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探れ(1)
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朝は、あなたのキスで目を覚ます。
「行ってきます。僕の眠り姫。ゆっくりおやすみ」
若くて体力のありあまっている私たちは、夜な夜なエネルギーを爆発させる一方で疲労もし、私は、下手をすると昼まで寝ている。母に、昔から怒られたものだ。朝の弱い私は本当に寝坊助で、いつも遅刻ぎりぎりに学校に行っていた。
いまは学校じゃない。
遠慮なく、……あまえる。
恋生の感触が残った唇に触れ、あの魅惑的な官能を思い返しつつ、睡魔におぼれる。
男ではないので勃起をしたことはないが。恋生の残すあまい口づけのせいで、朝からどうしようもなくなり目が覚めることもある。そういうときは夜までこらえる。か、無駄に運動なんかしてみる。有酸素運動をYoutubeで見て。
「うーん。……流石に絞らないと……」
朝顔を洗い、ふとトップスをまくりあげ、自分のウエストの状態を確かめる。……肉、ついてきたな。いかんいかん。恋生なんてばっきばきなのに。あの麗しい貴公子に似合う自分でいたいから……もちょっと運動頑張ろう。おー。
「め。この肉!」毎日たくさん食べてよく寝ているから肉に罪はない。罪があるとしたら私の煩悩か。すらっとした韓国系美女みたいなスタイルになることを夢見つついったん着替えて、敢えて、からだのラインがびしばし出るウェアで気合を入れる。
恋生宅には鏡の間があって。なお、トレーニングルームは別にあるらしい。部屋の壁がぜーんぶ鏡になっていてどこからも自分が見られる。恐ろしい部屋! そこに、テレビを持ち込んで動画を再生してフィットネスに興じる。
終わる頃にはマキノさんがやってくる。変に気を遣わせるのもなんなのでと、私は手早く化粧をして出かける。
外はあいにくの霧雨。まぁいい、こういう日はコーヒーと読書に限る。
恋生宅周りを散策していると、激安のスーパーがあったり、昔ながらのアーケードの商店街があったりと、セレブ風の建物が並ぶ一方で下町みたいな空気を醸し出している。先生とおててを繋いでいる保育園児の列を見ると微笑ましい。笑って手を振る。振り返す。この世はコミュニケーションだ。全部が全部、対話で成り立っている。
こうして暇になってみると、自分が生きていたこれまでの日常が嘘みたいで。……夢幻だったのではないかと思えている。いや、いまが幻なのか。こうして、食べるものに困らず、日々を大切に丁寧に生きている。それは、社畜だった頃には出来なかった生き方だ。誰かを呪い、責め、苦悩し、自分の無力さに苛まれる。
でも……こうして生きているだけで、喜んでくれるひとがいる。
あなたの存在が私を救ってくれているんだよ。恋生。
歩いて二十分ほどのところにある図書館に行くのが日課である。特にこういう雨の日は混雑する。なかには、真剣に新聞を読むおじいさんがいたりしてすっかり常連だ。私もそのひとりである。
私というと、既に限界まで予約した本を受付で借りたり。或いは、一部返して、その辺をぶらついて、何気なく手に取った本との出会いを大切にしている。
本は人間を豊かにする。どんなに酷い目に遭って、裏切られようとも、本は、絶対に裏切らない。
海外旅行を特集した本や写真集を借り、またすこし歩いて喫茶店へと入る。ここは、とにかく、コーヒーが美味しい。内装も、トルコ風のデザインで照明も木の壁も全部こだわりがあって。雰囲気がいい。いまどき店内で煙草が吸える喫茶店があることにも驚いたが。居心地がいい。
自分がからっぽになれる。ただ空間を楽しんでぼうっと……店主の淹れたハンドドリップコーヒーを味わう。
ふふ、幸せ。
あれ、恋生の口癖が移ったみたい。やだなぁ、毎日一緒に過ごしているから……。
(いやいや)
慌てて本で自分の顔を隠す。サトラレじゃなくてよかった。もし、自分の内面が世間様にダダ漏れだったら自殺している。濃密で、情熱的だった夜の記憶が鮮明に残っており、恋生宅にいるとそれが鮮やかに蘇るからこそ、こうして別の場所へと足を運んでいるのに。考えるのは恋生のこと。それから……。
