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09 「ふたり」の形
23 Baltroy (アネルマ)
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週末、ヴェスタの運転するエア・ランナーで、恩師のアネルマ・マイネの墓標の前に立った。
あまり大きくない墓地の片隅に、それはひっそりとあった。36–85、享年は49歳。
ヴェスタが持ってきた白い花輪をそっとその小さな灰色の墓に添える。すぐ隣に、もう一回り小さな墓標があるが、もう名前が読めない。誰の墓なのか。
「アネルマさんはどんな人だったの」
「なんだろうな。一口では言えない。まあ……強くて優しい人だった。物事の考え方を教えてもらった。お前は俺のメンタルが強いって言うけど、それはこの人のお陰だな」
「ふうん……。会いたかったな」
「会わせたかった」
「どうも。エヴァーノーツさん」
聞き覚えのある声で急に名前を呼ばれて振り向くと、砂色の髪の女性がにこにこと笑って、いくつもの墓標の間を抜け、こちらに歩み寄ってくるところだった。
「わたし、ナスター・アインホルストです。アネルマの姪です。コールでお会いしましたね」
「ああ。どうも。アネルマ先生に声がそっくりですね」
「昔はよく言われました。血は繋がっていないので、たまたまなんです。今日いらっしゃると聞いて、お会いできるかもしれないと思って」
ナスターは近くのカフェで、アネルマの人生の話をしてくれた。
「あまり前に出る人ではなかったので、エヴァーノーツさんのように、お墓参りに来たいと言ってくださる方は少ないんです」
「そうなんですか?」
アネルマは大学で教育学を学び、教員免許を取ってこの地方の学校の教員になった。その時非常勤講師として同僚だった人と結婚したが、わずか3年ほどで結婚生活は終わった。配偶者がレプリカントだったからだ。
「その頃は、レプリカントがヒューマンに混じっているだけでも大変なことで……。匿名のメールが全教職員全生徒にばら撒かれて、名指しでレプリカントだと書かれていたり、生徒から無視されたり、ちょっとした嫌がらせやいじめのようなことは日常茶飯事だったようです。結局……」
その人はある日、学校からの帰宅途中に誰かに捕らえられ、3日後に遺体で見つかった。長時間の暴行の痕跡が残るひどい遺体だった。
アネルマは一年ほど休職し、悲しみと絶望に耐えなければならなかった。やがてまた少し元気を取り戻して、思い出の残るこの土地を離れ、教員として新たな学校で働き始めた。それがバルの通っていたプライマリースクールだった。
「そんなことが……。ちっとも知りませんでした。対遇の方がレプリカントだったというのは少し伺っていましたが……」
「そうでしょうね。誰にも言わなかったと思います。私も母からのまた聞きですから。逆に、エヴァーノーツさんの通われた学校で働いていた時のことを知らないんです。私も母もこの地方からあまり出ませんので。
よろしければどうして叔母をお慕い頂いているのか、伺っても宜しいですか?」
彼女は彼女の対遇がかつて受けていたようなしうちを、似たような理由で受けている少年を見つけた。それが当時のバルトロイ・エヴァーノーツだった。彼はレプリカントではなかった。でもヒューマンではないというその一点で、レプリカントと似たような扱いを受けていた。
アネルマは今度こそそれをやめさせることにした。証拠を抑え、委員会に訴え、生徒たちに人の痛みというものを懇々と伝えた。問題が一応の解決を見て話に上らなくなってからも、少年のアフターケアを怠らなかった。少年はそのおかげでレプリカントという存在を、自分が守ることに決めた。
「そうだったんですね。叔母は物静かな人だったので、とても意外です。それからは、叔母は体を壊してこちらに戻ってきたんです。たちの悪い膠原病の一種を発症してしまって、入退院を繰り返すようになりまして」
アネルマは新しい恋人は作らなかった。昔からの友人と家族とだけ付き合い、非常勤講師やパートタイムの家庭教師をして病気と付き合いながら静かに生き、膠原病が原因の臓器不全でそっと息を引き取った。
「アネルマの最後のお願いが、結婚していた人の隣に眠りたいということでした。お気づきでしたか? アネルマのお墓の隣の、小さなお墓に。あれがそうです。私は会ったことがなかったのですけど……3年しか一緒にいられなかったのに、死ぬまでアネルマはその人を愛していたんですね。彼女は最後まで結婚指輪を外さなかったんです」
丁寧に彼女にお礼を言って別れた。最後にもう一度、アネルマの墓に行き、改めて隣の小さなお墓を見た。そして二つの墓標に深く頭を下げた。ヴェスタもそれに倣った。
「バル、何考えてたの。お墓で」
ヴェスタは帰りのエア・ランナーの操縦がオートに切り替わったのを確認して尋ねてきた。
「うーん……。やっぱり生きててもらって、話をしたかったな。色々、話せたと思う」
「そうだね」
「これで、結婚報告したかった人は本当に全員だよ、ヴェスタ」
「うん」
「結婚しよう」
何度目かのやり取りだったが、まだヴェスタには何か思うところがあるらしかった。耳を澄ませてヴェスタの返事を待っていると、やっとヴェスタが小さな声で言った。
「死が……」
「ん?」
「死が二人を分つまで?」
死が?
