恋は、やさしく

美凪ましろ

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act55. 肥大する違和感

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「今週、どうする」と、電話越しで蒔田がいつものように訊く。

「うんと……」彼女は煮え切らない様子。だが、思い切って口を開いた。「……その。できないんです」


「セックスを?」


 そんなでっかい声出さないで欲しい、と彼女は思う。敢えてその単語を使わなかった彼女の意図を汲んで欲しいとも。

 彼女が黙っていると、「きみは」と蒔田がしゃべりだす。


「確かに、会うたび、おれががっついていたのは事実だ。しかし――


 おれは、きみを抱くために会うんじゃない。


 会うから、抱いているんだ」


 こういう、オブラートに包むべきようなことも、蒔田はキッパリと言う。ある意味頼もしい。彼女が、惚れ惚れとしていると、蒔田が、「重いほうか」と訊く。

「なんのことです」

「その。生理。ほら、重いから家から出たくないとかいう体質の女性は、いるだろう。きみはどうなんだ」

「まあ、……軽くはないです。あんまし家から出たくない感じです。最初の一二日は……」

 蒔田の言うとおり、二人は毎週末必ず会い、愛を確かめ合っていた。何ヶ月も経つといずれこんな日が訪れることを彼女は予感していた。これまでは、事前か、事後三日以降でセックスするには支障がなかっただけで……。

「そうか」と蒔田は納得したように言う。「じゃあ、おれと会うのもいやか?」

「そんなことないです」彼女は慌てて否定する。「でもなんだか近くに居るのに触れられないのって、もどかしいです」

「そのもどかしさも、恋の醍醐味というやつなんだろう。きみが迷惑でなければ、土曜の夜、きみんちに行って飯でも作ろうと思うんだが、どうだろう」

「あ。いいですねそれ……」エプロン姿の蒔田が頭に思い描かれ、彼女の頬が緩む。「えと、エプロン持参でお願いします」と彼女は念を押す。

 彼女は二日目までが重いほうで、一日中寝ていたいくらいだ。ご飯を作るのもしんどい。そんなときに愛する男が居てくれたら嬉しい。

「パスタとサラダでいいか。それと、冷蔵庫のなかの材料を教えてくれ。食べたいものも」

 仕事をするときと同様に、こういうときの蒔田は判断が速くて頼もしい。

 会話をしながら、蒔田の価値観に触れる。それはいままでにないくらい、楽しいひとときだった。

 例え彼の端正な顔が見えなくっても。


 * * *


「相性は微妙だと思うんだが……」彼女の『食べたいもの』のリクエストに応えた結果。

 冬にはこたつ布団をかける正方形のこたつテーブルには、棒々鶏とあさりのスープパスタが並ぶ。

「美味しいんだからいいじゃないですか」座って、と蒔田の背中に手を添え彼女は促す。蒔田はエプロンの紐を外し、丁寧に折りたたんでから、彼女の正面に座った。と。

 彼女の目を見て、蒔田が言う。「おれ、きみの隣がいいな」

「どうぞ」と彼女は隣を叩く。一旦腰をあげると、座布団を彼女の隣に添え、座り直す。彼女はその間、蒔田の皿とカトラリーの位置を変える。

 湯気の立つ出来立てのパスタが食欲をそそる。いったいどうやったのか、蒔田は二つ同時に料理を完成させた。料理の手順が悪い彼女には、どんな段取りで進めたのか、理解が追いつかない。がとりあえず。

「いただきます」と手を合わせ。

 美味しい男の作る美味しい料理に舌鼓を打つ。「ん! おいひっ」

「我ながら。なかなかうまい……」

「なかなかどころか。とっても! ですよ! ……蒔田さん、パスタって結構作るんですか」一人暮らしを始めて以来、パスタは実は彼女のほとんど作らないレパートリーだ。一人分を作るために一リットル強の湯を用意するのがそもそもめんどくさい。

