恋は、やさしく

美凪ましろ

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act57. 別れ、こもごも

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「やー正直。寂しいっす。入社以来榎原さんには世話になってきたんで……」


 退職の意向を明かすと。

 大好物のうどんを前に、道林が神妙な顔つきをする。

「ミカちゃん。あたしも寂しいよ……」と言いつつ彼女は道林よりも先にうどんに箸をつける。髪を耳にかけ、麺をふーふーし、「でもね、もう決めたから……」

「いつから比嘉さんの会社に入るんですか」

「年明けから」二ヶ月先。されどこういうときの二ヶ月とはあっという間に過ぎることを彼女は、知っている。「宗方さんにも話したよ。引き止められた。けど、比嘉さんの会社ならこれからもおつき合いはあるだろうから今後ともよろしくお願いしますって頭下げといた」

「比嘉さんの会社って元はウチのパッケージソフトだったのを販売してんでしたっけ」

「そ。そのソフトの営業や販売支援、開発に保守や運用に特化したの。比嘉さんは、宗方さんに話しつけて独立したみたいよ」

 はー、と道林は息をつく。手つかずだったうどんにようやく手をつけ、「比嘉さんて有能なんですね。あたし独立とか考えらんないっす」

「ミカちゃんはずっとこの仕事続けてくの?」

「まっさか!」と両手を挙げる。と、その手を下げ、「やー普通に無理でしょ。結婚して子ども育ててくのにこの業界って」

「比嘉さんて子ども二人居るんだって」

「うっわあ、すご……」あんぐりと口を開ける。「出産直後会社どう回したんですかね」

「……詳しくは聞いてないけど、メールやテレビ電話でどうにかなったみたいよ。……将来的に誰かが産休に入ったとしても、比嘉さん以外のひとにはそこまでやんないみたいだけど」