窓の外は夕暮れだった。オレンジと金色の雲が見えた。二人を乗せたエア・ランナーが、何か白い大きな二羽の鳥の横をゆっくりと追い越していった。アネルマの墓と、その隣の小さな墓。その二つの墓標は、将来の自分達のものかも知れない。アネルマの寂しくて優しい微笑み。
「いや。ずっとだ。俺はお前が死んでもお前を待ってるよ」
ヴェスタはしばらく無言だった。フライトヘルメットのせいで表情もわからない。
「俺が死んでも?」
「うん。俺はいつ死ねるかわかんねえからさ。ずっとお前のこと待ってる」
「そんなこと……できないだろ……」
「できるかもしれないだろ。見つけてくれよ、また」
「………」
再び黙り込んだヴェスタが、今度は肩を震わせて泣いているのがわかった。泣き虫。
「おい。どうすんだよ? 結婚すんだろ?」
「うん……」
「ちゃんと運転しろよ」
「オートだから……大丈夫だよ」
あまり大きくない墓地の片隅に、それはひっそりとあった。36–85、享年は49歳。
ヴェスタが持ってきた白い花輪をそっとその小さな灰色の墓に添える。すぐ隣に、もう一回り小さな墓標があるが、もう名前が読めない。誰の墓なのか。
「アネルマさんはどんな人だったの」
「なんだろうな。一口では言えない。まあ……強くて優しい人だった。物事の考え方を教えてもらった。お前は俺のメンタルが強いって言うけど、それはこの人のお陰だな」
「ふうん……。会いたかったな」
「会わせたかった」
「どうも。エヴァーノーツさん」
聞き覚えのある声で急に名前を呼ばれて振り向くと、砂色の髪の女性がにこにこと笑って、いくつもの墓標の間を抜け、こちらに歩み寄ってくるところだった。
「わたし、ナスター・アインホルストです。アネルマの姪です。コールでお会いしましたね」
「ああ。どうも。アネルマ先生に声がそっくりですね」
「昔はよく言われました。血は繋がっていないので、たまたまなんです。今日いらっしゃると聞いて、お会いできるかもしれないと思って」
ナスターは近くのカフェで、アネルマの人生の話をしてくれた。
「あまり前に出る人ではなかったので、エヴァーノーツさんのように、お墓参りに来たいと言ってくださる方は少ないんです」
「そうなんですか?」
アネルマは大学で教育学を学び、教員免許を取ってこの地方の学校の教員になった。その時非常勤講師として同僚だった人と結婚したが、わずか3年ほどで結婚生活は終わった。配偶者がレプリカントだったからだ。
「その頃は、レプリカントがヒューマンに混じっているだけでも大変なことで……。匿名のメールが全教職員全生徒にばら撒かれて、名指しでレプリカントだと書かれていたり、生徒から無視されたり、ちょっとした嫌がらせやいじめのようなことは日常茶飯事だったようです。結局……」
その人はある日、学校からの帰宅途中に誰かに捕らえられ、3日後に遺体で見つかった。長時間の暴行の痕跡が残るひどい遺体だった。
アネルマは一年ほど休職し、悲しみと絶望に耐えなければならなかった。やがてまた少し元気を取り戻して、思い出の残るこの土地を離れ、教員として新たな学校で働き始めた。それがバルの通っていたプライマリースクールだった。
「そんなことが……。ちっとも知りませんでした。対遇の方がレプリカントだったというのは少し伺っていましたが……」