「そうだな。家だと具なしで出されることもあったからときどき具を足して作った」

「……具なしってどういう意味ですか」彼女は眉間に皺を寄せる。「茹でた麺だけお皿に乗ってるってこと?」

「と、汁だけ。まあ、そんなもんだな。おれは次男だから」

「ちょ、ちょっと待って蒔田さん」彼女は驚いて手を止める。「いまの、どういう意味ですか? お兄さん樹さんが、豪華な食事食べてて蒔田さんだけ粗末なご飯食べてたってことですか?」

「うん。まあそのとおりだ。しかし、珍しい話じゃない」

「お父さんお母さんと一緒に食卓囲んだりしなかったの」

「いいや。二人とも仕事があるからな。親父はほとんど部屋で一人で食ってた。おふくろはおれらが飯を食ってから二時間後くらいに食ってた。三人揃うのが入学式やクリスマスなどのイベントごとだから年に一桁程度かな。おれは基本一人。使用人はいるが、勿論彼らは別だ」

 なにかが違う、と彼女の理性が叫ぶ。

 彼の一言一言が気になるものの、まずはひとつひとつクリアして行こう。彼女は一旦焦りを捨てるよう努めた。「三人、てどういう意味ですか。樹さんとお父さんお母さんの三人、ってこと?」


「そうだ。だってそれが、家族としてあるべき形態だろ?」


 蒔田の台詞に、彼女は目眩を覚えた。意味が、分からない。彼は……


 自分不在のほうが家族の在り方として正しいのだと、そう、言っているのか?


「ああ、そうか」ようやく、蒔田が彼女の怪訝な様子に気づいた。「おれは――

 平たく言えば、もらい子みたいなもん。だから――

 おれがいると空気が悪くなるんだよ」

「……蒔田さん」せっかく彼が作ってくれたパスタ。全然、食べる手が進んでいない。

 しかし、いまの彼女には、大好きな彼の料理を食べるよりも、したい重大なことが、ほかにある。

「おかしいです、それは……」

「どうして」と蒔田が眉を釣り上げる。彼は。

 まったく、気づいていないのか。

「血の繋がりがあろうがなかろうが、家族は家族です。みんな同等の立場でともに時間を共有して。笑い合ったり、悲しみを分かちあったり、するものです。蒔田さんの意味するところの『家族』と、わたしの思うところの『家族』は、きっと違うんじゃないですか?」

「おれにとっては、血の繋がりが家族だ。あくまでおれが育った範囲の話でな。ほかの家庭に対して、おれの家庭のスタイルを強要しようとは思わない。

 きみの家庭は、きみの家庭の話としてちゃんと、受け止めている」 

 蒔田の抱える闇は深いのかもしれない。そんなことを、彼女は予感した。

「じゃああたしは蒔田さんのことが知りたいから聞きます。蒔田さんの育った家庭の食事風景って、どんな感じだったんですか? お兄さんとは違うもので。それぞれ違うものを食べてて。で次男である蒔田さんのほうが質素。だからときどき蒔田さんが手を加えてて料理の腕があがった。ということで、合ってます?」

「うん。兄貴がダイニングでおれがござ敷いた席」

 芸能人の格付けの番組の扱いじゃないかそれは。

 というか、同じ兄弟を差別する思想が、まったく、理解しかねる……。

 彼女は頭痛を覚えた。「……場所は。なんで違うんですかね」

「兄貴が両親にとって別格だから。もらわれ子を一緒にしといたんじゃあ、あとから支障がでるだろ? ぶっちゃけ、将来的に遺産相続の話が出たときにさ……」

 蒔田が兄を崇拝する理由。それはおそらく、両親のすり込みも影響している。

 思えば、両親の話を訊くたびにいつも彼が兄の話をするのが、不思議だった。

 兄貴は、すげえ。

 確かに、サッカー選手としてその道でやっていけている蒔田樹は、すごい。だが――

 彼の、兄への思い入れにはすこし過剰といえるなにかを、感じるのだ。

「だから、両親が、蒔田さんと樹さんとを区別して育ててきたのを、蒔田さんは自然なものとして、受け止めているんですね」

 ここで蒔田がひとつ頷き、パスタに手をつける。彼女も彼に習い、脳をすこし休ませようと思った。

 いろんな疑問がぐるぐる頭のうちを回っている。確かに、彼の家庭はあくまで彼の事情であり、彼女の踏み込む領域にない。しかし――

 愛する彼が、無意識のうちに傷ついているのを見過ごすほど、彼女はお人好しではない。

 考えているおかげで、残念ながら、彼の作った味が入ってこない。一度に二つのことをできない、自分の不器用さが嘆かわしい。おかげで、生理痛など、すっかり忘れていられるけど。

