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藍色イルカ
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子どもの頃から「大人っぽいね」と言われていた。
特に言動に気を配っていたわけではない。
でも周りの人たちはそう言う。
大人ってなんだろう。
―――大人ってどうしたらなれるものなんだろう。
~藍色イルカ~
駅前にある塾の2階の教室は来年受験を控えた生徒たちで埋め尽くされていた。
視線がノートと黒板を行ったり来たりしている。
今は授業中だが、あと数分で終わるので、教室の雰囲気が少しそわそわしている気がする。
窓は教室の熱気で曇ってしまっていて、外の様子はよく見えない。
夕暮れを迎えて空が、街が藍色に染まっていることだけがわかる。
授業終了を告げるチャイムが鳴る。
生徒たちは一斉に息を吐き、カチャカチャを音を立てながら机に広げられた文房具を片付け始める。
「美憂今日の授業難しかったね」
隣の席に座って一緒に授業を受けていた佳奈が声を掛けてくる。
傾げられた首に合わせてポニーテールがぴょこん、と揺れる。
彼女は私が通う高校とは別の学校に通っている。
それでもこの塾の進学クラスに入っているのだから、学校内では相当頭がいい方に入るのだろう。
「そうだね、わかんないとこがあったから後で先生に聞きにいこうかな」
「今日も自習室使うの?」
「うん、家より塾の方が集中できるし」
「そっか。私も今日は自習室行こうかな」
少し驚く。彼女は家が少し離れているので、いつもなら残って自習なんてしない。
「珍しいね。テストとか近かったっけ?」
「あー……うん。そんなとこ、かな?」
歯切れの悪い口調の割には、彼女の顔は少しにやけている。
これは絶対何かあった。そう確信する。
「どうしたの? また”慎くん”関係?」
彼女に何かあったときは、大体幼なじみの”慎くん”関係。
そう思って少しカマをかけた。
それは正解だったようで、彼女の目が大きく開かれる。
「えっと……。そうです」
「何があったの?」
ニヤニヤと音がつくような笑みを浮かべて彼女を問い詰める。
私が彼女と知り合ったのは去年の夏頃だが、彼女と”慎くん”は小学校からの幼なじみ。
彼女は相当昔から”慎くん”に恋をしている。
どう考えても両想いだと思うのだが、彼女が引っ込み思案なのか、”慎くん”が鈍感すぎるのか、未だに付き合っていない。
「えっと、慎と学年末試験勝負することになって……」
聞いたところによると、”慎くん”が突然県外の大学に行くと決意表明をしたらしい。
それは、いつものんびりしている”慎くん”が初めて「本気だ」と言ったことで、彼女はそれが嬉しくて、そして悔しくて、学年末試験の勝負を提案したらしい。
もし、彼女が勝ったら告白をしようと思っている、とのこと。
「ずっとそばで見てたのに。慎を変えたのはイルカのニュースひとつだったのが悔しくて」
「……それさ、”私が勝ったら私と付き合って”じゃダメだったの?」
彼女はしまった、という顔をするが、すぐに唇をきゅっと結んだ。
「慎の気持ちを聞かずに付き合うなんてできないよ」
「真面目だなぁ」
「……真面目なんかじゃないよ」
「そうだったね、ごめんごめん。先生に質問しに行ってくるから、先に自習室行って、席取っててくれない?」
「うん、いいよ。待ってるね。席の場所は取れたら連絡する」
「ありがと」
私は勉強道具が入ったバッグを肩にかけ、職員室へと向かう。
恋をしている佳奈は、喜怒哀楽が豊かで、何かきらきらとしていて、同性の私から見ても可愛らしい。
私は恋をしたことがない。
異性にも同性にもときめいたことがない。
心臓は生まれたときから脈打つ回数が決まっているらしい。
そして恋をすると心拍数が上がってドキドキする、と聞く。
つまり恋をすると寿命が縮んでしまうのではないだろうか。
恋をしている人はきらきらしていると思う。
それでも私は恋をしたいとは思えないのだ。
だから私は子どもなのだろうか。
そんなことを考えていたら職員室に着いた。
ドアをノックして、名前を告げ、目的の席へと小走りで進む。
暖房の効いた職員室はコーヒーと紙の無機質な香りがする。
「北里先生」
目的の先生は、バイトの講師たちが使う机に座って、テキストを眺めていた。
私の声に彼は顔を上げて、眺めていたテキストを閉じて微笑んだ。
「どうした? わかんないところあった?」
「はい。質問に来ました。お時間大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。どこ?」
空いていた隣の机から椅子を引き出して私に勧めてくれる彼は大学生の講師だ。
教育学部に通っているらしく、いずれは教師になる人だ。
「先生って今おいくつですか」
疑問点を解決した後、ふと気になって、質問を投げてみた。
「僕? 22だけど、どうしたの?」
「大人ですね」
20歳を過ぎればお酒が飲める。煙草も吸える。立派な大人だ。
「大人ねぇ……。まだまだ僕は子どもだと思うよ」
「成人しているのに?」
「あはは、そう言われると弱いな。僕は親のお金で大学に通っているし、自立した大人とは言えないんじゃないかな」
「え……」
彼は授業も分かりやすくて、聞き上手で、塾の生徒たちからの人気も高い。
なにより先生なのに。それでも、”大人”じゃない?
