俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ

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episode 07. おれは、おまえが、欲しい。

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「あっもう、そんなところにバナナ置かれるとコインと紛らわしいじゃないですか……ああ、もぉう!」コントローラーを手にあたしは叫ぶ。「やめ、……ひど。八位だなんて酷い……ひどすぎる……」

「赤甲羅を防ぐためにバナナや緑甲羅は取っておくものだよ」すました顔で一位をキープするあなたは、「さぁて。遊ぶか……」

 既に半周くらい差がついている……ううう……プライベートでも容赦のない冷徹上司。この鬼!

 CPUが頑張ってくれればいいのに。蒔田さんを倒すことはなく大いに差をつけられている。

 グランプリシリーズは蒔田さんの使うクッパの優勝。うう……憎らしい……。

「まだあたし本気出していませんからね! 本番はこっからです!」

「そこまで言うのなら……条件をつけようか」涼しい顔であたしの挑戦を受け入れるあなたは、「……そうだな。負けたほうが勝ったほうの言うことを聞くのはどうだろう」

「受けて立ちます!」とあたしはコントローラーで操作をし、「……あたし、使うのはピーチ姫と決めているんです……いつもいつも誘拐されてばっかりで、いいところ見せるチャンスがないから……気の毒なもんで……」

「――やさしさが命取りになることもあっぞ。……カートをさっさと選べ」

 うるさいなぁもう。マリカーも人一倍強いあなたに、あたしは本当は負けたくない……ううう……この上司、いつも上からで! 勝てるところなんかあたし、ひとつもないんだから……ゲームでくらい勝ちたいよぉう……。

「わっかってますよ! 選べばいいんでしょう……選べば」スタンダードにした。なんだかんだで標準が一番いい。あたしは、重さがありすぎて、スピンすると一気に速度の落ちるずっしり系や、ノコノコみたいな、強いやつにぶつけられると一気にスピンしてしまう、それらのタイプが苦手で、いつもマリ〇とか中型系を選ぶ。

 このときも懸命に頑張った……はずが。

 *

「あー気持ちいい……」

 ソファーにお腹を下にして寝そべるあなた。

 マッサージをするのはあたし。

 ……ううう……畜生。勝者の余裕を見せつけやがって。悔しい!

 蒔田さんってなんでもかんでも器用にこなすから。このひとに欠点なんてあるの?

 体重をかけないよう、腰を浮かせながら背中辺りを揉みこんでやる。「結構凝ってますね」とあたし。……蒔田さんは、全身筋肉質で、無駄な肉がない……。ミケランジェロの彫像のようにお美しいからだ。このお正月休みだって、あたしは毎回毎回二~三キロ増えるというのに、このひとなんて毎朝十キロ以上をランニングするのだ。恐ろしい……どこにそんな体力があるのか。

 一応あたしも中距離で慣らしたタイプの人間だけれど、流石に、高校を卒業して何年も経つと。磨かないと錆びてしまう……。

 ついでに手のひらをもみもみしてやると蒔田さんは幸せそうに、
 
「はぁ。すっげえ……気持ちいい……」

 ふと気づいた。あたし……エロくない?

 うわわ。無防備な上司のうえに乗っかって彼に触れまくるあたし……ただの変態だ!

「このくらいで見逃してくれますか?」よ、とあたしは上司のうえから降り、「……冷えますね今日は……お風呂、洗ってきますので。蒔田さんは好きに過ごしていてください」

「ああ……サンキュ」言って顔を右に傾ける蒔田さんの表情がびっくりくらいに穏やかで見惚れてしまったことは内緒。

 *

 普段は、一緒に通勤はすれど、帰りは蒔田さんのほうが残業が多いので遅め。守れなくてすまん、と彼は言ってくれる。その言葉が帰り道のお守り。

 早く帰った日なんかは手早くチャーハンを作ってくれる。それが本当に美味しくて。

 別にネットでレシピを見ているもでなしに。卵やベーコンとか、あるもので本当に美味しく作ってくれる。

 ほうれん草とベーコンと卵のあまじょっぱいのとか。こないだのちりめんじゃことごまが入った、ごま油が利いたチャーハンも激うまだった!

