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09 「ふたり」の形
14 Baltroy (カウンセリングとアドバイス)
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『ログバート! 覚えてる覚えてる。あいつには大迷惑したんです。どっかの大病院の医者の息子だったかな? 何かのコネで入って来たんだけど、ほんとに医師免許取れたの? ってくらいアホで。そのくせ若い看護師には手を出すし……辞めてくれてほっとしたわ』
その看護師は師長で、よくオレグ・ログバートのことを覚えていた。
『医療事故はね、あいつ似たようなこといっぱいしてたの! でも揉み消してたのよね、お金払ったり、看護師のミスにしたりしてさあ。記事になったのは相手が訴えることにしたからよ。誤魔化せなかったのね。あいつ今どこで何やってるの? とにかく医者として野放しにしとくといつか死人が出るわよ!』
「ありがとうございます」
死人ならいっぱい出てるみたいだ。彼の手掛けた死亡届の山を見る。何だろう? 医者としてダメだから、治療は諦めて殺して回ってるのか? そうかも知れない。
ログバート医師の戸籍をもう一度見直す。父親欄。カート・ログバート。こっちを検索する。
この州で一番大きな病院の医局長になっている。大物なんだろう。金も地位も名誉もある。
さて。次は何を調べる? 死人の山……一番最近出された死亡届を見てみる。進行性の難病で、これも心不全。遺体の引き取り者。本人の夫のようだ。コールする。
『はい……』
「レプリカント人権保護局のA492090rpです。大変恐れ入りますが、奥様が亡くなられた時のことをお伺いしたくご連絡しました」
コンロンはエア・バイクに跨って飛び出して行った。キンバリーの方は割とゆっくりしている。
「車椅子を押した方がいいですか?」
「いや。大丈夫……今から走ってもらうから準備して」
ゴーグルを付けたキンバリーの後ろをついて歩く。まだ速度は出ていない。
「今から車椅子はオートで動くから、僕の乗ったオートキャリアに乗って。行くよ」
「はい」
言うなり、キンバリーの車椅子はどんどん加速して一台のバリアフリータイプの公用車に吸い込まれた。慌てて追いかける。ヴェスタが息を切らせて滑り込むのとほとんど同時に、車が走り出す。
「……目標は現在トナンストリートの5ブロック目を右折したところだ」
キンバリーがインカムに向かって話す。
『了解』
コンロンの声が聞こえる。
「北東に向かっている。ジャズロウの丘の方に誘導するから先回りして」
『OK』
誘導? どうやって? この公用車は逃げ出した容疑者とコンロンのはるか後方だ。もう手出しできる位置ではない。
キンバリーは手元のキーボードとスイッチを次々に切り替え、何かを打ち込んでいく。
「はい。ジャズロウの丘」
『来た』
「よろしく」
何をしているのか全くわからない。公用車がジャズロウの丘と呼ばれる、ちょっとした公園に着くと、コンロンが暴れる男に付けた拘束具を引っ張って、エア・バイクから引きずり下ろしたところだった。
「よう」
「お疲れ」
キンバリーが軽くコンロンに手を振った。
「オレグ・ログバート……自殺幇助容疑で逮捕。18時23分」
「俺は合法だ! この州じゃ安楽死は合法だ!」
「家族の同意書がないのと、本人の同意書がないのと……合法じゃないよ」
コンロンがオレグの腕を捻りあげると、オレグはうめいて暴れるのをやめた。
「ありがとう、バルトロイ、ヴェスタ。君たちに頼んでよかった」
キンバリーがゴーグルを外してにこっと笑った。
「いや……」
もっと早くに解決できたはずだった。腕の悪い医師。死人は訴訟を起こさない。
彼は自分の父親の大病院から、死ぬことが決まっている患者をログバートクリニックに転院させて安楽死させ、金をもらっていた。
