだけで眠れなくなってしまう。苦しい。俺も謝らないといけない。バル、俺はあんたが好きなんだ。ごめんね。バルが友達として? バディとして? 秘密の場所に連れてきてくれたのに、俺は違うことばかり期待してしまう。
この休暇は楽しい。でもそれは遠くに来たからでも美味しいものを食べたからでもない。バルのそばに、誰にも邪魔されずにいられるから。
バルの恋人のふりができるから。
「………」
涙が一筋の流れになって枕に染みていく。バカだ。自分にうんざりする。
「……ヴェスタ?」
返事ができない。バルがベッドに身を起こす気配がした。
「お前……大丈夫か?」
涙を止めなくちゃ。大丈夫だって、ちゃんと言わないといけない。声を震わせないように。
「電気つけていいか?」
「だめ!」
「お前、泣いてるだろ?」
「………」
「ヴェスタ」
「バルのせいじゃない……から」
「そんなことあるか?」
ふっとバルのため息が聞こえた。
「お前の髪、何回か青くなってたもんな。どれだ? どの件?」
「どれでもない……。……俺が、バカなだけ……。前のこと思い出しただけだから」
「前のこと?」
「バルが、イグニスと付き合ってた頃のこと……」
「なんでそんなこと思い出した?」
だって……
「イグニスが、羨ましかった……」
バルの恋人で、バルに庇われてる彼が心底羨ましかった。
においのせいなんじゃないかと思って彼の鞄から香水を盗んだ時、心のどこかでこれで俺もイグニスみたいに愛してもらえるかも知れないと思った。
でも香水を付けて抱かれてみてわかった。こんな虚しいことはないって。
あの時バルにも怒ってたけど、一番は自分に腹が立っていた。バルから好きになってもらえない自分に。こんなやり方でしか、バルに触れてもらえない自分に。
「イグニスなんか大嫌いだった……! なんであんなやつがバルの恋人なのって……」
バルがイグニスに目を向けるたびに、肩に手を乗せてあのバルの、俺が怖くてノックできなかったドアの向こうに連れていくたびに、苦しくて息が出来なくなった。バルがどんな風に彼に触れて、どんなことを囁くのか。
「俺の方が絶対バルのこと好きなのに何でって……。死んじゃった時、かわいそうだと思った。オーナーの人に、道具みたいに捨てられて……でもどこかでほっとしたんだ。もうバルとイグニスが並んでるのを見なくて済む……」
「……あのな、イグニスは……」
「アラスターが優しくしてくれて……好きになれるかも知れないと思った。でもだめだった……。アラスターには、悪いことしたと思ってる……。俺、どうしても……」
バルじゃないと嫌だってわかっただけだった。
「最低だよね……俺」
バルは何も言わない。俺の独り言みたいだ。
何か言って欲しい。
耳を澄ます。雨の音と、目を開けても閉じても同じ暗闇……。
「俺は、お前を大事にできなかっただろ」
「…………?」
「強姦は申告罪じゃない。俺はバレてないだけで犯罪者だ。お前が被害者なんだよ。そんなやつ好きになったらだめだ」
「強姦?」
「強姦だろ。お前とやったのは。時効は10年だ。罪名は『強制性交』。ちゃんと覚えろ」
「……だめなの?」
「ん?」
「俺、バルのこと好きになっちゃいけないの?」
「もっとまともなやつがいっぱいいる」
これって俺、断られてる? やっぱりだめなのか……。
「………っ」
突き上げるように涙が溢れ出した。どうしようもない。声を殺したくても殺しきれない。
「おい……泣くなよ。なんでそんなに泣いてるんだって」
「ほかのひと、なんて……だれもいらない……! 俺じゃだめなの……」
「そうじゃなくて……」
「だって嫌なんだろ!」
バルが口をつぐんだ気配がした。もう嫌だ。苦しすぎる。
「俺が嫌ならそう言って。俺が諦められるように……」
さらさらと、窓に雨がぶつかる音がする。水音。
息を整えよう。深呼吸を繰り返す。だんだんと涙の波が引いていく。バカだ。少し冷静になってみれば、俺は何を言ってしまったんだろう。
あんまり静かで、サーモを入れて見る。バルが向こうのベッドのふちに腰掛けて、夕食の時のお祈りみたいに顔の前で手を組んで俯いているのがわかる。
ごめん。
ごめん………。
もういいよ、って言わなきゃいけない。バルを困らせたいんじゃない。「もうわかったよ、明日からもバディでいてくれる?」。