「そうでしょうね。誰にも言わなかったと思います。私も母からのまた聞きですから。逆に、エヴァーノーツさんの通われた学校で働いていた時のことを知らないんです。私も母もこの地方からあまり出ませんので。
よろしければどうして叔母をお慕い頂いているのか、伺っても宜しいですか?」
彼女は彼女の対遇がかつて受けていたようなしうちを、似たような理由で受けている少年を見つけた。それが当時のバルトロイ・エヴァーノーツだった。彼はレプリカントではなかった。でもヒューマンではないというその一点で、レプリカントと似たような扱いを受けていた。
アネルマは今度こそそれをやめさせることにした。証拠を抑え、委員会に訴え、生徒たちに人の痛みというものを懇々と伝えた。問題が一応の解決を見て話に上らなくなってからも、少年のアフターケアを怠らなかった。少年はそのおかげでレプリカントという存在を、自分が守ることに決めた。
「そうだったんですね。叔母は物静かな人だったので、とても意外です。それからは、叔母は体を壊してこちらに戻ってきたんです。たちの悪い膠原病の一種を発症してしまって、入退院を繰り返すようになりまして」
アネルマは新しい恋人は作らなかった。昔からの友人と家族とだけ付き合い、非常勤講師やパートタイムの家庭教師をして病気と付き合いながら静かに生き、膠原病が原因の臓器不全でそっと息を引き取った。
「アネルマの最後のお願いが、結婚していた人の隣に眠りたいということでした。お気づきでしたか? アネルマのお墓の隣の、小さなお墓に。あれがそうです。私は会ったことがなかったのですけど……3年しか一緒にいられなかったのに、死ぬまでアネルマはその人を愛していたんですね。彼女は最後まで結婚指輪を外さなかったんです」
丁寧に彼女にお礼を言って別れた。最後にもう一度、アネルマの墓に行き、改めて隣の小さなお墓を見た。そして二つの墓標に深く頭を下げた。ヴェスタもそれに倣った。
「バル、何考えてたの。お墓で」
ヴェスタは帰りのエア・ランナーの操縦がオートに切り替わったのを確認して尋ねてきた。
「うーん……。やっぱり生きててもらって、話をしたかったな。色々、話せたと思う」
「そうだね」
「これで、結婚報告したかった人は本当に全員だよ、ヴェスタ」
「うん」
「結婚しよう」
何度目かのやり取りだったが、まだヴェスタには何か思うところがあるらしかった。耳を澄ませてヴェスタの返事を待っていると、やっとヴェスタが小さな声で言った。
「死が……」
「ん?」
「死が二人を分つまで?」
死が?
窓の外は夕暮れだった。オレンジと金色の雲が見えた。二人を乗せたエア・ランナーが、何か白い大きな二羽の鳥の横をゆっくりと追い越していった。アネルマの墓と、その隣の小さな墓。その二つの墓標は、将来の自分達のものかも知れない。アネルマの寂しくて優しい微笑み。
「いや。ずっとだ。俺はお前が死んでもお前を待ってるよ」
ヴェスタはしばらく無言だった。フライトヘルメットのせいで表情もわからない。
「俺が死んでも?」
「うん。俺はいつ死ねるかわかんねえからさ。ずっとお前のこと待ってる」
「そんなこと……できないだろ……」
「できるかもしれないだろ。見つけてくれよ、また」
「………」
再び黙り込んだヴェスタが、今度は肩を震わせて泣いているのがわかった。泣き虫。
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