安楽死自体は違法じゃない。でも彼は生来の不精と勉強嫌いが祟って、きちんと書類を揃えていなかった。死亡届としては致死性の病気の延長で亡くなったように見えるからこれまで明らかにならなかったが、大半は自殺幇助、あるいは殺人として扱われるようなものだった。死亡届が出された人たちの遺族にコールしてわかったことだ。
コンロンがオレグの家を訪ねた時、オレグはちょうど家にエア・バイクで戻ってきたところで、コンロンの警察用エア・バイクを一目見て踵を返して逃げ出した。本人も自分のやっていることがまずいんじゃないかと少しは自覚があったらしい。
「キンバリーさんはどうやって犯人を誘導していたんですか?」
ふふっとキンバリーは笑った。
「ぼくは足がこうでしょう。だから別な目と足を持ってるんです。今度飲みにいきましょう、教えてあげる」
ヴェスタは青い髪で、ぼんやりしているように見えた。指示には従うが何も言わなかった。ログバートクリニックは当然事件現場なので、閉鎖になるだろう。あのレプリカント……エミール・ボネットも参考人として収容しなければならない。
俺は謀らずも、ヴェスタの居場所を奪ってしまったわけだ。
どちらかと言うと、望み通り、かな。
「じゃ、まあヒューマンなので後は警察でやります。自供が取れたら共有するよ」
「はい。お願いします……戻るぞ、ヴェスタ」
ヴェスタは黙ってレプリカント人権保護局の公用車に乗り込んだ。まるでアンドロイドを相手にしてるみたいだ。
「……おい、大丈夫か? 脳みそ潰されたんじゃないだろうな?」
こいつが来たばかりのときに扱った事件の被害者を思い出した。サウンドブレイカーで前頭葉を潰されて、AIだけで動くようになってしまったレプリカント。
「ん……」
小さな白い横顔。このところまともに見てもいない。言うか? お前のカウンセラー、捕まっちまって……なんだ? ごめんな、か? 残念だったな?
俺がこいつのかかってるカウンセラーを知ってることはヴェスタは知らないはずだ。下手に何も言わない方がいいかも知れない。冷静になってみると完全にストーカーだろ。
「あの……エミールさんは、こっちで尋問するの? レプリカントだろ」
久々にヴェスタから質問された感じがする。あのレプリカント絡みなのは気に食わない。
「それはエミールがどこまで絡んでたかによる。本当に知らなかったなら参考人止まりで警察で聴取されて終わり。一緒にやってたら……」
メアリの爪から出てきた皮膚片がエミールのもので、もしエミールがログバートがしていることが違法だと認識していたのなら。
「共犯者として俺たちが逮捕しないといけない」
「………」
やりづらいだろうな。わかるけど言えない。
安楽死の手順として、まずは本人または家族からの相談がある。大前提。医者やその他の他人からの提案じゃなくて、本人が自発的に死にたいと意思表示しなければならない。
次にカウンセリング。本人や家族に対する複数回のカウンセリングで、安楽死をする確固たる意思を確認する。
回復の見込めない病状があり、本人と家族の同意書の提出が最終的にあれば、安楽死は執行される。合法で。どこかの時点で誰かがヒヨれば、安楽死は行われない。
このうちカウンセリングの過程をエミールが請け負っていたんだろう。彼が書類については知らないと言えばそれまでだが、ログバートの素行を考えれば、自分で書類の管理をするとは思えなかった。
エミールがそれらの面倒を見ていたというのが妥当。あいつに捜査官として対面した時、こいつはどんな風に振る舞うのか。
「ヴェスタ」
「……」
「この件が片付いたら、どっか行こうか」
「………」
「出かけてないだろ。二人で。お前の誕生日も何もしなかったし」
ヴェスタの髪が少し緑色に寄った。まじか。逆に驚く。でも首は横に振られた。試しに手を伸ばしてみる。髪の先に触れる。ヴェスタがちょっとこちらを見る。すぐに顔を伏せられてしまう。
何なら。今は何ならお前は俺に許してくれるんだ。ほんの少し前まではなんでも許してくれたのにな。お前の部屋に入ることも、キスすることも。付き合い始めから付けてた左ひじの内側のキスマークは、とっくの昔に消えているだろう。