バルは身じろぎひとつしない。
ベッドのふちに俺も腰かける。バルと向き合っている。バルからはこの暗闇で見えないはずだ。俺からもバルの表情はわからない。どんな顔をしているの。
そっと足を床につける。雨の音。絨毯の上に素足が触れる。音がしない。静かに歩けば、近くでバルの顔が見えるかもしれない。
バカだな。顔を見てどうするんだ。もっと悲しくなるだけ。
でも足は一歩踏み出している。
だって、ベッドから「もういいよ」って言うよりいいだろ。少しバルの肩に触れて、なんでもないよって。もう寝ようって。じゃあおやすみって。
言い訳ばっかりだ。でも足はもう一歩踏み出している。
だって……。
だってバルが何も言ってくれないんだ。バルがどんな顔をしているかくらい、見せてくれてもいいじゃないか。
もう、一歩。あと一歩でバルのすぐ目の前だ。バルの顔は、顔の前で組まれた両手のせいでまだ見えない。眉間に皺が寄っている気がする……。
あと一歩……。
バルが少しだけ顔を上げた。
自分の目が光ることを思い出して、はっと顔を伏せる。見つかった? いや、まだバルはこちらを見ていない。戻ろう。
振り返ろうとした時、ばっと熱い手が俺の体を掴んで引き寄せた。
「!」
勢いのままにバルの体に抱き止められる。心臓が口から飛び出そう。
「あ………」
「俺でいいのかよ?」
「バルじゃなきゃ……」
何度も。何度も頭の中に繰り返し……。
繰り返し、繰り返し思ってきた。バルじゃなきゃ俺は仕事なんかできない。バルじゃなきゃ一緒になんか暮らせない。バルじゃなきゃ、バルじゃなきゃこんな風に好きになれない。
「バルじゃなきゃ嫌だ!」
夢中で叫んでキスした。信じられない。あの引っ越す前の日の夜と違って、バルは俺をそのまま抱きしめてキスを返してくれた。恋人がするやつ……。
「ほんとにバルなの?」
「一応本物だと思ってる」
熱で白く輝くバルのかたち。バルは少し笑っている。どちらからともなくまた唇が重なる。信じられない……。転がるようにバルのベッドに入り込む。ベッドの中はすごくあったかかった。あの夜みたいに抱きつく。でも今夜はためらいなく抱きしめてもらえる。本当に信じられない。
雨の音が。
唇を重ねる音と、重なる。あの夜と同じ、心臓がぎゅうと絞られるような、甘い痛み。バルの指が俺の服に入り込みそうになって止まる。
「……しないの?」
「場所がな……。家に帰ったら」
「キスだけ?」
「キスまで」
「あの夜みたいだ」
「俺もそう思ってた」
バルがまた少し笑った気配がした。
「あの夜のやり直しだな」
やり直し。でも今夜はあの夜と違う……。
──大事にしなね。幸せはふっと逃げる……
ヴェルデちゃん。
「……バル」
「ん?」
「ヴェルデって何?」
バルの指が俺の髪を漉いた。
「緑」
おばちゃんの国の言葉で、緑色のことだよ。
こんな暗闇の中でも俺は髪の色がわかる。
「電気、消す?」
「うん」
スイッチを切ると本当の暗闇になった。
「ふふ。光量がなさすぎて暗視できない……こんなに暗いの初めて」
「サーモを活用しろよ」
サーモで見てみる。向こうのベッドのバルだけが明るく見える。自分がいたベッドも少し明るい。
「バルしか見えない」
「他のもんが見えても怖いな」
ベッドに横になる。暗視もサーモも切ってしまうと、目を開けているのか閉じているのかわからなくなる。今日は疲れたな。自分の馬鹿さ加減に疲れた。雨の音が聞こえる。この家は防音壁が入ってないみたいだ。
アラスターと、恋人になっちゃいけなかった。
なんでちゃんと考えなかったんだろう。好きだって言われてすごく嬉しかった。本当に。でも……。
唇にキスした時、あっと思ったんだ。これは違うなって。俺がキスしたいのはこの人じゃない……。アラスターとしたいのはこういうことじゃない。
どうしてあそこで引けなかったんだろう。あの時ちゃんとわかっていれば。俺は、アラスターを引きずり回しただけだ。
本当に馬鹿だった。今さら。
「ヴェスタ」
出し抜けにバルの声が聞こえた。空耳かと思った。
「ん?」
「この休暇、楽しい?」
「楽しい」
楽しい。今日も楽しかった……。一部を除けば。
「ごめんな。俺はこの街に来る時は、全部から離れることにしてるから」
なんの話?
