少年人魚の海の空

藍栖 萌菜香

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77-彼と人魚のバスタイム

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 ベリルと浴室へ入ったはいいものの、狭くて身動きもままならない。
 そもそも一人用のシャワールームだから、仕方ないか……。

 ベリルが人魚に戻ったときのことを考えて、ベリルの腕を俺の首に回させる。さらにベリルの腰を俺が片腕で支えておけば、大丈夫だろう。

 必然的にぴたりと身体が合わさった。
 ちょっとドキドキしてしまうが……うん、大丈夫。まだ俺の理性は健在だ。


 シャワーの蛇口を開くと、お湯が二人を包んで流れていく。

「あ、待って。服が……」
 そうだった。服を脱ぐのを忘れてた。

「大丈夫、替えはもってきただろ?」
「うん、用意しろってキングが言ったからちゃんとカバンに……」

 どうせベリルのTシャツは海水に濡れて着れたもんじゃないし、ついでに水洗いしてしまえばいい。
 俺が着ているのもレジャー向きの古着だ。濡れて多少は脱ぎにくくなるかもしれないが、問題ない。


 そんな話をしているうちに、首に回されたベリルの腕が重くなる。慌てて腰を支える腕を強くした。

 見れば、ベリルの白い足は、いまや銀色の鱗に包まれた人魚の尻尾になっていた。
 小さな鱗のひとつひとつが浴室の照明を反射して、きらきらと輝いている。

「やっぱり……きれいだな……」
 溜め息とともに本音がこぼれる。
 もっとよく見たくて、身体を捻って足元を覗き込んだ。


 尾びれは、みっつ……いや、よっつにわかれているのか? 花びらを思わせるその形は、先端へいくほど透き通っていた。

 ほかにも、背中の腰のあたりから下へ向けて一枚。あと、腹側にも二枚の小さいフリルのようなひれがついていた。

 ひれの根元は少し太い筋状になっていて、それぞれ筋肉と連動しているらしい。見つめる前にはぱたりと体幹に貼りついていたのが、見つめている先でふるふると立ち上がり、震えてシャワーの飛沫を散らしていた。

 これがベリルの一部だと思うと、それだけで愛しさを感じる。


「キ、キング……あんまり見ないで……」
 しまった。ジロジロと見すぎたか。
 頬を染めたベリルが、両手で俺の顔を自分の目の前に固定した。

 首に回されていたベリルの腕がなくなった分、俺の片腕にかかる重みが増す。人魚になったベリルの尻尾を見るのに夢中になって少し離していたその身体を、慌てて両手で抱き寄せた。

「なんで。こんなにきれいなのに」
「……そんなこと言われたら、よけい恥ずかしいよ」
「恥ずかしい?」

「だって……僕は役に立たない出来損ないだから……いくらきれいでも意味ないよ」

 顔を目の前に固定されているせいで、ベリルの表情がよくわかる。
 ベリルは、身体を見られて恥ずかしいと言ってるわけじゃない。自分の在り様を恥だと思ってるんだ。

 もしかして……里で言われてたんだろうか?
 いくら美しくてもオスじゃ意味がないとか……そんな類のことを……。

 ベリルに刷り込まれているそれは、確かに人魚の世界での価値観かもしれない。
 だが、せっかく人魚でもあり人間でもある貴重な存在になったんだ。広い世界には数えきれないほどの価値観があるんだと、ベリルが知ったっていいはずだ。


 ベリルは、自分の本当の価値をまるでわかってない。だから自信もなく、すぐに自分を引っ込めたがる。
 育った環境のせいに違いないが、この自信のなさはもはや呪縛だ。

 ベリルが自分の魅力を正しく知るには、その育った環境以上の影響力が必要になる。それだけの影響を俺が果たして持てるのか……。

 でも、やるしかない。説明下手の俺にどこまでできるかわからないが、どんなに時間がかかっても、ベリルに自信を与えてやりたかった。


 どうすればベリルの視線を自分の魅力に向けられるか……。

 ふと、あるアイデアを思いついた。
 悪くない。試してみるか。


「……ベリル。じつは俺、まだ言ってなかったことがあるんだけど……」
 できるだけ深刻そうに話をもちかけた。

「キング……それは、僕が聞いてもいい話?」
 ベリルが、こんなときまで控えめにうかがってくる。本当にいい子だ。


「ああ、ベリルには知っててほしいんだ。俺……ひいジイさんから人魚の話ばかり吹き込まれてただろ? そのせいか、いつの間にか好みの人魚のタイプができてたらしくて……」

「え!? こ、好みの人魚っ!?」

「そうなんだ……最近じゃ、その人魚が夜な夜な夢にまで出てくるようになってさ……」

 嘘は言ってない。


「……ど、どんな、人魚なの……?」
「すごく素敵な人魚なんだ……聞いてくれるか?」
「お、教えて!」

 かかった! よし、よーく聞いてくれよ。


「夢の中のその人魚は、髪はきれいな金色で、瞳は俺の好きな深い碧色をしてた。笑顔がとても素敵で、その人魚が笑うだけでみんなが幸せになれるんだ」

「……」

「とても勉強熱心で、人の役に立ちたいと、いつでも思ってるらしい。泳ぎが得意で、すごく気持ちよさそうに泳いでた」

「…………」

「自分の危険を顧みずに、人間の子どもを助ける勇気ももってる。ちょっと泣き虫かな? でも、そんな素直なところがとても可愛い」

「……それって」

「お母さん思いで、育ててくれた人のためにも一生懸命になる優しさも持ってる。俺が辛い思いをしてないかも気にかけてくれた」

「ねぇ、それって……」

「俺にも夢があるってことを気づかせてくれたし、命も助けてもらったな。ずっと一緒にいてくれると誓って、プロポーズも受けてくれた……。な? 理想の人魚だろ?」

「キング……それって、僕のこと……だよね?」

 確信を持って、でもやっぱり自信なさげにベリルが質問してくる。


「俺の夢に夜な夜な出てくる、俺好みの人魚の話さ。これからは、自慢の恋人で家族になる」

 そうだろ? と碧の瞳を覗き込むと、そうだけど、と小さく答えながらも、ベリルは困り顔だった。


「ついでに、俺の夢に出てくる俺好みの人間の話も聞いてくれるか? といっても、さっきのとあんまり変わらないかな。違いって言ったら、きれいな尻尾がなくて、きれいな足があるってくらいだから」

 さっきのをもう一度繰り返してもいいけど、と耳元に顔を寄せて囁くと、「もうっ」と俺の首に抱きついてきた。

「……僕、そんなじゃないよ……」

「俺から見えるベリルは、そんなだよ。綺麗で、可愛くて、健気で、カッコよくて……ものすごくそそられる」
 密着具合にドキドキも限界で、思わず本音が漏れた。

「そそられるって?」
 穢れを知らない口調で問われて、一瞬たじろぐ。

 ラボでの自分の暴挙を思い出し、同時に、あの夜のベリルの痴態が脳裏に浮かんだ。
 忘れられるわけもない。あんなに綺麗で色っぽくて、可愛いベリルのことを……。


「そそられるっていうのは……えっちな気分になるってこと、かな?」

 たぶんわからないだろうと思いながら、いまの気分そのままを口にすると、
「えっち?」
 と、やはり理解不能なようで、俺に抱きついたまま首を傾げている様子だった。

 ……どう言ったら通じるかな。

「うーん……ベリルと交尾したい気分?」

「ええっ!? 交尾ッ!? できるのっ!?」
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