「先生……。大人ってなんですか」
「難しい質問だね」
彼は目を瞑って、腕を組んで空を仰ぐように少し上を向いた。
「僕の個人的な意見だけど、大人なんて言われる人はみんなきっと子どもが大きくなっただけの人じゃないかな」
「……!」
言葉が出なかった。
それくらい彼の言葉は衝撃的だった。
「ごめん、変なこと言っちゃったかな」
固まったままの私を見て、彼は心配そうな声を掛けてくる。
その声でようやく思考が動き出した。
「い、いえ。ちょっとびっくりしただけで」
「そっか」
「じゃあ……大人ってどうしたらなれるんでしょう」
「それは僕にもわからないな」
彼は少し寂しそうに微笑む。
「でも……人生を少しだけ長く生きている先輩として後輩に教えられることがあるんじゃないかと思うよ。だからこうして塾講師をしているわけだし」
「そう、ですか」
そのとき、ヴヴっと私の制服のポケットに入れてあったスマートフォンが振動した。
一言断ってから内容を見ると佳奈からのメッセージで、無事に席が取れた、という報告だった。
「またわからないところがあったらおいで」
彼はまた微笑んだ。
親からの連絡だと思われたのだろうか。
「はい。ありがとうございました」
私は椅子を元の場所に戻し、彼に背けて職員室を後にする。
心の中のもやもやが晴れたような、かえって曇ってしまったような不思議な気分だった。
それでもひとつわかったことがある。
私はまだ子どもだということ。
通路を歩く生徒にわからないような程度に微笑む。
佳奈に”慎くん”の話をもっと聞こう。
彼女は、恋に至っては私よりずっと先輩なのだから。
―――恋とはどんなものかしら
身を焦がすような恋に出会えたとき
私は少し大人になれるのから
~〇〇イルカに続く~
特に言動に気を配っていたわけではない。
でも周りの人たちはそう言う。
大人ってなんだろう。
―――大人ってどうしたらなれるものなんだろう。
~藍色イルカ~
駅前にある塾の2階の教室は来年受験を控えた生徒たちで埋め尽くされていた。
視線がノートと黒板を行ったり来たりしている。
今は授業中だが、あと数分で終わるので、教室の雰囲気が少しそわそわしている気がする。
窓は教室の熱気で曇ってしまっていて、外の様子はよく見えない。
夕暮れを迎えて空が、街が藍色に染まっていることだけがわかる。
授業終了を告げるチャイムが鳴る。
生徒たちは一斉に息を吐き、カチャカチャを音を立てながら机に広げられた文房具を片付け始める。
「美憂今日の授業難しかったね」
隣の席に座って一緒に授業を受けていた佳奈が声を掛けてくる。
傾げられた首に合わせてポニーテールがぴょこん、と揺れる。
彼女は私が通う高校とは別の学校に通っている。
それでもこの塾の進学クラスに入っているのだから、学校内では相当頭がいい方に入るのだろう。
「そうだね、わかんないとこがあったから後で先生に聞きにいこうかな」
「今日も自習室使うの?」
「うん、家より塾の方が集中できるし」
「そっか。私も今日は自習室行こうかな」
少し驚く。彼女は家が少し離れているので、いつもなら残って自習なんてしない。
「珍しいね。テストとか近かったっけ?」
「あー……うん。そんなとこ、かな?」
歯切れの悪い口調の割には、彼女の顔は少しにやけている。
これは絶対何かあった。そう確信する。
「どうしたの? また”慎くん”関係?」
彼女に何かあったときは、大体幼なじみの”慎くん”関係。
そう思って少しカマをかけた。
それは正解だったようで、彼女の目が大きく開かれる。
「えっと……。そうです」
「何があったの?」
ニヤニヤと音がつくような笑みを浮かべて彼女を問い詰める。
私が彼女と知り合ったのは去年の夏頃だが、彼女と”慎くん”は小学校からの幼なじみ。
彼女は相当昔から”慎くん”に恋をしている。
どう考えても両想いだと思うのだが、彼女が引っ込み思案なのか、”慎くん”が鈍感すぎるのか、未だに付き合っていない。
「えっと、慎と学年末試験勝負することになって……」
聞いたところによると、”慎くん”が突然県外の大学に行くと決意表明をしたらしい。
それは、いつものんびりしている”慎くん”が初めて「本気だ」と言ったことで、彼女はそれが嬉しくて、そして悔しくて、学年末試験の勝負を提案したらしい。
もし、彼女が勝ったら告白をしようと思っている、とのこと。
「ずっとそばで見てたのに。慎を変えたのはイルカのニュースひとつだったのが悔しくて」
「……それさ、”私が勝ったら私と付き合って”じゃダメだったの?」
彼女はしまった、という顔をするが、すぐに唇をきゅっと結んだ。
「慎の気持ちを聞かずに付き合うなんてできないよ」
「真面目だなぁ」
「……真面目なんかじゃないよ」
「そうだったね、ごめんごめん。先生に質問しに行ってくるから、先に自習室行って、席取っててくれない?」
「うん、いいよ。待ってるね。席の場所は取れたら連絡する」
「ありがと」
私は勉強道具が入ったバッグを肩にかけ、職員室へと向かう。
恋をしている佳奈は、喜怒哀楽が豊かで、何かきらきらとしていて、同性の私から見ても可愛らしい。
私は恋をしたことがない。
異性にも同性にもときめいたことがない。
心臓は生まれたときから脈打つ回数が決まっているらしい。
そして恋をすると心拍数が上がってドキドキする、と聞く。
つまり恋をすると寿命が縮んでしまうのではないだろうか。
恋をしている人はきらきらしていると思う。
それでも私は恋をしたいとは思えないのだ。
だから私は子どもなのだろうか。
そんなことを考えていたら職員室に着いた。
ドアをノックして、名前を告げ、目的の席へと小走りで進む。
暖房の効いた職員室はコーヒーと紙の無機質な香りがする。
「北里先生」
目的の先生は、バイトの講師たちが使う机に座って、テキストを眺めていた。
私の声に彼は顔を上げて、眺めていたテキストを閉じて微笑んだ。
「どうした? わかんないところあった?」
「はい。質問に来ました。お時間大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。どこ?」
空いていた隣の机から椅子を引き出して私に勧めてくれる彼は大学生の講師だ。
教育学部に通っているらしく、いずれは教師になる人だ。
「先生って今おいくつですか」
疑問点を解決した後、ふと気になって、質問を投げてみた。
「僕? 22だけど、どうしたの?」
「大人ですね」
20歳を過ぎればお酒が飲める。煙草も吸える。立派な大人だ。
「大人ねぇ……。まだまだ僕は子どもだと思うよ」
「成人しているのに?」
「あはは、そう言われると弱いな。僕は親のお金で大学に通っているし、自立した大人とは言えないんじゃないかな」
「え……」
彼は授業も分かりやすくて、聞き上手で、塾の生徒たちからの人気も高い。
なにより先生なのに。それでも、”大人”じゃない?
「先生……。大人ってなんですか」
「難しい質問だね」
彼は目を瞑って、腕を組んで空を仰ぐように少し上を向いた。
「僕の個人的な意見だけど、大人なんて言われる人はみんなきっと子どもが大きくなっただけの人じゃないかな」
「……!」
言葉が出なかった。
それくらい彼の言葉は衝撃的だった。
「ごめん、変なこと言っちゃったかな」
固まったままの私を見て、彼は心配そうな声を掛けてくる。
その声でようやく思考が動き出した。
「い、いえ。ちょっとびっくりしただけで」
「そっか」
「じゃあ……大人ってどうしたらなれるんでしょう」
「それは僕にもわからないな」
彼は少し寂しそうに微笑む。
「でも……人生を少しだけ長く生きている先輩として後輩に教えられることがあるんじゃないかと思うよ。だからこうして塾講師をしているわけだし」
「そう、ですか」
そのとき、ヴヴっと私の制服のポケットに入れてあったスマートフォンが振動した。
一言断ってから内容を見ると佳奈からのメッセージで、無事に席が取れた、という報告だった。
「またわからないところがあったらおいで」
彼はまた微笑んだ。
親からの連絡だと思われたのだろうか。
「はい。ありがとうございました」
私は椅子を元の場所に戻し、彼に背けて職員室を後にする。
心の中のもやもやが晴れたような、かえって曇ってしまったような不思議な気分だった。
それでもひとつわかったことがある。
私はまだ子どもだということ。
通路を歩く生徒にわからないような程度に微笑む。
佳奈に”慎くん”の話をもっと聞こう。
彼女は、恋に至っては私よりずっと先輩なのだから。
―――恋とはどんなものかしら
身を焦がすような恋に出会えたとき
私は少し大人になれるのから
~〇〇イルカに続く~
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