今はその頬に触れることさえ、お前が怖くてできない。やめろよって言われるのが。全く、どっちがオーナーなのか分かったもんじゃない。
保護局の前で車が止まる。ヴェスタはさっと降りて足早にオフィスに戻って行く。少し疲れたな。一人で廊下を歩いていると、誰かが後ろからぽんと肩を叩いた。
「バル。元気ないじゃない」
ユミンだった。
「うん。ちょっと……遠出したもんで」
「検査室に寄って行く? お茶くらい出すよ」
もう定時をとっくに過ぎている。検査室で時間を潰しても文句は言われない。「先に帰って」ヴェスタにショートコメントを送る。既読が付いたのを確認する。検査室は久しぶりだ。
「ヴェスタとはうまくいってる?」
「行ってねーな」
まあ、見てりゃわかる。ユミンはヴェスタの髪の色の条件を知ってるから、大体想像は付いてるはずだ。
「二人とも疲れてるみたいだね」
「疲れた」
「愚痴なら聞くよ」
「……」
愚痴か。ヴェスタだけど、なんであんなになったのかさっぱりわかんねえんだ。他のやつが好きになったのか知らないけど、部屋に鍵かけて顔も合わせてくれない。話もできないんだ。でも俺はまだあいつが好きなんだよ。あいつの好きなやつは犯罪者の共犯でレプリカントで既婚者だ。好きになったって無駄なんだよ。あいつにだって分からないわけないのに、俺の方を見ないんだ。
「ねえよ」
「相変わらずだね。まあ、何かあったら相談して」
相談か。ヴェスタがここでユミンに何度か相談してたな。そうだった。相談相手はいたのに、なんでまたカウンセラーなんかにかかったんだろう。
「カウンセラーに相談するのと、ユミンに相談するのは何が違うんだろうな」
「え? バルはカウンセリングを受けたことないの? なさそうだけど」
「ない」
「あのねえ、やっぱり利害関係がある人に相談するといろんなしがらみを考えないといけないじゃない? 例えば、私に局長に対する愚痴を言ったとしたら、私が局長に話さないかとか、局長の悪口なんて言ってって私が思ったらとか、色々心配しちゃうでしょ。カウンセラーはお金しか絡まない他人だし、守秘義務もあるから安心なのよね。教会でざんげするようなものよ」
「でもさ、知り合いの方が話が簡単に済む気がするけどな。局長がさ、って言えば知り合いならすぐピンと来るだろ。局長のことを知らんやつに一から説明して愚痴を言うのって面倒だろ?」
「そういう問題じゃないの! というか、局長のことを知らない人に聞いて欲しいわけ。客観的にね。こういう人がいて、自分はこういうことをされて嫌だったとか、人からこんなふうに言われたとか」
「それは何か足しになるのか? 人がどう言うかなんてどうでも良くないか?」
ユミンはクスクスと笑った。
「バル、そう思い切れる人は一握りなの。他人からどういう評価をされるかっていうのは、大抵の人にとって相対的で重要な判断基準なの。わかってよね」
ふうん。わからない。
「よほど自分に自信があるか、信念があるか、そういう人でもない限り全く気にならない人っていないのよ」
「自信も信念も特にないけど気にならない」
「あなたはそういう自分に慣れているのよね」
ユミンはまだ笑ったままだった。
家に帰ると、予想通りヴェスタはもう部屋に引っ込んでいた。レッダが温め直した夕食を並べる。
「あなたが一人暮らししている時のことを思い出しますね」
「だから死体蹴りをやめろってんだよ」
「思い出しただけですよ。今がそうだと言っている訳ではありません」
くそが。でもその通りだ。一人暮らしと変わらない。気楽と言う意味では一人暮らしの方がマシかもしれない。たぶんヴェスタもそう思っているはずだ。もしヴェスタが出て行くことになったら、あいつのことを考えるんだろうか。エミール・ボネット。でもあの男にだって帰る家はないんだぞ。
「………」
まあ、今日の段階では何も言えない。俺が見つけて、俺がぶち込んだんだ。檻の中に。残念だったな、ヴェスタ。
「そんなに気を遣わなくていいんじゃないですか?」
「何が」
