セリフじゃなくて

藍栖 萌菜香

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06 で、神坂はどうだった?

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「で……神坂はどうだった?」
「は、はいぃっ?」
 マズい。声が思いきり裏返った。電話越しの何気ない質問だったのに、これじゃ過剰反応だ。
 落ち着け。大丈夫だ。紗子さえこ社長が、あのことを知ってるはずがない。

 ……ない、はずなんだけど。うーん、この人なら何か知っててもおかしくないからなぁ。
 自身もモデルや女優として幼い頃から芸能界で活躍していた紗子社長は、つい(この人なら何か知ってそう)と人に思わせてしまう。それだけのネットワークと、観察眼と、勘の良さを持ち合わせている人なんだ。

 紹介してもらった神坂さんの仕事の経過報告をするために電話をかけたんだけど、電話にしておいて正解だった。
 もし対面で報告していたら……この人のことだ。たとえ何も知らなくても、俺の様子を見ただけで何があったか、事細かく言い当てかねない。


「どうって、何がですか?」
 素知らぬ声を装って問い返したが、内心はドキドキだ。社長に見えないのをいいことに、電話のこちら側で熱くなった頬を片手で押さえて熱を冷ます。
 いまあのときのことを思い出すのはやめろ。下手をすると電話越しでも気づかれてしまう。

「何がって、神坂よ。男前だったでしょ? あんた色男が好きじゃない」
「紗子社長、誤解を招くような言い方をしないでください。俺は、色男が好きなんじゃなくて、色男の役がやりたいんです」
 彼女が知ってて言ってることはわかってるのに、ついムキになって訂正してしまった。

「まだ諦めてないのねぇ」
 スマホの向こうから紗子社長の小さな溜め息が聞こえる。俺まで溜め息をつきたくなったけど、それはかろうじて堪えた。
 社長の言いたいことはわかる。人にはその器にあった役柄がある。体格的に無理のあるワイルドな色男役はさっさと諦めたほうがいい。そんなところだろう。
 この件については、もう何度も忠告を受けていた。

 確かに、俺は線が細すぎて、およそ舞台俳優向きじゃない。
 食べても鍛えても太くならない細身の身体は、身長がそれなりにあっても、他の役者とのバランスから子役を振られることだってある。顔だって整っているとは言っても綺麗系の女顔だ。メイクで凛々しく見せることはできても、役柄の幅はほかの男優に比べればひどく狭い。
 いや、女役もできるんだから、むしろある方面にだけ突出して役柄の幅が広い、とも言える。

 でも、この憧れが俺の俳優志望の原点なんだ。頭でわかったところで、そうそう諦められるものじゃなかった。

「万が一にも、それっぽい役が回ってくるかもしれないじゃないですか。この際、神坂さんの色気を参考に勉強させてもらおうと思って」
 あの人の色男っぷりはベテラン俳優にも引けをとらないので、と、できるだけ冷静な声音で仕事を引き受けた理由のひとつを主張した。


 すると、
「でしょ? 大学のときも笑っちゃうくらいモテてたわよ。夕陽は大丈夫だった?」
 と、また意味深な質問をされる。
「大丈夫って……神坂さん、何か危険なことでもあるんですか?」
 今度は落ち着いた声で返事ができた。けど、頬の熱だけは落ち着くどころか悪化した。わざわざ紗子社長に問い返さずとも、その答えを知っているからだ。
 俺は大丈夫なんかじゃなかったし、神坂さんは十分危険だってことを……。

 あのことだけは、紗子社長に知られたくない。芸能界の女傑と恐れられてる社長に弱みを握られれば、この先、どんな要求を飲まされるかわからないからな。
 それに、社長はまだまだ若くて、とびきりの美人だ。そのうえ、幼いときから世話になってる姉のような人でもある。そんな女性にあんなことがあったと知られたら、次に会うときどんな顔をすればいいのか見当もつかなかった。


 だって、あんな、あんな……。
 ああ、ほんとに、なんであんなことになっちゃったんだろう。

 そもそもあれは、リハーサルだったはずだ。演技に関しては素人だという神坂さんが男とのラブシーンを演じられるのか、それから、色恋に関して不慣れな俺が熱烈な恋人役を演じられるのかという、確認を兼ねたリハーサルだった。
 結果的には、どちらも問題ないという確認はできた。
 だけど、リハーサルをどこでやめればいいのか目測を誤った神坂さんと、信じられない失態をおかした俺のせいで、とんでもないことになってしまった。

 素人でリハーサル慣れしていない神坂さんは仕方がないとしても、俺はいったいどうしちゃったんだろう。人前でソコを硬くしたことなんて、これまで一度だってなかったのに。
 あんなことになったのは、俺にそういった経験がなさすぎたせいだろうか?
 それとも、百戦錬磨な神坂さんのキスが気持ちよすぎたから?

 どっちにしたって、神坂さんに非はない。
 なのに、熱く反応していたソコに触れられた瞬間、神坂さんを突き飛ばして……というか、蹴り飛ばしてしまった。
 咄嗟のことで、何かを考えてる暇もなかった。キスされてるあいだはどんなに頑張っても押し退けられなかったのに、あれも火事場の馬鹿力ってやつだろうか。

 キスのあいだ碌に力が入らなかったのは、初めて感じる快感に翻弄されていたせいだ。でも、意識までがぼんやりと飛んでいたのは、快感のせいだけじゃなく、しだいに濃くなっていった目に見えない何かのせいもあったはず……あれは、なんだったんだろう。


「フェロモンよ」
「……え?」

 びっくりした。タイミングよく耳へ飛び込んできた言葉に、紗子社長が俺の思考回路まで読み取るようになったのかと思った。もしくは、俺が独り言でもこぼしていたのかと……。

 耳の奥には「危険も危険。あいつはね、出すのよ。あれを」なんて社長の声が残っている。ただ単に、俺が考え事に夢中になって社長の話を聞いていなかっただけのようだ。
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