「誰にも教えたくないんだ。でもお前に押し付けることじゃなかった」
思い至った。「帰れ」のことだ。
「だからただのお願いになるんだけど、ここにいる間だけは、誰にもどこにいるのか言わないでくれないか」
「……バルは何から逃げてるの?」
お母さんだけじゃない。もっと根本的なものから逃げてる感じがする。
「全部」
ぜんぶ。
「この街は色んな人がいるから、俺ひとり混ざってても誰も気にしない。俺が豚の子でも、ドナーでも」
「そっか……」
急に、バルと二人なんだと実感した。部屋に二人きりなんだ。だからの秘密の話。
「いいよ。誰にも言わない」
ああ。このせりふをずっと前にも言った。
──誰にも言わない。わかってるから……
二回目の二回目の後。あの時は辛かった。抱かれている最中の幸福感から急に引き戻された。自分がバルの、浮気相手ですらない、ただの……ただの人形だったのを思い出してしまったから。
今も。
今も遠い。浮気相手ですらない。バルの、セクサロイドですらない。わかってるから………。
この暗闇の向こうにバルがいて、少し歩けば、ほんの何歩か、それだけでバルに触れられるのに。
ばかみたい。自分のせい。バルに触れて欲しい。気が狂いそうなくらいに。
バルはあの香水がないと俺に欲情しないのに、俺はバルがそこにいるだけで眠れなくなってしまう。苦しい。俺も謝らないといけない。バル、俺はあんたが好きなんだ。ごめんね。バルが友達として? バディとして? 秘密の場所に連れてきてくれたのに、俺は違うことばかり期待してしまう。
この休暇は楽しい。でもそれは遠くに来たからでも美味しいものを食べたからでもない。バルのそばに、誰にも邪魔されずにいられるから。
バルの恋人のふりができるから。
「………」
涙が一筋の流れになって枕に染みていく。バカだ。自分にうんざりする。
「……ヴェスタ?」
返事ができない。バルがベッドに身を起こす気配がした。
「お前……大丈夫か?」
涙を止めなくちゃ。大丈夫だって、ちゃんと言わないといけない。声を震わせないように。
「電気つけていいか?」
「だめ!」
「お前、泣いてるだろ?」
「………」
「ヴェスタ」
「バルのせいじゃない……から」
「そんなことあるか?」
ふっとバルのため息が聞こえた。
「お前の髪、何回か青くなってたもんな。どれだ? どの件?」
「どれでもない……。……俺が、バカなだけ……。前のこと思い出しただけだから」
「前のこと?」
「バルが、イグニスと付き合ってた頃のこと……」
「なんでそんなこと思い出した?」
だって……
「イグニスが、羨ましかった……」
バルの恋人で、バルに庇われてる彼が心底羨ましかった。
においのせいなんじゃないかと思って彼の鞄から香水を盗んだ時、心のどこかでこれで俺もイグニスみたいに愛してもらえるかも知れないと思った。
でも香水を付けて抱かれてみてわかった。こんな虚しいことはないって。
あの時バルにも怒ってたけど、一番は自分に腹が立っていた。バルから好きになってもらえない自分に。こんなやり方でしか、バルに触れてもらえない自分に。
「イグニスなんか大嫌いだった……! なんであんなやつがバルの恋人なのって……」
バルがイグニスに目を向けるたびに、肩に手を乗せてあのバルの、俺が怖くてノックできなかったドアの向こうに連れていくたびに、苦しくて息が出来なくなった。バルがどんな風に彼に触れて、どんなことを囁くのか。
「俺の方が絶対バルのこと好きなのに何でって……。死んじゃった時、かわいそうだと思った。オーナーの人に、道具みたいに捨てられて……でもどこかでほっとしたんだ。もうバルとイグニスが並んでるのを見なくて済む……」
「……あのな、イグニスは……」
「アラスターが優しくしてくれて……好きになれるかも知れないと思った。でもだめだった……。アラスターには、悪いことしたと思ってる……。俺、どうしても……」
バルじゃないと嫌だってわかっただけだった。
「最低だよね……俺」
バルは何も言わない。俺の独り言みたいだ。