(それから)
どうして生きていこうか。本を読んでいる間は、嫌なこととか、不安な未来のこととか、一切を忘れられているけど、現実に戻ると私はただの無職の二十五歳女なのだ。いったいなにが出来るのか、自分にも分からない。恋生と一緒にいる間は、まるでセレブ妻の気分でいられるけど、それって結局まやかしの自分――。
考えが沼に入り込んだところでほっと周囲を見回す。同じように、本を読んだり、ぼうっとしたり、店の雰囲気を楽しんでいるかたばかりだ。煙草の煙が漂うのでさえアクセントとなる。いままで、煙草なんて嫌いで一度も吸ったことがなかったけれど、まぁそこらへんに漂っているなら、悪い気はしないよね。宇多田ヒカルの曲の歌詞に煙草って出てきて、あれ、憧れだったなぁ……。
(First Love……)
砂浜で。潮騒の混ざった音を聴いたはず……あのとき。誰かと寄り添って……。
(駄目だ。思い出せない……)
これ以上を思い出すのを脳が拒否する。私の頭のなかには空白がある。その空白を蘇らせようと試みると必ず失敗に終わる。思い出したくないなにかがあるのだ。なんなのかはだいたい……想像がつくけど。
東日本大震災。ちょうどあの頃、東北を訪れていた私は――。
テレビで見た映像が後付けをする。あの頃、平常心でいられたひとは誰一人とていない。揺れがすさまじかったことはからだが記憶しているし、どこでどうしてたかまでは正確には思い出せないが、とんでもない出来事が起きてしまった。そのことが、のちの報道を通じて知れた。
恋生と出会っていたとしたら、その前なのだろうか。会社で会ったのが初対面だったら、あんな含みを持たせた言い方はしないはず。恋生のことだから。
(だったらいつ……)
そうだな。コーヒーを飲み終え、お会計を済ませ、店を出ると、外の雨があがったことを確認し、スマートフォンを取り出して連絡先を開き通話を押す。
気が進まないから避けていた。
パンドラの箱は開くためにあるのだ。
相手はすぐに電話に出た。なので返す。「ご無沙汰しています。お母さん」
嬉しそうな母の声。方言が強い。相変わらず、私のことをこうと決めつける性格は健在で。緑川にいたころの私がすべてではないのに。母はいつも、花ちゃんはこうやからと決めつけるのだ。
それが嫌いで出て行った。ということを母は知らない。
近所の坂田さんとこにまーた子どもが産まれて、と世間話をし始める母。聞いてやろう。ひとまず。いまのところは。
母とこうして話すのはもう、二年ぶりなのだから。積もる話もあるだろう。
三十三分間母の話を聞き終えた私は静かに切り出す。「お母さん。あのね。私の小さい頃の写真とか残っていたら全部……送って欲しいの。住所あとで送るから」
「写真な。ぜーんぶお母さんとっておるげよ。花ちゃんの小さい頃のとかぜぇんぶなぁ……」電話越しの母の声に宿る湿り気のある感情。「大学の頃のまで大事に取っておったさけ、すこしずつ送るわ」
「着払いでいい。全部送って欲しい」
戸惑ったような母の声。「……段ボール何箱になるか分からんけど、それでもいいが?」
「お願い。確かめたいことがあるの」
「分かったわ。時間指定したほうがええわね。ほしたら花ちゃん何時ごろならおる?」
一拍おいて、「いま、真剣に付き合っているひとのところに住んでいるの。そのかたのマンションに住まわせて頂いていて……、昼過ぎならいつでも大丈夫。コンシェルジュのひとがいるから荷物とかあれば取っておいてくれるの」
「そうなん? よかったなぁ……花ちゃん、ずっと彼氏おらんかったさけ、心配しておったんよ」
……うるさいな。親の心配は有難いけどちょっとこそばゆい。
「お母さん余震とか大丈夫? そっちは? どうなってる?」
母の呼吸音で結論が見えた。「……まだまだ復興途中って感じやよ……畑中までの道は直ったけど、ほんでも、二時間かかるところが、三時間も四時間もかかるさけ、移動も大変やし……国道は整備されてきたけど、緑川の町の真ん中とか、道路がでっこぼこで、あぶなくて、歩けんわ」
「お母さん足が悪いんだから気を付けてね」
「わーかっとる。ほしたら、またね。花ちゃん。元気で」と思い出したように母が、「婚約者のかたにもよろしく言うといてま」
婚約者じゃなーい!