「ヴェスタに。仕事でも家でもそうです。ノックしたければしたらよいのでは。世界は挑戦と失敗で前進するんです」
「いや……」
「しっかりして下さい、バルトロイ・エヴァーノーツ」
「ハッ」
まあそうだ。考えても仕方がない。少し余計なことばかり考えすぎている。
その看護師は師長で、よくオレグ・ログバートのことを覚えていた。
『医療事故はね、あいつ似たようなこといっぱいしてたの! でも揉み消してたのよね、お金払ったり、看護師のミスにしたりしてさあ。記事になったのは相手が訴えることにしたからよ。誤魔化せなかったのね。あいつ今どこで何やってるの? とにかく医者として野放しにしとくといつか死人が出るわよ!』
「ありがとうございます」
死人ならいっぱい出てるみたいだ。彼の手掛けた死亡届の山を見る。何だろう? 医者としてダメだから、治療は諦めて殺して回ってるのか? そうかも知れない。
ログバート医師の戸籍をもう一度見直す。父親欄。カート・ログバート。こっちを検索する。
この州で一番大きな病院の医局長になっている。大物なんだろう。金も地位も名誉もある。
さて。次は何を調べる? 死人の山……一番最近出された死亡届を見てみる。進行性の難病で、これも心不全。遺体の引き取り者。本人の夫のようだ。コールする。
『はい……』
「レプリカント人権保護局のA492090rpです。大変恐れ入りますが、奥様が亡くなられた時のことをお伺いしたくご連絡しました」
コンロンはエア・バイクに跨って飛び出して行った。キンバリーの方は割とゆっくりしている。
「車椅子を押した方がいいですか?」
「いや。大丈夫……今から走ってもらうから準備して」
ゴーグルを付けたキンバリーの後ろをついて歩く。まだ速度は出ていない。
「今から車椅子はオートで動くから、僕の乗ったオートキャリアに乗って。行くよ」
「はい」
言うなり、キンバリーの車椅子はどんどん加速して一台のバリアフリータイプの公用車に吸い込まれた。慌てて追いかける。ヴェスタが息を切らせて滑り込むのとほとんど同時に、車が走り出す。
「……目標は現在トナンストリートの5ブロック目を右折したところだ」
キンバリーがインカムに向かって話す。
『了解』
コンロンの声が聞こえる。
「北東に向かっている。ジャズロウの丘の方に誘導するから先回りして」
『OK』
誘導? どうやって? この公用車は逃げ出した容疑者とコンロンのはるか後方だ。もう手出しできる位置ではない。
キンバリーは手元のキーボードとスイッチを次々に切り替え、何かを打ち込んでいく。
「はい。ジャズロウの丘」
『来た』
「よろしく」
何をしているのか全くわからない。公用車がジャズロウの丘と呼ばれる、ちょっとした公園に着くと、コンロンが暴れる男に付けた拘束具を引っ張って、エア・バイクから引きずり下ろしたところだった。
「よう」
「お疲れ」
キンバリーが軽くコンロンに手を振った。
「オレグ・ログバート……自殺幇助容疑で逮捕。18時23分」
「俺は合法だ! この州じゃ安楽死は合法だ!」
「家族の同意書がないのと、本人の同意書がないのと……合法じゃないよ」
コンロンがオレグの腕を捻りあげると、オレグはうめいて暴れるのをやめた。
「ありがとう、バルトロイ、ヴェスタ。君たちに頼んでよかった」
キンバリーがゴーグルを外してにこっと笑った。
「いや……」
もっと早くに解決できたはずだった。腕の悪い医師。死人は訴訟を起こさない。
彼は自分の父親の大病院から、死ぬことが決まっている患者をログバートクリニックに転院させて安楽死させ、金をもらっていた。
安楽死自体は違法じゃない。でも彼は生来の不精と勉強嫌いが祟って、きちんと書類を揃えていなかった。死亡届としては致死性の病気の延長で亡くなったように見えるからこれまで明らかにならなかったが、大半は自殺幇助、あるいは殺人として扱われるようなものだった。死亡届が出された人たちの遺族にコールしてわかったことだ。