「……ですよねー」器を両手で持ち、汁をすする道林。あー、旨かった、と息を吐き、「なんにせよ。榎原さん、前途洋洋っすね。子連れに優しい会社に転職して。


 将来的には、『蒔田紘花』として働くおつもりですか」


「もおミカちゃん!」彼女は頬を押さえる。「ちょっと! も、そーゆーこと言わないでえ……」

「蒔田さんもですけど。榎原さんもいじられ慣れてないところがかわいいっすね」

「蒔田さんをいじったこと、あるの?」頬から手を離し彼女は訊く。

「ないですよー」と道林は頭に手をやる。「次会ったとき、榎原さんのことでいじり倒したいなって感じっす」

「やめてよーもー……」再びうどんに向き合う彼女。なんだか、……胸が、いっぱいだ。「蒔田さんとのこと。内緒にしてんだから……」

「あたし以外の誰にも言ってないんすか?」

「ウチの部署のみんなは、勘がいいからバレてるかもだけど。自分たちから積極的に明かしたりはしないよ……まあ一応秘密ってことで」

「隠れ蒔田ファンなんてあまたいますからね。敵に回さぬのが無難です」いっしし、と道林は笑う。

「ったくもう、他人事だと思って……」

「やー、あんま他人事じゃないっすよ、正直」道林が周りを見回す。

「どういう意味?」と彼女が訊くと、道林は真顔でずいと顔を寄せ、


「ここだけの話。


 あたし。つき合ってるんすよ、一色修平と」


 一色とは――

 彼が新人の頃に彼女が世話をした、一日で二十五回も質問に来た、現在二年次の社員。

(中身は真面目だが)見た目はギャルの道林ミカと、ちょっとドジな新人だった見た目も真面目な一色修平。

 あのひと良さそうな笑みを思い返す。

 ――え。

「え。え、ええええっ!?」近くの誰もが注目する大声を出し、しーっ榎原さんっと彼女は道林に手で口を塞がれたのだった。


 * * *


「もう。ほんとびっくり。……ミカちゃんと一色くんって、あんまり接点がないっていうか、リンクしないんだよね。同じ空間で二人で居るのが想像つかないっていうか……」

「二人には共通の趣味でもあるのかな」

「まだそこまで聞いてない」

「ところで、おれが聞いていいのかその話」

「うん。いずれバレるだろうから、蒔田さんには言ってもいいってミカちゃんが言ってた」

「と、言っても。

 ――おれは、勘づいていたがな」

「うわ、蒔田さんが!? なんでなんで!?」

 電話越しだが、自信たっぷりの彼の笑みが思い描かれる。

「おそらく、一色が入社して半年経った頃からだぞ。あいつら、やたら仲がいいと思っていた。因みに一色は――

 うちの部に配属された当初は、自分の新人教育を担当してくれるきみになみなみならぬ好意を持っていた。

 ……心変わりをしたんだな、あいつは」

「わた、わたしに?」なにを言うのだろう、蒔田は。「そんなの、ありえなくないっすか。あっはは」

「きみは、自分に向けられる好意には、案外にぶいようだな。決してひとの気持ちに対して鈍感だとは思わないのだが。

 桐沢遼一も、あれは、まじだったぞ……」

「桐沢がですか? 蒔田さん、それ、勘ぐり過ぎじゃないですか」

「……本当に、きみは、にぶいな」蒔田がため息をひとつ。「じゃなきゃ、おれがあんなにむきになった理由にならないじゃないか」

「蒔田さん。ひょっとして、結構前からあたしのこと好きだったんじゃないですか」

「初対面のインパクトは強かった」

「あたし正直蒔田さんのこと、最初あんま好きじゃなかったですよ。でも、関わるうちに――

 無愛想な態度の影に潜む優しさにすごく惹かれちゃって……」

「古傷に触れるようですまないが。きみが失恋直後におれがかけた言葉が、追い風となったのだろうか」

「あ」

『おまえは、悪くない』

 彼氏に振られた直後、めちゃめちゃ気落ちしてた。蒔田にやたら仕事を頼まれ、『おつかれ』と言ってコーヒーを差し出され、……帰り際に優しい言葉をかけられた。

 彼女は、女を『おまえ』と呼ぶ男に弱い。なんだか、女に見られているようでぞくぞくするのだ。いずれ蒔田には明かしたいと思うのだが。

「……間違いありません」彼女は。鉄面皮に隠れた彼の真の優しさを思い返し、断言する。「あたしそのときぐらっと来ました」

「正直に言うと。おれは、あのとき、迷った。つまり――

 相手を女として意識しての行動だから。もし男だったら頑張れよと言ってあとは放っておいた。

 ……気になっていたということかな」

「うっふふ。蒔田さんあたしにべた惚れですね」

「きみには負けるさ」

「あ。そろそろ蒔田さんあたし観たいドラマがあるんで」

「きみはドラマのほうがおれよりも大切ということか」

「……ドラマと張りあわないでくださいよ。アイラブユー、アイニージュー、アイウォンチュー」

「……Savage Garden?」

 え、と彼女の喉から声が漏れる。「知ってるんですか、蒔田さん」

「おれの親友がその曲を好きでな。彼の奥さんとの思い出の一曲らしい」

「いいですよね。あたしCD持ってますよ。今度持ってきましょうか」

「いやいい」……こころなしか、蒔田の声色が寂しそうだ。「元気だしてください蒔田さん」と彼女は元気づけた。

「あと、四回夜を重ねると、榎原紘花ちゃんとの楽しい楽しい週末が待ってますよ。

 ちなみに、し放題です」

「言ったな」蒔田が笑ったのを感じる。彼女にはそれが嬉しい。「本気にするぞ」

「どうぞどうぞ」余裕で彼女は応じる。どうせ、蒔田に愛されまくるのなんて、いつものことだ。崖から落ちてしまうんじゃないかと思うくらいの官能に導かれてしまうことなども。なにを言おうとも結果は、変わらないのだ。

「じゃあおやすみ、紘花」

「おやすみなさい、蒔田さん……」

 電話を切る。一緒にベッドに寝ていたのなら、キスをしてくれる場面。

 恍惚とさせる彼の唇を思い返しつつリモコンでテレビを点ける。

 画面の向こうでは美男美女の恋愛模様が展開される。ドラマを観ない主義の蒔田と観てみたら。

 彼は、相当に毒舌で。こんなのありえねーとばかりぼやいてこちらの気持ちを盛り下げるので、……消して、家で録画を楽しむことにした。残念な蒔田の一面だ。

 人間だから合わないところなんて、誰しもある。それでも一緒に居たいという気持ちが大事。前に蒔田がくれた言葉を思い返し、彼女は、テレビが与えてくれるフィクションの世界に、没頭した。

 *
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