「蒔田さんはこうして、誰かと食事するのは、好きですか」

「うん」意外にも即答、だった。「誰というわけでもないが。きみと食べてるとなんか――

 ほっとする。

 きみがうまそうな顔してると、おれは幸せな気分になる」

 子どものように、無邪気に彼は言う。のみならず、彼は彼女をそっと押し倒し、

 やわらかいところに触れる。

 彼女を見下ろし、真顔で、蒔田は、


「紘花。

 おれは、きみに触れたい。

 ――駄目か」

 かすれた語尾で言われれば、彼女の本能は陥落する。頷くと直後に彼の味を味わっていた。すかさず、服の下に割り込む手。彼女の感じる部分を探し当て、

 刺激する。

 彼女の腰が浮く。欲しい。欲しくて、たまらない……。

 口と手の愛撫に翻弄され、彼女は軽く膝頭をこたつテーブルにぶつける。だがその痛みも忘れるくらい彼に、溺れていく。

 ある程度の段階まで進むと。やや荒っぽく、彼女のトップスを脱がせにかかる。そして、下着を外し、唇を押し当てる。

 それだけで固くなるのが分かる。蒔田は彼女と視線を繋げたまま舌で、その尖りを、攻める。視覚的にもいたぶられているようで。彼女は悲鳴をあげる。もっと犯して欲しい、と彼女の本能が叫ぶ。

 口に含み、思い切り舌でかき回す。と、彼女の意識は撹拌され、とろけそうになっていく。まったく触られていない左の胸が物足りなさを訴える。

 彼が彼女の視線に気づく。口角をあげて笑い、

「どうした。紘花……」

「……触って……」思いのほか自分の声がかすれているのに気づく。どうして、誰かを求めるとき、必ずこんな声になるのだろう。

「どこを」蒔田が、首を傾げる。

 分かってるくせに。

 意地悪な男……。

「ひ、だりの、おっぱい……」かすれた声で彼女が言えば。

 すこし笑う彼の残像。

 直後熱烈な接吻の嵐が吹き荒れ、彼女を導いていく。二つの乳房は、これ以上やわらかくなるのが不可能なくらいに揉まれ――

 彼女は叫びをあげる。が唾液もろとも、彼の口内へと飲み干されていく。

 嚥下する、彼の、喉の音。無我夢中で彼女は彼の喉仏に触れた。逆の手は下方へ。勿論、そこは張り詰めていてトランクスとジーパン。二枚の布越しで彼を刺激する。

 彼女は、彼を開放したかったが、どうやら彼の手腕のほうがうえで。

 彼の口と二つの手が彼女を紛れも無いひとつの方向へと導いていき――

 大きく、背中をしならせた。彼は口を離し、彼女の叫びを存分に堪能したことだろう。

(……胸と、キスだけで、いっちゃうなんて……)この頃。蒔田といることがある意味で恐ろしい。どこまで感じやすく変わってしまうのか、その限度が、見えないのだ。

 キスだけで濡れることもある。顔を見た瞬間に、『このまま挿れて欲しい』と思うことも。そんなことは、彼には言えていない。たぶん、内緒のまま貫く。

 彼女は自分を取り戻すと、健気に彼女を追い込んだ彼を追い込む準備に入る。いつもどおりしていくのだが。

 その頭の隅では。

 いまのは話を避ける口実だったのかもしれない。

 そんな疑惑が膨らんでいた。同時に。


 おそらく、いますぐどうこうできる問題ではなく、長期戦になる。


 向き合う覚悟も、固めていたのだった。


 *
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