何か言って欲しい。
耳を澄ます。雨の音と、目を開けても閉じても同じ暗闇……。
「俺は、お前を大事にできなかっただろ」
「…………?」
「強姦は申告罪じゃない。俺はバレてないだけで犯罪者だ。お前が被害者なんだよ。そんなやつ好きになったらだめだ」
「強姦?」
「強姦だろ。お前とやったのは。時効は10年だ。罪名は『強制性交』。ちゃんと覚えろ」
「……だめなの?」
「ん?」
「俺、バルのこと好きになっちゃいけないの?」
「もっとまともなやつがいっぱいいる」
これって俺、断られてる? やっぱりだめなのか……。
「………っ」
突き上げるように涙が溢れ出した。どうしようもない。声を殺したくても殺しきれない。
「おい……泣くなよ。なんでそんなに泣いてるんだって」
「ほかのひと、なんて……だれもいらない……! 俺じゃだめなの……」
「そうじゃなくて……」
「だって嫌なんだろ!」
バルが口をつぐんだ気配がした。もう嫌だ。苦しすぎる。
「俺が嫌ならそう言って。俺が諦められるように……」
さらさらと、窓に雨がぶつかる音がする。水音。
息を整えよう。深呼吸を繰り返す。だんだんと涙の波が引いていく。バカだ。少し冷静になってみれば、俺は何を言ってしまったんだろう。
あんまり静かで、サーモを入れて見る。バルが向こうのベッドのふちに腰掛けて、夕食の時のお祈りみたいに顔の前で手を組んで俯いているのがわかる。
ごめん。
ごめん………。
もういいよ、って言わなきゃいけない。バルを困らせたいんじゃない。「もうわかったよ、明日からもバディでいてくれる?」。
バルは身じろぎひとつしない。
ベッドのふちに俺も腰かける。バルと向き合っている。バルからはこの暗闇で見えないはずだ。俺からもバルの表情はわからない。どんな顔をしているの。
そっと足を床につける。雨の音。絨毯の上に素足が触れる。音がしない。静かに歩けば、近くでバルの顔が見えるかもしれない。
バカだな。顔を見てどうするんだ。もっと悲しくなるだけ。
でも足は一歩踏み出している。
だって、ベッドから「もういいよ」って言うよりいいだろ。少しバルの肩に触れて、なんでもないよって。もう寝ようって。じゃあおやすみって。
言い訳ばっかりだ。でも足はもう一歩踏み出している。
だって……。
だってバルが何も言ってくれないんだ。バルがどんな顔をしているかくらい、見せてくれてもいいじゃないか。
もう、一歩。あと一歩でバルのすぐ目の前だ。バルの顔は、顔の前で組まれた両手のせいでまだ見えない。眉間に皺が寄っている気がする……。
あと一歩……。
バルが少しだけ顔を上げた。
自分の目が光ることを思い出して、はっと顔を伏せる。見つかった? いや、まだバルはこちらを見ていない。戻ろう。
振り返ろうとした時、ばっと熱い手が俺の体を掴んで引き寄せた。
「!」
勢いのままにバルの体に抱き止められる。心臓が口から飛び出そう。
「あ………」
「俺でいいのかよ?」
「バルじゃなきゃ……」
何度も。何度も頭の中に繰り返し……。
繰り返し、繰り返し思ってきた。バルじゃなきゃ俺は仕事なんかできない。バルじゃなきゃ一緒になんか暮らせない。バルじゃなきゃ、バルじゃなきゃこんな風に好きになれない。
「バルじゃなきゃ嫌だ!」
夢中で叫んでキスした。信じられない。あの引っ越す前の日の夜と違って、バルは俺をそのまま抱きしめてキスを返してくれた。恋人がするやつ……。
「ほんとにバルなの?」
「一応本物だと思ってる」
熱で白く輝くバルのかたち。バルは少し笑っている。どちらからともなくまた唇が重なる。信じられない……。転がるようにバルのベッドに入り込む。ベッドの中はすごくあったかかった。あの夜みたいに抱きつく。でも今夜はためらいなく抱きしめてもらえる。本当に信じられない。
雨の音が。
唇を重ねる音と、重なる。あの夜と同じ、心臓がぎゅうと絞られるような、甘い痛み。バルの指が俺の服に入り込みそうになって止まる。
「……しないの?」
「場所がな……。家に帰ったら」
「キスだけ?」
「キスまで」