 お洗濯は、なんとなくあたしが洗うけど……別にやらんでいいとは言われているけど……着の身着のままで来てしまったし、蒔田さん宅にあるタオル類を使わせて頂いているのでそのくらいは……。

 生活費云々は家賃と称して一定の額を。それにしてもずいぶん親切な額を払わせて頂いており。食材はあたしが買うこともあれど、先にひとりだとやっぱり自炊が面倒臭くて、あたしはコンビニのご飯に偏っている。

 それでも、食べるだけましだと言われる。――いいか。

 食べねえと倒れるぞ。倒れちまったら元も子もない。

 学生時代懸命にサッカーに打ち込んだ蒔田さんは、無事これ名馬とよく言う。……いくら優秀でも、毎日出勤出来なくては意味がない。パフォーマンス云々以前に毎日毎日、ちゃんと会社に来て仕事が出来る、それが大事なのだと力説する。

 ――潰れるやつの多い世界だからな……積み上げられた屍のうえに立っている気分だよ。

 残業時間は百時間を超えるのが当たり前。給与は初任給二十万の倍。給与明細を受け取るたびに同期とげらげらおっさんの給与じゃん! と笑う。ピークのときなんて、朝の九時から夜は日付の変わる時間まで仕事をし、土日も仕事漬け。とはいえ、流石に土日は少々緩みたいので、夜の七時あがり。飲み会も多いし、早く帰れるのなんて土日くらいのものだ。本社勤務のあたしはなにかと飲みに誘われるし……。

 掃除は元々蒔田さん自身が土日にする主義なのでお任せしている。……けど。

 そろそろはっきりさせたい。啓太は、年末年始は自宅マンションにいるはずだから、携帯で連絡がつかないのなら、待ち伏せでもしてやる。

 そう決めたのが、そもそもの間違いの始まりだったのかもしれない。

 *

 十二月三十日。そういや、年賀状が来ていたら年始に自宅アパートに取りに行かなくては。実家長野にも届いているはずだから、父に連絡……いや、インフルだからそっとしておこう……。

 なんて考えつつ携帯で父とのメールを見返しているときだった。

 信じられないものを見てしまった。

 彼氏の自宅マンションに、肩を寄せて仲睦まじい様子で入っていくのは、啓太と|知奈《ルビちな》……。

 知奈は、あたしの、大学時代からの親友だ。上京してちっとも都会に馴染めずにいたあたしを繰り返し励ましてくれた。大丈夫だよ。なんとかなるよ……。

 あたしの期待とは裏腹に、二人は、鍵を開く前に、顔を寄せてキスをした。

 がらがらと、自分のなかのなにかが崩れていった。……倒れこみそうになるのを必死に堪えた。代わりに。ぐいと前を向き、蒔田さんの下さった大切なショルダーバッグの紐を手で握り、つかつかと、ハイヒールを鳴らしてふたりのもとに歩み寄る。頭のなかに槇原敬之の歌が流れるが大丈夫。スパイなんかにあたしはなれない。
 
「やっほーおふたりさん。お取込み中のところすみませんね。……で、これは、そういうこと、なんだよね……?」

 ぎょっとしたふたりの表情がまるで似ていて二人の……あたしの知らない間に蓄積させた期間を物語っていた。

 ああ、蒔田さんあたし……。

 ぱっと啓太から離れると知奈は、「ごめん! 紘花!」とあたしに向き直り頭を下げる……。

 そんなことをされても、嬉しくなんか、ないのに。

「ごめんなさい紘花……。啓太くん、ううん、啓太が、紘花の彼氏だって分かっていたのにあたし……止められなくって……」

 年末にとんだシュラバラバンバだ。笑える。

 なにも言わずに女ふたりの様子を見ている元彼氏にも腹が立つ。胃の底が煮えたぎるほどの怒りを感じる。――もう。

「分かった。じゃあ、お幸せに。……啓太も知奈も、二度と、金輪際、あたしの前に現れないで。連絡もよこさないで」

「紘花! そんな……」知奈の麗しい瞳にみるみる涙が盛り上がる。この物語のヒロインは知奈だ。誰が見ても美しい永遠の主役。「あたしたち……だって親友でしょう? そんなことを……言わないで……」

「知奈は、啓太かあたしかを選べ、って言われたら啓太を選ぶでしょう? いまも、あたしの知らないところでそういうことをして、ふたりで散々盛り上がっておいて。どの口が言えるの」……ああいけない。これ以上は。