昔の私だったら絶叫していただろうけど。ふふん、もう、大人なのだ。
「ありがとー」と緑川弁のイントネーションで返す流儀。「ほしたら、またな。お母さん」
律儀な母は、菓子折りと共に早速翌日送ってきた。
「――見つけた」
恋生。あなたのいる写真が残っているよ。
「行ってきます。僕の眠り姫。ゆっくりおやすみ」
若くて体力のありあまっている私たちは、夜な夜なエネルギーを爆発させる一方で疲労もし、私は、下手をすると昼まで寝ている。母に、昔から怒られたものだ。朝の弱い私は本当に寝坊助で、いつも遅刻ぎりぎりに学校に行っていた。
いまは学校じゃない。
遠慮なく、……あまえる。
恋生の感触が残った唇に触れ、あの魅惑的な官能を思い返しつつ、睡魔におぼれる。
男ではないので勃起をしたことはないが。恋生の残すあまい口づけのせいで、朝からどうしようもなくなり目が覚めることもある。そういうときは夜までこらえる。か、無駄に運動なんかしてみる。有酸素運動をYoutubeで見て。
「うーん。……流石に絞らないと……」
朝顔を洗い、ふとトップスをまくりあげ、自分のウエストの状態を確かめる。……肉、ついてきたな。いかんいかん。恋生なんてばっきばきなのに。あの麗しい貴公子に似合う自分でいたいから……もちょっと運動頑張ろう。おー。
「め。この肉!」毎日たくさん食べてよく寝ているから肉に罪はない。罪があるとしたら私の煩悩か。すらっとした韓国系美女みたいなスタイルになることを夢見つついったん着替えて、敢えて、からだのラインがびしばし出るウェアで気合を入れる。
恋生宅には鏡の間があって。なお、トレーニングルームは別にあるらしい。部屋の壁がぜーんぶ鏡になっていてどこからも自分が見られる。恐ろしい部屋! そこに、テレビを持ち込んで動画を再生してフィットネスに興じる。
終わる頃にはマキノさんがやってくる。変に気を遣わせるのもなんなのでと、私は手早く化粧をして出かける。
外はあいにくの霧雨。まぁいい、こういう日はコーヒーと読書に限る。
恋生宅周りを散策していると、激安のスーパーがあったり、昔ながらのアーケードの商店街があったりと、セレブ風の建物が並ぶ一方で下町みたいな空気を醸し出している。先生とおててを繋いでいる保育園児の列を見ると微笑ましい。笑って手を振る。振り返す。この世はコミュニケーションだ。全部が全部、対話で成り立っている。
こうして暇になってみると、自分が生きていたこれまでの日常が嘘みたいで。……夢幻だったのではないかと思えている。いや、いまが幻なのか。こうして、食べるものに困らず、日々を大切に丁寧に生きている。それは、社畜だった頃には出来なかった生き方だ。誰かを呪い、責め、苦悩し、自分の無力さに苛まれる。
でも……こうして生きているだけで、喜んでくれるひとがいる。
あなたの存在が私を救ってくれているんだよ。恋生。
歩いて二十分ほどのところにある図書館に行くのが日課である。特にこういう雨の日は混雑する。なかには、真剣に新聞を読むおじいさんがいたりしてすっかり常連だ。私もそのひとりである。
私というと、既に限界まで予約した本を受付で借りたり。或いは、一部返して、その辺をぶらついて、何気なく手に取った本との出会いを大切にしている。
本は人間を豊かにする。どんなに酷い目に遭って、裏切られようとも、本は、絶対に裏切らない。
海外旅行を特集した本や写真集を借り、またすこし歩いて喫茶店へと入る。ここは、とにかく、コーヒーが美味しい。内装も、トルコ風のデザインで照明も木の壁も全部こだわりがあって。雰囲気がいい。いまどき店内で煙草が吸える喫茶店があることにも驚いたが。居心地がいい。
自分がからっぽになれる。ただ空間を楽しんでぼうっと……店主の淹れたハンドドリップコーヒーを味わう。
ふふ、幸せ。
あれ、恋生の口癖が移ったみたい。やだなぁ、毎日一緒に過ごしているから……。
(いやいや)
慌てて本で自分の顔を隠す。サトラレじゃなくてよかった。もし、自分の内面が世間様にダダ漏れだったら自殺している。濃密で、情熱的だった夜の記憶が鮮明に残っており、恋生宅にいるとそれが鮮やかに蘇るからこそ、こうして別の場所へと足を運んでいるのに。考えるのは恋生のこと。それから……。
(それから)