コンロンがオレグの家を訪ねた時、オレグはちょうど家にエア・バイクで戻ってきたところで、コンロンの警察用エア・バイクを一目見て踵を返して逃げ出した。本人も自分のやっていることがまずいんじゃないかと少しは自覚があったらしい。
「キンバリーさんはどうやって犯人を誘導していたんですか?」
ふふっとキンバリーは笑った。
「ぼくは足がこうでしょう。だから別な目と足を持ってるんです。今度飲みにいきましょう、教えてあげる」
ヴェスタは青い髪で、ぼんやりしているように見えた。指示には従うが何も言わなかった。ログバートクリニックは当然事件現場なので、閉鎖になるだろう。あのレプリカント……エミール・ボネットも参考人として収容しなければならない。
俺は謀らずも、ヴェスタの居場所を奪ってしまったわけだ。
どちらかと言うと、望み通り、かな。
「じゃ、まあヒューマンなので後は警察でやります。自供が取れたら共有するよ」
「はい。お願いします……戻るぞ、ヴェスタ」
ヴェスタは黙ってレプリカント人権保護局の公用車に乗り込んだ。まるでアンドロイドを相手にしてるみたいだ。
「……おい、大丈夫か? 脳みそ潰されたんじゃないだろうな?」
こいつが来たばかりのときに扱った事件の被害者を思い出した。サウンドブレイカーで前頭葉を潰されて、AIだけで動くようになってしまったレプリカント。
「ん……」
小さな白い横顔。このところまともに見てもいない。言うか? お前のカウンセラー、捕まっちまって……なんだ? ごめんな、か? 残念だったな?
俺がこいつのかかってるカウンセラーを知ってることはヴェスタは知らないはずだ。下手に何も言わない方がいいかも知れない。冷静になってみると完全にストーカーだろ。
「あの……エミールさんは、こっちで尋問するの? レプリカントだろ」
久々にヴェスタから質問された感じがする。あのレプリカント絡みなのは気に食わない。
「それはエミールがどこまで絡んでたかによる。本当に知らなかったなら参考人止まりで警察で聴取されて終わり。一緒にやってたら……」
メアリの爪から出てきた皮膚片がエミールのもので、もしエミールがログバートがしていることが違法だと認識していたのなら。
「共犯者として俺たちが逮捕しないといけない」
「………」
やりづらいだろうな。わかるけど言えない。
安楽死の手順として、まずは本人または家族からの相談がある。大前提。医者やその他の他人からの提案じゃなくて、本人が自発的に死にたいと意思表示しなければならない。
次にカウンセリング。本人や家族に対する複数回のカウンセリングで、安楽死をする確固たる意思を確認する。
回復の見込めない病状があり、本人と家族の同意書の提出が最終的にあれば、安楽死は執行される。合法で。どこかの時点で誰かがヒヨれば、安楽死は行われない。
このうちカウンセリングの過程をエミールが請け負っていたんだろう。彼が書類については知らないと言えばそれまでだが、ログバートの素行を考えれば、自分で書類の管理をするとは思えなかった。
エミールがそれらの面倒を見ていたというのが妥当。あいつに捜査官として対面した時、こいつはどんな風に振る舞うのか。
「ヴェスタ」
「……」
「この件が片付いたら、どっか行こうか」
「………」
「出かけてないだろ。二人で。お前の誕生日も何もしなかったし」
ヴェスタの髪が少し緑色に寄った。まじか。逆に驚く。でも首は横に振られた。試しに手を伸ばしてみる。髪の先に触れる。ヴェスタがちょっとこちらを見る。すぐに顔を伏せられてしまう。
何なら。今は何ならお前は俺に許してくれるんだ。ほんの少し前まではなんでも許してくれたのにな。お前の部屋に入ることも、キスすることも。付き合い始めから付けてた左ひじの内側のキスマークは、とっくの昔に消えているだろう。
今はその頬に触れることさえ、お前が怖くてできない。やめろよって言われるのが。全く、どっちがオーナーなのか分かったもんじゃない。
保護局の前で車が止まる。ヴェスタはさっと降りて足早にオフィスに戻って行く。少し疲れたな。一人で廊下を歩いていると、誰かが後ろからぽんと肩を叩いた。