「じゃあ、さよなら――」

「紘花! 紘花があたしを嫌いでも! あたしは紘花が……大好きだよ……!」

 号泣する知奈を男が支える。その構図が大嫌いで許せなくて……許せない自分が嫌で嫌でたまらなくて。

 ああいやだ。けど、……来年を迎える前にけりをつけられてよかった……。

 唇をかみしめて前を進む。こんなあたしに誰か、気づいて。

 *

「……何度か携帯に電話をしたのだが出ないから、勝手に飯を用意しておいたよ」

 洗面所で手洗いうがいを済ませてからリビングに入るとそう言われ、どきりとする。

 バッグから携帯電話を取り出すと、……無精者の蒔田さんにしては珍しく、着信六件、メールが三件。

『件名:大丈夫か』
『本文:なし』
『件名:心配している』
『件名:これ見たら連絡よこせ』
 
 ……蒔田さん……。

 液晶画面がうるうる歪んでしまう。ううう……。

 様子に気づいた蒔田さんが、エプロンを外してすぐにやってきてくれる。あたしの頭を撫でて、「どうした?」と聞いてくる。あたし、あたし……。

「いま、最高潮に落ち込んでいるので。……なにかあたしを元気づける言葉をくれませんか?」

 すると蒔田さんは、両手であたしの頬を包み込み、顔を起こすと、……そこには。

 宝石を散りばめたような美しい瞳がそびえる。――きゅん。

 あたし、蒔田さんが……。

「頑張り屋さんで負けず嫌いで。いくらおれに注意されても頑張ることをやめない、無茶苦茶なやつ。

 陸上で鍛え上げたことが確かで、一階から九階までを一分で登れる脚力の持ち主。大腿四頭筋、大殿筋が発達しており、本人は気にしているが、……あくまでおれ自身の好みを言うと棒切れみたいな細すぎる足は好みではない。

 美人でモテるくせに無自覚で。システムアイ社内に自分のファンが三十人以上いるのを知らずのほほんとしている。ど天然のど阿呆。

 ……だが」

 あたしの顎を掴むと、蒔田さんは王子様のように笑い、

「そんなおまえに、おれは夢中だ」

 ああ、蒔田さん。……蒔田さん……!

 たまらず泣きつくとやっぱり、あなたは、いつものように、あたしのことをしっかりと抱き締めて、いくらヘンリーシャツの胸元が涙や鼻水まみれになっても厭わず、あたしを受け止めてくれるんだね。

 *

 すっかり涙が枯れ果てて、もうなにも出ないや、と思えた頃……。

「場所を、あっちに移そうか」

「ひゃう!」どうしてこの男はさっさとお姫様抱っこなんてするのよー!

 ……あたし、身長百六十あるから結構重いのに……。

 軽々と余裕であたしを運ぶ蒔田さんは、ダイニングテーブルの前まであたしを運ぶと、椅子を引き、座らせてくれる。腰をかがめ、あたしの目を見て頭をぽんぽんすると、

「あったかい紅茶にするか」

 ブラック党なのに何故かおうちには缶に入った紅茶の葉があって、丁寧にポッドで紅茶を淹れてくれる。振り返り、その優雅な手つきを見ているうちに、気持ちの波が穏やかになるのを感じた。

 蒔田さんは、「どうぞ」と言ってあたしの前にカップを置くと、続いてはポッドと自身のぶんの紅茶のカップも運び、あたしの正面に座る。……面接官みたい。

 ではなく、……その目があまりにやさしくて……。

 ついさきほどの出来事が鮮明に思い出されて悔しくなる。あたし……あたし……。

「本当は、あたし……蒔田さんの思っているような、綺麗な人間じゃ、ありません……。会社で見せている顔はあくまでよそゆきのものなので。

 本当のあたしはもっと醜くて……汚くて、どろどろしています」

 紅茶を一口飲むと蒔田さんは告げた。「なら、見せて欲しい」

 立ち上がり、あたしの前に跪く蒔田さんは、異国の王子様のように――

「どんな紘花でもおれは、欲しい。

 ――おれは、おまえが、欲しい」

 その腕のなかに倒れこむのは、チョコレートを溶かすよりもずいぶんと簡単だった。
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