どうして生きていこうか。本を読んでいる間は、嫌なこととか、不安な未来のこととか、一切を忘れられているけど、現実に戻ると私はただの無職の二十五歳女なのだ。いったいなにが出来るのか、自分にも分からない。恋生と一緒にいる間は、まるでセレブ妻の気分でいられるけど、それって結局まやかしの自分――。
考えが沼に入り込んだところでほっと周囲を見回す。同じように、本を読んだり、ぼうっとしたり、店の雰囲気を楽しんでいるかたばかりだ。煙草の煙が漂うのでさえアクセントとなる。いままで、煙草なんて嫌いで一度も吸ったことがなかったけれど、まぁそこらへんに漂っているなら、悪い気はしないよね。宇多田ヒカルの曲の歌詞に煙草って出てきて、あれ、憧れだったなぁ……。
(First Love……)
砂浜で。潮騒の混ざった音を聴いたはず……あのとき。誰かと寄り添って……。
(駄目だ。思い出せない……)
これ以上を思い出すのを脳が拒否する。私の頭のなかには空白がある。その空白を蘇らせようと試みると必ず失敗に終わる。思い出したくないなにかがあるのだ。なんなのかはだいたい……想像がつくけど。
東日本大震災。ちょうどあの頃、東北を訪れていた私は――。
テレビで見た映像が後付けをする。あの頃、平常心でいられたひとは誰一人とていない。揺れがすさまじかったことはからだが記憶しているし、どこでどうしてたかまでは正確には思い出せないが、とんでもない出来事が起きてしまった。そのことが、のちの報道を通じて知れた。
恋生と出会っていたとしたら、その前なのだろうか。会社で会ったのが初対面だったら、あんな含みを持たせた言い方はしないはず。恋生のことだから。
(だったらいつ……)
そうだな。コーヒーを飲み終え、お会計を済ませ、店を出ると、外の雨があがったことを確認し、スマートフォンを取り出して連絡先を開き通話を押す。
気が進まないから避けていた。
パンドラの箱は開くためにあるのだ。
相手はすぐに電話に出た。なので返す。「ご無沙汰しています。お母さん」
嬉しそうな母の声。方言が強い。相変わらず、私のことをこうと決めつける性格は健在で。緑川にいたころの私がすべてではないのに。母はいつも、花ちゃんはこうやからと決めつけるのだ。
それが嫌いで出て行った。ということを母は知らない。
近所の坂田さんとこにまーた子どもが産まれて、と世間話をし始める母。聞いてやろう。ひとまず。いまのところは。
母とこうして話すのはもう、二年ぶりなのだから。積もる話もあるだろう。
三十三分間母の話を聞き終えた私は静かに切り出す。「お母さん。あのね。私の小さい頃の写真とか残っていたら全部……送って欲しいの。住所あとで送るから」
「写真な。ぜーんぶお母さんとっておるげよ。花ちゃんの小さい頃のとかぜぇんぶなぁ……」電話越しの母の声に宿る湿り気のある感情。「大学の頃のまで大事に取っておったさけ、すこしずつ送るわ」
「着払いでいい。全部送って欲しい」
戸惑ったような母の声。「……段ボール何箱になるか分からんけど、それでもいいが?」
「お願い。確かめたいことがあるの」
「分かったわ。時間指定したほうがええわね。ほしたら花ちゃん何時ごろならおる?」
一拍おいて、「いま、真剣に付き合っているひとのところに住んでいるの。そのかたのマンションに住まわせて頂いていて……、昼過ぎならいつでも大丈夫。コンシェルジュのひとがいるから荷物とかあれば取っておいてくれるの」
「そうなん? よかったなぁ……花ちゃん、ずっと彼氏おらんかったさけ、心配しておったんよ」
……うるさいな。親の心配は有難いけどちょっとこそばゆい。
「お母さん余震とか大丈夫? そっちは? どうなってる?」
母の呼吸音で結論が見えた。「……まだまだ復興途中って感じやよ……畑中までの道は直ったけど、ほんでも、二時間かかるところが、三時間も四時間もかかるさけ、移動も大変やし……国道は整備されてきたけど、緑川の町の真ん中とか、道路がでっこぼこで、あぶなくて、歩けんわ」
「お母さん足が悪いんだから気を付けてね」
「わーかっとる。ほしたら、またね。花ちゃん。元気で」と思い出したように母が、「婚約者のかたにもよろしく言うといてま」
婚約者じゃなーい!
昔の私だったら絶叫していただろうけど。ふふん、もう、大人なのだ。
「ありがとー」と緑川弁のイントネーションで返す流儀。「ほしたら、またな。お母さん」
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