「バル。元気ないじゃない」
ユミンだった。
「うん。ちょっと……遠出したもんで」
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もう定時をとっくに過ぎている。検査室で時間を潰しても文句は言われない。「先に帰って」ヴェスタにショートコメントを送る。既読が付いたのを確認する。検査室は久しぶりだ。
「ヴェスタとはうまくいってる?」
「行ってねーな」
まあ、見てりゃわかる。ユミンはヴェスタの髪の色の条件を知ってるから、大体想像は付いてるはずだ。
「二人とも疲れてるみたいだね」
「疲れた」
「愚痴なら聞くよ」
「……」
愚痴か。ヴェスタだけど、なんであんなになったのかさっぱりわかんねえんだ。他のやつが好きになったのか知らないけど、部屋に鍵かけて顔も合わせてくれない。話もできないんだ。でも俺はまだあいつが好きなんだよ。あいつの好きなやつは犯罪者の共犯でレプリカントで既婚者だ。好きになったって無駄なんだよ。あいつにだって分からないわけないのに、俺の方を見ないんだ。
「ねえよ」
「相変わらずだね。まあ、何かあったら相談して」
相談か。ヴェスタがここでユミンに何度か相談してたな。そうだった。相談相手はいたのに、なんでまたカウンセラーなんかにかかったんだろう。
「カウンセラーに相談するのと、ユミンに相談するのは何が違うんだろうな」
「え? バルはカウンセリングを受けたことないの? なさそうだけど」
「ない」
「あのねえ、やっぱり利害関係がある人に相談するといろんなしがらみを考えないといけないじゃない? 例えば、私に局長に対する愚痴を言ったとしたら、私が局長に話さないかとか、局長の悪口なんて言ってって私が思ったらとか、色々心配しちゃうでしょ。カウンセラーはお金しか絡まない他人だし、守秘義務もあるから安心なのよね。教会でざんげするようなものよ」
「でもさ、知り合いの方が話が簡単に済む気がするけどな。局長がさ、って言えば知り合いならすぐピンと来るだろ。局長のことを知らんやつに一から説明して愚痴を言うのって面倒だろ?」
「そういう問題じゃないの! というか、局長のことを知らない人に聞いて欲しいわけ。客観的にね。こういう人がいて、自分はこういうことをされて嫌だったとか、人からこんなふうに言われたとか」
「それは何か足しになるのか? 人がどう言うかなんてどうでも良くないか?」
ユミンはクスクスと笑った。
「バル、そう思い切れる人は一握りなの。他人からどういう評価をされるかっていうのは、大抵の人にとって相対的で重要な判断基準なの。わかってよね」
ふうん。わからない。
「よほど自分に自信があるか、信念があるか、そういう人でもない限り全く気にならない人っていないのよ」
「自信も信念も特にないけど気にならない」
「あなたはそういう自分に慣れているのよね」
ユミンはまだ笑ったままだった。
家に帰ると、予想通りヴェスタはもう部屋に引っ込んでいた。レッダが温め直した夕食を並べる。
「あなたが一人暮らししている時のことを思い出しますね」
「だから死体蹴りをやめろってんだよ」
「思い出しただけですよ。今がそうだと言っている訳ではありません」
くそが。でもその通りだ。一人暮らしと変わらない。気楽と言う意味では一人暮らしの方がマシかもしれない。たぶんヴェスタもそう思っているはずだ。もしヴェスタが出て行くことになったら、あいつのことを考えるんだろうか。エミール・ボネット。でもあの男にだって帰る家はないんだぞ。
「………」
まあ、今日の段階では何も言えない。俺が見つけて、俺がぶち込んだんだ。檻の中に。残念だったな、ヴェスタ。
「そんなに気を遣わなくていいんじゃないですか?」
「何が」
「ヴェスタに。仕事でも家でもそうです。ノックしたければしたらよいのでは。世界は挑戦と失敗で前進するんです」
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