Marry Me?

美凪ましろ

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Vol.19.味覚と誘惑

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「ありがとうございました。また是非、お越しくださいませ」

 それでも、翌日にはけろっと仕事用の顔で仕事しているんだから、人間って不思議だよね。

 うちの店の方針として。レジで商品を手渡すのではなく、出入り口までお見送りする。大手アパレルは客をさばくために、レジで渡すのが一般的だが、……客側としてそのほうが嬉しいだろうと。過去、深崎店長が提案し、その案が採用され、全国に広まったと聞く。……いやいや、あたしがカリスマ店員などと名乗るのはおこがましく、本来なら、深崎店長のようなひとが、カリスマと呼ばれるべきなのだと思う。

「――中村」

 改まった顔で、店長があたしと少し距離をあけ、隣に来ている。「なんですか」

「おれは、おまえの恋を応援出来るくらいには、気持ちの整理がついた。

 ……大樹は嫉妬深いやつだからな。あいつを妬かせん程度になら、相談に乗ってやるから。困ったことがあれば、なんだって言うんだぞ。容赦なく」

 あたしはくすくすと笑った。「……それ。大樹の口癖、です……」

「最初にうちの店来たときにあいつが言ったんだ」と天井を見上げる店長。「店んなか見回るってときに、あいつが言ったんだけど、……いま思えば、おれに対しての宣戦布告も含められていたのだと思う。

 ……あ。結婚式のスピーチとか頼まれてもやるからな。やらねえからな。いや、やりたくないかもしれん」

「……どっちなんですか」

「ともあれ。雨降って地ぃ固まるってやつか」ふぅー、っと深崎店長は、長い息を吐き、「……セクハラ発言に聞こえたら申し訳ないが。その様子だと、授かり婚でもしたほうが、話が早いんじゃないか? 外堀固めるってやつ。……あいつ。変に、頭でっかちなところがあるだろ?」

「同感です……」首肯した。「『シンシアリー』の福利厚生とか、早速調べちゃいましたよ……。出産しても復帰する前例があるということで。HPにでかでかと載っていて。安心しました」

「店員やってると案外、HPとか見ねえもんな。いまはアプリだし。……さておれは、在庫補充に行ってくるから、レジ、頼む」

「はい」

 そうして店に戻ると、レジでは既に、和泉くんがにこやかに対応しており、頼もしさを感じさせた。

 * * *

「ただいまー」

 ……と言っても誰もいない。大樹は、出勤日だ。

 毎週、週二~三回ほどは在宅勤務。状況によって、出社するしないが決まるのだという。……毎回店舗勤務のあたしからすると、ストレスフルな状況だとは思う。……まあ、宣言下で、お店をクローズしていた頃が一番辛かったけれど。

 したいこと、やりたいことのほとんどを諦め。ライブも旅行も行けない。誰かと触れる機会が減り。……そんな状況下でも、平気で女と遊ぶ洋に辟易して、別れて。……恋愛なんかうんざりだ、って思ってたんだよね。仕事も楽しかったし。お店が閉まっている状況でも、インスタとか、お店の情報をアップして。ネットショップもあるから、コーディネートを自宅で紹介したりして。ストーリーも作ったり。

 手からぶら下げていたエコバッグをキッチンに置くと、洗面所に行き、手洗いうがいを済ませる。ついでなのでふき取り化粧水でメイクも落としてしまおう。……大樹が、あたしと会えない期間に、化粧品店に行ったり、ネットで調べたりと……メイクやスキンケアのことを色々と勉強していたらしい。そんな大樹が、微笑ましくもある。

 なお、大樹は、メンズ向けのスキンケアを愛用している。トリガー式の、化粧水と乳液が一体となったタイプ。乾燥肌のあたしには、あのアイテム一本で済ませるのはリスキーだけれど、たまにならと。家に一本必ず常備している。ピンクのボトルのものを。トリガーも可愛くってセンスがよくってテンションあがるんだよね。

 ……で。ドレッサーの前に異動し、座り、きらっきらのガラス石に縁どられた鏡のなかの自分を眺め、念入りに、メイクを落とす。……うん。いい感じ。

 極度の乾燥肌なので、ミルククレンジングを五分間するのが、あたしの主義なのだが。二十歳くらいから続けている習慣。もう、十年近く。これを続けると肌のコンディションがめちゃめちゃあがる。とある美容家が発明した方法らしいが、あたしはその前からしていた。
 
 金欠のときは、リーズナブルな白いのを。ほっくほくのときはほっくほくのファンゴクレンズ。どっちも、洗い上がりがもっちもちで気持ちがいいんだよねー。

 ポイントメイクリムーバーは必ず使う。トリガー式の化粧水乳液一体型の商品を出しているメーカーの商品で。普通のより刺激が弱く、保湿力が高いんだとか。メイクを落とすだけでなくしっかり保湿してくれるのはありがたい。
 
 見た目が勝負なところもあるので――アプリで特に顔出しもしている以上は、ビジュアルを綺麗に保つ必要がある。いや、日々進化しなければならない。テレビの女優さんを見ればどうだろう。――いくつになっても、お美しい方ばかりだ。見習わねば。

 さて。

 疲れたので――ルクルーゼで一時間ことこと煮込むレシピにしよう。ほっこりしたものがいい。青のルクルーゼ。上京するときに、母が買ってくれたもので、……お母さんまだあたしには早いよ、って言ったのに、母は……

『お料理くらい出来んとお相手が困るがいね』

 上京した娘に早々に彼氏をにおわせるとは。流石母。

 実は、こちらのルクルーゼさんは、ここ五年ほどはお休みしていた。というのは、前述のとおり、大学進学で上京して、そっから就職後、激務で自炊どころではなかったのだ。

 ――が。退職して、おっさんばりの給与を持て余し、のーんびりしていたある日。何気なく携帯でルクルーゼのレシピを調べ、そういやポトフって美味しい代物、ここ何年も食べてないや、と思って作ってみた。

 瞠目するほどの美しさだった。この美味さは、もはや、暴力とでさえ思ったのだ。――この味を、大樹にも、知ってもらいたい……。

 作り方は簡単で。刻んだ具材をどんどんルクルーゼに入れていき、具材がかぶるほどの水を入れ(しかし、具材から水分が出るので、入れすぎ厳禁)、固形コンソメ一個、ローリエ一枚入れて煮込むだけ。

 通常ポトフの具材といえば、じゃがいも、人参、たまねぎ、キャベツ、ソーセージ、……が定番であるが。あたしの場合は、トマトや、塊のベーコンを切ったのを入れる。――旨味が出て無茶苦茶美味しいんだよね。

「……大樹。喜んでくれるといいなあ……」

 沸騰したら弱火にして一時間煮込むだけ。お風呂に入ったりストレッチする余裕があるわけで。――そういえば大樹、あたしのからだ、褒めてたな。なんとしても、この、腹筋の縦割りは維持せねばならない。というわけで、腹筋から先ずは取り掛かることにした。

 * * *

「……無理するなって言ったのに」

 言葉でそう言いつつも、大樹は、なんだか嬉しそうだ。
 
 仕事帰りの大樹。ダークグレーのワイシャツに細身のパンツ姿が萌え。眼鏡……眼鏡とかしてくれないのかなあ。萌えるよぉ。

「だから容赦なくあたし、先食べたよ。遅くに食べると太るし。そこはごめんね」

「全然いい。……にしても、美味そうだな」

 さかのぼること三十分前。うちのアパートに帰宅した大樹に早速あたしは抱き着くとワイシャツの脇をくんくん――させてくれなかった。ちぇっ。

「じゃあ、明日夜洗うから、そのとき、くんくんさせて頂きます。――容赦なく」

 あたしの発言を受けて、大樹は噴き出した。「そういうのは――事前に宣告するんじゃなく、裏でこっそりやるもんじゃない? おれが、美紗のパンティくんくんするみたいに……」

 あたしはちょっと肘を守った。「ええ? ……唐突に、ステレオ全開ファインオケー、って感じでちょ、ついていけない、かも……」

 すると大樹はあたしを顎クイすると不敵に微笑み、

「あんなに喜んでたくせに。なにを今更」

 かーっ、と頬が熱くなる。容赦ない。……容赦がないのだ。大樹の攻撃は……。流石ドS。鬼畜の貴公子を名乗るだけのことはあるわ。いつ名乗ったっけ?

 ……で。彼ひとり、さくっと風呂に入り、いまに至る。ドライヤーもきっちりかけるあたりが愛おしい。流石あたしの愛でる貴公子。

 風呂上がりのほっかほか大樹を目の前に、あたしはひとつ、提案をしてみる。

「……粒入りマスタードもがっつりつけてみて。厚切りベーコンに」

「……こう?」言って大樹は眉を歪めて笑った。「これさぁ。からしみたいに、かっらー、ってしびれさせるドッキリとかじゃないよねえ」

 もりもりとマスタードを乗せたベーコンを、ぱくり。そうも言いながらも大樹は頬張ると――

「美味いッッ!」

 煉獄さんばりに断言した。「わ……うっま。やばい。喋ると旨味が逃げていく……」

 もりもりと食べる大樹を見るのは快感ですらあった。どうして男の人がこんなにばくつく姿ってそそられるのだろう。あの、唇が、かつてはあたしのあんなところを……。

 あああ。熱い……。むずむずする……。

「――なんか、美紗の、目つきが、エロい」すかさず大樹が見抜いた。「おまえ、いま、なんか、えっちなこと、考えてたろ……」

「イ? やいや全然」ばっくれるがわざとらしいのが自分でも分かる。「やー。大樹の食べっぷりって毎回本当に気分爽快、飲、もーうー♪ だなと。……それでよく太らないよね」

 今夜はとこーとん、と律儀に歌ってから大樹は、「筋肉だから重いんだよ。体重は重いほう。締まってんのは、朝、それなりに筋トレしてるから。川、あんだろ。ランニングであそこ行くと、ベンチのうえで、自重トレーニングしてる」

「中山きんに君みたいなの?」なんて冗談交じりで言ったつもりが、「そ」と大樹は、フォークでソーセージを口に入れながら首肯する。……あかん。イケメンがソーセージ食べてる……ああああああ。不埒な想像をする自分、なんかごめんなさい……ッ。京極先生。何故、京極先生。姑獲鳥の夏ならぬ萌えきゅんの夏。

 今年の夏は、……いつもと違うことが起きる予感がする。

 ソーセージが〇ーセージむいむい食べてるとか不謹慎な想像してごめん(以下自粛

「美味かった。ご馳走様でした」

 最後の汁までをすすり、一滴残らず、といった印象で平らげた大樹は、手を合わせ、目を閉じると、すとん、とあたしの横に座り、肩を抱くと、

「次。……おまえの、味見させて……」

「ナンタコス。味見で終わるの止めれ」

 なんて強がりを吐いてみると、はっ、と大樹は実に花見町サディスティックに笑い、

「ドン〇コス。……おれが欲深なのはおまえが一番よく知っているだろう」

 結局大樹が味わったのよりも究極に美味しい感覚を、今宵もあたしは味わっているのかもしれない。

 *
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