「あの夜みたいだ」
「俺もそう思ってた」
バルがまた少し笑った気配がした。
「あの夜のやり直しだな」
やり直し。でも今夜はあの夜と違う……。
──大事にしなね。幸せはふっと逃げる……
ヴェルデちゃん。
「……バル」
「ん?」
「ヴェルデって何?」
バルの指が俺の髪を漉いた。
「緑」
おばちゃんの国の言葉で、緑色のことだよ。
こんな暗闇の中でも俺は髪の色がわかる。
10
あなたにおすすめの小説
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
肩甲骨に薔薇の種(アルファポリス版・完結済)
おにぎり1000米
BL
エンジニアの三波朋晴はモデルに間違われることもある美形のオメガだが、学生の頃から誰とも固定した関係を持つことができないでいる。しかしとあるきっかけで年上のベータ、佐枝峡と出会い、好意をもつが…
*オメガバース(独自設定あり)ベータ×オメガ 年齢差カプ
*『まばゆいほどに深い闇』の脇キャラによるスピンオフなので、キャラクターがかぶります。本編+後日談。他サイト掲載作品の改稿修正版につきアルファポリス版としましたが、内容はあまり変わりません。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
恋人はメリーゴーランド少年だった。
夏目奈緖
BL
溺愛ドS社長×ツンデレ高校生。年の差恋愛。社長からの告白と束縛に戸惑う高校生。すれ違いばかりの片想いから恋人同士へ。ひねくれもの天使的な高校生と心を閉ざした会社社長との年の差BL。中山夏樹(18)は従姉妹の結婚式の2次会で、倒れてきた酔っ払いの下敷きになり左手に怪我を負った。助けてくれたのが、会場レストラン経営の黒崎ホールディングス代表取締役社長・黒崎圭一(33)。左手の抜糸がすむまで黒崎の車で送迎されることになった。黒崎は誰にも心を開かない。夏樹も同じである。しかしながら、夏樹は黒崎の前だけは自分の意思とは反対に、本音を吐き出す。2人は孤独を抱えており、夏樹は黒崎に惹かれていく。黒崎は夏樹に一目惚れし、執着する。
【BL】『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとでした
圭琴子
BL
この世界は、αとβとΩで出来てる。
生まれながらにエリートのαや、人口の大多数を占める『普通』のβにはさして意識するほどの事でもないだろうけど、俺たちΩにとっては、この世界はけして優しくはなかった。
今日も寝坊した。二学期の初め、転校初日だったけど、ワクワクもドキドキも、期待に胸を膨らませる事もない。何故なら、高校三年生にして、もう七度目の転校だったから。
βの両親から生まれてしまったΩの一人息子の行く末を心配して、若かった父さんと母さんは、一つの罪を犯した。
小学校に入る時に義務付けられている血液検査日に、俺の血液と父さんの血液をすり替えるという罪を。
従って俺は戸籍上、β籍になっている。
あとは、一度吐(つ)いてしまった嘘がバレないよう、嘘を上塗りするばかりだった。
俺がΩとバレそうになる度に転校を繰り返し、流れ流れていつの間にか、東京の一大エスカレーター式私立校、小鳥遊(たかなし)学園に通う事になっていた。
今まで、俺に『好き』と言った連中は、みんなΩの発情期に当てられた奴らばかりだった。
だから『好き』と言われて、ピンときたことはない。
だけど。優しいキスに、心が動いて、いつの間にかそのひとを『好き』になっていた。
学園の事実上のトップで、生まれた時から許嫁が居て、俺のことを遊びだと言い切るあいつを。
どんなに酷いことをされても、一度愛したあのひとを、忘れることは出来なかった。
『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとだったから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる